【六十八丁目】「大火傷をするだろうな」

 豪奢ごうしゃなデスク、ふかふかの絨毯じゅうたん、値が張りそうな調度品に囲まれた広々とした室内で、部屋の主は渋面のまま、こちらを睨んでいた。

 僕…十乃とおの めぐると、釘宮くぎみやくん(赤頭あかあたま)、あまりさん(精螻蛄しょうけら)の三人は、腰まで沈み込みそうなソファーに座りながら、その視線を受ける。


 うーむ。

 やはり歓迎されていないな。

 でも、今までの経緯を考えれば、仕方がないのかも。

 とはいえ、まずは場を和らげねばならない。

 僕はぎこちないながらも笑顔を浮かべた。


「ご、ご無沙汰してます。お変わりないようで」


「君たちもな。まったくもって忌々しい」


 部屋の主である恰幅の良い中年男性が、鼻を鳴らし、吐き捨てるようにそう言った。

 だ、大丈夫。

 こんな対応も想定内だ。

 僕は笑顔をヒクつかせながら、頭を下げた。


「本日はお忙しい中、わざわざ時間を割いていただき、スミマセンでした。本当にありがとうございます。」


「まったくだ。お陰でこちらは会議のスケジュールをずらさなくてはならなくなった。一体、君たちはどれだけわしに迷惑をかければ気が済むのかね?」


「そう邪険にしないで欲しいでござる。それがしとしては忍び込んでも良かったのでござるが、一応正規の手続きでアポを取ったのでござる。それを某達なりの誠意と受け取ってござらぬか」


 余さんがそう言うと、中年男性は凄まじい笑みを浮かべた。

 うわあ。

 額の血管がピクピクと動いている。


「ほほう…君たちの世界では『脅迫』と『誠意』が同義なのかな?」


「『脅迫』とは心外でござるな」


 余さんが眼鏡を光らせた。


「某は、ただ渾身の神作『禁断の温泉湯けむり慕情―ホステスのマイちゃん編―』を見たくないか、と持ちかけただけでござるが?」


ぶちっ!


「それを『脅迫』と言っとるのだっ!!!!!」


 ゆでダコのように真っ赤になりながら、中年男性…五稜ごりょう 満男みつお氏が怒鳴り散らす。

 実は彼と僕達は、とある出来事で因縁があり、良い印象を持たれていない間柄だった。

 なので、こうして訪れても歓迎されるわけがないのである。

 怒り心頭の五稜さんが、余さんに指を突きつける。


「前回といい、今回といい、一体いつの間に撮っておるのだ、貴様は!大体、盗撮は立派な犯罪だぞ!?」


 唾を飛ばして荒れ狂う五稜さんに、余さんは眉ひとつ動かさず、出されたお茶をすすりながら、


「ふむ…道理でござるな。では、逆に五稜殿に伺いたいのでござるが、と…?」


「そ、それは…」


「五稜殿」


 眼鏡のブリッジを押し上げながら、余さんは続けた。


「誤解があるようでござるが、某達は貴殿を脅迫しようという訳ではござらん。本日わざわざ時間を作っていただいたのは、少しばかり教えて欲しい事があったからでござるよ」


 「某達」って…僕と釘宮くんは、五稜さんと親族である沙槻さつきさん(戦斎女いくさのいつきめ)を通じて、普通にアポイントを取ろうとしてたんだから、一緒にしないで欲しいんだけど。

 まあ、それも沙槻さんが修行とやらで長期不在につき叶わなかったため、こういう展開になった訳ではあるのだが…

余さんは、ポケットをまさぐりながら続けた。


「その証拠に、動画のオリジナルデータは、これこの通り、五稜殿にお渡しするでござる」


「む…」


 取り出したSDカードをちらつかせつつ、時代劇における悪代官のような笑みを浮かべる余さん。


「五稜殿、難しく考える必要はないでござる。いわば、これは一つのビジネスでござるよ。相手の欲しいものを与え、自分が欲しいものを得る…利害関係が一致した何の不思議もない取り引きではござらんか」


