第十話 悲しみと絶望の脱出
クレアが産まれたのは春先の事、それでも一足早いうららかな陽気で、街には色とりどりの花が咲き乱れていたのだという。
父も母も、自分が産まれた時が人生最高の日で、その最高な日々がずっと続いているといつも言っていた。
だから、クレアは幸せの子なのだと。そんなクレアにもきっと、美しい幸せが待っていると言ってくれた。
まだ九つのクレアには両親の言う幸せというものがどういうものなのかは全くわからないけれど、とても素晴らしい事なのだというのは理解できた。それは、幸せそうにほほ笑む両親の顔を見ればすぐにわかった。
私も、いつかはあんな風になるのだろうか。友達の中にはおませさんもいて、みんなでお話をする度に『運命の王子様』にときめきを抱く子もいた。
クレア自身は運命の王子様も近所のかっこいいお兄さんもあまりピンとこなかったけど、自分にもそういう人がいるのかなと考えるぐらいはあった。
でも、それは遠い未来の話だろうし、今はまだ、大好きな花を育てて、それを街の皆に配って、両親の手伝いをすることが一番の幸せなのだ。
きっと、そんな日がいつまでも続くのだと、思っていた。
しかし――
「パパ、ママ!」
リーン・ブレイバーのコクピットの奥底。
クレアは泣きじゃくっていた。もう自分ではどう操作することも出来ない、わけのわからない機械に囲まれたクレアはただ頭を抱え、ボロボロと涙を流して、叫んだ。
容赦なく画面に映り込む故郷の変わり果てた姿。それから目を背けることも出来ず、ただその事実を突きつけられ続けた。
自分が九年間育ったあの美しい街は、今、死んだ。生命の息吹も、人々の活気も、動くものすら見当たらない石の彫刻。灰色で、無機質で、硬いものと置き換わった光景は、幼い少女には耐えられないものだ。
クレアは頭の良い子である。特別勉強ができるわけじゃない。ただ、物事を理解する力はあった。だから、今目の前で起きた惨状すらも、理解できた。
もうあそこには、誰も、いない。
「うわぁぁぁ!」
その時のクレアは、自分が何をしたのかなんてわからない。
ただ闇雲にレバーを動かし、ありったけの声で叫んだだけだったから。
闇雲な反撃。無理やりにでも機体を動かそうとする意地だけの、幼稚な行動。
「無駄だ」
そんなものが、通用するはずもない。
少女の叫びも思いも全て切り捨てる無慈悲な声と共に、漆黒の騎士グランド・エンドは爪先のドリルを回転させ、リーン・ブレイバー、孝也の体を蹴り飛ばした。
「うあっ!」
その衝撃の中、クレアの意識は途切れた。
***
「くそ!」
孝也としても、煮えたぎる怒りと憤り、そして意識が途切れたクレアへの心配が一気に押し寄せてきて、何をどうすればいいのかわからなくなった。
とにかくわかるのは、クレアが気を失った為に、体が動かせなくなったという事実のみ。
「無様だな。天空神の作り上げた最強の神殺し。しかし、蓋を開けてみれば、子どもがいなければ動けないでくの坊か」
グランド・エンド。それを操るヴィーダーの冷酷な声が木霊する。連結されたダブルライフルの銃口がピタリとこちらに狙いをつけていた。
