遣らずの雨

西園ヒソカ

雨を連れてくる男



 あぁ、傘も持っていないのに、いきなり雨が降ってきた。学生服が濡れると母が異様に怒るので、こういうときは大抵、近くの屋根へとお邪魔する。

強行突破は能無しのすることだ。

 鞄を傘がわりにし、きょろきょろと辺りを見まわしてみる。すると、どこからか「おいで、」と声がした。


「そこの、きみ、ここに丁度いい屋根がある。僕がいて少し狭いかもしれないが、どうだろう。」


 声がした方には幾年か前に店を畳んでしまったクリーニング屋があった。

そこでは、ぼくのものとはちがう、ブレザーを着た男が手招きをしている。


「おじゃまします、」

 こんなこと、彼に言うのも変な話だが。


「いや、びっくりしたね。いきなり降るもんだから。」

「はあ、」

「きみはあの、丘の上の高校の生徒? ぼくは、もっと向こうの高校の生徒」

「はあ、そうですか、」

「他校の生徒がこんなふうにひとつ屋根の下で雨が止むのを待っているなんて、なんだか不思議だね」


 ひとつ屋根の下というのはこういうときに使う言葉なのだろうか、……。


 ぼくはあいにく初対面の人と気兼ねなく話せる度胸を持ち合わせておらず、不躾にもう一度「はあ、」とため息のようなあいづちを打った。


 もちろんのことではあるが、そこで会話は途切れた。ぼくは身勝手ながら居づらさを感じ、「……雨、止みませんね」とぽつりと呟いてみた。

 しかしながら、返事は返って来ない。不思議に思って隣を見ると、そこに男はいなかった。


 おかしなことに、雨もいつのまにか止んでいた。





 彼と再び会ったのは、翌週、雨の日の屋根の下だった。


「やあ、また会ったね。」


 そのとき、ぼくは初めてその男の顔をじっくりと見た。まつ毛がしっとりと濡れ、髪からは雨つぶが滴り落ちていた。

 真黒の瞳がこちらを覗いている。目が合うと彼はゆるく微笑んだ。


「しかもまた雨の日なんて、きみは雨に好かれているね。」

「……ぼくは晴れのが好きなのですが、」

「えぇ、そうかい。……それは意外だな。君は雨を愛してくれる人だと思ったのに。」


 横に並ぶとぼくらの体格差が際立つ。

 彼は大男というわけではないが、不安を感じさせない程度にはがっちりとしていた。ひょろひょろで色白な自分が途端に情けなく思えてくる。


「すみません、ぼく、もう行きます。」

「急ぐことはないのに。……でも大丈夫。じきに止むよ。」


 屋根の下から出て、自身が濡れる心の準備をした。……が、するとすぐに雨は止んだ。何気なく振り返ってみると、やはりそこに彼はいなかった。




「お兄ちゃん、今日の降水確率、50パーセントだって。傘持ってく?」


 妹にそう聞かれ、ぼくは迷わず答えていた。「ううん、いらない。」

 傘がなくても、屋根の下へ入ればいい。雨は嫌いだが、雨宿りはもう嫌いではないのだから。



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