下校

 その日最後の授業を終えるチャイムが鳴り、周りの生徒がバラバラと散り始める。

 俺も必要な荷物をまとめ、鞄に仕舞った。

 「涼、部活は?」

 「今日は顔出していこうかな。部長が一局打ちたいって言ってたし」

 「そうか、じゃあお先に」

 涼は将棋部なのだが、基本自由参加なので気まぐれで顔を出す。盤に向き合ってる時間が好きだとかで割と頻繁に参加している。

 ちなみに部員は五十人を超えるらしい。その八割はなぜか女子らしいが。

 俺は鞄を持って立ち上がる。

 「靖人―。帰ろ」

 その姿を見た陽菜が声を掛かけてきた。

 涼は将棋部、翔太は委員会活動でなにかと忙しい、冬華と奈津も毎日部活があるので、おのずと帰宅部の俺と陽菜の二人で帰ることが多い。

 「おう、帰るか」

 そう言って俺たちは教室を後にする。廊下を歩き階段を降り、下駄箱に着いて靴を履き替えていると、陽菜と一緒にいた人物も靴を履き替え始めた。

 「ん? 冬華も帰るのか? 部活は?」

 冬華は教室から陽菜と一緒だったが、そのまま部活に行くものだと思っていた。

 「私、今日は自主練だからもう帰るの」

 「ふーん。珍しいな」

 「あー、確かに滅多にあることじゃないんだけどね。急遽台本が変更になったから、その部分の台詞覚えなおさないとだし、帰って読み込まなくちゃ」

 「学園祭近いのに演劇部も大変だな」

 うちの高校の学園祭は、十月の体育の日を絡めた日月で行われる。今からだと、もう一ヶ月も残っていない。残された期間で完成させるには、本当に重労働だと思った。

 「ねえねえ陽菜。私、駅前のスタパ寄って帰りたい!」

 「いいね! たまにはゆっくりしていこ!」

 台詞覚えるために早く帰るんじゃないのかよ、と思いつつも、俺は女子トークで盛り上がる二人の後ろを黙って歩いた。


 学校から駅までは徒歩で大体二十分。緩くて長い坂道をひたすらに下って歩くことになる。自転車通学は認められているが、朝にこの長い坂道を上ってくることになるので、その移動手段を使用するものはほんの僅かしかいなかった。自転車を使うのは、トレーニングと称して利用している奈津とか、そういった運動部の連中が多い気がする。