クレアが動けない今、孝也は自分の意志で体を動かせない。ただ装甲に身を任せるだけになる。
「テメェ、ぜってぇ許さねぇ!」
「遠吠えだな。そして貴様の声はいら立つ」
「なに……ぐお!」
一瞬、ヴィーダーの声音に激しい感情が乗ったように感じられた。
なぜそんなものが感じられたのかは孝也にはわからない。それを考えるよりも先に、グランド・エンドに頭部を鷲掴みにされ、顔面に殴打を連発される。
「子どもはどうでもいい。所詮、我らにたてつく力もない。だが、貴様は違う。破壊、いや消滅させるべきだ!」
「ぐ、くそったれ!」
何度目かの拳を叩き込んだのち、孝也を放り投げたグランド・エンドは連結ライフルを構え、孝也の頭部へと狙いを定める。
「さらばだ、勇者よ……慈悲だ。子どもは見逃してやろう。だが、すぐに死ぬだろうがな」
「まぁてぇ!」
グランド・エンドがライフルを放とうとする瞬間。荒々しい叫び声と共に地響きが起きる。シャっと巨大な影がグランド・エンドの背後から飛び出し、仰向けとなった孝也へと降り立った。
それは、撤退したはずの巨大な象人間ルカーニアであった。長い鼻を孝也の首に巻き付けながら、巨腕で体を抑え込む。
「霊脈の確保、そして鉄人形の破壊は俺に課せられた任務! こいつは俺が片付ける、貴様は引っ込んでいろ!」
「チッ、どけ、ルカーニア。貴様で敵う相手ではないわ!」
「ぐははは! 聞く耳持たぬわ!」
象の鳴き声と共に重低音のような男の笑い声が重なる。ルカーニアは力のまま、孝也を押しつぶそうとしていた。
蓄積したダメージのせいか、孝也の体には再び無数の紫電が走り、その度、機械の体に激痛が走る。
「づぁ、このままじゃ、クレアもやべぇ……!」
なんとしてでもクレアだけでも逃がしてやりたい。だが、体は動かない。そんな事は絶対に嫌だった。自分が死ぬのも御免だ。
「うおぉぉぉ! こんな所で、死ねるか! わけのわからねぇ事に巻き込まれて、テメェみたいな筋肉達磨に抱きつかれて死ぬなんざ御免だ!」
「ぐははは! ほざけ、ほざけ。もはや貴様にはどうすることもできんわ!」
「うおぉぉぉ!」
体が軋み始めた。どれだけ強気の言葉を吐こうとも、抗う術が、孝也にはない。
(な、なんとかして体がを動かせねぇと……分離、そうだ、分離だ。あのちびっこい姿なら、俺は自由に動けた!)
それは、リーン・ブレイバーの胸部と頭部を構成するユニット。単独で戦闘機に変形する小型ロボットとしての姿の事だ。しかし、その形態に分離する為にはクレアの操作が必要だった。
(ネリーめ、こういう時に緊急用の装置とか詰んでないのかよ!)
自分の体を作った元・最高神ネリーも無事なのか、どうかわからない。
やはり、このまま押しつぶされて死ぬのか。そう思った瞬間であった。
(あまり、無茶をさせるな……)
(ネリー!)
頭に響いてきたのはネリーの声だった。
(無事なのか!)
(なんとか、ね。だが、今はこの場を切り抜けることだ。開発者権限だ。分離プログラムを強制起動させる。すまないが、また暫くそれで持ちこたえてくれ!)
(持ちこたえろって、お前……!)
