1月30日『チョコケーキの話』

「へぇ、最近のバレンタインって誰かにあげるより自分で食べるぶんにお金使うんだね」

「そうなんですよ。私も毎年、お父さんとお兄ちゃんにあげてるんですけど、それよりも自分で食べるぶんに使っちゃいますね」

「ゆかちゃんもそうなんだ? じゃあ、プレゼントするやつはちょっと良いやつあげるの?」

「まっさかぁー! そんなワケないじゃないですかぁ。良いやつは自分用ですよぉ。プレゼントしてあげてるんだから、ホントは市販の板チョコで満足してほしいくらいですよぉー」

「ひっでぇ……」

「そんなもんですよぉー? 先輩は、誰かにあげるんですか?」

「いやぁー、予定無いなぁ。自分用も買わないだろうし」

「枯れてますねぇー」

「ひでぇ。まあ、私、見た目は女でも中身はおっさんだからさ」

「何言ってるんですかぁ、先輩は十分『女子』ですよっ!」

「そうかなぁ」

「そうですそうです」

「だと良いけど」


 仕事の休憩時間、社員食堂で職場の後輩であるゆかちゃんと二人でそんな他愛ない話をしていた。

 横に並んでご飯を食べて、食後に雑談をしていたのだけれど、ゆかちゃんの話では私が働く会社がテナントとして入っている駅ビルの催事場で、バレンタインデーに向けてチョコ専門店が幾つか出店しているらしい。

 バレンタインそのものにあまり関心のない僕には、どこか違う場所のことのように思える。

 ……そう言えば、昔、中学生くらいの頃に一度だけAからチョコを貰ったことがあったな。

 手作りのチョコで、美味しかったと言えば美味しかったのだけれど、甘さが強めで正直な話口に合わなかった。

 普段甘いもの食べないので、余計に甘く感じたのかもしれない。

 僕はその時、『甘かった。チョコはあまり得意じゃないからバレンタインとか気にしなくてもいいよ。でもありがとう』と書き置きを残した。

 その翌日から一週間以上Aの機嫌は悪く、それ以来バレンタインデーにチョコは貰っていない。

 今思えば相当デリカシーのないことをしたと思う。

 もしかしたら、中学生だったあの当時から、Aは僕に好意を向けてくれていたのかもしれない。

 僕がそうであったように。

 僕がそれに気付けるような性格だったなら、高校の時Aは他の誰かと付き合ったりしなかったのかもしれないし、僕はもっと早くAと相思相愛だと気付くことができたのかもしれない。

 本当に、後の祭りだけれど。


「で、ですね、去年も出店してたお店が今年も来てるんですけど、すっごく美味しかったので、先輩に友チョコをあげようと思うんですよ。いや、先輩後輩だから輩チョコ?」

「別にそこは友チョコでいいよ」

「そうですか? じゃあ友チョコで!」

「う、うん。じゃあ私はホワイトデーに何かお返しするね」

「え?」

「え?」

「いや、先輩それはおかしいですよ。ホワイトデーに返すのは男の仕事であって、私たちの場合はお互いに友チョコを交換するんですよ。ホント先輩は男みたいですねー」

「ははははは。言ったじゃん。中身はおっさんだって」

「あはははっ。それマジだったんですねー」


 笑えないな。

 こんなことで僕がAと別人格あることがバレることは有り得ないけれど、僕は身体は女性でありながら女性の慣習に疎いところがある。

 化粧とかマナーとか日常生活に関わることは、それこそ毎日やっていることだから習慣になっているけれど、イベント事は未だによく分からないことがある。

 ちなみに僕は合コンに参加したことがない。

 Aはあるんだろうけれど、僕はA以外に興味がないし、相手は男なのだから余計だ。

 だから女性同士の共闘も牽制も体験したことがない。

 そんな面倒な体験は一生ご免だと思っているけれど。


「先輩、今日何だか元気無いですね。こないだ目が腫れてた時もそんな感じでしたけれど、今日はあの時と似てるけどちょっと違う感じで元気無いです」

 少しドキリとする。

「そう? 元気だよ?」

 嘘だけれど、半分は本当だ。

 僕らが今抱えている問題、いや、不治の病はこれから生涯付き合っていかなくてはならない持病なのだから。

 身体は健康であっても、心には常に病竃びょうそうを宿していると自覚して生きていくのだ。

 他人には分からない、分り得ないこの気持ちを、僕らは二人で共有して生きていかねばならないのだ。

 この絶望は、他人には分からない。


「えー、そんなの嘘ですよー。先輩、絶対何か悩んでますって。重たいやつ。苦しいやつ。だってめちゃくちゃ不幸な顔してますもんっ」

「……え?」

「不幸なオーラ出まくりですよー?」

「オーラって、はは、何だよそれ。出てないよそんなの」

「いや、出まくりですよ。てか、こないだのことから数日で泣き腫らすような大事が全部解決するワケないじゃないですかぁ。だからこないだのことは良くなったのかもですけど、今度は次の問題が出てきちゃった、とかじゃないんですか? 問題はいっこ起きちゃうと事後処理が山積みになっちゃうんですよー?」

