その他の人たち

楚漢動乱の人

陳嬰   最古の世説新語 

突然話をしん末にすっ飛ばそう。

マジか。いくらなんでも

すっ飛ばし過ぎじゃねえか。


東陽とうように、陳嬰ちんえいという人がいた。

若いころから徳にあふれる

振る舞いで有名であり、

郷里の人びとからの称賛を受けていた。


さて、秦末。大動乱の時代である。

東陽の人たちは陳嬰を奉じ、

決起したい、と考えた。


これに反対したのが母親である。


「いけません!


 母はこの陳家に嫁いできて以来、

 貧乏暮らしでおりました。

 しかし、それでよいのです。


 迂闊に地位を手に入れてしまえば、

 悪いことしか起きません!


 兵を率いるのは良い。

 だが、主にはならず、

 誰かのもとにつきなさい。


 さすれば、主が勝利すれば

 ご相伴にあずかれるでしょう。


 そして、敗北した時の報いは、

 誰か別の者に振り掛かるのです」




陳嬰者,東陽人。少脩德行,箸稱鄉黨。秦末大亂,東陽人欲奉嬰為主,母曰:「不可!自我為汝家婦,少見貧賤,一旦富貴,不祥!不如以兵屬人:事成,少受其利;不成,禍有所歸。」


陳嬰なる者は東陽の人なり。少なきに德行を脩め、鄉黨に箸しく稱えらる。秦末の大亂にて、東陽人は嬰を奉じ主に為さんと欲せど、母は曰く:「不可なり! 我れ、汝が家の婦と為りてより、少きに貧賤なるを見たり。一旦の富貴は不祥なり! 兵を以て人に屬したるに如かず。事成らば、少しきは其の利を受けん。成らずば、禍は歸せる所に有り」と。


(賢媛1)




陳嬰

秦末に項羽こううのもとで働き、上柱国というかなり高位の将軍となったが、最終的にはかんに降り、劉邦りゅうほうの弟劉交りゅうこうが封じられたの国の丞相じょうしょうとなった。いや人の下につくって言葉のスケールがちょっと違い過ぎるんですが……。

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