 坂道を下りて少し歩くと駅前にある路線バスのロータリーが見える。その周りにはコンビニや飲食店が数多く並んでいて、この時間は学生の利用客が多い。


 ロータリーに差し掛かると、陽菜が思い出したように鞄の中を探り始めた。

 「あれ? ない……うーん…………やっぱりない!」

 「陽菜、どうしたの?」

 冬華が心配そうに声をかける。

 「どうしよう! スマホ学校に忘れてきちゃったかも……」

 「え? ヤバいじゃん! 早く取りに行かないと!」

 「机の中かなー? 無いと困るし取りに行ってくる!」

 陽菜は向きを変え走り出した。すると少し走って動きを止め、こちらを振り返る。

 「ごめーん! 先帰っててー!」

 そう言って陽菜はまた走り出した。

 「なんだ陽菜の奴、なんか用事でもあったのか?」

 陽菜の姿を見送りながら俺は言う。

 「え? 今スマホ取りに行くって言ってたじゃん」

 「あれは嘘だろ。徒歩二十分の距離で、誰と会話してようが最低スマホを五回は開くような奴だぞ。駅までスマホが無いことに気付かないとかあり得ない」

 「いや、でもほら! 私と久々に帰れるからテンション上がってたのかもしれないし!」

 「朝はいつも一緒に登校してるのに、下校はテンション上がるもんなのか?」

 「むー。もうそんな細かいことどうでもいいじゃん。それよりもほら、行こ行こ」

 冬華は俺の後ろに回り、背中を押し始めた。そのまま駅とは少し反れた方向へ誘導される。これは明らかにスタパの方向だった。

 「ちょっと待て。あれって俺もカウントに入ってたのか?」

 「もちろん。話聞いてたでしょ?」

 「まあ、聞いてたけど俺は遠慮するよ」

 すると冬華は俺の背中を押すのを辞めた。

 「なんで!? いつも帰り遅いからたまには寄り道して行ったっていいじゃん!」

 「いや、行くのは構わんが、俺は遠慮するって。あそこちょっと高いんだよ……」

 「まあまあ、ここは私が奢るからさー。たまには付き合ってよ」

 冬華は顔の前で手を合わせ、やや上目使いで言った。俺は少しだけ考え、ため息をつく。

 「はあ……分かった、付き合うよ。冬華が奢ってでも行きたいって事はよっぽどなんだろうし」

 俺は諦めて自分の力で歩き始める。

 「ちょっと待って! 私って普段そんなにケチに見えるの!?」

 「いや、ケチっていうか、冬華は浪費家じゃないだろ。いつも無駄な出費はしないイメージあるから、人に奢ってでも行きたいんだろうなと思って」

 「う……まあ、そうなんだけど…………」

 冬華は急にしおらしく言った。その姿を余所目に俺は先に店に入る。


 店内を見回すと、そんなに席は埋まって無かった。まばらに居る客の大半は大学生で、同じ高校の生徒は一組しかいない。他の店や、隣駅の大きい駅ビルに流れているんだろう。

 店内は程よく冷房が利いていて、日差しを浴びた身体を冷ますには丁度良かった。俺はレジに進み注文をする。

 「アイスコーヒー、ショートで一つ。冬華は?」

 「えーっと、私はアイスホワイトモカのグランデで」

 「合計で760円になります」

 俺は財布から千円札を取り出し店員に渡す。

 「あ、私の分、あとで渡すね」

 「いいよ。俺の奢りで」

 お釣りを受け取り、受け渡し口へ移動する。

 「私から誘ったんだし、さすがに自分の分は出すよ」

 冬華は俺に500円玉を差し出した。

 「いや、いいって。今回だけだけどな」

 俺はその手を押しのける。

 「えー、だったらもっと安いやつにしたのにー」

 「そう言うと思ったから先に言わなかった」

 「もう! 本当にそういうところ……ズルイんだから……」

 そう言いながら、冬華は手に持っていた500円玉を財布に仕舞った。


 俺たちは窓際のカウンター席の端に二人並んで座った。冬華は手に取った飲み物を飲んでご満悦のようだ。

 「そういえば学園祭、うちのクラスの出し物何やるの? 私は部活の方があるから、クラス活動は免除されてて何やってるか分からないんだよね」

 「イライラ棒」

 「…………?」

 冬華は困惑した表情で顔を傾げた。

 「銅線二本でコースを作って、その間を鉄の棒で銅線に触れないように進めていくゲーム」

 「それがイライラ棒って言うの?」

 「俺も詳しいわけじゃないんだけど、十数年前にテレビの企画で流行ってたみたいなんだよ。一般人の参加者募って、クリアしたら100万円の賞金が与えられたらしい」

 「100万円!?」

 「クラスの出し物では賞金も景品も無いけどな。多分アレは誰もクリア出来ない」

 「え? もう完成してるの?」

 「夏休み中にほとんど完成させた。なんか小学生の自由研究を思い出したよ……」

 実際、自由研究で作られる例もあるそうだが、針金で作るような小型のものではなく、俺たちが作ったのはTVで使われていたのを再現したような大型なものだった。

 「へえー、全然知らなかった。それらしきものは見たこと無いんだけど、それはどこに置いてあるの?」

 「科学部の部室だな。もともとは科学部の企画だったらしいんだけど、あそこは部長が翔太だからな。科学部との合同企画として引っ張ってきたらしい」

 「ほう。手抜きですな、岩城の奴」

 「いや、でも作成や演出、小道具の準備とかの人事配置は翔太一人で切り盛りしてたからな。俺は作成班だったけど機材とかの関係上、科学部の協力は必須だった。それに、他の皆も与えられた役割を快く指示に従って動いてる。本当にクラスまとめるのが上手いよ、アイツは」

