第1話

 茶道部の合宿は6泊7日。春休みをの一週間の期間を用いて行われているようです。宿泊先は律子の父親が所有している別荘。私たちの家族が、先祖代々受け継いできた無人島に最近建てられた、そこそこリッチな木造住宅です。

 この島には幼少期に何度か訪れたことがあるので、多少の馴染みがあります。石一つ見当たらないさらさらの砂浜、可愛らしい仕草で心を癒してくれる野生のウサギたち、ほどよい数の木々が作り出す心地よい日陰。律子と一緒にここで遊んだ輝かしい思い出は、わたしを恍惚とさせるものでした。

 お父さんが数年早く生まれていれば、わたしの所有物になっていたかもしれないのは、悔やんでも悔やみきれません。


「送ってくれてありがとう、パパ!」


 律子が笑顔を浮かべながら手を振っています。この年でいまだに父親をパパと呼んでしまうような女の子は、若干ファザコンの疑惑ありですね。

 わたしたち一同をビーチにぽつんと置き去りにした船は、向こう岸の陸地へ向かって少しずつ縮小していき、とうとう見えなくなってしまいました。


「誰も忘れ物はしていないか?」


 くるりと振り向き、面倒見がいい律子はわたしたちにそう尋ねます。


「大丈夫だよ」


 真っ先に答えたのは、わたしと同じクラスの瀬高志乃せだかしの

 彼女は周囲の雰囲気をまったく考慮せずに自分の意見を先んじて口走ってしまう、なんというか、オブラートに包んであまり考えずに行動する人というか……まあ、側から見ればかなり自己中心的な人です。クラス会議を行うときは、自分の意見は嬉々と述べるが、他者の反論には聞く耳持たずな人です。

 ですが、これは性格の悪さゆえに生じる事象ではないとわたしは思います。彼女の疎い……じゃなくて、常人と比べて少しユニークな思考が周りの状況を正確に認識できないので、ついつい無意識に軽率な行動を取ってしまっているのでしょう。

 普段は、怪我した子をすぐさまに保健室へ連れて行ってあげるような、心優しい子ですからね……もしかしたら、それを口実に授業をさぼっていただけなのかもしれませんが。


「美々、お前は大丈夫か?」

「うん……」


 瀬高さんの傍らで話し合っている二名は、短パンとTシャツ、そしてベースボールキャップを決め込んだ、さばさばとした表情の雉岡きじおか奈々ななと、ゴスロリスカートを風に靡かせている、おとなしそうな顔つきの雉岡美々みみです。

 同一の名字から察せられるように、彼女たちは姉妹です。正確に言うと、双子。隣のクラスの子から聞いた噂によると美々さんのほうが数分年上とのことですが、常にお姉ちゃん面をさげているのは妹の奈々さんの方らしく、身長も奈々さんが僅かに上です。まあ、両者の背丈はわたしの胸元までしか届かないので、どんぐりの背比べのようなものですが。

 一応、二卵性らしいのですが、口調、服装、性格などの違いがなければ、わたしにはどちらが奈々さんでどちらが美々さんなのかわからなくなってしまうでしょう。それほどまでに瓜二つです。

 しかし、先ほど少し触れたように、彼女たちには決定的な違いがありました。それは天と地ほどの差がある人格です。わたしが実際に目撃したわけではないので、本当かどうかはわかりませんが、どうやら子ウサギのように無垢でおとなしい美々さんと違って、奈々さんはとんでもない問題児らしいのです。路地裏で薬を売っていたのを見たやら、ゲーセンの前で不良と喧嘩していたのを見たやら、渋谷のラブホに年配の男性と一緒に入っていったのを見たやらと、学校では彼女に関する芳しくない噂が常に蔓延っています。


「よし、出発するぞ。重くて持てない物があれば手伝うから言ってくれ」


 律子が高らかにそう宣言しました。

 か弱いわたしは寝袋、非常食、衣服などでぱんぱんに詰まった、ぶっといリュックサックに少々苦戦していますが、ここにある荷物の中で、最も重そうなクーラーと三つのスポーツバッグを提げている律子に手伝ってもらうのは少し気が引けます。

