2月24日『On n'a qu'une vie(人生は一度だけ)』
私とゆかは一緒に暮らすことになった。
仕事以外は出掛けず、冷凍庫の中でガラスケースに包まれ眠り続けるお兄さんをただひたすら見守り続けるゆかと、仕事が終わるとほぼ毎日ゆかの家に足を運び冷凍庫の前からほとんど動こうとしないゆかに代わって身の回りの家事をしたり、食事すらろくな物を作らないゆかの為に食事を作りゆかと二人でご飯を食べ、宿泊し朝食まで一緒に摂ってそのまま仕事に出掛ける私。
それはいつの間にか入り浸るなんてレベルはとうに過ぎてしまっていて、私は「ほとんど同棲しているようなものだから、それならいっそ住んじゃったほうが無駄が無いんじゃない?」と気軽な調子で言うゆかの言葉を素直に受け取り、一緒に生活することにしたのだ。
住んでいたマンションを引き払いゆかの家に荷物を運び込み、空っぽのまま誇りが積もり始めていた空き部屋を二部屋使って1つはゆかと私の寝室に。もう1つの部屋を私が持ち込んだ大量の荷物をまとめて衣装部屋に模様替えして、ゆかと二人で同じ生活を始めた。
私とゆかの寝室を一緒にしたのにはちゃんと理由がある。
と言うのも、私が引っ越して来るまでゆかの家には寝室というものが無く、ゆかはリビングに置いてあるソファで毛布にくるまって眠っていた。
だから私はゆかの眠るソファの横に布団を敷いて眠っていた。
しかし、これまで誰も住んでいなかったとは言え、元はと言えばこの家は私が頼った不動産会社を経営する#お金持ち__マダム__#の持ち家な訳で、そんな家に寝室が無い訳がなく、現に使われていなかったベッドルームが存在した。
にもかかわらずベッドルームどころかベッドすら使われていなかったのは、ゆかが頑なにお兄さんの側から離れようとしなかったからである。
私はゆかに何度も「部屋にはベッドがあるのだからちゃんと部屋で寝て」と言っていたのだけれど、ゆかは、「お兄ちゃんの近くが良い」と言って聞き入れてくれなかった。
私一人でベッドを使おうと思えば使えたが、私は私でそんなゆかのことが心配で彼女の側から離れることができなかった。
勿論、ゆかの気持ちは分かっているけれど、いくらセレブが管理していて環境が整った家であり、ゆかの眠るソファでさえシングルベッドと変わらないサイズ感だとは言っても、これからもずっとそれではあまりにも身体に良くないと思った私は、私とゆか用の二人の寝室を作りゆかを連行するという強行手段に至った訳である。
ただ、正直ゆかは抵抗するだろうと思っていた。
散々言っても聞いてくれなかったのだ。私が寝るための部屋をこさえたところで、そして私が無理矢理連れていこうとしたところで、ゆかが抗うだろうことは容易に想像できた。
が、ゆかは素直に私に手を引かれ、寝室に付いてきた。
今も私の隣で無駄に高過ぎる天井を一緒に眺めている。
「お兄ちゃんが死んで、もう2ヶ月も経っちゃった。ホント、時間はあっという間に過ぎていくんだね」
「21の若者が知った風な口聞くじゃない。でも、25過ぎたら1年が瞬く間になるよ。覚悟しておいたほうがいいよ」
「ミホ、それ三十路になっても同じ事言ってそう」
「みそっ!? 三十路にはまだ4年もあるもん!!」
「1年が瞬く間って言ったのミホだけど」
「確かに言ったけれど! それとこれとは別だよ!」
「えー? そうなのぉー?」
クスクス笑うゆか。
私は笑うゆかを横目で見ながら、落ち着いた様子のゆかに安堵する。
「でも、ミホが言うように、あっという間に私も年を取っておばあちゃんになって、そして死んじゃうんだろうなぁ。見た目だって、お兄ちゃんよりも老けて、どっちが歳上なのか分かんなくなっちゃうんだろうなぁ」
「……そうだね」
「……何かヤだな」
「年を取るのが?」
「うーん。お兄ちゃんを追い越すのが。かなぁ」
「……難しいね」
「うん、難しい」
ゆかの声はいつもと変わらない明るいものだけれど、私は、ゆかがお兄さんと自分がどんどん違うものになっていくことに漠然的な不安を抱いているんだと気付いた。
仕方がないことだ。
ゆかは生きているし、お兄さんは死んでいる。
本来ならばお兄さんだって何も変わらずという訳にはいかないのだろうけれど、変わらない為にゆかはお兄さんをあんな状態にしたのだ。
自分の社会的な立場を捨てて、親しんだ人たちを切り捨てて、お兄さんとの想い出のつまったアパートを離れて。
お兄さんを変えない為だけに自分の人生の全てを費やした。
それは、やはり、誰が見ても異常だろう。
死んだ者のために生きていく自分の人生を捨てるだなんて。
でも、ゆかはそれを選んだ。
「ゆかは、お兄さんと同じようになりたいって思ったりする?」
「……どうかな。それはステキな気もするけど。……どうだろ。それに」
「それに?」
「それだと、お兄ちゃんとの約束、破っちゃうことになるし。ミホとの約束も」
「……うん。そうだね」
そうだ。
私とゆかは約束した。
お兄さんとゆかが約束したように。
まるで、プロポーズにも似た、『死が二人を分かつまで』という約束を。
「ミホ」
「ん?」
隣にいるゆかに顔を向けると、ゆかも私のほうを向いていた。
カーテンで月明かりが遮られた仄暗い部屋の中、白いシーツで反射されたおぼろげな月明かりが私たちの顔を浮かび上がらせて、私の顔を見ていたゆかと目が合う。
「約束、破っちゃダメだよ」
「破らないよ」
「裏切っちゃダメ。先に死んじゃダメ。死にたくなったら言う。守らなきゃダメだよ」
「……私以外の友達作らない! 忘れてる! ゆかこそ、破っちゃダメだよ?」
「分かってる」
「私も、分かってる」
なら良い。と言ってゆかは私に背を向けた。
私はゆかの背中から目が離せない。
背を向けるゆかの背中を見て、胸がきゅうっと苦しくなるような感覚を味わう。
やはりこの気持ちは恋慕ではないのか。
昔、分析した思いをもう一度反芻する。
あの時は違ったけれど、今もそうじゃないと言えるだろうか。
友情だと口にしてしまったけれど、本当にこれは友情なのだろうか。
ゆかと同じ、愛ではないのだろうか。
ゆかの役に立ちたいと思う。
ゆかの側に居たいと思う。
ゆかから離れたくないと思う。
ゆかを独占したいと思う。
この気持ちを友情で片付けてしまえるのだろうか。
私はこの先もずっと、彼女との約束を守り続けることができるだろうか。
仄暗い月明かりに包まれるゆかを私は見ていた。
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