第九章 六月の花嫁達に祝福の鐘の音を ~目目連・舞首~

【八十四丁目】「お願いです!は、花嫁になってください…!!」

 唐突だが。

 みなさんは、こんな経験をしたことはあるだろうか…?


【ケース①】

 例えば職場で。


 お昼休みになり、昼食をとるため庁外へ出ようとすると、同じ課の女性の先輩が、


「よ、よー、めぐる。今日の昼飯は外か?なら、一緒に『玄風げんぷう』にでも行かねぇか…?』」


 と、誘い掛けて来ると、すかさず別の女性の先輩が、僕の袖をくいくい引っ張りながら、


「昨日獲った熊、鍋にした。君も食べる?」


 と完全にタイミングが悪い誘いを入れて来る。

 そのまま、三人で硬直していると、今度は後輩の女の子が、


「とおのさま、きょうはおべんとうをつくってまいりました。よろしければ、ごいっしょに…」


 と、笑顔で割り込んできて、そのまま凍りつく。


 正に「三すくみ」である。


 女性三人は、そのまま睨み合うでもなく、しかし、妙な緊張感プレッシャーと互いに引き下がれない様な空気が交錯し、固まる。

 何故か僕も、その立ち去れない雰囲気に飲まれ、結局、昼休み終了のチャイムが鳴り響くまで彫像と化す。

 そして最終的に、携帯食として保管していた「カロリーフレンド」をボリボリかじることになる。


【ケース②】

 例えば帰宅時。


 華の金曜日、業務終了のチャイムが鳴る。

 珍しく残業も無く、家路につこうというところで、やはり女性の先輩に声を掛けられ、


「巡、帰りに一杯飲んでいかねぇか?たまにゃあ、あたしがおごってやっからさ♪」


 と、誘われる。

 すると、またもやタイミング悪く、別の女性の先輩が、


「君、ヒマ?これから山に仕掛け罠の確認に行くけど…来る?」


 と声を掛ける。

 再度、硬直する三人。

 そして、やはりトドメに後輩の子が、


「とおのさま、おかえりのまえにもうしわけありませんが、すこしだけ『ぱそこん』のつかいかたをおしえて…」


 と、言いかけ、地雷を踏んだような表情になる。

 そして、やはり動けなくなる四人。

 結局、深夜に巡回してきた警備員のおっちゃんに呪縛を解かれるまで、僕達はマネキンと化していた。


 実に不思議だが、こんな状況が最近特に多いのである。

 僕…十乃とおの めぐるは、そんな緊迫感溢れる職場の空気に、誰ともなく責められている気分になり、毎日針のムシロの上にいるような状態だった。

 ここのところ、表面上は貯まっていた有給休暇の消化を行うていを装いながらも、裏ではセミナーの皆と「K.a.Iカイ」や「muteミュート」の一件に関わっていた僕は、休暇明けに出勤した途端、職場を包む異様な空気に気付いたのだった。

 目下、原因は不明である。


「なーにが『不明である』だよ、このトウヘンボクが」


 僕の対面に座っていた男性職員…七森ななもり 雄二ゆうじが、ジト目のまま片肘をついて言う

 降神町おりがみちょう役場内の食堂。

 お昼のチャイムと同時に、逃げるように特別住民支援課を抜けてきた僕は、食堂で出会った雄二と偶然鉢合わせ、一緒にお昼を食べることになった。

 雄二とは幼馴染で、進学・就職も一緒になった文字通りの「腐れ縁」である。

 彼は僕とは違い、背が高くガッシリ体型の持ち主で、運動神経抜群のスポーツマンだ。

 特に小さい頃から続けている空手は、黒帯な上、妹の紅緒べにおちゃん共々全国レベルの実力者で、一緒に雑誌にも載ったことがある程である。

 加えて人づきあいもノリも良く、学生時代はクラスでもムードメーカー的存在で、女子からも密かに人気があった。

 そんな雄二が、納得いかない顔で僕にはしを突き付けた。


「ったく、さっきから聞いてりゃあ、随分うらやましい状況じゃねぇか。オメーはどっかのラノベ主人公か!?」


「言ってる比喩がよく分かんないけど、別に羨ましい状況でもないよ」


 僕はトレイに乗った「月見そば」をかき混ぜながら、そう言った。

 逃げるように課を後にしたため、何を食べるか決める前に食堂ここへきてしまったが“燈無蕎麦あかりなしそば”の墨田すみだ 二八にはちさんが、食堂の当番だったのはラッキーだった。

