モーリィとお風呂の日

 聖女は一糸まとわぬ生まれたままの姿で息を飲む。


 湯気の籠もるこの場所に、自分以外の者の影が見えたからだ。

 垣間見えたのは鍛えあげられた肉体。

 水滴をまとわせ、微かな熱に薄く染まる裸体。

 はた目にもわかる、弾力と硬さを持ち合わせる力強く柔軟な筋肉。

 その肉体が動くさまは感動を覚えるほどで、くっきりと六つに割れた腹筋は彫刻のように美しかった。


 聖女は確信する、その肉体は戦うために作られた。


 脈動する滑らかでしなやかな肢体。

 その人の肌に浮びあがる筋肉の筋の一本一本を指で触れてなぞってみたいという欲求に聖女は突然駆られた。


 はしたないと分かっているのに、目が引き寄せられ全くはなせない。


 美しく引き締まった肉体は、聖女を見惚れさせ虜にする。

 聖女の瑞々しい唇から甘い吐息がもれた。

 言い表せない熱が首筋から体中に広がり、心臓の鼓動が知らず知らずに早く高鳴る。


 視線に気がついたのか、聖女に顔を向ける彼の人。


 聖女はハッと今のありさまに気づく。

 美しい人に自分の裸を見られてしまう。

 恥ずかしさのあまり、聖女は腰が抜けたようにペタンと座りこむ。


 聖女は真っ赤になった顔をうつむかせ、豊かな胸を両手で隠そうとする。

 神々の芸術家が造りあげたような肉体を持つ人の前で、みっともない自分の裸を、駄肉を晒してしまったことが何よりも恥ずかしかった。


 そう、細身だが鍛えられた美しい筋肉を持つ『女騎士』の前で。


 女騎士はそんな聖女の気持ちを察したのか、おんな前の微笑みを浮かべ彼女の前で片膝をつくと、問題ないとばかりに手を差し伸べた。

 白銀色の髪と空色の瞳を持つ儚げな美貌の聖女。

 頬を染め潤んだ瞳で女騎士イケメンを見つめて、はにかんだ表情で嬉しそうに手を取ろうとして――


「ちょ、ちょーっと、待ったっ!!」


 モーリィと女騎士のお手ての繋ぎ合いは、突然割り込んできた全裸ミレーによって止められた。


「ねえっ、ねえっ! おかしいでしょう!? どうしてモーリィが、女騎士さんに見つめられただけで乙女メスの顔になってるの! 堕されかけているのよ!?」

「ミ、ミレー……乙女の顔って?」

「してた! 滅茶苦茶してた! ご馳走様でした! でも、どうして私の裸見ても『へぇ……』って感じで平然としてるのに、女騎士さんの裸見たら、奥様ウットリって顔してるのよ!?」

