ショートショート集
久山 渡
英才教育
「自分の子どもの顔面や手足を切り刻んで死亡させたとして、永田勝也容疑者が傷害致死の疑いで逮捕されました。死亡した子供は生後一週間ほどで四肢は切断されており耳、鼻はそぎ落とされ、歯は全部折られ、目はくりぬかれていました。永田容疑者は容疑を一部否認しており……」
今日は久しぶりに莉乃に会える日だ。莉乃は妊娠の定期健診の結果があまり良くなかったため少しの間入院をする羽目になってしまっていた。
会社が終わるとすぐに病院へ向かい消毒液の香りがする廊下を抜けると、194と書かれた扉が見える。莉乃のいる病室だ。
扉を開けると莉乃は回旋と呼ばれる上半身をひねるストレッチをしていた。
「おお、精が出るな。ちゃんと毎日やっているんだな」
面倒くさがりの莉乃が妊娠前に作った赤ちゃんのためにすることリストを毎日こなしているか心配していたが杞憂のようだ。
「当たり前でしょ、この子のためですもの。苦手なコーヒーやお酒だってできるだけ飲んでいますし、最近はタバコも吸うようになったんですよ」と莉乃はお腹をさすりながら答えた。
「そうかそうか、なら赤ちゃんも立派に生まれてくれるな」
「ねえ、あなたそれよりも赤ちゃんの名前は考えてくれた?万が一を考えて早産するかもしれないし、そうだとしたらもういつ生まれてもおかしくないのよ」
「いやあ、なかなか決まらなくてなぁ。どうもピンとくるのがないんだ」と名前のことであーだこーだ言い合っていると検診の時間になっていたらしく医者が看護師を連れてやって来た。
医者はいつ引退してもおかしくないほどの年で年季の入った手つきで聴診器を使い莉乃のお腹を調べながらうんうんと頷いていた。
「母体は問題ないようだね」と言い看護婦に持たせていたエコー写真を使い説明を始めた。
「永田さんとこの赤ん坊は男の子で間違いないね。これを見る限り赤ん坊は希望通りに発育していると思うよ。奥さんが頑張ったおかげだね」
それを聞き莉乃と俺は胸をなでおろしていた。
「しかし変な時代になったものだね、三十年前ならこんな子おろしてもおかしくないのに」
医者は眼鏡をかけたり外したりしながらエコー写真を見ながらつぶやいた。
この老医師が医者になった時とは時代が違うのだから無理もない。
現在日本の医療は過剰治療と呼ばれている。昔は怪我や病気をしたら元通りに治すことを理想としてきたが今は【元あったものより健康に】とあるように怪我や病気をする前より良い状態にするのだ。
例えば骨折をしたなら二度と折れることのないような強靭な骨にされ、盲腸になれば一切下痢をしない腸にしてくれる。
これだけだったら良いことだけだっただろう。
しかしこれを積極的に利用しようとする輩が現れてから状況は一変した。
彼らはわざと怪我や病気になるのだ。それにより自分の身体能力などを飛躍的に向上させ普通の人々と能力の差が開いてしまった。
それにより輝かしい未来の希望を抱きながら自分に刃を突き刺す……それが当たり前の社会になろうとしていた。
しかし倫理的な問題や過剰な自傷行為による死亡事故などのため政府は怪我や病気に対しては過剰な医療は禁止とした。
ただし障害を持つものは別とされ彼らは元がどれほどの能力が分からないため一般的な健常者より優れたものを持っているように治療を施されていた。
よって自傷行為はなくなったが五体満足に生んでくれた親を恨むそんな社会になっていた。
そんなことを考えていると老医師は寂しそうに何か一言二言つぶやき、ふっと空を見つめ看護婦に指示をして出て行った。
それからしばらくすると何かの検査なのだろうか看護婦がたくさん来て莉乃といろいろ話しながら作業をし始めたので居づらくなり莉乃に帰ると告げ外に出た。
家に帰って名前でも考えるかと思いまっすぐ家へ帰った。
次の日、同僚が赤ちゃんのための服やベビーベッドをおさがりとして譲ってくれると言うのでもらいに行くために同僚の家を訪れた。
俺は軽く頭を下げながら話した。
「助かるよ、あまり余裕なくてさ」
