子守と井戸端会議

 聖女モーリィは魔王ちゃんことカエデに懐かれていた。


 カエデが治療部屋の扉をゆっくりと開き、隙間から室内の様子をしばらく覗いたあと、恐る恐る中に入ってきた。

 短い首をきょろきょろと動かし、作業机で薬作りをしているモーリィを見つけると満面の笑みを浮かべ「聖女っ、聖女っ」と駆け寄ってくる。

 モーリィは薬草を作業机の上に置き、苦笑しながらもカエデを迎えた。


「聖女っ、あたし、ふかふかした~い!」


 椅子に座る聖女の膝に、小さな両手を置いて要求するカエデ。

 ゆさゆさと揺する仕草は見た目相応で愛らしく、砦の騎士たちを指先一つで瀕死にできる戦闘力の持ち主とは到底思えない。


「はいはい、膝の上においでカエデちゃん」


 モーリィはカエデの両脇に手を入れて「よいしょっ」と持ちあげると太ももの上に向き合う形で座らせた。

 すかさずモーリィの胸に抱きつくとカエデは満足そうに顔を埋める。

 たわわに深く沈む幼女の顔。

 モーリィは子犬のようにグリグリとしてくる頭を、優しく手で押さえてゆっくりと背中を撫でてあげた。

 カエデの動きは段々と緩やかになっていき、やがてスースーと静かに眠りだした。

 治療室にいたミレーが、モーリィの胸に抱かれるカエデを覗き込む。


「ふふっ、そうしているとモーリィとカエデって本当の母娘みたい」

「もう、勘弁してよミレー」


 ミレーはモーリィが闇の森捜索で砦を留守にしてる間に、カエデとかなり親しくなっていたらしく、お互いを名前で呼び合う仲になっていた。

 まだ名前で呼んでもらったことのないモーリィとしては、少しだけ悔しい気持ちである。


「それにモーリィも楽しそう?」

「そうかな……?」


 微笑むミレーに指摘をされ、モーリィは内心焦った。

 最近はこうしてゆったりと、カエデと二人で穏やかに日々を過ごすのも悪くはないかと思っていたのだ。

 田舎の農村出身のモーリィの将来の夢は、田舎暮らしの自給自足のスローライフである。


「モーリィって子供好きだし、家庭を持つのも悪くないと思うの?」

「うん?」

「ねぇモーリィ、いっそのこと私と結婚してみない?」

「……へっ、結婚!?」


 いつにない真剣な雰囲気に、モーリィはドキドキしながらミレーを見つめてしまう。

 するとミレーは、目を細め悪戯っ子のような笑顔を浮かべた。

 冗談だった……?

 モーリィは少しだけ残念な気持ちで、しかし同時に安堵してため息をついた。


「あんまり、からかわないでよ」

「あら、からかってないわよ。本当にモーリィにはお母さん・・・・が似合うと思うの」

「ミ、ミレー!?」


 その言葉にモーリィはミレーを二度見してしまう。

 彼女は真顔であった。

 どうやらモーリィが安堵するのは、まだ早かったようだ。


「例えば、例えばねモーリィ? 小さい赤い屋根の可愛いお家で、娘と二人で私の帰りを待っていてくれるモーリィ。仕事を終えクタクタになって家に戻ってくる私。迎えてくれるモーリィと優しい娘。ふふっ、私はそれだけで元気になれるの……ええ、例えばの話よ?」

「ミレー……」


 ミレーの例え話は、やけに具体的であった。

 

「そして始まる家族の団欒。甘えん坊の娘は私の膝の上に座りたがるわ。お食事中はいけませんとモーリィ。まあまあいいじゃないかと宥める私。結局優しいモーリィは許可するんだけど……うん、分かってる分かっているのモーリィ、本当は可愛い嫉妬なのよね? ふふっ、ふふふっ、本当に可愛いよモーリィ」

