【七十四丁目】「ど、どうなってるの、これ…」

  暗かった空が白み始める。

 水平線には昇陽が近いことを表す、赤い陽炎が立ち上っていた。


「見えた…!」


 船上から見た行く手に、島影を捉え、僕…十乃とおの めぐるは、甲板の上に立ちながら、船の手すりを握る手に力を込めた。


 飛叢ひむらさん(一反木綿いったんもめん)と鉤野こうのさん(針女はりおなご)が消息を絶って三日後。


 僕は三池みいけさん(猫又ねこまた)、釘宮くぎみやくん(赤頭あかあたま)、あまりさん(精螻蛄しょうけら)、沙牧さまきさん(砂かけ婆)、そして柏宮かしみやさん(機尋はたひろ)と手分けし、それぞれ渡航の準備を進めた。

 まず、柏宮さんは、自らの妖力【執縛蛇帯しゅうばくじゃたい】の感度を高めるため、新しいマフラーを、何と僅か一日で編みあげた。

 今回は追尾対象が女性である鉤野さんということもあり、彼女が会社で使用していたスカーフなどを拝借し、その一部を組みこんで編みあげたという。

 彼女いわく「これで『持ち主』を探す蛇帯として、追尾機能の精度が飛躍的に向上する」らしい。

 続いて余さんは、五稜さんと穏便に交渉(余さん談)し、彼が所有する小型の船舶を借り受けることに成功した。

 同行してはいないので、詳細は不明だが、必要な備品や食料なども無償で提供されたところを見ると、今回もかなりエグいやり取りがあったのだろう。

 …やれやれ。気が重いが、全部終わったら、ちゃんと謝りに行かねばなるまい。

 そして、僕と釘宮くんと三池さんは、船旅と島の探索に必要と思われるものを調達して回った。

 安月給にはこたえる不意の出費だが、何しろ躊躇ためらう時間すらない。

 とにかく、二人と手分けしたお陰で、当面必要と思われるものは全て買いそろえることが出来た。

 最後に沙牧さんだが…

 公言通り、一人で何やらあちこちに顔を出して、動き回っていたようだ。

 詳細を聞いても「内緒です」の一点張りだった。

 その代わりと言っては何だが、彼女は自ら船の操舵手を買って出てくれた。

 意外なことに、彼女は船舶免許を持っており、小型船舶くらいは造作もなく動かせるという。


美砂姉みさねぇスゴーイ!」


「うふふふ…こうみえても、昔は磯舟さっぱぶねで大西洋の『魔海サルガッソー』を制覇したこともあるんですよ」


 三池さんの称賛を受けながら、いつもの和服姿のまま、手慣れた感じで船を操る沙牧さん。

 薄幸の未亡人(偽)、恐るべし。

 マンション経営だけではなく、操船技能まで有するとは。

 とにかく、本当に謎の多い女性である。


「この蛇帯がこんなに反応してる…間違いなく、社長はあの島に居ます」


 自らの襟元に巻きつきながら、鎌首をもたげて島を指し示す蛇帯マフラーなだめつつ、柏宮さんが僕にそう告げる。

 鉤野さん捜索のために彼女の編んだ蛇帯マフラーは、編み上がると同時に彼女の妖力により、かりそめの命を得ている。

 出発前に蛇帯が指し示した方向は南。

 導かれるまま出発した僕達は以前、合宿旅行で訪れた白神しらがみ海岸の割と近くの海岸へと辿り着いた。

 そこで蛇帯は、更に外洋を指し示していた。

 陸からは見えないが、その先に例の島があるらしい。

 柏宮さんによると「この蛇帯この反応からして、島の位置はそう遠くないと思います」とのことだった。

 そこで、余さんが調達した船の到着を待ち、陸路から海路に道筋を変えた僕達は「K.a.Iカイ」のサーバー監視を続行するという余さんを陸に残し、島を目指して海を進んだ。

