IV 誤り

「雨、降り始めましたね・・・」

金属に雨の跳ねる音が響いた。科学が発達した未来でも自然の現象は変わらない。

少しでも濡れないように博士と俺は建物の陰に入ったが、レイトはずっと雨に打たれたまま立ち尽くしていた。

「全部錆びて朽ちていけばいいのに」

レイトの頬は涙が伝っているように見えた。

雨はだんだんと強くなっていく。

レイトは機械だから寒さを感じないのだろうか。ブロンズ色の髪が雨に濡れて暗く滲んでいった。

「早くこっちに!」レイトの手を無理やり引っ張った。硬い手は機械特有の生暖かさがあった。

「ごめん、タオル無くて」

俺は脱いだTシャツで軽くレイトを拭いた。

水で濡れたままだと本当に錆びてしまうと思った。間近で見ると羨ましいくらいに男前な顔立ちだ。長い睫毛も色白の肌も造られたものとは思えないほどに人間味があって繊細。

「ありガとう・・・」レイトは弱々しくそう言った。

「生きやすい場所って一体どこなんだろうな」博士がレイトに言った。

「感情の赴くまま生きようとしても、この世界じゃそれも不自由だってことにはもう気づいているんだろ?」

レイトは黙って頷いた。

自由に生きようとすることが、反対に自分を苦しめていく。自由の意味が分からなくて人間の感情を研究していたレイトの辿り着く先には何も希望は見出せなかった。

道に迷えば手を差し伸べる人がいて、辛いことは半分にして支え合えるような仲間は居ない。

雨に濡れた道に作業をしていたロボットが足を滑らせた。運悪く腕が反対に曲がってしまった。塗装が剥がれてしまった。それでも立ち上がってまた歩き出した。


「腕が壊れれば取り替えればいい。燃料が切れればタンクに補給すればいい。でも、心が壊れればワタシはどうしたらいいんでしょうか。取り替えることも満たすことも出来ないこの心はジャマ・・・」

レイトの声はさっきまでの流暢な日本語とは打って代わり、無機質な声で語った。


「ハヤセも研究者だったんだろう?君が良ければ吾輩の────」

「・・・ッッざけんな、ふざけんな!」

博士の言葉を遮りレイトは感情を剥き出しにして叫んだ。

「お前たちのような人間が私を創った。誰も望んでない、望まれていないワタシを。何を好んでそんな奴の下で働くと思います?」

瞳の奥が赤く点滅している。レイトの動きが不自然だ。

「あなた方に会えて良かった。

過去の人に逢えて・・・・・・・・・」


落ち着けよ──と言いたいが声が出ない。

「人間が、嫌いだ。」

レイトの視線が冷たい。

「この世界が、ワタシを生んだ世界が

────大っ嫌いだ」

一体何を考えている。壊れた?これは誤作動?急な展開でついていけない。


レイトはゆっくり博士に近づいていった。

創造主、神様・・・つまり研究者にレイトは恨みを持っている。直感だが半分は当たりだった。レイトには冷静さが欠けていた。感情の赴くまま、もはや目的の為だけに動くロボットのようだ。

止めようとしたが、思いの外力強く簡単に払われた。

「日辻、何にもしなくていいぞ」

博士は落ち着いていた。何でそんなに余裕があるんだよ。レイトに押し倒されれば確実に博士は敗ける。レイトの力に勝てるはずがないじゃないか。

「やめろおおお!」

思い切ってレイトに向かってダイブした。レイトはそれを察知して素早く俺を弾き飛ばして壁に打ち付けた。鈍い音が鳴り天と地がぎゅいんと曲がった。

「ごめんネ・・・ハヤセ・・・」

レイトの固い両手が俺の首を強く絞めた。

「俺は・・・ハヤセじゃ・・・ない!」

息が出来ない振り払えない。情けない声が漏れるだけだ。

「だから、何もしなくていいって言っただろ?」

苦しむ俺を目の前にしても博士は落ち着いている。


ミケット博士・・・早くたすけて・・・

掠れた息が漏れる。このままじゃ死んでしまう。未来で死んだらどうなるんだろう。イザナイに連れられ、あの世に来て、海翔や仲里さんと出会って、ミケット博士に未来まで来るまでの出来事が走馬灯のようにかけめぐった。

そう言えばイザナイがはじめ何か言っていたような──


“きみの命をボクが四十九日間預かることについての登録だよ。それによって、君はボクが手を下さない限りは死ねないし、事故にあっても死なない。いわゆる不死身状態だよ。”


──あ、俺死ねないんだった。


そう思った途端、レイトの力が一気に緩んだ。


「日辻、自分から襲われに行ってどうする」

と博士は呆れたように言った。

レイトは博士によって一時停止されていた。

「そんなことが出来るんだったら早くやってくださいよ!!」

「そうしようとしたら君がいきなり飛びかかったんじゃないか!!」


余計なことをしたのは俺だ。レイトは電池が切れたおもちゃのように固まっていた。

「レイト、どうしますか?」

「記憶をとりあえずDELETE《削除》しないとな・・・」

「全部ですか?」

仕方あるまいと博士は言った。

人間に対して恨みを持っているままだとこの先さらに危ない。俺が殺されかけたように、他の人間にも被害が及ぶかもしれない。

『ごめんネ・・・ハヤセ・・・』

レイトは震えた声で言っていた。

ハヤセはレイトにとって大切な人だったと思う。デリートするということはその記憶も失くしてしまう。



腕が壊れれば取り替えればいい。燃料が切れればタンクに補給すればいい。

──じゃあ、苦しい記憶は消してしまえばいい?過去も今も記憶から消してしまえば辛くないのか。苦しさから、生きづらさから開放されるのか。そこから得たものが本当の居場所なんだろうか。


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