 「そういえば、体育祭の時も頑張ってたよね。出場種目とかもすぐ決まってたし」

 「そうだな。あいつほどクラス委員長に向いてる奴は見たことない」

 「えー、それは過大評価のような気もするなー。普段はバカばっかりやってるし」

 「バカやってるのは仕様だよ。そうやって目立つことやりながら周囲の反応を観察してるんだ。その反応で個々の性格や特徴を捉えて把握してるから、こういった場面で本人に合った役割を与えられる」

 「なに……その荒業……メンタリストかなんかなのアイツ……」

 「もちろんそれだけじゃないけどな。一番本人を知ることは直接会話することだろうし。バカやっての観察は、あくまで参考の一つとしてだろうな」

 「えっと……なんだろ……あんまり今の話聞きたくなかったかな…………なんか、凄い個人情報握られてる感じがする……」

 「実際、ただバカやってるだけのことが多いから大丈夫だろ」


 「………………」


 そしてお互い、少しの沈黙が流れる。暫くして冬華はポツリと呟くように言った。

 「でもさ……岩城のそういうトコに気付く靖人も凄いね……」

 「翔太ほどの器量はないよ」

 「違うの。そういうことじゃないの。何て言うのかな……靖人も人の事良く見てる。良く見てるんだけど、特にその人のいいところばっかり見てるような気がするんだよね」

 「別にそんなことないよ。普通に悪いところも目に付くし」

 「でも靖人、人の悪口なんて言わないじゃん」

 「うーん……確かに陰口は叩かないかな……本人居ないところで言ったってしょうがないし。悪いところがあるなら、直接言わないと意味ないからな。それよりも相手のい良いところ尊重した方が、自分にとっても成長材料になるだろ」

 「それが簡単に出来ないから靖人は凄いんだよ。正直、さっきの岩城の話は、私は全部プラスとして受け取れない。それがいいところであっても、付随するマイナス部分をどうしても考えちゃう。皆が皆、靖人みたいだったらこの世に争いなんて起こらないと思う」

 「それこそ過大評価だな」

 「そうかもね……でも、そういう風に映っちゃうもんなんだよ」

 「なんの話だ?」

 「こっちの話」

そう言って冬華はストローをくわえたまま、しばらくボーっと窓の外を眺めていた。


 「あ! そうだ! 陽菜が今日も告白されたの知ってるよね? あれ鈴木大輔だったらしいんだよね」

 「ああ、『大輔のほう』ね」

 中学時代は同学年に『鈴木』も『雄太』も数名いた。その中で彼だけが「おーい鈴木―。あ、違う違う、お前じゃなくて大輔のほう」という流れから、『大輔のほう』と呼ばれるようになっていた。高校に入ってからは同じ学校に居ながら接点が無いので、現在どのように呼ばれているか少し気になるところではある。

 「そうそう『大輔のほう』。陽菜さ、彼のこと初対面だと思ってたらしくて、相当なショックを与えちゃったらしいよー」

 「いつものあれか。男性記憶抹消症候群」

 「え……そんな物騒な名前付いてたの?」

 「自分で言ってたぞ」

 「まあ、話聞いた時は再度『大輔のほう』の記憶抹消されてたけどね……私が特長聞いて特定したわけだし」

 「それはなんか可哀想だな……」

 「ねえ、靖人は相変わらず陽菜が他の男子に告白されても気にならないわけ?」

 「気にする理由が無いな」

 「でも陽菜が誰かの恋人になっちゃったりしたら、そっちばっかりになって靖人は遊んでもらえなくなっちゃうかもよ」

 「それだと俺が一方的に陽菜に遊んでもらってるみたいな言い方だな……どっちかっていうと俺が付き合ってやってるつもりなんだが。まあ、それについても前々から言ってるように、陽菜は別に俺の物じゃないんだから、誰とどうしようが一向に構わん」

