第五話 旅立つ君へ
シュウェル城の用意された一室。そこは、本来であれば国賓級の客人にしか解放されない特別な場所であり、一般市民が、それこそ子どもが入れるような場所ではなかった。
そんな場所に、クレア・アトネットはいた。
「う……なんだか、恥ずかしなぁ」
クレアは普段着ではなく、これもまた特別に用意されたドレスを身にまとっていた。煌びやかな宝石を散りばめた薄いピンク色のドレスは物語に出てくるようなお姫様みたいで、まさか自分がそんなものを着れるだなんて、思いもよらなかったのだ。
子ども心に、小躍りしたクレアは室内に設置された大きな鏡の前で、一度くるりと回ってみた。
「え、えへへ……」
「気に入ってもらえたようで何よりだ」
白髪の女魔導士は豪奢な椅子に腰かけて、その微笑ましい姿を眺めていた。
「あの、ありがとうございます。ネリー様……」
クレアはぺこりとお辞儀をして、礼を述べた。
ネリーと呼ばれた女魔導士は掌をひらひらさせながら、無言の返事をすると、肘をつけたテーブルの中央に視線を落とした。
「気に入らねぇんだよなぁ」
そこには異質なものがいた。大きさは十四センチ。それは、機械の体を得た、孝也、またの名を勇者リーンと言った。
孝也は、巨大なロボット、リーン・ブレイバーの姿ではなく、その頭部と胸部を形成するコアロボット、リーンの姿を取っていた。この状態だと、孝也はある程度自由に動くことが出来た。それでもなお十数メートルもある巨体なのだが、今は少し、事情が違った。
それは実体のあるものではない。言ってしまえば、それは幻術。幻であり、孝也はテーブルに座っているように見せかけているだけで、実際はものに触れることもできない。ただ、そこに映し出されているだけだった。
「世界の命運がかかっている。そりゃわかるがよ? 何だってこんな小さな子どもに全部背負わせるんだ」
孝也は器用に機械の体で胡坐をかき、腕を組んで口をへの字に曲げていた。
本来であれば勇ましいはずの勇者の姿からは想像もできない姿であった。
「だ、大丈夫です。勇者様。私、頑張りますから!」
そんな孝也を心配してか、クレアはぎゅっと両手を握りしめ、気合を入れるような仕草をする。
それを見ると、孝也としても怒る気が少し和らいで、クレアに微笑みを向けた。
「無理はしなくていいぜ。怖いもんは、怖いってはっきり言ってしまった方が楽だしな」
「で、でも、私が頑張らないと……勇者様にも、みんなにも迷惑をかけてしまうし……」
「あのな、クレア。君は、つい昨日までは普通の女の子だったんだ。それを、御使いだか何だか知らないが、そんな理由で危ない場所に送り込むって事の方がおかしいんだよ」
その内に数割の原因が自分にあることも含めて、孝也はクレアが不憫であった。
「本当なら、俺が、自分で戦っていたはずなんだよ。だから、巻き込んで、すまない」
孝也は心の底からそう思っていた。
故に、この少女だけでも、何が何でも守らないといけない。
彼はそれを胸に刻んでいた。
***
数時間前。
戦いが終わり、実家に帰る事が出来たクレアであったが、日が明けると即座に、国王の命を受けた兵士たちがやってきたのであった。
兵士たちの口から告げられたのは、『クレア・アトネットは御使いとして神に選ばれた。それ故に魔王討伐の使命を下された』、という内容である。
それは、仕方のない内容でもあった。クレアの両親としては、確かに名誉ではあるが、信じがたく、受け入れがたいものでもあった。
なぜ、自分の娘が?