 悪魔が囁くように余さんがそう言うと、五稜さんは咳払いをした。

 そして、居住まいを正すと、うって変わって静かな声で問い掛ける。


「…では、早々に要件を片付けさせてもらおう。一体何が知りたいのかね?」


「ご協力感謝します」


 僕は再度頭を下げた。

 この際、交渉方法や個人的な感情は横に置いておくとしよう。

 いちいちツッコミを入れてもキリがないし。


「…では、お伺いしますが、五稜グループが特別住民ようかい向けの人間社会適合セミナー『K.a.Iカイ』の協賛企業になっているというのは事実でしょうか?」


 そう。

 実は会っても歓迎されない相手である五稜さんにわざわざ面会しに来た理由は、ここにあった。

 「muteミュート」が主催する「K.a.I」の協賛企業を調べているうちに、五稜グループの名前が浮上したのだ。

 僕の質問に五稜さんは奇妙な顔をしたが、首肯した。


「ああ、事実だ。儂個人としては妖怪なんかのためにビタ一文払う気は無かったが、我々のイメージアップにはうってつけだったからな」


 臆面もなくそう答えながら、五稜さんはシガーケースから葉巻を手に取ると、ギロチンカッターで端を斬り落とし、火をつけた。


「それに他の企業と足並みを揃える必要もあった。今は『妖怪保護』なんてものに国もご執心だからな。うちだけ協賛しない訳にもいくまい」


 そう言うと、煙をふかしながら、五稜さんは逆に尋ねてきた。


「しかし、そんなことをわざわざ確認しに来たのかね?」


「実は…いま、僕達は『K.a.I』の主催になっている『muteミュート』という企業について調べているんです」


 僕がそう言うと、五稜さんの眉がピクンと上がった。


「…ほう。それで?」


「協賛企業であるならば、何かしら『muteミュート』についてご存じありませんか?」


「知らんよ。何もな」


 にべもなく、五稜さんはそう答えた。

 そして、片手をドアに向けて上げる。


「知りたいことがそれだけなら、さっさと置くものを置いて帰ってくれ。儂は忙しいんだ」


 …あからさまな言い回しである。

 僕は五稜さんを正面から見詰めた。


「どんな些細なことでもいいんです。お願いします」


「くどいな、君も。何も知らないと言ってるだろう」


「そんな筈はありません」


 きっぱりとそう言うと、五稜さんは手を降ろした。

 そして、目を逸らさず、身を乗り出して僕の視線を受け止める。


「『』とよく似たシチュエーションだな…では聞くが、何を根拠にそんなことを言うんだね?」


 「あの時」とは、僕達と五稜さんの間に因縁が生まれた出来事のことだろう。

 僕は視線を逸らさずに告げた。


がこの企業の経営者だからです」


 五稜さんが僅かに目を見開く。

 僕は続けた。


「貴方は先程『妖怪なんかのためにビタ一文払う気は無かった』と仰いました。それは紛れもない本音でしょう」


「…」


「一方で、いくらイメージアップや国への体面の為とはいえ、五稜グループが『K.a.I』へ協賛金として支出している額はそれなりでしたよね」


 僕は大きく息を吸い、気を落ち着けてから五稜さんを見た。


「ここからは僕の想像ですので、違っていたら謝罪します…協賛するか否かという判断をした時、なら、そこで『ある計算』が働くでしょう。平たく言えば『本音を殺してまで金を出すに見合うものか否か』という風にです」


 五稜さんは無言だった。


「そして、なら、金を託す相手のことを必ず調べる筈です。計算をする判断基準の一つとして」


「…君は儂に対し、随分失礼な人物評価を下しているようだな」


 そう言うと、五稜さんは咥えていた葉巻を消した。


「…どういう意味?」


「『五稜殿は金に汚い』という意味でござる」


「せめて『シビアなマネーセンスを持っている』と言わんか、この化け物共が」


 ヒソヒソと話していた釘宮くんと余さんをジロリと睨んでから、五稜さんは僕に向き直った。


「ふん…だが、だ。会った期間は短い癖に、儂の性分をよく分かっている。人を見る目に関しては慧眼だよ、君は」


「…すみません。言いにくいことをずけずけと」


「謝る必要はない。出会った経緯が経緯だし、儂も君を軽く評価していたからな。今回はお互いさまにしよう」


 そう言うと、五稜さんは立ち上がり、デスクの引き出しから書類を取り出した。


「…一応機密扱いだ。公言はするなよ。それに公務員には守秘義務もあるんだろう?」


 頷く僕に、書類を放る五稜さん。


「君が言うように、儂も得体の知れない相手に金を出すつもりは無かったからな。それなりに調べてはみた」


 書類に目を落とすと、幾つかの文字が目に入った。


「…これは」


「外資系の企業でござるな。主産業は…『生体工学バイオニクス』?」


「…ってなあに?」


 釘宮くんの疑問に、五稜さんが答える。


「『生体工学バイオニクス』とは、科学的な手法や自然界にある原理を応用し、様々なシステムやテクノロジーの設計・研究を行う学問だ」


 窓際に移動し、外を見ながら続ける五稜さん。


「無知で時代遅れなお前達にも分かるように説明してやろう。例えばコウモリだ。連中は超音波を発し、その反射を利用して闇夜を自在に飛ぶ。その原理を利用して、作られたのが医療用の超音波画像だ」


 窓の外からは降神町市街地が一望できる。

 五稜さんは僕達に背を向けたまま、それを見ていた。


「他にもサメの肌の構造を活かした競泳用水着、ハスの葉の構造から作られた撥水はっすい技術なんてのもある」


 書類を見ながら、僕は首を捻った。


「そんな企業が、何で日本で特別住民ようかいの社会適合支援をしているんでしょうか…?」


「そこまでは調べられなかった。そもそも、この『muteミュート』とかいう企業の名前を国内で聞くようになったのはここ最近でな。日本ではうちよりも新しい新参者だ。取引をしている企業が少ないせいか、連中の規模や企業構造を調べるにはまだソースに乏しいんだ」


 そこで、五稜さんは声を幾分落とした。


「白状すれば、今回五稜グループうちが連中に協賛金を出した理由の一つは、連中の実態を探るための接点が出来ればと思ったからだ。こういう手の内を見せない奴は、敵になった時厄介だからな…まあ、くだんの『K.a.I』に補助金を出資している以上、国はうちよりはデータを持っているんだろうが」


「国内で無理なら、海外での営業や取引状況を調べればどうでござる?」


 余さんがそう言うと、五稜さんは首を横に振った。


「とうにやったよ。だが、海外では会社自体が恐ろしく細分化されていて、逆に調べ上げるのは不可能に近い。どれが本隊ほんしゃなのか、正直全く把握できなかった。取引先も米軍から小国の民間企業まであってな。多様過ぎて絞り込めん。まったく気に食わんよ、こういう手合いはな」


 正直、僕には企業同士の世界はよく分からないが…この「muteミュート」という企業には、どうも不可解な事が多いようだ。


「…これは独り言だ。君達へのアドバイスとはとるなよ」


 沈黙の後、五稜さんが口を開いた。


「連中とは関わりにならない方がいい。金の動きを見ても、奴らは国と繋がっている節がある。下手に手を出せば…」


 五稜さんは僕達に振り返った。


「大火傷をするだろうな」

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