「……」

 そうなのか。

 僕はそんなふうに他人の目に映っているのか。

「いや、まあ私以外は気付かないかもですけどね」

 ゆかちゃんはそう言って、へへへ、と目元を緩ませ少し嬉しそうにはにかんだ。

 何か楽しいのだろうか。

 何が楽しいのだろうか。

 僕の気持ちを、僕らの気持ちを読み取れたのが嬉しいのだろうか。

 正解を言い当てて、得意気になっているとでも言うのか。

「先輩、良かったら今日の仕事の後、一緒にご飯行きませんか? モチロン二人で」

「え? 何で?」

「何でって。そりゃあ相談に乗りますよー的な」

 相談に乗るって? 誰が? ゆかちゃんが?

 僕の悩みを聞いてくれるって?

 僕の不幸を聞いてくれるって?

「いや、大丈夫だよゆかちゃん。ありがと」

 理解できる訳がないだろ。他人に。僕らの二重人格不幸を。

 何をどう相談しろって言うんだ。

 どう説明しろって言うんだよ。

 僕は気付いた時には二重人格で、しかも中身は男と女で、365日日替わりでこの身体を共有していて、そして僕らは愛し合っていて、お互いにどちらかの人格が先に居なくなってしまうかもしれない恐怖に気が付いて、怖くて堪らない、とでも言えば良いのか?

 そんなこと、信じれるって言うのか?

 信じられる訳がないだろ。


「せんぱーい、今、また泣き出しそうな顔してますよ」

「……っ!?」

 人さし指と親指の腹で目尻を押さえる。

 化粧が崩れないよう、涙がこぼれたりしないように。

 涙は出ていなかった。

「……先輩、まだ辛いって、自覚あるんですね」

「え?」

「今にも泣き出しちゃいそうだって思ってるから目を押さえたんですよね?」

「あ……いや」

「ね、先輩。詳しく話してくれなくても良いんです。話をぼかしてくれても。嘘を吐いてくれたって良いんです。少し、ゆっくりしながらお話しませんか?」

「え……いや……それは」

 困る。

 そんなことを言われても、一体なんて話せば。

 それに、誰かと二人きりでご飯なんて、Aになんて思われるか。ましてやこのタイミングでなんて。

「あ、あのね、ゆかちゃ」

「あっ、先輩、休憩時間終わっちゃいますよ! 戻りましょう! 続きは夜に!」

「え、いや待って、え、もうそんな時間? うわほんとだ」


 急いで仕事に戻る。

 どうしよう。約束しちゃったってことになるのか?

 何てAに伝えれば……いや、Aには交代した時に伝わるのか。

 心配するべきはそこじゃない。

 だから結局、ゆかちゃんに何を話せばいいのか、そこだけだ。

 ……はぁ、バレないようにこっそり先に帰ってしまうか?



