その11:せんぼう

 時は瞬く間に過ぎ、気付けば季節は夏真っ盛りになっていた。

 ジャパリアカデミーのあるこのパークセントラルの季節は、サンドスターの影響で様々に気候の偏りが存在するジャパリパークにおいて実にスタンダードな四季を形成している。

 ……実際にはジャパリパークがある小笠原諸島周辺はけっこう緯度も低いから、亜熱帯気候なのが自然なんだけど……ここまでしっかりと『日本型温帯気候』が再現されてるのは本当に謎だと思う。

 まぁ、私は物理学者じゃないからサンドスターのアレコレにはそこまで興味ないけどね。


「あづいー……」


 ともあれ。

 夏がその本領を発揮していくにつれて、ルカはプールに入り浸るようになっていた。当然、私もそれに付き合って、最近は放課後になるとほぼずっとルカと一緒にプールにいる。おかげでだいぶ泳ぎがうまくなったと思う。速くなったわけではないけど……。


「ほんと、暑いよねー」

「潜ると気持ちいいぞぉー?」


 そして、ルカがプールに入り浸るようになったということは、ほかのフレンズがプールに入り浸るようになっても不思議ではない、ということ。

 私たちの横でぷかぷか浮いているナナとジャイアントペンギンのアンを筆頭に、今やプールはちょっとしたフレンズたちの憩いの場となっていた。

 これについてはミライさんも予想外だったらしく、『こんなことならもっとプールを豪華にしておけばよかったです……』と今年度中の増築を視野に入れているようだった。いや今年度中て。いくらSSプリンタがあるとはいえ、いくらなんでもフットワークが軽すぎると思うんだけども……。


「でも、ルカ──ちゃんの暑がりっぷりは異常だナー。さばんなちほー出身なら暑さも慣れてるんじゃないの?」

「さばんなちほーの暑さとこっちの暑さは全然違うのよ……じめじめむしむしで、なんだかまとわりつくみたいに暑い……」

「あー確かに、日本の夏はうっとうしいみたいな話、フレンズの子たちがよく話してるよね」


 うだー、と私にしなだれかかってくるルカに、ナナはそんなことを返していた。……っていうかフレンズの子たちとそんな話してたんだ。ナナってけっこう顔広いよね……。そのわりにアンとよく話してるけど。

 というか、この頃はわたしがルカと一緒に遊ぶのと同じくらいの密度でナナはアンと遊んでいたりする。おかげで勉強の方がいい加減おろそかになってるのでほどほどに注意してたりもするんだけど……ナナは私みたいなのと違って特定の誰かとしか心を開かないってタイプじゃないから、実はちょっと意外に感じてたりする。

 だって、ナナって入学して早々にクラスのフレンズみんなと仲良くなってたからね。結局顔と名前もあっさり一致させてたし、何気にクラスの中心的な存在だし。そんなナナが誰か一人にここまで執着するとは思わなかった。私が知らない間にいったい何があったんだろうか。


「まー、その分プールが楽しくなるってもんだーけどねー。ぷかぷか浮かんでるのもいいんだーよー」

「アンは日焼けしないからねぇ……。うらやましいわ、私なんて屋内プールでも日焼けクリーム塗ってるのに」

「わたしはヒトがうらやましいけどねー。フレンズは日焼けできんもんなー」


 言われてみれば。

 プールに入る前もルカとはときたま外で遊んでたりしてたけど、私は日焼けクリームガンガン塗ってても肌がひりひりしたのに、ルカときたら日焼けのひの字も感じさせない白い肌を維持し続けていたっけ。

 あの時は羨ましいと単純に思っていたけど、フレンズからしてみれば日焼けが逆に羨ましいってことになるのか。隣の芝生は青く見えるじゃないけど……自分の持ってないものを羨ましく思うのは、誰だって同じってことなのかな。


