【七十六丁目】「要するに、私に見せ場を作ってくれたんですよ」

「Hooooorse!!」


 僕…十乃とおの めぐるが見守る中、樹上の相馬そうまさん(馬の足)が再度降下する。

 妖怪“馬の足”の特性上、その攻撃は上方からが常なのだろう。

 愛嬌のある彼の顔は、今は見たこともない程に攻撃的に歪んでいる。

 ということは、彼は明確な意思をもって、僕達を助けようとした訳ではなさそうだ。

 一体、彼に何があったんだ!?


「Hooooorse!!」


 降下しながら、途中で枝を蹴り、予測不能な軌道で標的ターゲットに迫る相馬さん。

 その標的は、手にした大弓を引き絞っていた。


「口惜しい…口惜しい…!」


 ひたすら無念を口にしながら、それでも美麗な構えは崩れない。

 “古空穂ふるうつぼ”である弓弦ゆづるさんは、上空から迫る襲撃者の複雑な動きを、微動だにせず目で追う。

 そして…


「Hooooorse!!」


「口惜しいぃぃぃぃぃっ!!」


 最後の一蹴りで、弓弦さんの左側面から襲い掛かる相馬さん。

 強靭な右足がキックの形で弓弦さんを捕捉する。

 一方の弓弦さんは、大弓を相馬さんへ向けて限界まで引き絞しぼると、迎撃の一矢を放った。

 が、それも紙一重でかわした相馬さんのキックが、遂に彼女の胸板を捕える。

 女性ながら身長もある弓弦さんだが“馬の足”の一撃は強烈だ。

 その身体が、派手に吹き飛ばされる。

 そのまま木の幹に激突し、動かなくなってしまう弓弦さん。


「Hooooorse!!」


 とどめを放つつもりなのか、相馬さんは再度跳躍した。

 その瞬間、


「!?」


 相馬さんがバランスを崩し、地面に転倒する。

 見れば、一本の矢が、彼の肩口に突き立っていた。

 かわした筈の矢が命中していたことに、相馬さんが目を剥く。

 陰矢かげやである。

 一本と思われていた矢には、その陰に隠れたもう一矢が存在していたのだ。

 それが時間差で相馬さんの肩に命中していたのである。

 恐るべし、弓弦さん。

 やはり「弓神」の異名は伊達ではない。


「口…惜しい…」


「Hooooorseっ…」


 フラフラと立ち上がる弓弦さん。

 肩を押さえて身を起こす相馬さん。

 傷を負いながらも、両者の目から闘志は失われていない。

 だ、駄目だ…!

 このままでは、本当に殺し合いになってしまう!