 それがつい昨日の夜である。

 そして、遂に目的の島が僕達の前に姿を見せた。

 余さんとの無線のやり取りで、島の外観からほぼ例の島に間違いないことも確認出来た。


「急いで上陸しましょう。早くしないと、夜が明けて見つかってしまいます」


 そう言う柏宮さんに頷くと、僕はマスト上の三池さんに声を掛けた。


「そうですね…三池さーん、どうですー?何か見えますかー?」


 猫の特性を持つ彼女は、暗視能力ナイトビジョンもあるため、双眼鏡を手に島の上陸ポイントを探っている。

 これまた猫の独特の身の軽さもあり、高所でも恐れる風も無く島の様子を伺っていた。


「んー…見通しのいい砂浜や、険しいがけは見えるけどー、特に何も…あれっ?」


「どうしましたー?」


「でっかい洞穴が見えるー。あっちの方ー」


 彼女が指差す方を見るが、まだ闇が濃くて僕には何も見えない。

 舵を取る沙牧さんの方をうかがうと、彼女は傍らのソナーを覗きながら頷いて言った。


「どの道、この船はどこかに隠さないと目立ちます。見た所、この周辺は浅瀬や岩礁も少ないようですし、その洞穴を上陸ポイントにするのが良いかと思います」


「了解しました」


 僕はそのまま三池さんにナビゲーションを頼み、沙牧さんの操船の補助に回る。

 釘宮くんは、座礁に備え、自身の妖力【仁王遊戯におうゆうぎ】で、いつでも船底を持ち上げられるようにと甲板に詰めてもらった。

 薄闇の中、三池さんの誘導に従い、沙牧さんが注意深く船を進める。

 やがて、進む先に三池さんの報告にあった海蝕洞かいしょくどうが姿を見せた。

 僕達が乗る船よりも二周りは大きい高さがある。

 水深もあるようだし、これなら問題無く内部に進入し、接岸できるだろう。

 中を進むと、洞窟の奥はさほど深くは無く、程なくして行き止まりになった。


「いいよ!しっかり結んだからもう大丈夫!」


 岸にあった岩に舫綱もやいづなを結び終えた釘宮くんが、そう声を掛ける。

 僕達は、久方ぶりに大地に足をつけた。


「さて…これからどうしましょう?」


 僕がそう言うと、沙牧さんが髪を掻き上げながら口を開いた。


「取りあえず、千尋ちひろちゃんの蛇帯を辿って、しーちゃんと木綿男を探すのが先決でしょうね」


「見張りとか…居るのかな?」


 三池さんが顎に手を当てながらそう呟くと、釘宮くんが荷物を担いで身支度を整えながら答えた。


「多分居るんじゃないかな。“プロジェクト・MAHOROマホロ”って…うんしょっ、と…『muteミュート』の秘密の計画なんでしょ?」


「可能性は高いわね。それにテストプレイヤーとなっている特別住民ようかい達は確実に居るでしょうし。いずれにしろ、関係者に見付かれば私や十乃とおのさんは、立場上非常にマズイことになると思う」