 彼は特別住民ようかいの中でも屈指の蕎麦・うどん打ち名人で、役場と契約し、週一回食堂に出張してきてくれているのである。

 墨田さんは白髪混じりでしかめっ面の老人だ。

 職人気質で知られ、絵に描いたような「下町の雷オヤジ」で、その頑固さには定評があった。

 彼に公私問わず、怒鳴られた職員は数多いが、その厳しさの中には温もりがあり、逆にそこが蕎麦やうどんの味と共に人気になっている名物お爺ちゃんだ。


「んちわー。じっちゃん、今日は何か変わり種ある?」


「寿司じゃあるめぇし、蕎麦に変わり種なんかあるか!顔洗って出直してこい、このスットコドッコイ!」


「あ、ハンバーグ蕎麦とかないよね?」


「ハンバーグだぁ?バッケヤロウ、俺は蕎麦屋だ!頼むんなら蕎麦かうどんにしろい!」


 そんなお馴染みのやりとりと怒声が響き渡る。

 彼が当番の日は蕎麦かうどんしか出ないが、カウンターには早くも行列が出来始めていた。

 それを横目に、僕は溜息を吐いた。


「ここんとこ毎日そんな状況だからビクビクしっぱなしだし、おちおち昼食もとれないし…精神衛生上、こんなに胃が痛い環境はないよ…」


「お前はいま、全国のモテない男子を相当数敵に回したと思う」


「えっ、何で?」


「教えてやらん。精々、苦しめ」


「酷いなぁ…真剣に悩んでるのに」


「大体だな、お前は自分がどれだけ恵まれているか分かっていないんだよ」


 呆れ顔で蕎麦をすする雄二。

 ちなみに彼の注文は「ダイナミックスタミナせいろ」だ。

 スタメンは焼肉・生たまご・納豆…見ているだけで、満腹中枢が騒ぎ出しそうなラインナップである。


「そもそも、だ。あれだけの美人に毎日囲まれて、一体何の不満があるってんだ?」


 男性職員ばかりの防災課に配属された雄二には、僕の境遇が余程羨ましく見えるらしい。

 まあ、特別住民支援課の女性陣が美人揃いなのは事実である。


 いつも元気で、さっぱりとした気質と姉御肌が魅力の間車まぐるまさん(朧車おぼろぐるま)。

 無表情だけど、野性味と高貴さが同居し、小柄な体躯が愛らしい摩矢まやさん(野鉄砲のでっぽう)。

 抜群のトーク力を誇り、母性的な性格と破壊的なナイスバディが同居する二弐ふたにさん(二口女ふたくちおんな)。

 素直で純真無垢、家事も万能の大和撫子やまとなでしこ沙槻さつきさん(戦斎女いくさのいつきめ)。

 説明不要の完璧超人、パリコレモデルも裸足で逃げ出す黒塚くろづか主任(鬼女きじょ)。

 

