第一章 降神町の午後 ~猫又~

【一丁目】「どうも、役場から来ました。特別住民支援課の十乃です」

「ごめんくださ-い」


  現在、午後2時13分。天気は快晴。

 春も終わり、初夏の空気が大手を振って、街を闊歩する今日この頃。

  軽く汗ばむ陽気に、僕は額をぬぐう。

 今日は爽やかな風が恋しくなる一日だった。

 いま、僕は昭和の香りが漂う、古アパートの二階の一室を前にいる。

  目の前には、来訪者を歓迎する気など微塵も感じられない、無愛想な扉が一つ。

 僕は、そのドアに五回目になるノックを繰り返した。


三池みいけさーん?いるのは分かってますよ。ドア、開けてくれませんか?まず、顔を見せてくださいよ」


 しーん…


  本日、気だるい午後のBGMは、遠くから聞こえる古新聞回収のアナウンスのみ。

 ドアは動くこと無く、六回目のノックを準備しようとしたその時、ドアノブが微かに回った。

 細く開かれたドアの隙間から、キョロリ、と二つの目が目が覗く。

 中が暗いせいか、相手の表情まで分からない。

 とりあえず、相手が応じてくれたことにホッとしてから、にっこりと営業用のスマイルをスマイルを向ける僕。

 効果は分からないが、この場合某RPGでいう「ひのきの棒」くらいの攻撃力は期待できよう。

 つまり「無いよりマシ」というやつである。


「どうも、役場から来ました。特別住民支援課の十乃とおのです」


 スッと細まる二つの目。


「…何の用?」


 若い女性の声が返ってくる。声に含まれる色は警戒。

 …どうやら、「ひのきの棒」すら言い過ぎだったようだ。

 よし、男は黙って素手ベアナックルだぞ、勇者十乃。


「今日は定期研修会で…」


 バタン!!…ドタタ…ガラッ…


 『…したよね、最近いらしてないようなんで、お迎えに来ました』と繋げる未来は来なかった。

 ドアはしなるように思いきり閉ざされ、室内からは駆け出す足音に窓が開けられたような音が続く。


 そして静寂へ。


 …遠ざかる古新聞回収の声が声が虚しい。


 仕方なくアパートの裏に回ると、開け放たれた窓と無人の部屋が見えた。

 先程聞こえた音は、忠実にその痕跡を残している。

 ため息をついて、携帯電話を取り出し、短縮ダイヤルを押す。

 数回のコール音の後、聞き慣れた上司の声が聞こえてきた。


『十乃か。首尾はどうだ?』


「すみません。


『逃走経路は?』


「分かりませんが、地上では姿が見えませんでした」


『…とすると、三回目の時と同じだな。十中八九、屋根伝いだろう。砲見つつみはどうした?』


 “鬼の黒塚くろづか”の異名を持つ才媛、黒塚主任は淡々と状況を確認する。

 過去五回ものの逃亡歴を持つ相手に、微塵も動じた様子がない。


摩矢まやさんなら、近くで一番高い建物に行くって言ってました。この辺だと…ええと…あ、あれかな。携帯電話の基地局?」


 ぐるっと空を見渡すと、割りと近くに10メートル以上はある電波施設が目に入った。

 そのてっぺんにポツンと人影らしきものが見える。

 さっき摩矢さんと別れてからの5分ほど。

  いつの間にあんな所まで上ったんだろう…?


『よし、彼女なら捕捉してるだろう。十乃、砲見に対象への誘導をサポートさせろ。お前は間車まぐるまと合流して、対象の後を追え』


「はい」


『砲見には、私からを出しておく。できるなら、あまり対象に近付くな』


 物騒な単語をサラリと言ってのける“鬼の黒塚”女史。


「…はあ、分かりました」


 何も言えない僕。

 とにかく、こんな感じで本日の捕り物が始まった訳である。

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