第20話 アダ名


 昨日は計八体、内一体は新種という過去最大の防衛戦の繰り広げたにも関わらず、今日もいつも通りの授業が行われている。

 日常と非日常の緩急が激しすぎて、頭を切り替えるのに時間がかかるなぁ。


 今日の二時限は国語なのだが、漢字の美しい書き方を覚える、ということで習字をやることになった。

 まさか高校の授業に習字が入ってくるとは思わなかったが、葉月の学校では普通にあるらしい。


 大きいわら半紙を床に敷き、硯を擦って墨を作る。

 うわー懐かしいな、この独特な匂い。

 習字なんて小学校以来だよ。


 それから黒板に貼られたお手本を参考に、止めと跳ねを気にしながら『色即是空』と書いていく。

 ……北欧神話の神様が仏教用語を書かせるって、宗教的にオーケーなのかな……?


 ちなみにヴァルキリー先生の今回の衣装は、下が黒で上が白の袴着だ。

 習字の先生が大きい筆で書くときはだいたいこのスタイルだから、多分正装のようなものなんだろうな。


 凛と張り詰めた空気感から、合気道の達人にも見える。

 赤いヒモで袖を上げ、肩近くまでまくり上げているのがチャームポイントだろうか。

 普段は見えない二の腕が露わになっていて、なんかドキッとするな。


「うーん……。どうしよっかな……」


 珍しいことに、宮瀬が腕を組んで悩んでいる。

 習字で悩むことなんてあるんだろうかと思い、横から覗き込む。


『ヴァルっち』

『ヴァルちゃん』

『キリー先生』


 などなど、お手本とは全く関係のない文字が所狭しと書かれている。


「……なにやってんの、宮瀬?」

「んー? いやね、ちょうど良い機会だからヴァルキリー先生の愛称を決めたいなって思ってさ。ほら、長いし地味に呼びづらいじゃん?」


 何がちょうど良いのかはサッパリだが、確かに呼び慣れない長さだ。


「犬飼はどれが良いと思う?」

「えっ!? じゃあ……『ヴァル先生』に一票で」

「……ちょっと、せめてアタシが書いたのから選んでよ。うー、でも悔しいかな、それが一番しっくり来るかも。ヨシ、他の二人にも聞いてみよう!」


 集中している葉月と大道寺を無理矢理呼び寄せ、ヴァルキリー先生の愛称について投票を行う。

 ……それにしても、習字の時間に愛称を決めて書くなんて、まるで小学生だな……。


 ほぼ一瞬で満場一致に決まった結果は――。


「ヴァルキリー先生! アタシたちはこれから先生のことを、『ヴァル先生』って呼ぶことにしました!」


 宮瀬はわら半紙にデカデカとその愛称を書き、『勝訴』のようにバッと広げて見せつける。


 授業中になにをしているの。

 ……そう怒られると思って身をすくめていたが、それを見たヴァルキリー先生は、


「……えぇ、構わないわ……」


 初めて笑顔を――見間違いかと思うほど微かに――浮かべていた。

 断られると思っていただけに、僕らは間抜けな顔になって互いの顔を見合わせる。


「えっと、それじゃあ……ヴァル先生?」

「何かしら? 犬飼 剣梧」


 いつも通りに応えてくれる、ヴァル先生。

 なんとも不思議な感覚だ。


 先生をやっている理由は分からないが、仮にも神様だ。

 近寄りがたくて遠い存在だと思っていたのに、たった三文字縮まっただけでグンと近付けたような気がする。


「ヨシ、じゃあアタシたちも、そろそろアダ名で呼び合おうっか? 名字で呼び合うのも、なんだか他人行儀でイヤなんだよね」

「あっ、私も賛成です」


 意外なことに、最初に賛成の手を上げたのは葉月だった。

 自分の過去はまだ話せないと言っていたが、仲良くなりたいという気持ちはお互いにあるようだ。

 葉月からも、その内聞けるかも知れない。


「まずは犬飼から決めよっか? そうね……」


 三人は探偵のように顎に手を添えて悩み始めるが、全くもってイヤな予感しかしない。


「うん、絶対にケンケンね」

「ロボが良いと思いますよ。狼王ロボ」

「ゴン太でいんじゃね?」


 ちくしょう。

 案の定、犬の名前オンリーじゃねーか。


「頼むから犬から離れてくれよ……」


 僕は半泣きでお願いする。

 小中高とアダ名がポチだのハチだのと犬縛りだっただけに、ほとんどトラウマなんだ。


「じゃあ……犬飼で」

「ごめんなさい、犬飼以外浮かばないです」

「いっそ猫飼でいんじゃね?」


 最後のは無視するとして、もう一度悩んで出した結論がそれだなんて……。

 名字のインパクトが強すぎて、犬以外のアダ名すらないのか。

 とことん普通だなぁ、僕……。


「じゃあ次はアタシかな? ピッタリなのをヨロシクね」


 宮瀬にピッタリなアダ名?

 僕らは同じように顎に手を添えて悩んだ後、思い思いのイメージを口にする。


「キックの悪魔?」

「えーっと、雷様とかどうでしょう?」

「獣人サンダーしか無いだろ」


 誰一人として元の名前が残っていなかった。

 僕とは逆に、個性が強すぎるが故の弊害か。


「アンタら……アタシをなんだと思ってるのよ……?」


 宮瀬の怒りを代弁するように、靴がバチバチと放電し始める。

 マズイ。割と本気で怒ってる。


「じゃ、じゃあ、宮瀬 綺花だから……キッカーとかどうかな?」

「えー……? なんか、サッカー選手っぽくてヤなんですけど……」

「うーん、前と同じで宮瀬の方がいいかな?」

「あー、もう! だからアンタはダメ犬なのよ! ……その、せめて下の名前で呼んでよ……」


 よく分からない理由でまたダメ犬扱いされてしまった。

 けど靴の放電は収まっているから、怒ってはいないようだ。


「じゃあ……綺花」

「お、おぉう……。な、なんか急にそう呼ばれるとビクッとなるね」


 宮瀬は照れ恥ずかしそうだが、満更でもない顔だった。


「よーし! 俺も俺も! これからも宜しく頼むよ……綺花!」


 謎の決め顔で名前を言う大道寺。


「……なんか、イラッとした。次、下の名前で呼んだら、マジ蹴るよ?」

「えぇー!? 酷くないか、それ!?」


 結局、大道寺が綺花と呼ぶことにオッケーは出なかった。

 ……まぁ、気持ちはすごく分かるけどな……。


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