魔王ちゃん その1
時刻は早朝。
モーリィは騎士団長に呼びだされ、女騎士と執務室に向かっていた。
細かい砂利を固めただけの砦の外周通路。
モーリィより頭半分は背が高い女騎士、歩幅の違いがあるのに二人して並んで歩けるのは、彼女がさり気無く歩調を合わせてくれているからだ。その気遣いが女性にモテる秘訣だろうか?
夜の霧が辺りに薄っすらと残り通路の脇に生える草木などを露でしっとりと濡らしている。朝特有の心躍る空気、普段のモーリィならば風景を楽しみながらゆっくりと歩いていただろう。
その行動をミレーは年寄りみたいだと言うのだが、田舎の出でのモーリィにとって砦街の人々の行動は忙しくて騒がしく、あまりにも目まぐるしい。
砦は広大な敷地を高い外壁で囲っており、その中にはいくつかの行政や騎士団の施設、住居用の建屋などが点在している。砦という名称ではあるが人口密度を考えると大きな村と言える規模だろう。砦のほぼ中央に位置する治療部屋から執務室がある行政施設の建屋には、散歩できる程度には距離がある。
騎士団長に呼ばれた理由は、モーリィに心当たりがなかった
護衛の女騎士も当然一緒だ。男色家(仮定)と密室で二人っきりになるような無謀な勇気をモーリィは持ち合わせてはいない、女の身になったとはいえお尻の貞操と元男としての誇りは大事である。
そこでモーリィは思う、それは年頃の女性としても正しいことではないかと?
彼女は女の身になってからというもの、この手の疑問を抱くことがよくあるのだが、どうにもズレがあるように思えてならない。
野外修練場の方角から爆発音。しばらくして魔力の残滓をモーリィは感じとる。
おそらく魔王ちゃんだろう、今日も彼女は砦に来ているらしい。
最近の騎士達は聖女の治癒能力のおかげで酷い怪我を負っても直ぐに回復する。そのため魔王ちゃんも遠慮なく遊び……ではなく襲撃に来るのだ。
モーリィとしては治療が本来の仕事なので不満はないのだが、通常の業務と化している騎士達のための回復薬作りが遅れるのが少々痛かった。
モーリィ達が砂利から石畳へと変わった通路を歩いていると、近くで爆発音と多くの悲鳴が聞こえてきた。女騎士が異変に気付いて立ち止まり、モーリィもつられて足を止めたが視線を向けた時にはもう遅かった。
彼女たちのすぐ傍でも爆発がおきたのだ。
強い閃光と大きな破壊音。
モーリィの目は眩み一時的に音が聞こえなくなった。
次に回復したモーリィの目が捉えたのは、飛んでくる瓦礫といくつかの物体。
胸部装甲に飛び込んでくる小さな影と重い衝撃。
吹き飛ばされ空を自由に飛んでいる騎士達。
モーリィを抱きよせ覆い被り、背中を盾にして守る女騎士の意外と柔らかい胸の感触……だった。
唐突に音が止み辺りは不気味なほどの静寂に包まれる。
焼け焦げる臭い。プスプスという空気の抜けるような音、モーリィの乳房を押しつぶすように強くしがみつく、うーうーという泣き声。
モーリィは胸の中の小さい人影を片手で抱きしめたまま恐々と顔を上げる。
すると自分達を抱き庇う、女騎士の凛々しい横顔がすぐ間近にあった。
その真剣で
――はっ! 何で
白銀色の髪と空色の瞳を持つ聖女は我に返る。そして……。
――あ、あれ、このドキドキは正しいのかしら?
聖女は再び困惑の渦に。
作中で散々と
女騎士=ごりらと呼称しだしたのは騎士トーマスであるが、理由は彼が美人に手を出すのは男の義務と考える人種であることから察していただきたい。
そのような男装の麗人達でありながら、
女になったモーリィにズレた疑問が多いのは、砦の困った面々にも問題があるのは確かだ。
モーリィは赤面した顔を誤魔化すように口に手を当てて咳払いをすると、自分の胸元にしがみついている、ちっこい赤い髪の生き物を見た。
そこにいたのは
地面にはいくつもの穴が開き、焦げ臭い匂いと共に煙が立ちこめていた。
建屋の壁も所々が破壊され崩れかけている。周辺には瓦礫と共に黒こげになった騎士達が死屍累々、その光景は
朝の風景を楽しむ散歩は終了したようだ。
取り敢えずモーリィがするべきことは騎士達の治療だが、まずは胸の谷間に抱きついてる魔王ちゃんを何とかしなければならない。
魔王ちゃんは最近モーリィの知人になった魔族女性の孫娘だ。
彼女とは井戸端会議で知り合って以来仲良くしてもらっていが、会うたび会うたびにお菓子やら苔盆栽やら色々と貰っている。そんな彼女は田舎の近所の
『モーリィちゃん飴玉なめる~?』
年配のご婦人方はいつも飴玉を大量に持っているのだが、普段どこに常備しているのだろう、モーリィも年を取れば習得できる技能なのだろうか?