当然、そのような疑問にぶち当たる。
しかし、噂というものは即座に広まるもので、たった一日しか経っていないというのに、クレアが勇者と心を通わせたという話は両親の耳にも届いていた。
そこには、半ば意図的なものを感じるが、それをあえて口にするのは憚られた。
そして何より、それを信じさせる原因となったのが、孝也の訪問であった。
その時、孝也は勇者リーンの姿で立ち会った。どうあれ、クレアを巻きこんだの自分であるし、そして彼女の力なくば自分は戦えない。だからこその義務だと思ったのだ。
当然、孝也個人としても、少女を危険な目に会わせるのは不本意であった。聞けば、クレアは一人娘だという。そんな目に入れても痛くないような可愛い娘を死地に追いやるような真似を、親がするはずもないのだ。
「勇者様、どうか、娘をよろしくお願いします」
複雑な感情がまぜこぜになったような声で、クレアの父はそう言って深々と頭を下げていた。
クレアの母はただ無言のまま、娘のクレアを抱きしめていた。クレアもまた母を抱きしめていた。
「承知した。この命に代えても、クレアは守ろう。約束する。必ず、彼女をあなたたちの下へ連れ戻すと」
その時ばかりは、孝也も口調を改めた。自分のキャラじゃないことぐらいはわかっていた。それでも、彼らの不安をあおるような軽薄な言葉だけは使えなかった。
「クレア、絶対に帰ってきてね!」
「私たち待ってるからね!」
「怪我しちゃダメだよ? 病気には気を付けてね! 何かあったら手紙送ってよ!」
話を聞きつけたクレアの友人たちも泣きながらクレアとの別れを惜しんでいた。
誰しもが知っているのだ。この幼い少女が背負うには重すぎる使命であると。
世界を滅びに導く魔王。それを、勇者と心を通わせたとはいえ、幼い少女に託すなど、残酷であると。
「クレア、約束だ。必ず戻ってきてくれ。あぁ、可愛いクレア……変わってやりたいものならそうしてやりたい。だが、これも最高神様の思し召しならば……クレアが選ばれたとすれば、それは名誉なことだ……だけど、クレア、決して、死なないでくれ。お前は、私たちの全てだから……」
クレアの父はその言葉を投げかける中でも涙を流さなかった。娘に不安を抱かせないようにと思う父の心の表れだというのは、孝也にもクレア自身にも強く伝わっていた。
「うん、パパ、ママ……私、頑張る」
そして、クレアは、笑顔で旅立つことを決意した。
***
出発はまだ決まっていない。御使いとはいえ、クレアは九歳の子ども。例え勇者がいても、万が一という危険もあると判断した王は護衛という形で軍を再編していた。
魔王討伐の為に軍勢を用意することとなったのだ。そして、士気を上げる為に、大々的な式典を催すというのだ。
その主役でもあるクレアは、半ば無理やり城に連れてこられたというわけである。
このわずかな時間でも、両親と過ごさせてやることはできないのかと思ったが、それは警護の関係上、不可能であるとのことだった。
王としても、今回の件には万全を期したいというわけだった。
「私、どんくさくて、みんなから笑われていたけど、こんな私にもできることがあるんだって思うと、なんだか嬉しくて。だから、勇者様、私、絶対にみんなを守る。勇者様の力になる!」
クレアはえへへと小さく笑ったのち、照れてしまい顔を伏せてしまった。
「そうか、強いんだな、クレアは」
孝也は思った。
この少女は、自分の運命というものを受け入れている。全くわけのわからないことに巻き込まれたというのに、本当は誰よりも恐ろしく、心細いはずなのに、クレアはそんな感情など一切見せないようにしていた。
「ありがとう、クレア。俺も、勇者として最大限の力を出そう」
しかし、だ。
やはり孝也には納得できない事がある。
だからこそ、その事を追及するべく、孝也は尋ねた。
「それで、だ。なんで、俺はこんな姿になってんだ? 説明はしてくれるんだろうなぁ?」
そう言いながら、孝也は白髪の女魔導士を見た。