 確かに人間ではないものの、全員がそれぞれの魅力的な女性である。

 雄二の言うように、僕の立場を羨望する男性職員は多いと耳にもする。


 だが。

 だが、しかしである。

 ちょっと待ってもらいたい。


 彼女達は、いずれもそれぞれの道で百戦錬磨の腕の持ち主で、その行動や思考も同様なのだ。

 追っ掛けてくる物騒な妖怪相手に、カーチェイスを演じたり。

 「ご飯の調達」と称し、野生のイノシシの追撃戦に付き合わせたり。

 説得する相手ようかいと交戦状態になった時、危うく味方の攻撃に巻き込まれかけたり。

 巨大な包丁で無理難題を解決するように命令おどされたり。

 etc、etc…

 これでも、僕なりに気苦労は多いのである。


「不満っていうか…命の危険を感じることの方が多いかな」


 乾いた笑いを浮かべ、遠くを見る僕に、雄二がゴクリと唾を呑んだ。


「…マジか?」


「大マジだよ」


 すると、雄二はポンと僕の肩を叩いた。


「そうか…意外と苦労してんだな、お前も」


 うんうんと頷く雄二。

 それに僕はジト目で返した。


「よく言うよ。実はそう思ってない癖に」


 それに雄二がニンマリと笑い返す。


「へっ、当り前だろうが!美女に囲まれる毎日が手に入るなら、俺ぁ命の一つや二つは惜しくないね!」


 そのまま腕を組んで、見下すように哄笑する雄二。


「ついでに言えば?今のお前の悩みは、降神町役場全男性職員にとって最大の至福みたいな?クックック、やーい、ざまーみろ~!」


「…お前に少しでも同情を期待した僕がバカだった」


 ガックリ項垂うなだれる僕。


「このままじゃ仕事にも影響が出そうだよ…ただでさえ、今度の住民交流イベントの件で煮詰まってんのに…」


 住民交流イベントとは、人間の一般住民と特別住民ようかいの相互理解促進のために、町が主催する毎年恒例のイベントだ。

 今年の下案は出来ているが、いまいちインパクトが無くて悩んでいた。

 雄二は、蕎麦の残りをかっこんでから言った。


「まあ、元気出せよ、巡。生きてりゃあ、そのうち良いことあるって!」


「だから、その命が割と危険でピンチなのが問題なんだって」


 溜息を吐く僕。

 苦笑する雄二。


「でもよ、何だって急に皆がそろいもそろって、お前にちょっかい掛け始めたかねえ?心当たりとか無いんか?」


「そんなの思いつかないよ」


 そんな傾向は以前から薄々あったのだが、今回は特に顕著だ。

 僕は頭を抱えた。


「この前、有給休暇から明けたらそんな風になっててさ…もしかして、留守中に何かあったのかなぁ?」


 「天毎逆あまのざこ事件」から休みなしだったから、今回の有給休暇はそれなりにまとまって取得できた。

 もっとも、繰り返しになるが「muteミュート」の一件で「絶界島トゥーレ」に出向いたりと色々とあり、あんまりゆっくりできた感はないのだが。

 首をひねる僕に、雄二は欠伸あくび混じりで言った。


「心当たりも無いんなら、もういっそ、お前んとこの美人上司に相談してみたらどうだ?」


「黒塚主任に…!?」


「そー、その黒塚さんにだよ。話じゃ部下思いの出来たお方みたいじゃんか。悩みの一つや二つ、相談に乗ってくれると思うぜ?」


「そ、それはそうだけど…」


 僕は挙動不審気味に、世話しなくあたふたした。


「な、内容が内容だし、変な心配かけるのも悪いし、主任はホラ、お忙しい人だし…!」


「あーはいはい。要は気恥ずかしいんだな、この根性無しが」


 …ぐうの音も出ない。

 これだから勝手知ったる幼馴染みというのは厄介だ。

 雄二は耳をほじりながら、面倒くさそうに言った。


「じゃあよ、せめて休暇中に何かあったかだけでも聞いてみりゃあどうだ?」


「…まあ、それくらいなら」


「おし!んじゃ、決定だな!」


 そう言うや否や、雄二は僕の背後に向けて大声を挙げながら手を振った。


「黒塚さーん!こんちゃーっす!あ、ここでーす、ここー!」


 んなっ!?

