【百五丁目】「なーに、地獄で会えるさ」

 やがて日が落ちて、夜。

 多少のトラブルがあったものの、接遇研修一日目を無事こなした僕達…降神町おりがみちょう新人職員一行は、旅館の従業員から再び宿泊客へ戻った。

 山菜の天ぷら、キノコの炊き込みご飯、岩魚の串焼き、牡丹鍋ぼたんなべ…山の幸が溢れた夕食を全員でいただき、明日のミーティングが済むと、あとは自由時間である。

 男女それぞれの部屋に戻り、テレビを見るなり、雑談するなり、くつろぐことが出来る。

 こう書くと一見お気楽な修学旅行のようだが、実はそうでもない。

 僕達が滞在しているこの「深山亭みやまてい」は旅館なのだ。

 そして、僕達は研修という名目で、ここの業務に従事するカリキュラムを組まれている。

 ということは、どういうことかというと…


「げっ!起床が朝の5時!?」


 旅館側から渡された明日の予定表を見るなり、悪友の七森ななもり 雄二ゆうじが素っ頓狂な声を上げる。

 見れば、明日は5時に起床。

 宿泊客(自分達の分を含む)の朝食の準備に、庭や大浴場の清掃などなど盛りだくさんの業務の後は、7時に朝食、9時から正午にかけて地方自治法などの法規の勉強。

 お昼ご飯の後には、夕方まで本日同様の接遇実地研修が待っている。

 中々の過密スケジュールである。

 まあ、遊びに来ているわけではないのだから、仕方がない。


「マジかよ~!5時になんか起きたら、身体を壊しちまう~」


 だが、ここに遊び感覚で参加している奴がいた。

 情けない声で泣き言をいう雄二に、僕…十乃とおの めぐるは呆れて言った。


「よく言うよ。拳山けんざんじいちゃんの朝錬で、毎朝鍛えられてる癖に」


 拳山じいちゃんは、雄二の祖父だ。

 名の知れた武道家で“空手の鬼”でもある。

 妹さんと一緒に日の出と共に叩き起こされ、じいちゃんに空手の朝稽古をやらされていた雄二は、学生時代、品行方正な割に朝の遅刻だけとは無縁だった。

 故に、5時の起床など慣れに慣れている筈なのだ。


「だからだよ。ったく、こういう研修の時くらい、ゆっくり朝寝出来ると思ったのによ~」


 割り当てられた和室の畳に突っ伏す雄二。

 まったく…空手の実力の方はともかく、精神修行の方は、ほぼ効果が無いときた。

 帰ったら、拳山じいちゃんにその辺を一度進言した方がいいのかも知れない。


ヒュン…!


 そう思った瞬間、僕の眼前で、跳ね起きた雄二の正拳が寸止めされる。

 拳圧で生じた風が頬を撫でた。

 硬直したままの僕に、雄二は殺気のこもった目で告げる。


「巡…じいちゃんにやたらめったら可愛がられてるからって、は言うなよ?」


「………分かったよ」


 そう答えると、再び畳の上で苦悶する雄二。


 …普段は脳天気な癖して、時々、獣並みに鋭くなるんだよな、こいつ。


 と、そこに二人の男子職員が帰って来た。

 この部屋は4人部屋で、僕と雄二の他に、この二人の男子職員が寝泊まりしている。

 二人は室内に僕と雄二を認めると、おもむろにどっかり腰を下ろした。

 そして、突っ伏したままの雄二へ近付くと、おもむろに小声で耳打ちする。


「七森、見張りからの報告だ…“撫子”が動いたぞ」


「来たか…!」


 突然、ガバッと起き上がる雄二。

 その表情は、今まで見た事も無いくらいに真剣だった。

 同じく真剣な表情の男子職員達。


 “撫子”が動いた?

 一体何のことだろう…?


 首をひねる僕のことなどそっちのけで、何やら密談を交わし始める三人。

 「メンバーは決定した」「ルートは確保済み」とか訳の分からない単語が行き来している。


「雄二、一体何の話だ?」


 そう問い掛ける僕に三人はジロリと目を向け、フッと笑うと、


「教えてやらん」


「お前には特にな」


Killキル、リア充…!」


 と、優越感と嫌悪感をない交ぜにした言葉を返してきた。

 な、何なんだ、一体…


(ん?あれは…)


 僕を除け者にしたまま、何やらミーティングを続けている三人を見ていると、雄二が荷物の中から古びた大きな巻物スクロールを広げ、指で指し示しながら、男子職員達と意見を交わし始める。

 巻物スクロールは随分と古い物のようで、端々がボロボロになっていた。

 遠目に見ていると、何かの地図のようだ。

 まさか、いい年して宝探しゲームでもしているのだろうか…?