そんな謎はともかく魔王ちゃんの起こした面倒事を片付けるのは、魔族女性への普段の恩返し程度にはなるはずだ、そう考えるモーリィ。しかし騎士達の治療を開始しようにも魔王ちゃんは胸にしがみつき一向に離れようとはしない。
聖女と魔王ちゃんは顔見知り程度でそれほど親しい仲ではないのだが、騎士達が余程怖かったのか、少しでも知っている人のそばがいいらしい。
モーリィは心底呆れる。
いつもながら、砦の騎士達は子供相手にも本当に大人げがない、頑丈さが取り柄なのだから魔法攻撃の
常人なら一発で即死する魔法攻撃に対して、素でそのように思考した聖女モーリィは、本人も気づかぬ間に砦の
魔王ちゃんは無理に引き離そうとすると『うーうー』言いながらぷるぷると震えて、最終的にはモーリィの
女騎士と騒ぎを聞きつけ集まって来た人達に手伝ってもらい、目の前まで倒れている騎士達を引きずってきてもらう。その手際の良さときたら、これを商売として毎日しておりますと言っても通じそうだ。流石は砦といったところである。
女騎士が気を利かせて太い紐を持って来てくれたので、モーリィは幼女と自分の体に巻きつけ抱っこ紐の替わりにした。田舎でも近所の子供達の面倒を頼まれることが何故か多かったので、彼女はこの手の支度は早くできる。
そこでモーリィは思い出す『やっぱり女の子のほうが子守は上手ねぇ』とか、近所のご婦人方がよく言っていた気がするが、何かおかしくないだろうか。
魔王ちゃんの体をあやすように揺すりながら、騎士達の治療を手早く行っていく。手で患者の体に触りパンパンするだけで済むので、このような大量の治療が必要な時は聖女の力は優秀だ。
そんなモーリィを見て周りの者達が何かヒソヒソと話をしていたが、聖女になってからというもの、注目されることに慣れてしまった彼女は気にも留めない。
砦と街を隔てる正門近くに建てられた、砦街の全管理などを行う行政施設。
その一室、砦街の長が使うにしては広くはない執務室。
地味な色合いの壁紙に最低限の家具しか設置されておらず、仕事部屋とはいえ生活臭というものがまったく感じられない空間。ただ、部屋に置かれている数少ない品は、全て高級で落ちついた趣味の良さそうな物だ。
モーリィは魔王ちゃんを抱いたまま部屋のソファーに深く座っていた。
「ははっ、あまりの違和感の無さにどこの若妻かと思ったぞモーリィ?」
胸に抱きつく幼女より、
ローテーブルを挟んだ対面のソファーに座るのは騎士団長。
三十代前後の体格の良い美丈夫、首筋にかかる長さの金色の髪を後ろに流し、悠々としている姿には気品と漂うような色気。
どうしようもなく胡散臭いが見た目はいい男。
あるいはこういうタイプが、宮廷の麗しい貴婦人方の間ではミステリアスとか言われ持て囃されるのだろうか、モーリィには理解しがたい世界だ。
治療を終えた後、起きてくれない魔王ちゃんを放っておくことも出来ず、モーリィは仕方なく抱っこしたままこの部屋に来た。それを指摘して質問するならまだしも、笑えない冗談を言ってからかうのは流石にどうだろう?
第一、朝の
「そんな事を言うために私を呼び出したのですか?」
「おおっと、これは失礼した。とはいえ頼もうとした事はもうこなしているな」
「はい……?」
「話と言うのはその娘の事だよ」
騎士団長は、戸惑うモーリィに胸にしがみつくように眠る魔王ちゃんを指差す。
モーリィの顔に疑問が浮かぶ、一体どういうことだろうか?
