【二十六丁目】「もう、終わったみたいだから」
妖怪“
どちらも自分の妖力【
鉤野が見守る中、妃道の放つ火炎弾を摩矢が後方宙返りで回避する。
万国旗が張られた細いロープの上での攻防だが、摩矢は忍者のように素早く動き、妃道はスケートボードに乗りながらも、それを感じさせないバランス感覚で、渡りあっていた。
高所が苦手という訳ではないが、あの二人の身体能力は、明らかに鉤野自身のそれを上回っている。
無策のまま追い掛けても、無駄足だろう。
「さて、どうしたものでしょう」
思案していたその時、不意に観客席から野太い歓声が上がった。
見れば、高所で戦う二人を地上からカメラで激写していた男性客らが、明らかに破廉恥なアングルで撮影を行っている。
まあ、あれだけ丈の短い着物やスカートで跳び回っていれば、あられもない姿になっても仕方がない。
各々の属する店が、男性客向けにあしらえたものなのだろうが、日頃、着物を愛用している鉤野から見れば、二人の格好は理解できないものだった。
妃道は下からの激写に気付いて、慌てて動きを止めたが、摩矢の方はどこ吹く風だ。
「これは…好機ですわね」
鉤野は、自分の美しい黒髪を一房握り、鎖分銅のように振り回し始めた。
すると、毛先が一瞬で
そのままステージの支柱に
滑るように一気に高所へ移動すると、鉤野は再び身を潜めた。
眼前の摩矢と妃道は、再び追い駆けっこを始めている。
カメラ小僧達の激写をものともしない摩矢はともかく、着物の裾を押さえたままの妃道は明らかに動きが鈍っていた。
「まずは、貴女から確保させていただきます」
半分涙目の妃道に同情しつつも、鉤野は鉤髪を放った。
投網のように広がった鉤髪が、妃道の四肢を絡め取っていく。
「な、何だい、コイツは!?」
真下よりの遠慮のない激写から身をかばっていた上、完全に不意を突かれた妃道は、あっという間にミノムシのようにグルグル巻きにされてしまった。
同時に、走行を阻まれたせいで【
何とか髪の毛を外そうと、懸命にもがく妃道。
だが、走行中ならともかく、止まってしまえば、妃道もさしたる力は出せない。
こうなっては、さすがに打つ手が無かった。
「くっ…放せ、このぉ!」
「残念ですが、それは無理な相談ですわ。先にお引き取りあそばせ」
片手で髪を掻きあげるような仕草をする鉤野。
すると、妃道を捕らえた髪がスッパリ切れ落ちる。
「畜生ぉぉぉぉぉぉ…!」
喚きながら落下していく妃道を一瞥した後、鉤野は摩矢と正対した。
「さて…次は貴女ですわね。会場の安全管理を任された身として進言いたします。今すぐ、騒ぎを止め、大人しく縛につけば良し。さもなくば…」
「悪いけど、これも仕事」
どこまでも業務に実直な摩矢の一言に、溜息を吐く鉤野。
「貴女は、比較的冷静で良識のある方だとお見受けしておりましたのに…残念ですわ」
「君はやっぱり狂暴」
「な、何ですって…!?」
「前に『
ぐっ、と言葉に詰まる鉤野に、やれやれと摩矢が首を振る。
「うちのウェイトレスが、皆怯えていた」
「あ、あれは!私というものがありながら、あの方がお店の
「だからって、店内で逆さ
「お、お黙りなさい!女性を弄ぶ殿方に人権はないのです!」
鉤野が大きく両腕を広げると、ざぁっと髪の毛が広がる。
その毛先が鉤針と化し、四方八方から摩矢に襲い掛かった。
「
逃げ場のない鉤針の雨に、鉤野は勝利を確信する。
だが、次の瞬間、摩矢はありえない行動に出た。
降り注ぐ鉤針の中心…鉤野の懐に飛び込んだのだ。
摩矢の戦法は「距離を取っての射撃」…完全にそうイメージしていた鉤野にとって、正に不意を突かれた形となった。
「なっ!?」
「零距離ここなら、
懐に入った摩矢が、冷酷に告げる。
特別住民支援課保護班に属する摩矢は、役場側の交渉・説得にも応じず、見境なく危害を加えようとしたり、逃走する妖怪に対し、限定的にだが戦闘行為を行う任に当たっている。
つまり、それだけ戦闘経験が豊富な、いわば精鋭だ。
鉤野の鉤針を一見し、その特性を把握したのも、その鍛え抜かれた直感と生来の狩人としての本能だった。
「またのご来店を」
姿勢を低くし、地を這う鋭い回し蹴りで、鉤野の足を払う摩矢。
「えっ、あっ、きゃあっ!」
高所でバランスを崩した鉤野は、妃道の後を追うように落下する。
が、それを空中で拾い上げた者がいた。
「何だよ、苦戦してやがんな」
鉤野の身体を抱きかかえるように受け止めた飛叢が、浮遊しながらそう言った。
「…あ、貴方、いつの間に…」
落下のショックで茫然となりながら、鉤野が眼を見開く。
飛叢は間車と三池を捕縛する役目があった筈だ。
「
ニヤリを笑う飛叢に、鉤野は自分が飛叢の腕の中に居ることに気付く。
「と、とにかく!早く降ろしてくださいまし!大体、女性の身体にみだりに触るなんて、非常識ですわよ!?」
「…ったく、冗談でも一回くらい『ありがとう』って言えねぇのか、お前」
呆れながら、喚く鉤野を降ろす飛叢。
そのまま、二人は摩矢に対峙した。
「よう、野鉄砲の姉ちゃん。あんたに恨みはねぇが、会場の安全を守るため、取り押さえさせてもらうぜ」
両手のバンテージを一閃させ、不敵な笑みを浮かべる飛叢。
対する摩矢は、二対一の状況にも関わらず、動じた風もない。
代わりに、何か思い出したように、
「針女に一反木綿…ということは、あの子の班の…」
「あの子って…巡か?おう、下に居るぜ」
そう言われて、地上に目をやった摩矢は、そのまま告げた。
「…分かった。降参する」
「「…はぁ?」」
あっさりと宣言した摩矢に、飛叢と鉤野が思わずハモる。
摩矢は眼下のステージ上を見たままだ。
「もう、終わったみたいだから」
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