 逃げ切れる。

 そう思ってた頃が僕にもありました。


 仕事を終えて、少し早くあがったゆかちゃんに気付かれないよう鉢合わせないようこっそり抜け出そうと思っていたら、駅ビルの入館口でゆかちゃんは僕を待ち構えていた。

 絶対にここを通らないと外に出れないので、確かに僕を逃がさないようにする為にはここが一番良いのだけれど、一月末の夜に屋外で人を待つというのはそれだけで苦行だ。

 元々僕とご飯を食べに行く予定だった訳でもない。

 この為に防寒の準備をしていた訳でもないだろう。

 なのに、どうしてこの子はこうして身体を張っているのだろうか。


「先輩、お疲れ様ですっ」

「ゆかちゃん……鼻水出てるよ」

「マジですかっ!? ヤバっ、ハズっ。よしっ、おっけー。へへっ、おっけーですよ、先輩っ!」

 僕に背を向け、肩に掛けていたバッグからポケットティッシュを取り出して鼻水を拭き取ると、ゆかちゃんは振り返り笑った。

「あ、あのさ、やっぱりご飯やめない? 明日も仕事だしさ」

「もうお店予約しちゃいましたよ? すぐ近くの深夜まで開いてる居酒屋ですよ。明日は私は昼からなんで大丈夫ですっ」

「私が朝からなんだけど……」

「へーきですよ! ご飯食べに行くだけじゃないですか!」

「あれ、相談に乗るとか言ってなかった?」

「あ、相談してくれる気になってくれました? 良かったぁ」

 しまった。墓穴掘りまくりだ。

 手のひらで転がされてる感じがする。

「さ、先輩行きましょ。話してくれるかどうかはご飯食べてから決めたら良いじゃないですか。私ホントにお腹空いちゃったし、先輩もでしょ?」

「まあ、そりゃあね」

「でしょ? チェーンの居酒屋ですけど、胡瓜の漬け物がやたら美味しいんですよぉ。私漬け物が大好物で。行ったら絶対頼むんです」

「渋いね……ふふっ」

「あっ! 先輩、やっと笑いましたね。今日、ずっと眉間に皺作ってましたよ?」

「……マジで?」

「はい、マジですよ。だから、先輩には息抜きが必要なんです。さ、行きましょっ!」

「……はぁ、分かった。行こうか」

「はいっ」

 二人で歩き出す。

 左手首に巻いている腕時計を見ると22時を回ったところだった。

 交代の時間に入るまで一時間無いくらい。

 ご飯食べて、終電に間に合う時間にお店を出れば日付が変わる前には家に帰れる。

 これなら何とかAと交代する前に帰れるだろう。

 外見的には女同士ご飯を食べに行くだけだし、やましいことを起こす気は更々無い。

 お酒を飲むつもりもない(明日は朝からAが出勤するのだ。飲める訳がない)。

 ゆかちゃんと二人でご飯といのがそもそも問題なのだが、ここまで来てしまっては今更反故にもできないし、とにかくご飯食べてさっさと帰ってしまおう。



 23時15分。

 もう少ししたらお店を出ないと帰れなくなる。

 まあ最悪タクシーなりで帰れはするが、あまり望むところではない。

 居酒屋チェーンの個室のテーブル席でゆかちゃんと向かい合って座り、ウーロン茶を飲みながら料理を摘まむ。

 ゆかちゃんは宣言通り胡瓜の漬け物をお通しが来た時点で最初に注文し、おかわりもしている(本当に漬け物が好物らしい)。

 お腹は丁度良く満たされて、あとはデザートを注文しようか迷っているような心地好い満腹感の中に私はいた。

 ここまで、私は相談話をしていない。

 ゆかちゃんも胡瓜を頬張りながら次に何を注文するか注文用タブレットとにらめっこしていたような状況だったので、それらしいことを聞いてくることもなかった。

 本当に二人でご飯を食べに来ただけになった。

 まあ、それで良いのだけれど。

 これはこれで確かに息抜きにはなった気もするし。

 不安は決して消えないし、絶望は薄れないし、不幸を感じなくなることもないだろう。

 しかしこんなふうにたまに息抜きをして、それらを紛らわすだけでも多少生きやすくなったりするんじゃないか。

 意外にも僕はそんなふうに感じていた。

 ゆかちゃんに視線を向けると、三皿目の胡瓜の漬け物を齧りながら、タブレットでデザートのページを見ている。

 まだ食べるのかこの子は。


「先輩、先輩もデザート食べます? 私チョコケーキにするかクレープにするか迷ってるんですけど、良かったら二つとも頼んでシェアしませんか?」

 二つも食べたいのか。

 いや、シェアして食べようってことは、けっこうお腹はいっぱいになってるんだろうな。

「いいよ。私も一口ずつもらおうかな」

「りょうかいりょうかーいっ」

 注文ボタンを押して、ゆかちゃんが僕に向き直る。

「先輩、あんまりご飯食べないんですね。元々小食なんですか?」

「いやぁ、そんなことはないと思うけれど、ゆかちゃんは大食いなほうだよね、たぶん」

「よく言われますね。まだ食べるのか、って」

「うん、私も思ったよ」

「食べるのって幸せなことだと思うので」