「あの、ミレーさん?」


 ミレーは自分の体を両腕で抱きしめると腰をクネクネしだす。

 モーリィは恐怖する。

 ミレーは以前見た乙女メスの顔をしていた。


「そうして夜はふけて二人だけの大人の時間。昼間は貞淑な母であり妻であるモーリィも寝室ではこんなに甘えて、こんなに乱れて……ふふふっ、おふふふふふふっ……」

「くぅ……もう、手遅れか……」


 モーリィの声はミレーには届かない。

 ミレーは遠い世界へと旅立ってしまった。

 時折ビクンビクンと体を震わせている。

 彼女から漏れる言葉から察するに、妄想の中では聖女は性女にされて、夜の大乱闘をしている真っ最中らしい。

 モーリィが部屋の隅に視線を向けると、困った時の女騎士は我関せずで、無常にも腕を組み静かに目を閉じていた。


「はぁ……」


 モーリィの口から悲痛なため息がこぼれる。

 ミレーは治療部屋に復帰してからというもの、妄想に入り浸って戻ってこなくなることが時々ある。

 以前から夢見がちなところはあったが、冒険者になってから悪化してしまったようなのだ。

 原因は恐らく、過酷な冒険者生活をしてきたことによる後遺症。

 ミレーは、そのときの辛い記憶を誤魔化すために妄想の世界へと逃げこんでしまうのだ。

 モーリィの知っていた太陽のように朗らかで明るい少女は、残念で可哀想なお花畑のような子になっていた。


「ごめん、本当にごめんよミレー!!」


 モーリィは治癒士としての自分の無力さが悔しくて、拳をぎゅっと握り締めた。

 体の傷を治せても心の傷は治せない……!!

 ミレーの病気・・を治療することは聖女モーリィの癒しの奇跡をもってしても不可能だったのだ。


「モーリィ! 私ね! 私ねっ! 子供は三人ほど欲しいわっ!!」


 ミレーは唐突に叫んだ。

 こちら側に戻ってきたのか判断しかねる言葉である。


 ――女同士では子供は作れません……というか、どちらが生む予定ですか?