 「じゃあ、さ…………私が靖人の物になるってのは……どうかな?」

 俺は言葉の意味をすぐ理解できなかった。少し考えてから答える。

 「……いや、無理だろ」

 「無理!? 無理ってどういうこと!?」

 「冬華が俺の幼馴染になりたいとかそういうことじゃないのか?」

 昼に翔太が言っていた事の様な気がしたが、どうやら違っていたようだ。

 「あー、ごめん。私の言い方が悪かったわ。まあ、初めから伝わるとは思ってなかたけど……」


 冬華は飲み物を一口飲んでカップをテーブルに置き、大きく息を吸い込んだ。

 「私はね、靖人の事が好きなの。もちろん、友達としてじゃなくて特別な人として。だから、私も靖人の特別になりたい」

 冬華の表情は、今までに見たことないくらい真剣な表情だった。その眼差しは、真っ直ぐ俺の目を見ている。俺は何故だか、その眼差しから目を逸らしてしまった。

 「それって告白?」

 「そう、告白。恥ずかしいからいちいち確認しないで!」

 「そうか。産まれて初めて告白された」

 「告白と分かって出てくる第一声がソレ!?」

 「えーっと……じゃあ何て言えばいいんだ…………ごめんなさい?」

 「もー! 私の振り絞った勇気を無駄にしないで! 台無し!」

 「でも俺は冬華の『好き』に応えるだけの感情を持ち合わせていない。冬華の事は、そこまで言える程好きじゃない」

 「ああ……もう言い方…………分かってたけど、なんか改まって言われると軽く凹むなあ……はあ……私は別に今すぐ答えが欲しいわけじゃないの。私の気持ちを知った上で、少しずつでいいから私の事をもっと知ってほしい。もっと私を好きになってほしいの」

 「なるほど。それは具体的にはどうすればいいんだ?」

 「そうね……とりあえず二人だけの時間が欲しいかな。今までは陽菜や宇佐美くんが一緒だったから、こうやって二人きりで話す機会って今までほとんどなかったし。学園祭終わるまではちょっと無理だけど、学園祭以降は来年度まで部活動あんまりやらないから、時間取れると思う。そしたらいっぱい遊んで欲しいな!」

 「自分で言うのもアレだけど、俺はたいてい暇してるから、時間の都合はつけられるかな。冬華との約束は優先するようにはするよ」

 「お! 私の事、ちょっとでも好きになってくれる気持ちがあると思ってもいいのかなー?」

 「いや、別に俺は恋愛感情に無関心なわけじゃないんだよ。ただ『好き』の感情が分からない。どうやったら誰かを好きになれるのかが分からない。とりあえずどうしたらいいかすらも分からない。だから冬華がそれを教えてくれるのなら、知りたいと思う気持ちは十分にあるよ」

 「へえ、思ってたより前向きなんだね」

 「知らないことは可能な限り知っておいた方がいい」

 「さすが学年トップの向上心は違うね。私はそこにあやかって精々努力させて頂きますか」

 冬華は両手を上へ伸ばし、うーんと伸びをした。

 「でも正直、俺がこの先その感情をどういう風に捉えていくか全く見当がつかない。もしかしたら、冬華が望んでいる答えを出せないかもしれないけど、それでもいいのか?」

 「靖人が納得して出した答えなら、私はなんでも受け止めるつもりでいるよ」

 「そうか……今日の返事はいつか必ず。だから、それまで待っていてくれ」

 「私の事、ちゃんと考えてくれるのはすごい嬉しいよ。いつか答え……聞かせてね」

 そう言った冬華は穏やかな表情で笑った。

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