 柏宮さんの言う通りだ。

 かたや「K.a.I」の協賛企業の社員である柏宮さん。

 かたや役場の公務員である僕。

 どちらも所属組織に無断で、私有の島に密航・侵入。

 この上、見つかって捕まれば、不祥事もはなはだしい。

 思わず、いつぞやか間車さんと一緒にパトカー十数台とカーチェイスした時と同じくらいの悪寒が全身を走る。

 …今更だけど、とんでもないことをしてるな、僕達。


「と、とにかく、用心深く進みましょう。柏宮さんは先頭へ、三池さん、釘宮くんがその後に並んでください。沙牧さんは真ん中に。僕は背後を警戒しますから」


 誘導役の柏宮さんが先頭になるのは当然として、万が一に備え、夜目のく三池さん、オフェンス役の釘宮くんを両翼に。

 そして、大抵の事態には動じない沙牧さんが、司令塔として即座に動けるよう考えた配置である。

 皆と違い、特別な力がない僕には、悲しいが消去法でこれくらいしか出来ない。

 こういう時、荒事に慣れた間車まぐるまさん(朧車おぼろぐるま)、摩矢まやさん(野鉄砲のでっぽう)、飛叢さんが居てくれたらどんなに心強いことか。

 特に異論もなく、陣形フォーメーション通りに僕達は進むことにした。

 接岸した洞窟内部の壁際には、幸い人が二人は並んで歩けるくらいの岩場があった。

 そこから洞窟内部を海に向かって進む。

 ちょうど、船で進入した方向へ逆戻りする感じだ。

 外に出ると、急ではあるが岸壁を伝い、島の内地に入り込めそうな経路が見つかった。

 身軽な三池さんは自力で、柏宮さんは別のマフラーを蛇帯へと生じさせ、丈夫そうな樹の幹に巻きつかせて一気に登攀とうはんする。

 残った僕と沙牧さんは…


「大丈夫?釘宮くん。お、重くない?」


「全然平気だよ~」


「あら、十乃さん。女性が居るのにそれは失礼ですよ?」


「あ、いや!す、すみません、そういう意味で聞いたんじゃなくて…」


「あはは、こんなの大したことないよ」


 そう言いながら、背中に荷物を担ぎ、右肩に僕、左肩に沙牧さんを乗せ、まるで、注文を運ぶウエイターのように岩場を登って行く五歳児くぎみやくん。

 人間では登攀に半刻はかかりそうな岩場だが、彼の足取りは大人二人を抱えてもまだ軽い。

 着物姿の沙牧さんと人間の僕では登るのに時間がかかるだろうということで、こうなった訳だが…改めて、彼の怪力には驚かされる。

 先程も「座礁しそうになったら、僕が船を持ち上げるよ」と言った時は驚いたものだが、彼なら本当に何なくやってのけそうだ。

 そんなこんなで、僕達はようやく島の内部に辿り着いた。


 ここで島の概要を、画像データや目視で直接確認した範囲で解説しよう。


 まず、僕達が上陸した洞窟は島の南側にある。

 現在、僕達が居る場所もここだ。

 上陸するまで見てきたが、こちらは海沿いに切り立った岸壁や岩場が多い。

 一方、島内部に入って分かった事だが、島南部は密林のような森が広がっており、海沿いを見通すと、西側に向けて砂浜が広がっているのが見えた。


 反対の北側には、大きな山がある。

 目測だが、以前に登った「雉鳴山じめいさん」より標高がありそうだ。

 裾野すそのには深い森が広がっており、山の中腹には大きな滝らしきものも見える。


 東側はやや低い山並みが連なっている。

 見た感じ、比較的なだらかな台地のようだ。

 一部には湖らしいものも見え隠れしている。


 西側は完全な平野である。

 青々とした平原が広がり、川が数条流れているのが分かる。

 海側には、沙牧さん垂涎の砂浜が広がっているのが見えた。


 そして、西側そこには特筆すべきものがあった。


「…明かりだ」


「明かりね。実に分かりやすい、電気の明かりだわ」


「夜間に上陸したのが幸いしましたね。目的地が一瞬で判明しました」


 島の西部に幾つかの照明と思わしき光が見える。

 成程。

 「muteミュート」がこの島で何かをする腹づもりなら、拠点となる場所が必要だろう。

 そして、今解説した通り、この島の地形からして拠点を築くには西側が最も最適である。

 ということは…


「美砂さんの言う通りです。蛇帯はあの光を指しています」


 見れば、鉤野さんを追跡するために生まれた蛇帯は、西側に灯る光に反応している。


「行きましょう。まだ夜明けには少し時間があります。今のうちに出来るだけ距離を稼いでおいた方がいいと思います」


 僕がそう言うと、全員が頷いた。


 その時だった。


「っ!?危ないっ!」


 突然。

 三池さんが僕に飛び掛かり、そのまま押し倒した。

 もんどりうって倒れる僕と三池さんの上を、何かが通り過ぎる。


「これは…!?」


 僕の立っていた場所を通過し、地面に突き立ったのは、一本の矢だった。

 矢は射手の殺意を語るように、細かく震えていた。


「誰!?」


 柏宮さんが飛来した方へ声を上げる。

 その先から、一人の女性が現れた。

 長い髪を結い上げ、白い鉢巻に弓道の道着を思わせる白い着物に黒い袴。

 手には朱塗りの大弓。

 背中には矢がぎっしりと入った古びたうつぼを背負っている。


「貴女は…弓弦ゆづるさん!?」


 僕は思わず声を上げた。

 彼女…弓弦ゆづる 早矢はやさんは“古空穂ふるうつぼ”という特別住民ようかいだ。