「え、ええっ? ウットリって……あ、あれ何でだろう?」


 モーリィは女騎士と不思議そうに顔を見合わせた。


「女騎士さんもです! 所構わず女の子を堕とさないでくださいよ!!」


 ミレーに責められた女騎士は困ったように後頭部を手でかいた。

 別に女騎士たちも落としたくて落としてるわけではない。

 女の子が勝手に堕ちていくのだから仕方がない。ちくしょう。


「はいはい、そーいうのは後回しでもいいから、取り敢えず皆で湯船に浸かろうか? このままじゃ風邪ひいちゃうよ?」


 褐色の肌のターニャが、共同風呂に髪をかきあげながら入ってきた。


 ◇


 特別宿舎とはいえ、たった十四人の住人のために薪代がかかる共同風呂を常に使えるわけでもなく、湯を沸かし利用できるのは七日に一度であった。

 そんな共同風呂、モーリィは今まで一度も利用したことがない。

 前々からミレーに一緒に入ろうと誘われてはいたのだが、ある理由から気が進まず断り続けていた。

 流石にずっと断るのもミレーに悪いと思い、ターニャに悩みを相談してみたところ。


『あら、いいじゃない? ミレーとは二人っきりではないんだろう? え、やっぱり恥ずかしいって? 仕方ないね、それじゃターニャが一緒に付き合ってあげるよ』


 逆に、にこやかに笑うターニャに逃げ道を閉ざされる結果となった。


 女になってからというもの、モーリィは常に自室の水風呂を利用していた。

 それは他の女性の裸を見ることに対して罪悪感があったからではない。

 自分の体を彼女たちに見られることが本当に恥ずかしかったからだ。


 華奢でほっそりとしているの肢体なのに、反比例するような豊かすぎる胸。


 生まれついての女ではないせいか、モーリィには自分の体が不自然で歪に感じるのだ。


 ターニャの丸みを帯びたふっくらとした女性らしい体。

 ミレーの今はまだ薄いが均整のとれた女の子らしい体。

 二人の体はとても自然で、とても柔らかく美しく感じる。


 女騎士に至っては――


「モーリィ、また乙女メスの顔してるし……」

「はっ!?」

「ねえ、前々から思っていたのだけど、モーリィさん的には女騎士さんたちがツボなの? ツボなのかしら? ねえ、腹筋なの? 割れた腹筋がいいのかしら!?」

「え、ええっと……それは、どうなのでしょうか?」

「私も気合入れれば腹筋割ることができるのよ!? ふんっ!!」

「え、うそ、ほんとだ、凄い!?」


 四人だけで入るには広すぎる湯船である。

 お湯をバシャバシャしながら、ぎゃーぎゃー騒ぐ二人をよそに、ターニャは湯船からザパッと立ちあがる。

 湯が彼女の肩や乳房を伝って石造りの床に流れ落ちた。

 ターニャは自分の肩を撫でながらモーリィに声をかける。


「モーリィ、楽しんでるところを済まないのだけど、前みたいに私の背中を流してくれるかい?」

「はい、いいですよ。あ、交代で私の背中もお願いしますね」

「あいよ、あれからどれだけ成長したか体の方もしっかり見てあげるよ」

「やめてくださいよ、ターニャさん。二か月ではそれほど体型は変わりませんから」


 うふふと楽しそうに笑うターニャに、モーリィも自然と笑顔になる。

 そんな仲の良い姉妹のような雰囲気の二人の間に割って入ってきたのは、またしてもミレーであった。


「え、え、前みたいにって、どういうことですかターニャさん? ま、まさか二人は禁断のかん……」

「この娘はいきなり変なこと言うんじゃないのっ!」


 妄想チカラを展開しようとしたミレーに対し、ターニャは手刀を作るとエイッと彼女の頭に軽く落とす。

 相変わらずのミレーにモーリィの笑みは引きつったものへと変わった。

 結局ミレーの強い要望で四人で輪を組んで背中を流すことになった。


 モーリィ>ターニャ>女騎士>ミレー>モーリィといった並び。


 そこまでいくのにひと悶着。