「っていうかナナとアン、いつの間にかすっごい仲良くなってるよね」


 と、私は日焼けがどうのと言いながら互いの肌をぺちぺち叩き合っている二人(何やってんだろ? 恥ずかしいとか思わないのかな)を見て何気なく言う。

 まぁ、二人を引き合わせたのは実質私とルカなので、そういう意味でちょっと誇らしい気持ちがあったりする。自分のおかげで誰かの関係がいいものになったのなら、やっぱりそれは嬉しいし。

 暑い暑いと呻くルカに手で水をかけてやりながら言った私の言葉に、アンはちょっと複雑そうな顔をして、


「う、うーん。まぁ色々あったんだけど、」

「そう! すごいびっくりしたのよ! 聞いてよセツナ!」

「あ、ナナちょっと……」


 言葉を濁そうとしたらしいアンに被せるように、ナナが話を始める。あー……これは悪いことを聞いてしまったかもしれない。アン的には隠したかった話らしいけど、ナナは言いたくて仕方なかった、と……。

 ナナはそういうところあるからなぁ。せめてアンが機嫌を損ねちゃったら、私がそれとなくフォローしておいてあげよう。


 そうして、なし崩し的にナナの話が始まった────。


   の の の



 ──ナナがジャパリパーク・パビリオンを訪れた理由は、従姉の紹介だった。


 ジャパリパーク動物研究所副所長である彼女の従姉は、『超』がつくほどの動物好きであった。その影響でナナも子供のころから動物のことが大好きな少女で、特に動物の世話をすることに強い憧れを抱くようになっていった。


 そんな彼女がパビリオンのことを知れば、行きたくなるのも当然というものだろう。

 しかし、ジャパリパーク・パビリオンは四か月という期間限定のアトラクションであったことも手伝い、一般客はなかなか何度も行くことができなかった。

 もちろん特に頭がいいわけでもないナナは四か月間全部をパビリオンに費やすなどということはできなかったし、あくまで従姉が関係者であるというだけの彼女は特別な優遇措置など講じてもらえるはずもなかった。

 それでもパビリオンに行きたいと思った当時のナナは、その年の年賀状にこう書いたものだ。『ぱびりおんにあそびにいきたいです。おねえちゃんおねがいします』と。


 さすがの彼女でも、今にして思えば恥ずかしさを覚える、そんな稚気じみた願いだったが──しかしその幼気な熱意は、彼女の従姉──カコ博士の心を打つには十二分だったらしい。

 小学校を卒業した三月七日、ナナの手元には一週間分のジャパリパーク・パビリオン優待券があった。


「どんなフレンズに会えるのかな!」


 そんなふうにわくわくしていたナナが一番最初にパビリオンで観測したのは、みずべちほーだった。

 というのも、まっとうに動物園に親しんでいた彼女にとって一番身近な『ジャパリパーク』といえばサファリエリアではなく、アシカやペンギンなどがショーをするステージだったからだ。

 みずべちほーのパビリオンは水場とそれに隣接するようにして作られたステージが主な要素になっており、幼い彼女にとって一番親しみやすい空間だったのだろう。


 そしてそんなみずべちほーのパビリオンで、彼女は一人のフレンズに出会ったのだった。


『がさごそがさごそ。おー? なんだこれ? 細長い棒みたいなのだナ!』


 小柄な体格。

 大きく出た額。

 灰色の長髪。

 ぶかぶかのジャージ。

 そして、不敵な笑み。


 ジャイアントペンギンのフレンズだった。


『わっ!? 口に近づけたら声がおっきくなった!? ……むむ、そうか、ぱびりおんだっけ? もう始まってたのかー』


 ナナが出したスタンドマイクを興味深そうにいじっては遊ぶその姿に、幼い日のナナも子供心に嬉しく思ったものだ。そんなジャイアントペンギンのために、タンバリンだとかステージだとか、いろんなものを出しては一緒に遊んだ。