「ちょっと、もう止めなさいよ、二人とも!」


「ケンカは駄目だよ!」


 知り合い同士が傷付け合う様を見て、釘宮くぎみやくん(赤頭あかあたま)と三池みいけさん(猫又ねこまた)が悲痛な声を上げる。

 特別住民ようかい達は、基本的にお互いの領域を侵さない限り、相争うことはない筈なのだ。

 日頃仲が悪い飛叢ひむらさん(一反木綿いったんもめん)と鉤野こうのさん(針女はりおなご)だって、ここまで派手な喧嘩はしない。

 ましてや、この二人は降神町おりがみちょう役場のセミナー受講生の中でも、特に穏健な性格だった筈なのに…


沙牧さまきさん!何とかなりませんか!?」


 見ていられなくなった僕も、思わずすがるように声を上げる。

 彼らに襲われたことは正直ショックではあるが、このまま二人が傷付け合うのを見ているのは耐えがたい。

 だが、沙牧さん(砂かけ婆)は真剣な顔のまま言った。


「…いいえ。これは好機チャンスです。このまま、速やかにここから撤収しましょう」


「そんな…!」


「いまの私達の立場を思い出してください。私達がここに居ることがばれたら、非常にまずいのでは?」


 それは…そうだけど…

 沙牧さんは僕の迷いを見透かすかのように続けた。


「それに、原因は分かりませんが、お二人ともどう見ても正気ではないようです。先程の宮美みやみちゃんとのやり取りを見ても、こちらの言葉が届くとは思えません」


「でも、このままじゃ二人が…!」


「その女の言う通りだ」


 不意に。

 聞き覚えのない若い男性の声がする。

 振り向いた僕達の前に、一人の小柄な青年が立っていた。

 グレーのポークパイハットを被り、同じ色のコートに身を包んでいる。

 無愛想な顔で手にした分厚い本をめくりながら、これまた無愛想な声で続ける。


「その二人は正気ではない。妖怪としての本能に飲み込まれた、文字通りの獣だよ」


「だ、誰よ、貴方!?」


 突然の闖入者に、柏宮かしみやさん(機尋はたひろ)が身構える。

 すると、青年は、


「俺は神無月。神無月かんなづき 翔舞しょうま。この島に招かれた『K.a.Iカイ』のテストプレイヤーの一人だ」


 うわ。

 言ってる傍から、関係者に見つかった!


「お前達、見ない顔だな…そうか、外部からの侵入者か」


「あ、いや、その…」


「取りつくろう必要はないぞ。この島に招かれた妖怪なら、を付けていないのは不自然だからな」


 何故か、僕の首元を見ながら、神無月さんが言った。

 「」って…一体、何の事だ?


「連中を止めようとしたところを見ると、あの二人の縁者か…ということは、貴様達、降神町役場に関わりのある立場の者だろう?」


 僕は言葉を呑みこんだ。

 何なんだ、この人は…?

 まるで、全てを見透かしているかようなもの言いだ。


「…隠しても無駄のようですね」


 沙牧さんがあっさりと肯定すると、神無月さんは詰まらなそうに鼻を鳴らした。


「ふん。隠す程のことか。あの二人は元々、降神町役場のセミナー受講者だ。その縁者なら同じセミナーの関係者だろう。簡単な推測だ」


「貴方は一体…」


 僕がそう言うと、神無月さんは、初めて僕を見た。


「先程言ったろう?ただのテストプレイヤーだ。そして、この『絶界島トゥーレ』では、残り数少ない特別住民ようかいの一人だ」


「ご託はいいわ!それより、あの二人を止める方法は無いの!?」


 柏宮さんが切羽詰まった口調で問いただす。

 見れば、僕達が問答している間に、弓弦さんと相馬さんが臨戦態勢に戻りつつある。

 マズイ!

 早く止めなくては…!