「もちろんさ。私はそれを説明する為に着いてきたんだからね」
そういって女はニコリと笑った。
腕を組み、考えこむように首を傾げながら、女は口を開いた。
「さて、どこから話そうか……まずは自己紹介から始めようか?」
女は笑顔のまま、名乗った。
「私は、ネリー。ネリー・ディオメネスだ。見ての通り、魔導士だ。これからよろしく、クレア、そして勇者殿」
「フンッ……何がよろしくだ、ペテン師め」
ネリーの自己紹介に対して、孝也はそっぽを向いて毒づいた。
「おや、勇者殿は意外と口が悪い……」
「あんたは信用ならないからな。クレアをたきつけたのもテメェの仕業だろ」
孝也の低い声に対して、ネリーは飄々とした態度を崩さなかった。しかしながら、籠の中の空気は険悪そのものだった。それに巻き込まれたクレアはそわそわと二人を見つめ返す。
「説明しろ。なんで、俺がこんな体になったのか。なんでクレアがこんな事に巻き込まれているのか。全部だ」
「あぁ、もちろん。まずは、今の現状を端的に説明しよう。このままだと世界は滅びる。魔王……いや、大地神ジャべラスの手によってね」
「大地の神様が、私たちを滅ぼすんですか?」
おずおずと質問を投げかけたクレアにネリーは神妙な面持ちを浮かべて、頷いた。
「あぁ、君たちにしてみれば、ちょっと信じられない事だろうけどね」
「有名な神様なのか?」
孝也はクレアとネリーの二人を見て、質問をする。
「ごめんなさい、詳しくは知らないんです……でも、いっぱいの神様が世界を作ったって、聞いたことあるよ? 神様がこの大地と空を作って、私たち人間と動物を作って、植物と水を作って、火を与えてくれたって……」
「うんうん、よく勉強してるじゃないか。そう、この世界は神々によって創り出されたというのが人間界に広まってる通説だね。まぁ、そういう事にしておこう」
クレアの言葉にネリーはうんうんと頷き、彼女の頭をもみくちゃにする勢いで撫でまわした。
「ま、実際の所、神々は土台を用意しただけなんだけどねぇ」
「おい、もったいぶってねぇで早く本題に入りやがれ。あんた、人間じゃねぇだろ」
孝也の指摘を受けた瞬間。ネリーはにこやかな表情を浮かべたまま、ぴたりと動きを止めた。刹那、険悪だった空気を塗り替えるように凛と張り詰めた空気が部屋中を支配した。
子どもゆえに敏感なのか、クレアはびくりと肩を震わせ、背筋を伸ばす。孝也もまた、警戒を強めた。
「どうなんだよ。あんたは俺の、この体の事に妙に詳しかった。そして、クレアのペンダントに俺の意識を移したし、あの体をどこかへ消した。一介の魔導士がそんなことをホイホイできるのか?」
孝也が実態のない幻として、クレアの傍にいるのは実の所ネリーの仕業であった。巨大な孝也の体は何より目立ち、さらには進軍の妨げになる。そう提言したネリーはクレアが身に着けていた花びらのペンダントに孝也の意識を移していた。
そして、勇者リーン・ブレイバーの体は揺らめく蜃気楼のようにどこかへと消えていったのだ。
「ま、普通は出来ないよね。安心してくれ、リーン・ブレイバーはペンダント内の異空間へとしまってある。クレア、君が求めれば、勇者はいつでも真の姿に戻れる」
ネリーはクレアのペンダント指さして言った。
「そのペンダントは、いわば勇者とのつながりを示すものだ。形はなんでもよかったんだけど、まぁ、ほら、君は女の子だろ? だったら、デザインも考えてやらないとね」
「で、そのありがたい心使いをなんで俺にしてくれなかったんだ?」
孝也の質問にネリーは再び考え込む仕草をして、悩んだ。
「ん~別に、嫌がらせをしているわけじゃないんだけどね? ただ一つ、確実に言える事は……すまない、失敗した」
ぺろっとネリーは舌を出して、こつんと自分の頭を叩いた。
その瞬間、孝也は、この女は一発ぶん殴ってもいいんじゃないかと思った。
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