「…」


 放っておこうとしたものの、妙な胸騒ぎを覚えた僕は、三人が地図に気を取られている隙に、そっと回り込み、三人の頭越しに地図を覗き込む。

 巻物スクロールの表面には、細かく製図された建物の構造図のようなものが描かれていた。

 所々に赤い注意書きのようなコメントがある。

 それもだいぶ昔に書き込まれたものなのか、文字がかすれて読みにくいものまであった。 

 そして、僕は地図の片端に書き込まれたある文字に思わず声を上げた。


「…『深山亭』見取図…?」


 その呟きに、雄二達がバッと僕に顔を向ける。


「見たな…?」


 三人の視線に剣呑な光を認めた僕は、咄嗟に逃げ出そうとした。

 瞬間、雄二がパチンと指を鳴らす。

 すると、二人の男子職員が瞬間移動じみた動きで僕の背後に回り込み、両腕を取って畳に引き倒した。


「いたっ!な、何するのさ!?」


「黙れ、覗き魔め」


 抗議の声を上げる僕を、冷酷な目で見下ろす雄二。

 一切の感情を殺したその眼に、僕は再度戦慄した。


「どうする、七森?コイツ、始末するか?」


「…いや」


 物騒な提案をする男子職員に、雄二は首を横に振った。


「じゃあ、どうする?」


「この計画は万全を期す必要があるからな…よし、こいつはしよう」


 雄二のその言葉に、男子職員達が動揺したように言った。


「おい、マジかよ!?」


[足手まといになるぜ!?」


「こいつは昔から悪運だけは強い。下手に仕損じて、逃げられて密告されてもつまらん。監視がてら、手近に置いておこう」


「しかし…」


「なぁに、いざという時は生贄いけにえになってもらうさ」


 邪悪な笑いを浮かべる雄二に、僕はこれがロクでもない企ての始まりであることを悟った。


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 案の定だった。

 要は「ノゾキ」である。

 人の事を「覗き魔」とか言っておいてコレだ(溜息)。


 呆れ果てて、いちいち説明するのも面倒だが、一応概要を語ると「例の地図」は、先代・先々代といった歴代の男子職員の先輩達が受け継いで来た、文字通り「深山亭」の構造図なんだそうだ。

 地図には、部屋の配置は勿論、上下水道・電気の配線はもとより、人が通れそうな通気口なども記されており、それを頼りに女子職員の部屋を覗きに行ったり、女湯に向かったり出来るルートが事細かに書き込まれているらしい。


 …何を考えてんだろ、役場うちの先輩方…


「内包する情報の貴重度、そして危険度ゆえに、歴代の男子職員の中でも、最も見込みのある者以外には伝えられぬ…いわば一子相伝の『秘伝書』よ」


 格闘漫画に登場する達人キャラみたいなストイックな表情で、そう語る雄二。

 浴衣用の帯で後ろ手に縛り上げられた僕は、それを冷めた目で見ていた。


「…お前のバカも、ついにここまで極まったか」


「黙らっしゃい!」


 一喝する雄二に、周囲にいた男子職員達が一斉に「しーっ!」と口に人差し指を立てる。

 慌てて自分の口を塞ぐ雄二。

 それに僕は一人溜息を吐いた。


 ここは露天風呂…女湯を囲うように立つ幾重にも配置された生垣。

 雄二の指示により、監視を兼ねて連行される羽目になった僕は、雄二を筆頭に数人の男子職員で結成された「女湯撮影決死隊」と共にいた。

 何でも、彼らはこの任務(というのもアホらしいが)を遂行するために、厳しい選考テストを潜り抜け、見事その能力を買われた精鋭部隊らしい。


 …そこの人、呆れないで欲しい。

 僕だって、呆れ疲れているのだ。


 ともかく、帰りを待つ同志達に「輝かしい戦果」を持ち帰るため、彼らは行動を開始した。

 残された男子職員達は、あくまで自然に振舞い、女子職員の動向を注意深く監視し、その動きを余さず司令官である雄二に伝達。

 秘伝のルートを踏破するため、所々にはしごやロープなどの必須アイテムを配置し、宿の従業員達の眼を誤魔化し、決死隊の道行きをサポートしていく。

 その慎重を極めた連係プレーに、何も知らなかった僕は疎外感を抱く前に感心すらした。

 この連携力を、役場の仕事に活かせばいいのに…とも思ってしまう。


「…マズイな。予定より10分近い遅れがある」


 音を立てないよう、生垣を忍び行く中で、男子職員の一人が腕時計を見て、そう呟く。

 それに雄二が渋面で応じた。


「止むを得ん…撮影ポイントとしては惜しいが『ルート・バハマ』は諦めよう。時間優先で『ルート・マカオ』に変更する」


 すると、男子職員の一人が言った。


「なあ、七森。やっぱ、十乃置いてかねぇ?絶対、コイツのせいで遅れが出始めてるぜ?」


「最初に言ったが、コイツは生贄だ。万が一、俺達の動向がバレた場合、コイツを置き去りにして“トカゲの尻尾”にする」


 そして、再び邪悪な笑いを浮かべる雄二。


「ククク…リア充のコイツが、ノゾキを罪を着せられ、沙槻さつきちゃん達女子職員一同にボコられ、さらされる様は、さぞ滑稽だと思わんかね、諸君?」


「な、成程」


「さすが七森!おれたちにできないことを平然とやってのけるッ、そこにシビれる!あこがれるゥ!」


 深く静かに熱狂する男子職員一同。

 …そこまで僕が憎いか、みんな。


「しっ!見えたぞ!ポイント・マカオに着いたようだ…!」


 先頭を行く眼の良い男子職員がそう告げる。

 見れば、生垣の隙間から竹で組まれた塀のようなものが見えた。

 うわ、ホントに女湯に着いちゃったのか!?


「よし…撮影班、準備にかかれ。残りは周囲を警戒、何かあれば互いに合図を送り、デコイを放置しつつ速やかに散開。俺の部屋で落ち合おう」


 一斉に頷く決死隊の面々。

 その中の一人が呟く。


「なあ、みんな、俺達また生きて会えるかな?」


その言葉に別の一人が応じた。


「うちの女共が相手だから(バレたら)五体満足じゃすまねえな…」


 すると、雄二が不敵な笑みを浮かべる。


「なーに、地獄で会えるさ」


 こ、こいつら、死ぬ気だ…!


 いや。

 むしろ、いっぺん死んだ方がいいのかも知れない。

 マジで。

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