 慌てて背後を振り返る僕の目に、トレイに丼を乗せた主任の姿が映る。

 主任は、僕達に気付くとゆっくり近付いてきた。


「君は確か防災課の…む、十乃も一緒か…?」


「どどどどどうも!主任も今日は食堂なんですか!?お珍しいですね!」


 突然のことに盛大にキョドる僕に、主任は僅かに首を傾げて言った。


「ああ。今日は弁当を作る暇がなくてな。しかし、墨田氏が食堂担当だとは幸運だった」


 トレイの上の「カレーうどん」をホクホク顔で見下ろす主任。

 好物なのか、こんな主任の表情は珍しい。


「ところで私に何か用か?ええと…」


「七森ッス!七森 雄二。こいつの同期ってヤツです!お近付きになれて光栄です!」


 直立不動になり、挨拶をする雄二。

 …相変わらず調子だけはいい奴である。


「黒塚だ。成程、十乃の同期か。元気のいいことだ。そういう男は嫌いではないぞ。今後とも宜しくな」


「ウッス!」


 敬礼する雄二に、珍しく微笑みかける主任。

 僕はどこか居心地悪い気分になった。

 そんな僕の気も知らず、主任は僕を見下ろしながら言った。


「十乃、すまんが席を詰めてくれ。空席を探そうと思っていたが、ここに腰を下ろした方が早そうだ」


「あ、は、はい!」


 慌てて席を詰める僕。

 対面で、主任を自分の隣席にリードしようとしていた雄二が、小さく舌打ちする。

 いや、睨むなって。

 僕のせいじゃないんだから。


「ところで、何か私に用があったようだな?食べながらで良ければ、聞いても構わんぞ?」


 割り箸を割きながら、カレーうどんに視線を吸い寄せられている主任。

 僕が躊躇ちゅうちょしていると、


「あー、それなんですけど。どうもコイツ、相談したいことがあるそうで」


「なに?相談、だと?」


 箸を手にしたまま、主任が僕をじぃっと見詰めてくる。


「何だ、十乃。それで最近元気がなかったのか…?」


「さっすが!気付いてたんすね、黒塚さん!」


 大袈裟に驚いたふりをする雄二に、主任は頷き、


「当然だ。彼は私の直属の部下だからな…それで、どんな相談だ?私でよければ聞いてやるぞ?」


「いや、あの…その…」


 更に見詰められ、僕はしどろもどろになる。

 普段、何気なく主任と会話をしてはいるが、そのほとんどは仕事絡みの話だ。

 しかも、こんな砕けた雰囲気の中での主任との会話は、飲み会のシチュエーション以外ではほとんどない。

 見ると、対面の雄二がしきりにジェスチャーで「早く行け!」を目配せしている。


「どうした?ここでは話しにくいことか?」


「え、ええ…まあ、ハイ…」


「ふむ…」


 そう言うと、主任は顎に手を当ててから、


「いいだろう。十乃、今夜の予定は空いているか?」


「ひぇっ!?は、あ、ハイ…!」


「よし。では、今日の終業後、私に付き合え」


 何と…!?

 そ、それって、つまり…

 右往左往する僕に、雄二がニヤリと笑い掛ける。


「良かったな、巡。たっぷり相談に乗ってもらえよ」


 僕は突然のことに呆然となりながら頷いた。

 その横で、主任が箸を置き、紙ナプキンで口元をぬぐう。


「ふむ…ではな。二人とも、午後の業務時間に遅れるなよ」


「「!?」」


 そう言いながら、が乗ったトレイを手に立ち上がる。

 悠然と去って行くその後ろ姿と、カレーの汁ひとつ飛び散っていない卓上を交互に見やり、雄二が呆然と呟いた。


「…マジですげぇな、お前んとこの上司」


「うん…」


 僕も固まったまま、頷くしか出来なかった。


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 終業後。


 主任から「会議が長引き、自席に戻るのが遅れる」と伝言を受けた僕は、特に予定も無かったため、そのまま残って主任を待っていた。

 やがて、戻って来た主任は手短に残務整理を行い、身支度を整えると、僕を車に乗せ、市街地にある一軒のレストランに連れ込んだ。

 シックで落ち着いた感じ内装が特徴的で、静かなBGMと暗めの照明が、実にムーディーである。

 慣れない雰囲気にどぎまぎしている僕に、主任は悪戯っぽく笑いながら、


「待たせた詫びだ。特別だぞ?次があっても期待はするなよ?」


 と、告げる。

 幻想的な照明の下、いつもと違って、砕けた感じの主任に、僕はドキリとなる。

 主任は適当な食事と飲み物を注文すると、改めて僕に向き直った。


「…で、相談とは何だ?ここなら私とお前だけだし、気兼ねなく話せるだろう」


「あ…え、ええと…その、ですね…」


 僕は焦った。

 実は「主任と二人きりになる」というシチュエーションにばかり気を取られ、相談する内容にまで気が回らなかった。

 ま、参ったな。

 間車さん達の不協和音について話をしても、呆れられそうだし。

 かといって、ここまで来て「何でもありません」なんて通じないだろうし。


「どうした?遠慮せずとも構わんぞ?」


 主任がじっと僕を見詰めながら、小首を傾げる。

 同時に烏の濡れ羽色の黒髪が、サラリと流れた。

 赤い口紅ルージュが、僅かに開き、艶めかしいことこの上ない。

 味わったことのない緊張で、頭の中がグルグル回り出す。

 何か!

 何か言わないと…!

 このままでは、妙なことを口走ってしまいそうだ。

 え、ええと…

 何か、話題、話題はないか…!?


 その瞬間。

 天啓の如く僕の頭に閃いたものがあった。


「主任!」


 僕は思わず目をぎゅっとつぶったまま声を上げた。


「な、何だ?」


 吃驚びっくりして目を瞬かせる主任。

 構わず僕は続けた。


「お願いです!は、花嫁になってください…!!」












 時間が止まったような沈黙が続く。

 恐る恐る目を開けると。

 そこには耳まで真っ赤になった黒塚主任がいた。


「な、な、な、何だと…?」


 あれ…?