「ふん…まあ、確かに外野が騒がしくて、落ち着いて問答も出来んな、これでは」


 そう言うと、神無月さんは手にした本を軽やかにめくりだす。

 すると、不思議なことに、めくられたページが宙に舞いだし、緩やかに対峙する二人へと向かう。


「口惜しい…」


「HO!?」


 異変に気付いた時、二人の周囲はおびただしい数のページが、風も無いのに舞い、取り囲んでいた。


「【無間書獄むげんしょごく】」


 神無月さんがそう呟くと同時に、漂っていた無数のページが二人にまとわりつく。


「く、口惜しい…!?」


「HOOOOO!?」


 みるみる白い渦に飲まれ、身動きできなくなる二人。

 やがて、ページに埋もれた二人は、気を失ったように倒れ伏した。


「…申し遅れたが、改めて名乗ろう」


 ページを失い、表紙と裏表紙のみになった本を抱え、神無月さんは続けた。


「俺は特別住民ようかい紙舞かみまい”だ」


 -----------------------------------------------------------------------------


「…という訳で、現在この『絶界島トゥーレ』には、本能剥き出しにした危険な妖怪共が蠢いている」


 あれから。

 弓弦さんと相馬さんを無力化した神無月さんに導かれ、僕達はテストプレイヤー達が拠点としているベースキャンプを目指して進んでいた。

 森の中は弓弦さんや相馬さんのように正気を失った妖怪と遭遇する可能性が高いらしいので、神無月さんは海岸沿いの砂浜を行くルートを提案した。

 その道中、彼は島内についてからの出来事を説明してくれている。

 その現状が想像以上にものであったため、僕達は絶句した。


「ベースキャンプに残っているのは、俺を入れてせいぜい四、五人程度。現在、この島の中でまともに会話が出来るのは、そいつらくらいだろう」


「じゃあ、そこに行けば、社長に会えるんですね!?」


 柏宮さんの言葉に、神無月さんが皮肉な笑みを浮かべる。


「まだ、正気を保っていれば、だがな」


 その言葉に、柏宮さんは沈黙してしまった。


「ここに来て六日目で半数以上が凶暴化。残った妖怪の中から更に半数がおかしくなって、ベースキャンプから消えた。恐らく、残った連中も時間の問題かも知れん」


「そんな…」


 思わず僕は呻いた。

 飛叢さんや鉤野さんが、さっきの二人みたいになってしまっていたら…僕達はどうすればいいのだろう…?