またもやいい加減な内容で放り投げれた。
だが孝也は問い詰める事はしなかった。ネリーから送られてきた緊急プログラム起動を確認した孝也はそちらへと意識を向けた。
「死ねぇ、鉄人形!」
「うるせぇぇぇ!」
「むぅっ!」
最後の力を込めようとしていたルカーニアであったが、胸部に鋭い痛みが走る。
それは、グリフォンのくちばしに貫かれたからだ。グリフォンは気高い雄叫びを上げながら、何度もルカーニアを貫く。
「なに! 小娘がいなければ、動けぬはずでは……ぬわぁぁぁ!」
激痛によって拘束にゆるみが生じる。
それと同時に孝也の体は分離を始めた。小型のコアロボット・勇者リーン、そして聖獣グリフォンへと姿を変え、飛翔する。
「リーン・チェンジ!」
孝也は小型ロボット形態から、一瞬にして戦闘機へと姿を変える。その後ろをグリフォンが追う。
「リーン・グリフォン! スマッシュ・ウェーブ!」
孝也の指示に従い、グリフォンは鋭いくちばしを大きく開け、雄叫びと共に衝撃波を放つ。それらは真空刃となり、ルカーニアを切り刻んだ。
「もってけぇ!」
追撃をかけるように、戦闘機と化した孝也はビームキャノン、ミサイル、バルカンを一斉に放つ。本来であれば微細なダメージしか与えられない攻撃ではあるが、今のルカーニアは先の戦闘で相当のダメージを負っていた。それ故に、ダメージはかさばる。
そして、天翔ける勇者は聖獣の背に乗り、ルカーニアを睨む。
「ブチぬけぇ! セイント・スラッシャー・アタック!」
雷光を纏い一つの刃となった二体はそのまま、ルカーニアへと突撃する。
「お、おぉぉぉ!?」
瞬断。耐える間もなく、ルカーニアの肉体は真っ二つに切断され、爆光の中へと消えてく。
「なに!」
それを見ていたヴィーダーも驚愕した。いかにダメージを受けていたとはいえ、強固な肉体を持つルカーニアが一撃で消滅した事が信じられなかったのだ。
そして、雷の閃光はこちらにも向かっていた。
「えぇい、こざかしい!」
閃光めがけてダブルライフルを放つが、弾かれる。
迎撃に足を取られ、回避行動が遅れたグランド・エンドはよけきれないと判断したのか、キャタピラが合わさったシールドを出現させ、受け止める。
そして、激突。まばゆい閃光と衝撃波が両者を包んだ。
「死にぞこないめ、どこにこんな力が!」
「知らねぇのか、勇者ってのは都合よくすげーパワーが出てくるもんなんだよ!」
孝也とグリフォンから発せられるパワーはグランド・エンドと拮抗していた。合体もせず、操縦者もいないはず。百パーセントの力が発揮できないはずなのに、この力。ヴィ―ダーの想像を超えていた。
しかし、それに反して孝也はいっぱいいっぱいであった。彼のこの力は半ば、気合といってもいい。もっと物理的な説明をするならば、オーバーフロー、出力の完全放出である。ようは無茶をしていた。
「小癪な……むっ、うぅ!」
対するヴィーダーもこの力がずっと続くものではないと判断していた。ならば、今は耐え、しかるべきタイミングで反撃を行えば、済む。そう判断していたが、なぜか全身を雷が包み込み、激痛を走らせた。
「うおぉぉぉ!」
「うぐわぁぁぁ!」
まるで磁石が反発するように両者が弾かれる。孝也は態勢を立て直したグリフォンに咥えられ、何とか空中でキャッチされるが、グランド・エンドはそのまま地面に叩きつけられる。
(準備完了!)
それと同時に孝也のもとへネリーからの連絡が入る。
(強制転送だ!)
しかし、孝也もネリーの声の殆どが聞こえていなかった。
一時的なシステムダウン。ようは気を失うという事だが、孝也はとにかく、クレアが無事であることだけはわかった。それだけは、安堵するべきものだった。
そして、彼らの姿は空中に展開された魔法陣に吸い込まれるようにして、消えていった。
***
「うっ、くっ……迂闊は私だったか……」
一人、取り残される形となったヴィーダーは、コクピットの中で頭を振り、周囲を見渡す。あたり一面、石となった死の大地が広がっていた。
「鉄人形は取り逃がしたが、霊脈は抑えたか。チッ、ルカーニアめ。邪魔をして」
あの時、邪魔が入らなければ確実に始末出来たのだ。
「まぁ、良い。鉄人形を操るのは子どもだ。この光景をみれば、心が壊れただろう。ならば、奴は死んだも同然か……」
グランド・エンドを立ち直らせるべく、ヴィーダーは操縦するが、機体は動かなかった。
「なんだ? 機能不全か?」
いくらやっても、機体は動かない。
ヴィーダーは舌打ちをした。
「元は天空神の人形。不具合が起きるのは当然か……」
操縦を諦めたヴィーダーは深いため息をつき、指を鳴らす。
一瞬でグランド・エンドを覆う魔法陣が真下に展開され、ゆっくりとグランド・エンドが沈みゆく。
そして、死の大地だけが残った。
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