 ……おもちゃを出すだけではあったが、ジャイアントペンギンとナナは確かにその日『一緒に遊んだ』のだ。


 そして。


『……ン。どうやらもう今日はおしまいみたいだぁねー』


 園内のスピーカーから『けものみち』が流れ出したのを耳にして、ジャイアントペンギンは遊びを中断した。

 それに対してナナは何か答えたかったが、パビリオンのシステムでフレンズに思いを伝えることはできない。ナナはどこかの誰かのように、アイテムを大量に出すことで意思表示をするなんていう破天荒な解決法を思いつくような子供ではなかった。


 だが、それで絶望するような子供でもなかった。


「……また。またいつか、一緒に遊ぼうね!」


 ナナはそこで、未来に希望を見出すことのできる子供だった。

 声が伝わるはずがない。相手に自分の想いが伝わるはずがない。その『はずがない』を踏み越えて──相手に伝えた自分の想いを信じることができる子供だった。


『また、縁があればナ!』


 だから、相手にもその想いは伝わった。

 結局一週間のうちでジャイアントペンギン──アンと一緒に遊んだのはその一日だけで、ナナもアンもいつしかその日のことを忘れてしまう程度の、そんな一日でしかなかったのだが──。


 しかし。

 そこにあった想いは、忘れることはあっても消え去ることはない。

 そして消え去っていなければ、忘れた想いはいずれ思い出すことだってできるはずだ。



   の の の



「──というわけでね、何度か遊んでるうちに、『あれ? 私この子と遊んだことあるんじゃない?』って気持ちになってきてさ。それでこの間、思い切って聞いてみたんだ。『アンって昔、パビリオンでマイクとか使って遊んだことない?』って!」


 ………………。

 そうして、ナナはアンとの出会いを思い出し、そして二人はそれをきっかけにより親密な関係になった、ということ──らしい。

 なるほど、そういう経緯があるんなら、ナナがアンと特別仲良くしている理由も、わかる。パビリオンっていう『下積み』があるわけだもんね。そのことを自覚したら、より仲良くなれるってわけだ。

 うんうん。なるほど、なるほど……。


「ルカ」

「……なに?」

「………………………………」


 そこまで衝動的に言いかけて、私は我に返った。

 ルカ……そう呼び掛けて、私はそのあと、何を言おうとしていたんだろう。『私たちも実はパビリオンで……』なんて言う? ……ははは、ナイスジョーク。

 落ち着け、私。違うでしょ。ナナとアンはパビリオンで一日だけたまたま遊んだ関係で、そのあとは二人ともその日のことを忘れていた。リユニオン計画で偶然再会したのをきっかけに徐々に思い出して、そして旧交を温めた。全部偶然だ。そこに誰かの意図なんかない。ただの奇跡なんだ。

 それに比べて私はルカを捨てて、自分勝手に現実逃避して、そうなるように打算してリユニオン計画に参加して、自分だけ覚えておきながら自分勝手に何もかも隠して、こうして自分だけが全てを知ったぬるま湯の友情で悦に浸ってるだけじゃないか。

 前提が何もかも違う。だからここで二人の関係を羨ましがってナナ達の真似をするのは──ひどく、誠意に欠ける行為だ。


 でも、ああ、でも……。


 …………そうだ。私は、羨ましい。


 私だって、私だって……。ルカと一緒にパビリオンで遊んだあの日のことを、ルカにも思い出してほしい。一緒にたくさん遊んでくれてありがとうって、突然一人にしてごめんって、ちゃんと言いたい。こんなバカみたいな隠し事なんかしないでちゃんと全部の私を表に出して、心の底から笑えるようになりたい。



 …………本当はルカに本音を隠して『セツナ』を演じたくなんかない…………!


 でも、それって身勝手で。

 でも、こんなつらいのはもういやで。

 でも、そんなの自業自得で。

 でも、私そんなつもりじゃなくて。

 でも、そんなの言い訳にならなくて。

 でも、でもでもでもでもでもでもでもでもでも────!!!!




「…………。…………なん、でも……ないよ。ごめん、ちょっと気分悪くなったから……部屋に戻ってる」

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