 モーリィは女騎士の隣だと奥様ウットリで乙女メス堕ちしてしまうから、それだけは絶対ダメとミレーからお達しがあった。

 ミレー以外の三人は、もう何でもいいので寒いしサッサと背中流しましょう、であった。


「ふふふっ、モーリィの背中~細~い、きゃー横乳っ! 横乳が凄いっ凄いっ!!」

「あ、うん、よろしくねミレー……ええっと、ターニャさん背中流しますね」

「はいはい、頼むよ、それじゃ女騎士様は私がお背中をお流ししますね」


 女騎士は肩越しにサムズアップ。

 そしてミレーの小柄な背中を布でごしごしと擦りだした。

 他の三人もそれぞれの背中を擦りだす。

 ミレーは変なことは一切せず、むしろ宝石を扱うような丁寧さと熱心さでモーリィの背中を洗ってくれる。


 安心したモーリィは、ターニャの女性的な背中を流すことに集中することにした。


 彼女の褐色の肌は張りがあって、同時に母性的な柔らかさがあった。

 同じ女でも骨ばった自分の体とはこんなにも違うものかと、ターニャの背中を見ながら不思議に感じるモーリィ。


 聖女になった最初の頃は、ターニャの裸体を見る度に情欲と罪悪感を覚えていたものだが、今はそれらの感情は全くない。

 慣れだろうか……人間は環境で変わっていく生き物だとモーリィは実感する。

 問題はモーリィがはっきりと分かる違いは女の体だけで、心はどう変化したのか把握できないことだ。


 そんなことを考えていたらターニャの背中をすっかりと流し終えていた。


 背中の流し合いも終わり、モーリィが自分の髪を洗おうすると。


「ねね、私にやらせて?」


 ミレーからそう言ってきたので、ありがたくお願いすることにした。

 長い銀髪を手に取ると、ミレーは梳くようにサラサラと洗っていく。

 

「わ~モーリィの髪って絹糸みたいよね。白銀色で本当に綺麗!」

「そうかなぁ? この髪の色って何か不気味じゃない?」 

「そんなことないわよ~。お月様みたいにキラキラしてて凄く素敵よ。私の髪なんてありふれた茶色だからモーリィの髪が本当に羨ましいわ」

「そうなのかぁ……でも私はミレーの髪の色のほうが好きかな……お日様みたいに温かくて、見ているだけで心が落ちつくからね」

「……………………」


 ミレーに頭を洗ってもらうことがあまりにも気持ちよく、モーリィは心に浮かんだそのままを口にする。

 するとミレーは突然動きを止めて沈黙した。

 不思議に思って振りかえると彼女の顔は湯にのぼせたように真っ赤であった。


「ミレーどうしたの?」

「うー! モーリィてばずるい……女になっても以前と変わらずに人たらし!!」

「人たらし……は、はい?」


 モーリィはいきなり怒りだしたミレーに困惑した。


 助けを求めるようにターニャと女騎士を見れば、彼女たちもミレーの言葉にウンウン頷いている。

 どうやらモーリィが悪いようだ。

 女の身に変わったとはいえ、女の心は中々に複雑で簡単には理解出来ないものだと、心の中でため息をつくモーリィであった。


 お礼にミレーの髪を洗ってあげた。


 その背中は薄く子供のような体つきに見えるが腰周りなどは十分に女らしい。

 男の時のモーリィなら興奮しただろうが、しかし今は情欲は湧かずただ美しいとだけ感じる。

 ミレーのショートボブの髪はやや猫っ毛気味だった。

 柔らかい髪質は触っていて気持ちよく、それを伝えると「整えるの結構大変なのよー」と困ったような嬉しいような、そんな口調で言われた。


 再び湯船に浸かる。


 湯の温かさがじんじんと体に染み込んでいく。

 ぼんやりとしたランプの明かりに照らされる湯気が、薄暗い風呂を幽玄的かつ幻想的な雰囲気へと変えていく。

 天井からぽたりぽたりと落ちる水滴。

 湯船に浮かぶたゆたう人の影。

 不快ではない高い反響音。

 高い位置の換気窓から、逃げだす蒸気の合間に星々が見え隠れする。

 

