カノンとルイーゼ

高野 圭

 どうして。

 どうして、こんな娘が皇妃なのだろう。


 十人が見れば、十人ともがそう思うに違いなかった。

 こちらを見る金と青の瞳は、実に鮮やかにルイーゼを捉えた。それでいて、その瞳は何の感慨かんがいも抱いていないようだった。それがいっそ不気味に思えた。そんなことは、彼女の人生の中では有り得ないことだった。

 畏敬いけいあるいは嫉妬、野心を以て取り入ろうとする者。あからさまに対抗しようとするものは早々居なかったが、そんな種々の視線を受けることに、ルイーゼは慣れきっていた。

 しかし。

 眼前にいる「皇妃」は、ただ彼女を見ていた。何も思わないのか。「妾妃しょうひ」として挨拶した自分に、何も?

 敵になる相手に何も思わない人間など、ルイーゼは知らなかった。

 かと言って、諦観ていかんしているようにも見えなかった。皇帝にかえりみられない「皇妃」だからと。そう考えるのは容易たやすかったが、そう断じるには何かが違った。


 わからない。


 これが、妾妃として初めて皇妃に謁見えっけんしたときの、ルイーゼ・アイネスブルクの第一印象だった。


 ***


 妾妃というのは、跡継ぎに恵まれないことを危惧した何代か前の皇帝が複数の妃を持つために制定した制度である。事実、皇家の血筋は子どもが少なく、夭折ようせつしてしまう傾向にある。

 だが、実際は病弱だった先々代の皇帝や、結婚する前に亡くなった先代の皇帝を除けば、歴代の皇帝のほとんどが密かに愛しているが、皇妃となる資格を持たない女性をその地位に就けていた。

 たとえば未亡人であったり、あるいは皇妃となるだけの血筋を持たない者。年を重ねた皇妃に嫌気がさして妾妃を召した例もある。

 無論、それだけでもない。

 皇帝の結婚とは、それ自体が政略だった。

 だから、その使者が広大な領地を持つアイネスブルクの、豪奢ごうしゃな屋敷を訪れたとき、当事者たちはそれぞれに別のことを思った。

 中でもうれいを帯びたのは、現皇帝を見知っているコンラートだったろう。そうして、彼の人の意図を明確に察したのも彼だったに違いない。老齢を理由に隠居しているとはいえ、その眼は老いていなかった。

 ふみを受け取り、使者を慇懃いんぎんに下がらせて……もちろん相応にぐうすることを命じ、コンラートは溜息をついた。

義父上ちちうえ、どうなさったのです。喜ばしいことではありませんか」

 確かに、喜ぶべきことだった。既に喜色を満面に浮かべた婿を一瞥いちべつする。一貫してアイネスブルクの者としては地味な格好で通し、しゅうとに従順でそれでいて領地経営と言う点では大いに美点を発揮している彼だったが、欠点は中央での政治に向かないことだった。

「義父上?」

 ただならぬ気配を察したのか、彼もまたすぐに表情を引き締めた。

「ルイーゼを呼ばせましょう」

 言って退出する背を見ながら、コンラートはわずかに息を吐いた。

 ルイーゼ・アイネスブルクを妾妃として迎える。

 悪い話ではない。予期していたことですらあった。遅かれ早かれ、皇帝はこの話を提示してくるだろうと。

 断る理由は無い。憂う理由も無いはずなのである。

 だが、孫娘を見て来たコンラートには一つだけ気がかりなことがあった。

 ルイーゼは今年で十七になる。母親に似た容姿は、肉親であるということを差し引いても美しく、また、幼いころから宮廷に出入りしてきたこともあり、そこがどんな場所なのかを十全に理解している。聡明な娘である。

 加えて、このアイネスブルクというのは、この国の中でも一、二を争う力を持った貴族である。本来なら皇妃として召されたとしてもおかしくない家柄だった。

 しかし、それも現在の皇帝を取り巻く種々の状況をかんがみれば、妥当なものだと感じている。

 コンラートの気がかりは、孫娘を愛しているからこその気がかりは、ルイーゼが恋をしているという点にあった。

 恋はしばしば人を盲目にさせる。

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