 モーリィは失くしてしまったかけがえのないものに対して黙祷するかのように目を閉じた。

 そして魔王ちゃんの柔らかい体を抱いたまま、最近よくできる眉間のしわを指で揉み解すのであった。


 ◇


 時間は過ぎて夕刻近く。


 あの後、ミレーはこちらの世界に戻ってこれなかった。

 エヘエヘと呟くミレーを椅子に誘導する。

 とても素敵な彼女の笑顔に心が痛む。

 寝たままのカエデを抱っこして、扉に外出中の看板をかけると、後ろ髪引かれる気持ちながら治療部屋を後にした。


 砦の井戸端会議へと向かうために、モーリィは女騎士と一緒に歩きだす。

 カエデを迎えにくる魔王様ほごしゃはこの時間には砦街にいる。

 たいてい井戸端会議に参加しているのだが、いつもそこでカエデを渡してお別れするのだ。


 凸凹している石畳の道をしばらく歩いていくと、砦と街を隔てる巨大な正門と井戸端会議の会議場である広場が見える。

 詰所前にいる門番の砦騎士に会釈をして、門の端に寄って通り抜けた。

 この時間、巨大な門の周辺は砦街の周辺任務に出ていた騎士達が戻ってきたり、食料や資材の搬入をする荷馬車が慌ただしく通って混雑している。


 砦の井戸端会場は砦正門のすぐ外、中央に噴水のある大広場。


 砦の外のため砦勤めのご年配のご婦人方だけではなく、たまにくる女騎士イケメン狙いの若い娘やご婦人方も数多く参加していた。

 ご婦人方それぞれが手に持つ食材の入った買い物かごは、井戸端会議のいかにもな風情を感じさせる。

 その中に違和感なく紛れ込んでいることが、すでに違和感の作務衣姿の魔族女性……異形の美貌を持つ魔王様がいた。


「あれ……?」


 モーリィはその魔王様の後ろに、いつもは見かけない女性がいることに気がついた。

 人族にはいない炎のような色合いの髪、そしてわずかに先端の尖った耳から魔族であることは分かる。


「あの人はカエデちゃんのお母さん……かな?」


 隣を歩く女騎士に尋ねるように顔を向けたが、分からないとばかりに肩をすくめられた。

 その魔族女性は髪をひっつめて結上げ、ご年配のご婦人方が好んで着るような地味で野暮ったい服を着ている。

 カエデの母親だとしても、以前見た時とはかなりかけ離れた印象だ。


 ようするに凄く若い見た目の美女だけど、凄くオバハンくさい格好をした女性だった。


「う、う~ん……」


 モーリィは唸りながら何故か田舎の母親オバハンのことを思いだす。

 少しだけ懐かしくなり、そろそろ手紙でも書こうかと一考した。


 二人は井戸端会議場に着くと、集まっている女性たちにいつものように挨拶をする。

 始まる社交辞令に笑顔で答えて、お世辞を返すモーリィ。

 女騎士は、早速若い女性たちに囲まれている。

 貴公子然として、さり気なく捌く仕草は洗練されていて、モーリィが見習いたいくらいにおんな前であった。


「やあやあ、モーリィちゃん」

「こんにちは魔王様」


 いつも通り緩い笑顔を浮かべる魔王様にも、にっこりと挨拶。

 周りから浮いている魔族女性にも軽く微笑んで会釈をし、カエデを抱いたまま会話の輪に入ろうとしたところで呼び止められた。


「ま、待て、聖女モーリィ!! 何故、私を無視しようとする!?」

「あ!? あの……やはりカエデちゃんのお母さんでしたか?」


 彼女は不思議そうで、そしてどこか不安げな表情を作る。


「え、うん? 前に一度、会って話したはずだが? 砦のほうにカエデを迎えにいったときにだが……」

「ええっと……はい、もちろん覚えています。ただあのですね……大変失礼ながら、以前お会いしたときの印象から、そのような素敵な・・・装いをされる方には見えなかったもので……申し訳ありません、カエデちゃんのお母さんとは確信が持てなかったものですから……」


 モーリィはなにか事情がありそうだと思いながら、彼女を傷つけないよう当たり障りのない言葉で誤魔化そうとする。

 しかし彼女は凛とした美貌を情けなく崩した。


「やはり、その……この格好は変なのか?」


 モーリィはどう答えていいのか分からず曖昧な微笑みアルカイックスマイルを浮かべた。

 極上の美貌と女王のような気品高い雰囲気を持ちながら、着ているのは流行遅れのばば服。

 人見知りをしない砦町の活発な女性たちとは言え、違和感ありすぎて誰も彼女には話しかけられなかったのだろう。

 モーリィにも分かる。

 極端すぎて、知り合いでもなければ色々な意味で話しかけづらい。

 それで自分でもおかしいと不安を感じていたのだろう。


「あ、カエデちゃんをお渡ししますね……」


 モーリィが寝ているカエデを差し出そうとすると、彼女は片目をつむり形の良い唇に指を当てシーという仕草をした。

 本人が意識しているかは不明だが、モーリィが一瞬見惚れるくらいに魅惑的であった。


 どうやらカエデをまだ預っていて欲しいようだ。


「そういえば名乗っていなかったな聖女モーリィ。私の名は焔……ホムラだ」

「はい、ホムラさんですね? あ、私のことはただのモーリィでお願いできますか?」

「ふむ、そうか、承知したモーリィ」


 ホムラ……彼女の名前はカエデと同じ不思議な響きがあった。

 モーリィはついでに気になったことを聞いてみた。


「あの、ところでホムラさん。なぜそのようなご格好をなさっているのですか?」

「うん、この集まりにお母様に誘われ、参加するのに相応しい装いを街にいる知り合いに相談してみたら、この衣装を渡されたのだが……やはり、おかしいのか?」

「う、うーん。おかしいというか、ホムラさんは人目を引くご容姿なので、その……地味すぎて逆に悪目立ちしているかもしれませんね」

「や、やはり、この恰好はおかしいのか?」


 ホムラは落ちこんだ顔をする。

 出会いの印象で感情の起伏が少なそうな女性かと思えば意外と表情豊かである。

 そして本物の美人さんは、どんな表情でも美人さんなのだとモーリィは密かに感心した。


「すいません。でも前の格好のほうが似合っているかと思います」

「そうか、そうなのか、なかなか難しいものだな市井の装いという物は……」


 ばば服を着た魔族の美女は、腕を組んであごに手を当て真面目な様子で頷いた。

 そういうことではないのだが何かがズレている……。

 モーリィは、ホムラは間違いなく緩い魔王様の血を引いてると実感する。


 そこで何気なく見た魔王様は、ご年配のご婦人方と会話してヘラヘラ笑っていて、美貌に似合わないはずの地味な作務衣が驚くほどよく似合っていた。


 ――この母娘は本当に血が繋がっているのだろうか?