「困ったときはお互い様だ、思ったより子供って金かかるだろ」
「そうだね、出産費用もばかにならないのに酒やたばこも結構食ってさ」
「でもそれはケチらないほうがいい。俺の子供見たか?」
首を横に振ると同僚は待っていましたと言わんばかりの速さで話したてた。
「まだ小学三年生なのに微積分できるんだぜ。だからうちの子は優秀かと思って先生に聞いたら別に珍しくもない普通だってさ。授業もできない奴は見捨ててできる奴に合わせて進むんだと。俺がこの時代に生まれていたらと思うとぞっとするぜ」
「え、じゃあ普通の子はどうしているんだ?」
「そりゃあ、授業にも見捨てられるんだからいないものとして扱われるだろうな」
「ひどい話だな、もっとも俺たちも周りの元障害者たちにじゃんじゃん仕事取られているから他人事じゃないんだけどな」
「ああ、だから子供には絶対そんな目にあわさないようにしたんだ。昔はともかく今じゃどうあっても普通に生まれたら幸せになれないからな」
そういった同僚の目はあの老医師と同じ遠い目をしていた。
同僚の家からベビーベットなどを家に運ぶともう日も暮れていた。
疲れてしまって仕事のやる気も起きなかったので名前を考えようと思い人名辞典や漢和辞典などをパラパラとめくった。
ジリリーーン、ジリリーーン
この音は携帯電話に着信音だ。いつの間にか眠っていたのだろうか。
取ろうとしたら切れてしまった。よく見ると病院から留守電がありもう生まれるとのことだったので急いで駆け付けたがもう生まれた後だった。
「莉乃は、赤ん坊は、」と叫ぶ俺に看護婦は分娩室に案内してくれた。
莉乃と赤ん坊は分娩台にいた。
近くに老医師がいたが汗だくで息も切れ切れだったおそらく取り上げてくれたのだろう。
俺は老医師に聞いた。
「莉乃と赤ん坊は大丈夫なんですか」
「母子ともに健康だよ」と老医師は優しい声で答えた。
「ともに?赤ん坊も?莉乃だけじゃなくて?」
老医師は俺の目をしっかりと見てゆっくりと落ち着きのある声で言った。
「そうです。赤ん坊に手足や内臓の欠損及び疾患は見られません。もちろん母親も」
俺はその言葉を聞いて泣き崩れた。
「そんな……健康だなんて……手の施しようがないじゃないか」
気が付くと俺は老医師の襟元をつかみ問い詰めていた。
「おかしいじゃないか、ちゃんとした姿で生まれてくるみたいなことを言っていたじゃないか。何でこんな……こんな……」
「仕方ないでしょう。もし私がこのことを早めに言っていたらあなたたちはこの子のことをおろしていた。そうでしょう」
「そんなわけない」俺の声は震えていた。
「じゃあ何で赤ちゃんが健常者だと分かったとたん泣かれたんですか」
「だ、だってその子には苦労させたくないし」
老医師は俺を冷たい目で見ながら言い放った。
「苦労したくないのはその子じゃなくてあなたたちでしょう」
そう言われて目の前が真っ暗になった。
どれくらい時間がたったのだろうか気が付くと自宅のベビーベッドに赤ん坊を寝かせていた。
赤ん坊はすやすやと寝ており、肌つやもよく丸々と肥えており健康そのものようだった。
そう思うと吐き気が込み上げてきた。
冷静になろうとお茶を飲み、スゥー、ハーと深呼吸をした。
名案を思い着いた「そうだ、障害がないなら作ればいいじゃないか」
やるならまずは足だな。子供は足が速いのは一番だろう。
そこで俺は早速包丁で赤ん坊の足を切りつけてみた。
すると赤ん坊はぎゃんぎゃん泣き始めた。
「これでかけっこは一着だな」
次はどこにしようと考えていると自分がテストで赤点を取って恥をかいたことを思い出した。
あれはとても恥ずかしくてもうこんな思いは二度としたくないなと思っていると赤ん坊の頭を壁にたたきつけていた。
赤ん坊はさっきとは打って変わって静かになった。
今度は中学生のころ不良にカツアゲされたのを思い出した。
あんな惨めな思いはさせたくないと思い腕を切りつけた。
今度は……今度は……
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