 “古空穂”は付喪神つくもがみ…即ち、古びた器物が変化した妖怪の一種である。

 輝かしい武功を上げた武者が所有していたうつぼ(矢を収納する武具)が、年月を経て、かつての栄光を忘れ去られる無念により妖怪と化したものとされる。

 弓矢に関係する妖怪である故に、彼女はまさに「弓神」とも称される程の弓の達人だ。

 そして、降神町おりがみちょう役場が主催する人間社会適合セミナーの受講者の一人…だった。

 「だった」というのは、彼女は「K.a.I」へと受講先を変更した妖怪の一人だからである。


「ちょっと!いきなり何すんのよ、早矢はやっちゃん!」


 僕に覆い被さっていた三池さんが、珍しく本気で怒っていた。

 そう言えば、この二人はセミナーでも顔見知りだったっけ。


「十乃君のことを殺す気!?」


「…無念なり」


「へ?」


 三池さんの声が耳に入らないかのように、弓弦さんは一人呟いた。


「かような的も射抜けぬようになろうとは…かくも我が武錬のわざは地に堕ちたか…」


 「日本美人」そのものの顔に、悲哀に満ちた表情が浮かぶ。

 が、それもつかの間、弓弦さんは電光の速さで矢をつがえた。


「口惜しや…口惜しや…かつて、白面金毛の妖狐を追い詰めし我が主の武功…このまま、語るすべも持たず、ただ朽ち果ていくのを待つのみとは…あな口惜しや」


「ちょ、ちょっと…どうしたのよ、早矢っちゃん!?あたし達のこと、分からないの!?」


 三池さんが目を見開く。

 弓弦さんの台詞には、聞くものの胸打つ悲しみで溢れている。

 が、その行動はる気満々だ。


「口惜しや…!」


「【燦燦七猫姿さんさんななびょうし】!」


 弓弦さんの矢が放たれるのと、三池さんが叫んだのは同時だった。

 迫る矢を、大岩に変化した三池さんが弾く。

 彼女の妖力【燦燦七猫姿】は、いわゆる「変化の術」である。

 制限時間などがあるものの、化ければ何であれその能力も限定的にだが再現できるのだ。

 使い方によっては、非常に便利な妖力である。

 もっともTPOをわきまえれば…だが。


「あー、ビックリした!危ないじゃないのよっ!」


 どろん!という音と共に元の姿に戻ると、弓弦さんに抗議の声を上げる三池さん。


「危ないのは、宮美みやみちゃんも同じだと思います」


 そんな三池さんに向かって、冷静な声でそう告げる沙牧さん。

 不思議そうに見上げる三池さんに、沙牧さんは無言で彼女の身体の下を指し示す。


 突然ですが、ここでクイズです。

 先程、三池さんは僕を押し倒しました。

 そして、いま大岩に変化しました。

 では、…?


「きゃああああああっ!?大丈夫、十乃君!?死んだの!?死んじゃったの!?DEAD OR ALIVE!?」


 地面にめり込んで痙攣する僕を見て、三池さんが悲鳴を上げる。


「…い、生きて…ます…辛うじて…」


 かすれた声でそう応える僕。

 いや。

 マジで中身が飛び出るかと思った。

 あとちょっと三池さんが大岩のままだったら、圧死していたかも知れない。


「口惜しや…」


 一方、うわ言の様に悲哀を呟き、矢を構える弓弦さん。

 普段は武道精神に溢れ、はきはきとした喋り方をしていた彼女だが…一体何があったのだろうか…?

 そんな弓弦さんの様子を見た三池さんが、威嚇するように二本の尾を立てる。


「まだやる気!?いいわよ、何度でも受けて立つわ!」


「その前に僕の上からどいてくださいっ!!」


 このままでは味方に圧殺される。

 シャレにならない状況に、僕が絶叫したその時だった。


「Hoooooooorse!」


 突如、そんな掛け声と共に、一人の男性が近くに木の上から飛び降りてきた。

 手足が長く、背の高い、スラリとした男性だ。

 注目すべきはその右足である。

 どこからどう見ても「馬の足」だった。

 どういう訳か、男性は木の下に居た弓弦さん目掛けて、その馬の足で豪快なキックを見舞おうとしていた。


「Hoooooooorse!」


 待て。

 この男性の顔に見覚えがあるぞ!


 あれは相馬そうまさん…相馬そうま 駿平しゅんぺいさんじゃないか!?

 彼も以前は役場のセミナーの常連だった“馬の足”という特別住民ようかいである。

 “馬の足”は夜道に出現する妖怪で、木にぶら下がった馬の足の姿をしており、不用意にその下を通る者は蹴り飛ばされるという伝承を持っている。

 彼の右足は、それを体現するように馬の足に変化可能なのだ。

 彼も弓弦さん同様に「K.a.I」に転向した妖怪だった。


「口惜しいっ…!」


 相馬さんの襲撃に気付いた弓弦さんが、矢を放って迎撃する。

 が、その矢を相馬さんは、動じた風もなく馬の足で蹴り砕いた!


「Hoooooooorse…!」


 着地しざまに跳躍し、その強靭な脚力で樹上に到達すると、太い枝に片手でぶら下がる相馬さん。

 眼下の弓弦さんと睨み合いになる。


「ど、どうなってるの、これ…」


 三池さんが呆気に取られたように呟く中、二体の妖怪は僕達そっちのけで戦いを始めたのだった。

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