「確かに。そうだよね。美味しい物を食べるのって、幸せだよね」

 うんうん、と頷く。

「いや、それはそうなんですけど、そうじゃなくて」

 頷いているとゆかちゃんから否定の声。

「美味しい物を食べれるのはモチロン幸せだと思うんですけど、それだけじゃないと思うんですよ」

「ふぅん、と言うと?」

「簡単に言うと、食べること、食べれることが幸せって感じです」

 ゆかちゃんは笑顔でそう答えた。

「あぁ、それも分かる。例えば、生きてるだけで本来は幸せなことだー、みたいなことだよね?」

「そうですそうです。そーゆーことです」

 私の言葉にゆかちゃんも同意してコクコクと何度も頷く。動きが多いと言うか、リアクションやジェスチャーが大振りな子である。

「私思うんですよ。世の中、儘ならないことが多いじゃないですか。多いと言うか儘ならないことだらけって言うか」

「……うぅん、まあ、そうだね」

「たくさん頑張って働いてもお給料がどんどん上がるワケじゃないし、子供の頃にたくさん勉強して塾とか行ってても夢見た職業に就けるとは限らないし、それどころか夢を見付けることすら出来ないことだってある。いい仕事に就いたとしても、それが望んだものであるとは限らなかったり」

「うんうん」

 分かる、と私は頷く。

 世の中、そして人生ってそんなものだ、と。

「でもですね、儘ならないことだらけだとしても、それで人生がつまらなくなったり、歳をとってお婆ちゃんとかになった時に『私の一生はなんて下らないものだったんだろう』とはならないじゃないですか」

「うーん、まぁ、あまり聞かないよね」

 そういう人もいなくはないんだろうけれど。

「食べる、の話に戻るんですけど、『美味しい物』が『幸せ』だとして、『普通の物』は『不幸』ではないじゃないですか」

「うん? ……まぁ、普通は普通だよね」

「じゃあ、『不味い物』は『不幸』ですか?」

「え?」

「先輩は、『不味い物』は『不幸なこと』だと思いますか?」

「えぇー、どうだろう……」

 どうだろう。

 不味い、と感じた時に、それは『不幸だ』と感じるだろうか。

「『不幸だ』とは思わないかもしれないけれど、『幸せなこと』だとは思わない……かな。『普通』かも。たまたま不味かったんだろうな、って」

「はい。私もたぶんそう思います。そして私は、『普通の物』を食べた時も『幸せ』なんですよ。「あ~普通のご飯美味しい~幸せ~」って、なるんです。「何もつけてない白米美味しい~」って」

「幸せそうだね、それは」

 ふふっ、と思わず笑いがこぼれる。

「あっ、先輩、デザート来ましたよ」

 私がふふふと笑っていると、注文したチョコケーキとクレープが運ばれて来た。

 さっそくゆかちゃんがチョコケーキにフォークを入れ、ぱくりと一口放り込む。

「ん~っ! 普通っぽいチョコケーキ美味しい~」

「あははっ、お店に失礼っ、あははははっ」

 思わず吹き出す。

 ちょっとツボに入った。

「いやぁ、チェーン店居酒屋のチョコケーキですからね、先輩見てくださいこの無難な見た目。これ絶対冷凍ケーキですよ?」

「あははははっ、いやぁ、そりゃそうでしょう、お菓子屋さんじゃないんだから、毎日作るなんてできないよ」

「ですよねぇ、クレープのほうも、アイスを包んだクレープ生地に生クリームをトッピングして上にミントを乗っけただけの、何とも普通のクレープですよ」

「うんうん、こっちも普通だ。あははは、はぁ~、笑った」

 ツボに入りしばらく笑ってしまった僕はちょっと目尻に浮かんだ涙を拭き取る。

「でも、この普通のチョコケーキとクレープを、ついつい美味しそうだなぁって思っちゃうし、食べたいなって思うし、食べたら「美味しい~」って言っちゃうんです」

「うんうん、そんなもんだよね」

「ですよね。そうなんですよ、先輩」

「うん?」

 ゆかちゃんが急に真面目そうな顔で私を見詰める。

「そういうことなんです、先輩」

「え、え? どういうこと?」

「『普通』は『幸せ』なんですよ」

「あー、はいはい、そういうことね、成る程成る程」

「だからですね、もしかしたらなんですけど、先輩が今心に抱えてる『不幸』は、実は『不幸じゃないかもしれない』って思うんです」

「……は?」

「だからですねっ! 見る角度の問題なんじゃないかと!」

「……は? え? 何で?」

「先輩の中で、『特別なこと』が、『普通』になっていませんか? 確かに何かを失ったり、失うかもしれないということは不幸なことかもしれません。いや、確かに失うことはとても不幸だと思います。悲しいことです。辛いことです。泣き出しちゃいそうになるし、泣いちゃうし、苦しいことです。でも、だけど、『幸せなこと』だった『普通のこと』を忘れてしまってませんかっ!?」


 ゆかちゃんは大声で私にそう言ったのだ。

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