 他の子たちもそう思っていたのか、それともわたしほど筋力が衰えていないのか、誰も律子に助けを請いませんでした。


***


 ビーチから別荘までは徒歩10分。かなりお手軽な距離です。

 とはいえ、この島は30分もあれば一周できてしまうほど小さいので、よほどの遠回りでもしない限り、何処へでもすぐにたどりつけます。まあ、どこへ行っても森と海ぐらいしかありませんけどね。


 人間社会から離れた場所だけあって、森の中では様々な野生動物の姿がうかがえます。別荘へと続く道の途中、左右前後からは様々な野鳥が奏でるコーラスが響き渡り、それにパーカッションを合わせているかのようにぶんぶんと羽音を立てているスズメ蜂が、わたしたちの頭上を飛び周ります。

 そして、そのうちの一匹がピタッとわたしの鼻先に着地。思わず「ひっ」と素っ頓狂な声を漏らしてしまいました。幸は動いたらダメだよと注意してくれましたが、眼球に向けられた鋭い針が放つ恐怖におののいていて動けそうもないので心配ありません。

 しばらく経つと、蜂はぶんぶんと何事もなかったかのように再びどこかへ飛んでいってくれました。心臓が破裂するかと思った……。わたしはほっと安堵の息を漏らしました。ここは都会っ子のわたしには少々きつい環境なので、早く安心安全なインドアに戻りたいものです。


 今度はがさがさと近くの茂みが揺れ動きました。これが俗に言う一難去ってまた一難とやらでしょうか。いつでも迅速に逃げられるようにと、わたしは身構えますが、幸いなことに揺れた茂みから颯爽と飛び出したのは野ウサギの家族でした。大きめの親ウサギが二羽、そしてぬいぐるみのような容姿の三羽の子ウサギです。可愛い可愛いと周囲の子たちがざわついています。


 そしてもうしばらく歩くと、ようやく別荘にたどり着きました。

 律子が扉を鍵で開くと、他の子たちは真っ先に水着を取り出して荷物を居間にぽいと雑に放り込み、着替えを始めました。泳ぐ気満々ですね。

 しかし、海についたらすぐに泳ぐのが当然という考えはどうかと思います。

 わたしは列車の長旅に参っており、少し休憩を挟みたい気分なのです。というわけで、海でのサーフィンではなく、室内でのネットサーフィンをスマホで楽しみま――あっ。

 繋がらないみたいです。田舎を甘く見ていました……。


「スイカ割りでもするか?」

「賛成!」

「いいぜ、でも俺が先手な!」


 律子の問いかけに、瀬高さんと奈々さんは意気揚々と返事をします。

 みなさん、元気ありすぎ。若いっていいですよね、同い年だけど。


「氷花先輩、これ塗った? お肌きれいだから、傷つかないようにしたほうがいいと思うよ」


 隣で着替えている幸は、日焼け止めクリームのチューブをわたしに差し出しました。

 自分で言うのも難ですが、引きこもり気味なわたしの肌はまるで漂白されたように真っ白です。確かに、幸の言う通り日焼け止めは必須でしょう。

 でも、日焼け止めならわたしも持ってきているので大丈夫――ではなかったみたいです。バッグの中には入っていません。家に忘れてきてしまったようです。近頃のわたしは本当に何かが抜けているように感じます。魂とか。


「ごめん。やっぱり、自分のをちゃんと持ってるよね。うち、余計なお世話だったかも」


 なかなか返事をしないわたしを見てその結論に至ったのか、幸はしゅんと肩を竦め、日焼け止めを自分のハンドバッッグに戻そうとします。


「あ、いえ。実は持ち合わせがないので助かります」

「そうなんだ。良かった……」


 胸を撫で下ろす幸。

 忘れてきたのは、別に良いことではないんですけどね。

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