だが、騎士団長は全く違う話をしだした。
「まずは、モーリィ。君が聖女になってからというもの砦の人的被害は驚くほど減った。ほぼ零だ。本当にその事については感謝している」
「え、あ、はい、どういたしまして?」
突然に褒められ目を丸くするモーリィ。
この男が人を褒めるのは珍しい、大体そういう時は何か裏がある場合なのだが今回は本気で感謝しているようだ。だからこそ余計に不気味である。
「だが逆に砦の建造物などに被害が増えている。理由は言わなくても分かるね?」
「あー……」
モーリィは騎士団長のその問い掛けに、自分の胸元の魔王ちゃんを見た。
真っ赤な炎のような色合いの髪に万年雪のような肌。幼いながらも整ったその顔立ちは、将来は凄い美女になるだろうと予想できる。
「まあ、その修繕費用については彼女のご祖母様から援助……ではなく善意の寄付があるので問題は全くないのだがね。ただ何度も砦の修繕を行い、王都の方から痛くもない腹を探られるのも正直面白くない」
「ええ、まあ、そうでしょうね……」
騎士団長はモーリィの隣に座る女騎士にチラリと視線を向ける。
貴公子然とした男装の騎士はそ知らぬ顔。
そんなやり取りには気づかずモーリィは思考していた。
魔王ちゃんのご祖母様……要するに本物の魔王、砦の長が魔の国の王と独自に繋がりを持っているのは普通に考えて問題では?
色々ときな臭い話になりそうでモーリィとしては面倒事は遠慮したいのだが、そのような話題を振ってきた騎士団長の魂胆は不明で触れないようにした。
砦に来てから二年余、藪は突つかない方がいいということを身に染みて実感してきたのだから。
たった二年で、元農民の自分は大分汚れてしまったとモーリィは悲しくなった。
「そういうわけで君に頼みたい事なのだがね」
「はい、なんでしょうか?」
「君にはその魔王ちゃんとやらの子守をやってもらおうかと考えている」
「えぇ?」
予想もしない騎士団長の頼み事にモーリィは困惑の声。
「彼女は友人、もしくは兄や姉的な存在が欲しいのではないかと思うのだよ」
「友人……そのためにわざわざ砦に?」
「彼女のご祖母様から聞いた話を推測するとそうなるかな」
「襲撃も遊びといえば、そうなのかもしれませんが……」
モーリィは魔王ちゃんの寝顔を見ながら、彼女が頻繁に砦に来る理由を考える。その間は無意識に髪を整えるように撫でてしまう。
騎士団長はその様子を感心したように眺めながら話を続ける。
「まあ、他にもあるだろうが大元はそれだ。そこでモーリィ、彼女が砦にいる間は君が付き添ってやって欲しい。そうすれば怪我人も出ないし砦も破壊されない、彼女にも友人が出来るし万々歳だ」
「そんな、突然に子守役を押し付けられても困りますよ……?」
「ほう、その割には中々に手慣れているようだし、その子も君に懐いているように見えるが?」
騎士団長の茶化すような言葉に、幼女を撫でていた手にハッと気がつき、更にニヤニヤとしている騎士団長の視線にモーリィは怫然とした表情を浮かべてしまう。
モーリィの気持ちも知らず、魔王ちゃんはムニャムニャ言いながら寝ぼけつつ顔を手で擦る。こうして見ると魔王ではなく天使だろう。
モーリィは無駄だろうけど一応聞いておこうと思った。
「あの、質問なのですが、この子を砦に来させないようにすることは出来ないのですか?」
「ははっ、ない、それだけは絶対にないな」
「……どうしてですか?」
「そんな楽な解決方法では非常につまらないではないか?」
どうせ下らない理由だろうと思ったらやはりそうだ。
この男は突発的な事態の場合、本当に必要な案件以外は
逆に言えば今回の件は、それほど深刻ではないということだ。
そしてこの場合は、何かを企んでいるか、もしくは何も考えていないか……モーリィの今までの経験からして今回は後者の可能性の方が高そうである。
今の段階では、まだモーリィに断る選択肢があるように思えるが実際には違う、放置すると大抵は碌でもない結果になり後始末に追われるのだ。
結局のところモーリィが執務室に来た時点で頼みを聞くという選択以外は消えていた。最もそれらの事情がなくても根が真面目な彼女は文句を言っても断りはしなかっただろうが。
聖女モーリィは、魔王ちゃんの子守役を引き受けたのである。
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