 いや、そもそも島に着いたばかりではあるが、同じ妖怪である釘宮くん達にも同様の症状が発生するとも限らないのだ。


「この島に、妖怪わたし達を狂わせる何かがあると…?」


「俺はそいつを探りに来たんだがね」


 沙牧さんの問いに、神無月さんが肩をすくめる。


「テストプレイヤーに立候補して、無事に選抜されたのはいいが、事態は想像以上だった。悪いが、もはや俺の手には負えんな、コレは」


「貴方…何者です?」


 沙牧さんの口調が鋭くなる。

 神無月さんは、薄く笑った。


「好きに想像してくれて構わんよ。だが、今は少なくとも貴様達の敵ではないのは確かだ。それは保障する」


「信じられる要素が全くないのに?仕事の話を持ち出して恐縮ですけど、経験上、そんな方は信用しないし、部屋を貸したりしないんですが」


「そうだな。身の上を明かすものも無い以上、店子たなこにはなれんだろう。だが、の取り扱いくらいはあるのだろう?」


「…私のところで取り扱っている物件は、妖怪が住んでいる時点で、ほぼ訳あり物件ですけどね」


「うまいことを言う…なら、今更妖怪が一匹転がりこんできても問題あるまい?知っての通り、俺は基本的に無力で、人に害は加えん妖怪だからな」


 僕は後ろを歩く釘宮君を振り返る。

 彼は気を失った後、縛られた弓弦さんと相馬さんを担いでいた。

 肉体労働ばかりで申し訳ないが、今は彼の腕力に頼るしかない。

 確かに、神無月さんが言うように“紙舞”は「妖怪」というより「怪事」に近い存在だ。

 伝承でも、そう大した脅威は語られていない。

 だが、理性を失っていたとはいえ、神無月さんは二人を一瞬で無力化した。

 彼の力は決して侮れないと思う。


 しかし…


「分かりました。貴方を信じます」


 僕がそう言うと、沙牧さん達が驚いた表情になる。

 だが、今は一刻を争う事態だ。

 この際、何としても飛叢さんと鉤野さんに合流し、この島から脱出しなければなるまい。

 後の事はそれからだ。

 それを聞くと、神無月さんがチラリと僕を見た。


「ほう…こんな場所に来るなんて、物好きな人間だと思っていたが…貴様、随分いい思い切りをしているじゃないか。余程のお人好しと見える」


「これでも対妖怪交渉を仕事にしてますからね。良い妖怪とそうでない妖怪は、たくさん見てきたつもりです」


「くっ…ハハハ!面白い!気に入ったぞ…!」


 無愛想だった神無月さんが、不意に笑いながら、僕へと振り返る。


「それに、俄然貴様に興味が湧いてきた。面白い人間がいるものだ」


「それはどうも」


 最近は、妖怪達から変人奇人扱いされることには慣れてきている。

 だが、何と言われようと、このスタイルは変えるつもりはない。

 以前、決めたのだ。

 僕は、真っ向から妖怪達と向き合う、と。


 「さて、信用を勝ち得たのは良いが、一つ問題がある」


 不意に。

 足を止める神無月さん。

 僕は不思議に思い、尋ねた。


「何です?」


「ベースキャンプまでは間もなくなのだが…その前に、を突破する必要があるな」


「え?」


 その瞬間。

 海の中から、無数の影が飛び出してきた。

 いずれも妖怪だ。

 数は十人に満たないが、こちらを取り囲むように展開する。

 男女混ざった妖怪達は、いずれも弓弦さんと相馬さん同様、正気を失っているようだ。


「ふむ…浪小僧なみこぞう、濡れ女、海和尚うみおしょう海女房うみにょうぼう海狼うみおおかみ、その他諸々か。まさに海棲妖怪共の見本市だな」


 取り囲む妖怪群に、神無月さんがそう呟く。


「解説はいいから、何とかしてくださいよ!」


 じりじりと迫る海の妖怪達に、柏宮さんが声を上げる。

 三池さんがそれに追従した。


「そうそう!ホラ、さっきの奴でぱぱーっと!」


 その言葉に、神無月さんはページが失われ、空になった本を見せた。


「ああ、あれか。悪いが手元にもう本が無い。つまり弾切れだ」


「はあ!?何よそれ!」


「言っただろう。俺は『無害な妖怪だ』と。本…つまり紙がなければ、俺の妖力は使えん。この状況では戦力外だな」


 三池さんにしれっと答える神無月さん。


「何です、この人!全然使えねーじゃないですか!」


 柏宮さんが頭を抱えて絶叫する。

 しかし、これは困った。

 柏宮さんは、探索に特化した妖力の持ち主だが、基本戦闘は苦手だ。

 三池さんの変身能力は、応用次第では、渡り合えるだろう。

 メインの戦力になるのは釘宮くんだが、先程昏倒した二人を庇いながらだと、分が悪そうである。

 後は沙牧さんだが…彼女も戦闘に特化した妖怪ではないだろう。

 総評で…まったくもってこちらが不利である。


「うろたえるな。そこの女は“砂かけ婆”だろう?そう聞いたから、このルートにしたんだぞ?」


 焦る僕達に、落ち着いた様子で、そう告げる神無月さん。


「どういうことです…!?」


「要するに、私に見せ場を作ってくれたんですよ」


 そう言いながら、僕達の前に立つ沙牧さん。

 いつもと変わらぬにこやかな笑みを浮かべ、正気を失った妖怪達と対峙する。


「貴方達には申し訳ありませんが…ここはひとつ、出オチでご退場願いましょう」


 瞬間。

 一体の妖怪が沙牧さんに襲い掛かる。

 その眼前で、不意に地面が爆発した。

 吹っ飛ぶ妖怪の前に、渦巻く砂が壁となってそびえ立つ。


「ああ…思った通り、良く馴染みますね、この島の砂は」


 そう言いながら、沙牧さんは口元を袖で隠しながら、楽しそうに笑う。

 居並ぶ妖怪群が、たじろいだように一歩後ずさった。


 ああ。

 忘れていた。


 この女性ひとは砂の妖怪の代表格“砂かけ婆”だ。

 そして、ここは砂浜が広がる海岸。

 いわば…


「では、私の体内も同然のこの場で、味わっていただきましょうか」


 ちろり、と流し目を飛ばすと、今度は明らかに妖怪群は怯んだ。

 正気が無いなりに、察したのだ。

 彼我の実力差を。

 いや、むしろ理性が飛んで、本能が強く出ているだけに、野生動物並みの危機察知能力が働いたのかも知れない。


「うふふふ…妖力、解放【砂庭楼閣さじょうろうかく】」


 一瞬。

 沙牧さんの目に喜悦が浮かぶ。

 まぎれも無いドSの輝きを放ちながら。



 そして、その数分後。

 一方的なチート能力を発揮し、妖怪群を叩きのめした沙牧さんがいた。


「またの名を『砂地獄フルコース』…如何でした?」


「あわわわわわ…」


 かつて味わった恐怖を思い出したのか。

 柏宮さんがガクガク震えながら、青ざめた顔で腰を抜かしていたのは、言うまでも無い。

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