2月22日『L'argent ne fait pas le bonheur(お金は幸せを生むものではない)』

 この一週間、私は充実した日々を過ごしていた。

 それはこれまで生きてきた26年という長い時間の中で、『私は今、誰でもない私の為に生きている』と、そう初めて感じることができているからに他ならなかった。

 ゆかの秘密を知ったあの夜、私は、何故私がゆかに惹かれ憧れ、仲良くなりたいと想っていたのか自覚することができたのだ。

 自分でもずっと不思議だった。

 ゆかが潜在的精神病質サイコパシーだと、彼女とお兄さんの関係性を知っていく中で理解してなお、何故私はゆかに対しより深く関係を持とうと積極的になっているのか。

 そしてあの夜、何故強烈に拒絶されてなお引き返せなかったのか。

 一時期は私がゆかへ恋慕を抱いているのかもしれないと思ったことさえあった。

 冷静に自己分析をして、私が抱いている謎の感情に名前を付けようとしたこともある。

 しかし、彼女へ向ける熱情が『恋』なのか否か、私は判断することが出来なかった。

 私は同性愛などに偏見を持たずに生きているつもりではあるけれど、自身が同性に対し恋心を抱いたことや、『ドキドキしたこと』がこれまで一度も無かったからだ。

 更に言うと、私は異性に対しても恋をしたことが無かったのが、余計に謎に拍車をかける要因になってしまった。

 幼少期は同性異性問わず、私にとって同年代の人間とは『外敵』だったのだから仕方がない。

 親や教師くらい年齢が離れていないと、私は私と対象者の人間関係を構築出来なかったのだ。

 とは言え、恋心というものは分かる。

 誰かを想うという熱量を感じ取ることくらいは出来る。

 歳上の人間と接すること、より言うならば歳上の人間に取り入ることが日常だった私が耳年増になるのは必然で、同年代の人間よりも精神的にになるのは自然なことだった。

 だから、私のゆかへの感情が恋愛ではないと、区別できていた。

 であれば消去法で、私が抱いている気持ちは、私が持ったことのない友情という感情、『友愛』というものなんだと、そう位置付けることで納得していたのだ。


 しかし、ゆかと最も深く関わったと言えるあの夜、あの時、あの部屋で、ゆかの限りなく純粋な利己主義エゴイズムに触れ、私はこれまで抱いていた感情の全てが、ゆかの持つ思考、思想、願望、私欲、それらを余すことなく集め繋ぎ合わせた『彼女らしさ』への憧れだと気付いたのだ。

 私はゆかが持つ強烈な『人間らしさ』に憧れていた。

 言い換えるならば私は、ゆかのように成りたかったのだ。


「奥さまぁ~このたびは本当に何から何までお世話になってしまって、私、何て感謝したら良いのかぁ~……。何か私に出来ることがあればいつでも仰ってくださいねぇ~」

「もう、ミホちゃんたら水くさいこと言わないのぉ。私たちお友達じゃないのぉ、困っていたら助け合うのがお友達よぉ? それに私は条件に合う家を探しただけなんだから、これっぽっちっも手助けなんかになってないわよぉ」

「そんな~何を仰るんですかぁ~。奥さまのお口添えがあったおかげで、お家賃から何から細かいことの手間全部が一つも無かったですし、私の後輩への詮索も無かったと聞きましたよぉ~。本当に奥さまのお陰ですよぉ~」

「そういうのは言っちゃ野暮よぉ? そういう律儀なところが貴女らしいとも言えるけれどね。ミホちゃんの後輩の、ゆかさんと仰ったかしら。あの子も、少し風変わりな所はあったけれど、貴女が肩入れするだけあってとてもいい子だったし、キチンとしてらしたわぁ。何か、大変な事があったんでしょう? とても不憫な事が。そういう時はそっとしてあげるのが大人の務めというものよぉ」

「奥さま……ありがとうございます」

「もう、そんな顔しないの。言ったでしょう。私たち、『お友達』なんだから。当然のことをしただけ」

「はい。今度は私がお役に立ちますねぇ~」


 ゆかに新しい家を紹介してくれただけでなく、諸々の手続きを処理してくれたこの女性が、今回一番利益を得た人物だろう。

 上流社会ハイソサエティというのは、動けば利益が出る人間の集まりを指す。

 そして、利益がゼロの時、その人間達は動かないことが殆どだ。

 今回の件で、彼女をはじめ、ゆかのことやゆかの内情を知る者は誰一人としていないが(当然だ。知れた時点で全てが瓦解してしまうのだから)、今回の件に関わったことで新たなビジネスチャンスを得た人物もいれば、新しいパイプを作った人物もいるだろう。