 それらのすべてが心地よく、普段の疲れが溶けていくようだと、モーリィは深い安堵のため息をもらした。


 そこでモーリィはふと気づく。

 先ほどから女騎士が、外の様子をしきりに気にしているようだと。


「……え?」


 モーリィも気になり耳を澄ましてみれば、風呂の水音に混じって爆発するような音や悲鳴が微かに聞こえた。


「しかし、こうして並んでみると、やっぱりモーリィのは凄い……」

「あ、うん……?」

「くぅ、ここまで差があると妬ましさも感じないわね……!」


 外窓から、外の様子を見ようとしたところでミレーに捕まった。

 彼女はモーリィの腕に抱きつくように身を寄せると、自分の胸と見比べてしみじみ呟いた。

 モーリィとしては自分で育てたわけでもなく、聖女となってもれなくついてきたオマケ・・・なのでなんとも返答のしようがない。


 なだらかに膨らむミレーと、手で押さえていないと湯に浮かぶモーリィ。


 並べてみると差は一目瞭然。

 ともあれミレーの胸が小さいわけではなくモーリィの胸が豊かすぎるのだ。

 この場にいる四人の中でも一番大きく、彼女のほっそりとした体と相まって激しく自己主張をしていた。

 モーリィの背丈は女性としては高いほうだったので、まだ違和感なく見えるが、ミレーほど小柄だったら悪目立ちしていただろう。


 四人は風呂場から出ることにした。


 脱衣場に向かう途中、壁の外でカサッと鳴る音をモーリィは確かに聞いた。

 再び気になったモーリィは外窓に近づき、水滴を吸い変色している窓の下枠に手を乗せつかむと、ヨイショと腕力だけで体を引きあげ外の様子を眺めた。

 夜の月明かりに照らされた薄闇の風景にしばらく目を凝らしたが、特別宿舎の裏側に植えられた黒々とした木々が見えるだけで他には何もない。


 ――何だろう……治療で嗅ぎ慣れた……そう血の匂いがするような? 


 匂いの元を辿ろうとしたところでターニャに呼ばれ、モーリィは気になりながらも最後に正面の地面を見て床に降り立った。

 

 ◇◇


 特別宿舎の正面門。


 ミレーとターニャをモーリィと女騎士が並んで見送る。

 夜空には雲一つない満天の星空。

 月明かりが薄っすらと辺りを照らしている。

 ターニャとミレーの住居は街の中でも砦関係者用の区域で、砦からそれほどの距離は歩かないので、ランプを使わなくても帰るまでの視界は確保できるだろう。


「モーリィ、次のお風呂もまた一緒に入りましょうねっ!」

「うん、わかったよミレー、また一緒にね」

「ふふっ、それじゃあね、おやすみモーリィ、失礼しますね女騎士様」


 大きく手を振るミレーと、腰を軽く曲げて会釈をするターニャ。

 モーリィと女騎士も手をあげて別れの挨拶をした。


「あ、次も一緒にって……?」


 しばらく見送って、二人がいなくなってからモーリィは気がついた。

 共同風呂は嫌なはずだったのに、次もミレーと一緒に入る約束を交わしていた。

 本当に自然に迷うことなく約束していたのだ

 モーリィが自身のそんな心境の変化について考えていると、背後から規則正しい複数の足音が近づいてくる。


 モーリィと女騎士が振り向くと、騎士ルドルフが何故か特別宿舎の方角から歩いてきていた。


 ルドルフは左手に縄を持ち、その先には十人以上の男たちが、手首と腰を縄で縛られて一列に並べられ連行されていた。

 それは闇の森捜索で一緒に過ごした特殊班の騎士たちであった。


 状況がまったくもって意味不明で困惑するモーリィ。


 ルドルフ以外は全員酷くボロボロで草だらけの汚い外套をまとっていた。

 何事もないように横を通りすぎるルドルフが、いつもの真面目な顔で敬礼する。

 女騎士も敬礼を返しモーリィもつられて小さい仕草で敬礼した。


 後ろで連行されていた騎士トーマスも横を通りすぎる際に、悪ガキのような笑みを浮かべながら器用に敬礼する。

 何となくいい加減でだらしない。

 他の騎士たちも、得意げな顔で次々と敬礼をしていく。


 騎士ライトが最後尾にいた。


 モーリィが彼に声をかけて事情を聞こうとすれば、惚れ惚れするような男臭い笑顔で綺麗な敬礼をされた。

 ライトの服は薄闇でもわかるほど血塗れになっている。

 しかし自信に満ちた彼の表情と、その足取りからは不安になる要素は何一つも見当たらなかった。


 結局なにも聞けずに、モーリィは騎士たち広い背中を見送った。


「いったい……あの人たち、何していたんだろう?」


 首を傾げて独り言のように呟けば、何故か女騎士に頭をナデナデされた。

 モーリィが共同風呂に入った初めての夜はこうして過ぎていったのだ。

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