 のリアクションに、逆に僕が唖然となる。

 主任は慌てたように周囲を見渡した後、コホンと咳払いした。


「そ、その…ほ、本気なのか、それは?」


「ええ、勿論です。実はずっと前から決めていたんです…!」


 主任の反応は意外だっだが、ここはチャンスである。

 実際、僕自身もだ。

 だが、主任が相手では、かなりハードルが高いと諦めていたのだ。

 二人きりになった今こそ、切り出す絶好のタイミングである。

 主任は一層赤くなって、髪を一房いじり出した。


「す、ずっと前から…って、そんな前から…そんなことを考えていたのか、お前は…」


 「仕方のない奴だな」とか呟きながら、視線を逸らす主任。

 僕は素直に頭を下げた。


「はい。すみません、本当はもっとちゃんとした形でお願いするつもりでしたが、こんな形になってしまって…」


「『こんな形』などと…べ、別にいいと思うぞ…って、いや、ち、違うぞ!?今のは『YES』という意味じゃなくて、シチュエーション的な意味だからな…!?」


「ありがとうございます。それで…お受けいただけますか?僕みたいな者が、主任を選ぶなんて、大それたことだとは思いますが…」


「あ…え…いや…そ、それは、だな…その…」


「お願いします。…!」


 ここは誠意の見せどころだ。

 僕は真剣な顔で、主任を見やった。

 主任は相も変わらず赤面したまま、もじもじしている。

 しかし、


「…ほ、本当に私でいいのか…?」


「はい」


「こ、こんな年上の女なぞ、花嫁に相応しいとは思えんのだが…」


「そんな!主任程の美人ならば、誰も文句は言いませんよ!」


「だ、だが…ご両親は、そうは思わないだろう…?」


 僕はキョトンとなる。


「…両親、ですか?いいえ、大丈夫だと…思いますけど」


「そうか…で、では、妹さんは…美恋みれんさんはどう思う?」


 意外な人物の名前が飛び出し、僕は少し面食らった。

 だが、顎に手を当てて考えた後、


「全然問題ないと思いますよ」


 と、主任に告げる。


「あいつは服装のセンスはある方だし、主任みたいな女性が花嫁衣装を着れば、絶対文句なんて言いっこないですよ」


「そ、そうだろうか」


 主任は再び咳払いをした。


「う、うむ。まあ、私も仲良くやっていく努力は怠らないつもりだ」


「はあ…ありがとうございます。で『OK』ということで宜しいでしょうか…?」


「そ、そうだな…まあ、少し時間が欲しいところだが、おおむねは、な」


 最後の方の台詞は蚊の鳴くような声だったが、主任は承諾の意を示してくれたようだ。


「ありがとうございます!これで一気に


「も、盛り上がる…のか?」


「勿論です!主任程の美人が参加するなら、絶対に盛り上がりますよ、!!」











 再び、時間が止まったような沈黙があった。

 そして、


「十乃…いま、何と、言った…?」


 主任がかすれた声でそう問い掛けてくる。

 僕は笑顔で、


「『主任程の美人が参加するなら…』」


「その後だ!」


「え、ええと…『絶対に盛り上がりますよ、今度の住民交流イベントは』だったかな?」


 主任がワナワナと震えだす。

 何故だか。

 僕はその周囲にが見えた気がした。


「住民…交流…イベント…?」


「え、ええ…ホラ、この前お見せした企画書のやつです。えっと『降神町主催 ジューンブライドコンテスト』って」


「ジューン…ブライド…!?」


 主任が。

 その目を金色に輝かせて顔を上げる。

 僕は思わず出掛かった悲鳴を慌てて飲み込んだ。

 それは…そんな迫力に満ちた表情だった。


「は、はいいい…ちょうど、イベント時期が六月なので、女妖の皆さんが主体になって参加できるものをと…それで…あの、主任も…参加者にどうかなって…でも、僕なんかが出場を推薦するのは…迷惑かと思ってて…」


 僕の声は。

 かつてないくらい震えていたと記憶している。


「そうか…そうか、そうか…」


 何度も自分に言い聞かせるように頷く主任。

 その間、僕の心臓はバクバクいいっぱなしだ。

 主任は氷点下の眼差しで僕を見詰めると、


「よかろう…では、これからひとつ、企画会議と洒落込もうか」


 艶やかな真紅の唇から、鋭い牙を覗かせて、伝説の鬼女がわらう。


「覚悟しろ、十乃。明日の朝日を格別のものにしてやろう…!!」



 その後。

 深夜、店主が土下座するまで店は開店させられ、その間、僕は主任にこっぴどい企画書のダメ出しの嵐をくらった。


 心身共にボロボロの満身創痍のまま帰宅し、姿を見せ始めていた朝日を自室の窓から見て、


「生きてるって素晴らしい」


 と、実感したのは言うまでも無い。

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