 私自身、新たに知り合った人間が幾人かいる。

 あくまで挨拶を交わした程度でしかないが、私のようにハイソ側にパイプを持つ人間を利用したいと思う者は少なくない。

 そして私自身、自らの価値を把握してパイプとして使われること、要は仲介役として機能することを生き方として選んできた。

 所謂いわゆる、セレブレティとして振る舞ってきたということだ。


 そしてこの一週間、私はセレブレティとして、あらゆるパイプを駆使してゆかの為の環境作りに関与した。

 住宅、業務用冷凍庫、各所手続き、そして情報操作。

 ゆかが家を出ることなく衣食住で困ることのないように手配させた。

 お兄さんの状態維持の為に必要な薬品があれば秘密裏に入手できるように海外まで視野に入れた薬品の個人購入ルートも整いつつある。

 真相を知りたいと思う者はいないだろうが、余計な人災やそれに伴う二次災害、三次災害を防ぐための情報操作には特に力を入れている。

 上流社会の人間は自身の不幸には無頓着だが(不幸に見舞われることが殆ど無いからだ)、他人の不幸には敏感である(火の粉が我が身に降りかからないようにだ)。

 なので、他人が不幸に見舞われないように、情報が露呈しないように取り計らうことに余念がない。

 また、露呈しかけた時の揉み消し方も熟知している。

 私一人では成し得ないけれど、私を取り囲む人間達は、自身を守る為に、必要な他人も守るように仕組みを構築しているという訳だ。

 そして私が情報源パイプとして機能している間は、私を守ろうとしてくれる者は非常に多いだろう。

 それこそ、国家レベルで。


 なんて。

 うそぶいてみたけれど、大体これの半分くらいが真実で、残りの半分が『きっとそうだろうな』という私の想像である。

 ぶっちゃけ、私の生まれがまあまあ良いとこだったから、チヤホヤされているに過ぎないのだ。


『ーーーー♪』


 私のスマホが軽やかに鳴った。

 通話ボタンを押してスマホを耳にあてる。


『もしもし、ミホ?』

「ゆか。どうしたの?」

『今日は、うち来る?』

「ん~、予定は無かったけれど。何か必要な物があるの?」

『そう。庫内にどうしても霜が付いちゃうから、削る道具が欲しくて』

「……よく分かんないけれど、それって冷凍庫にゆかが入りすぎるからじゃないの?」

『だって気になるんだもん。お兄ちゃんの顔見たいし』

「あ~はいはい。そういう惚気のろけみたいなのはいいから。どういうのを買って行けば良いの?」

『うん、ネットで調べたから、写真送る。似たようなの買ってきて』

「うん、分かった。それじゃあ、また後でね」

『うん。またね』


 終了ボタンを押して、ゆかから届いた写真を確認する。

 ホームセンターとかに有りそうな金属製のヘラだった。


『ーー♪』


 短い通知音と共に追加の写真が送られてくる。

 そこには小型のノコギリと金槌が写っていた。


「えぇ……? 霜が固まってるって訳でもないのに、こんなの要る? 準備早すぎない?」

 お兄さんの事となると過保護過ぎるゆかは私と話している時も心配が過ぎるような発言や取り越し苦労をしている時がある。

 あの部屋で私を取り込もうとしていた時は随分おどろおどろしい調子だったけれど、すんなりと事が進んでしまった今となっては可愛らしい小動物のような、例えるなら、エサが気になってケージの中を右に左に行ったり来たり繰り返すハムスターのように見える。

 冷凍庫の扉の前を行ったり来たりする様なんかはまさしくそうだ。

 一見滑稽なその様を見せるようになったのも、張っていた気持ちが緩んで、落ち着いた証拠なんだと思う。

 外敵に恐れる必要なく、お兄さんの様子だけを見守っていれば良いと、安心出来ている証拠なのだと思うのだ。

 私は未だにお兄さんの顔を直視するのには勇気が必要だけれど、ゆかも、そして私も、望んだ安定した日常を取り戻した。

 ゆかはお兄さんを想い、永遠に訪れることのない幸せを目の前に静かに暮らす毎日を。


 そして私は。


 私はその姿を見る度に思う。

 幸せそうに俯いて涙を流すゆか。

 その姿はとても愛らしく、儚くて、保護欲を喚起させる。

 そんな、まるで美術品のように美しく、不様な親友を守るという掛け替えのない幸福。

 私はまさに、私の為にゆかを保護し、管理下に置いている。

 人生で初めて得た親友を守るという名目の元で、全ての面でゆかを支配している。


 エゴだ。

 ゆかも、私も、互いの利己エゴを満たす為に互いに依存し合っている。


 私が望んだ、お金で得られない幸せは、これだったのだ。

 私が得たのは、普通ではとても得ることのできない、こんな幸せの形だった。

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