 モーリィはカエデを抱っこしたまま井戸端会議に参加した。

 ホムラはモーリィと話したことにより、他人を寄せ付けない雰囲気が薄まったのか、若いご婦人方や娘たちにつかまり質問攻めにされている。


 彼女たちは少しでもホムラの美の秘密に近づこうと、肉食の獣のように貪欲であった。


 もう一人の天上の美貌を持つ魔王様の話は全く参考にならないからだ。

 今まで経験したことのない砦街の女性たちの遠慮のなさに、流石の女王ホムラもどう対応していいか分からず聖女モーリィに助けてくれと視線を送った。


 だがモーリィも、ご年配のご婦人方に捕まっていたのだ。


「モーリィちゃん、最近ますます綺麗になったんじゃない?」

「そうねぇ胸が急に立派になって体つきも女らしくなってきたわよね」

「本当ねぇ、美人で気立ても良いし気が利くし、将来良いお嫁さんになるわぁ」

「今時の子にしては料理も上手だし、うちの娘にも見習わせたいくらいだわ」

「子供の面倒見も本当にいいしね。いいお母さんにもなるわねぇ」

「モーリィちゃんをお嫁さんにできる旦那様は天下一の幸せ者だわ」

「ねね、私の知り合いに良い人がいるんだけど、モーリィちゃんどうかしら?」

「あら、それなら私の甥とかもどう? 紹介するわよ?」

「うふふふー、アタシのお嫁さんになって毎日膝枕しながら頭ナデナデしてくれるのはどうかしら? 三食昼寝つきで苔盆栽もつけるわよモーリィちゃん?」


 モーリィはご婦人方の怒涛の勢いに一言も口を挟めず、いつの間にやらお見合いの話を押し進められそうになっていた。

 街の未婚の男衆に聖女モーリィはかなりの人気らしく、お見合いの申し出が沢山あるのだとか。

 モーリィは清楚に微笑みながら心の中で泣きそうになった。


 やはり街の住人には、最初に来たときから女だと認識されていたらしい。


 そしてモーリィはこの手口を知っている。

 多人数による褒め殺しで判断力を低下させ強引にお見合い勧める、まさにそれは手慣れた囲いの技であった。

 世話好きのご婦人オバハン方はこうして何人ものうら若き乙女を夫人へとジョブチェンジさせる。

 そうやって毎年自分たちの仲間をゾンビのように増やし、新たな生贄おとめを探し出すのだ。


 それとどうでもいいことだが、意味不明なことを言っている魔王様に、モーリィは少しイラっとした。


「だーめっ! あたしが聖女のお嫁さんになるの!!」


 そんなモーリィに窮地を救ってくれたのは、抱っこされていた魔王カエデちゃんであった。

 いつの間にか目を覚ましていたらしく、モーリィの服をギュッとつかみ、周りのご婦人方を威嚇するように宣言してくれた。


 愛らしい花嫁の登場にご婦人方も「あらあらまあまあうふふ~」と微笑んだ。

 それはまさしく天の救いである。

 カエデのおかげで上手くお見合いの話を逸らすことができそうだ。

 モーリィは心から感謝する。


 ありがとう私の天使カエデ様、後でナデナデしてあげる。


 ところが、ヘラヘラしていた魔王様が、突然いらぬことを幼女に聞いた。


「カエデちゃん、御婆ちゃんは~?」

「うーん……御婆ちゃんのお嫁さんにもなってあげるっ!」

「うふふふふー、悪いわねモーリィちゃん」

「ええぇぇっ!」


 モーリィは声をあげた。

 折角お見合い話が有耶無耶になりかけていたのに、この流れで再度勧められたのでは堪ったものではない。

 モーリィの焦りをよそに魔王様は再び孫娘に尋ねる。


「カエデちゃん、お母さんはどうするのかしら~?」

「お母さんのお嫁さんにもなるー!」


 カエデは短い腕を振りあげながら元気よく答えた。

 モーリィは若いご婦人方や娘たちに囲まれているホムラを見た。

 彼女はカエデの発言に対してすまし顔をしているが、よく見ると美麗な鼻がスピスピと動いている。

 内心では満更でもないらしい。


 普段は緩いくせに、意外と詰めは甘くない魔王様が更に質問した。


「では、三人の中で誰が一番好きなのかしらー?」


 モーリィは咄嗟に自分の胸部装甲たわわをカエデの体に強く押し付けた。

 豊かで重厚な乳がふにゃっと潰れる。

 男ならばそれだけで『何でも買ってあげる!』とか『お願いします!』と口走ってしまうほどの極上の柔肉であった。

 モーリィが女としての武器たわわを使うのは生まれて初めてだ。

 しかしこの胃が痛くなる状況を切り抜けるためなら、使えるものは何でも使う所存であった。

 カエデはフカフカでたわわな感触に「うふーっ」と声を出して大喜び。


「みんな大好き! 三人ともお嫁さんになってあげるっ!!」


 そう言ってカエデはモーリィに思いっきり抱きついたのだ。


「うふふっ、その年で逆ハーとは、わが孫ながらやるわね」


 魔王様はよく分からないことを言うと緩い顔のままにっこり。

 うふーうふーと抱きついて来るカエデの小さな体は柔らかくて、温かくて、良い匂いがして、モーリィに不思議な安心感をもたらしてくれた。


 このあとに妄想世界からの奇跡の生還を果たしたミレーが、遅れながらも参戦してご婦人方の見合い話を頼もしくも一刀両断してくれた。

 そして、モーリィはミレーとカエデの二人で共有されることになったようだ。

 なりたいものが旦那様とお嫁さんだったので、話が落ちついたのだとか。


 聖女モーリィはただただ、苦笑いをするのであった。

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