鄭玄3  鄭玄と奴隷   

鄭玄ていげんの家の人間は、

それこそ奴隷に至るまで読書をしていた。


ある時鄭玄、

一人の女奴隷にお使いを命じる。

が、彼女はお使いをこなせなかった。


鄭玄が鞭で打とうとすると、

彼女は言い訳を始める。


更に怒った鄭玄、

別の召使いに彼女を連行させ、

泥の中にぶち込んだ!


そこに、別の女奴隷がやって来る。

彼女は問うのだ。


「胡為乎泥中?」

 なんで泥の中にいんの?


泥まみれの女奴隷が答える。


「薄言往愬,逢彼之怒。」

 言い訳しようとしたら、

 ご主人様の怒りを買ったのよ。




鄭玄家奴婢皆讀書。嘗使一婢,不稱旨,將撻之。方自陳說,玄怒,使人曳箸泥中。須臾,復有一婢來,問曰:「胡為乎泥中?」答曰:「薄言往愬,逢彼之怒。」


鄭玄が家の奴婢は皆な讀書す。嘗て一なる婢を使えど旨に稱わざらば、將に之を撻たんとす。方に自ら說を陳ぶらば、玄は怒り、人をして曳き泥中に箸かしむ。須臾にして、復た一なる婢の來たる有り、問うて曰く:「胡んぞ泥中に為さんか?」と。答えて曰く:「薄さか言れ往きて愬うるに、彼の怒りに逢う」と。


(文學3)




胡為乎泥中

『詩経』邶風はいふう式微しょくびより。


 式微式微 胡不歸

 微君之躬 胡為乎泥中


あなたよ、

どうして帰ってこないのですか。

あなたがいなければ、

こうして泥の中になぞ

おらなかったでしょうに。


みたいな感じの詩。

駆け落ちした先で

相手に捨てられたのだ、とか、

消息不明のまま戻って来ない

君主のことを心配するだとか、

そう言う解釈が取られている。


泥ん中にいたから泥字の出てくる

詩を持ち出したのだろう。



薄言往愬,逢彼之怒

同じく『詩経』邶風の柏舟はくしゅうより。


 我心匪鑒 不可以茹

 亦有兄弟 不可以據

 薄言往愬 逢彼之怒


心に鬱屈としたものがたまると

それをどう解消しようかで悩む。

明鏡止水の如き心、

というわけにはなかなか行かないのだ。

このことを兄弟にも

相談したいところだけれども、

そんなことを相談すれば

彼を怒らせてしまうだろうなあ。


みたいな感じの詩。



詩の含意ときっちり照応はしていないのだけれども、邶風の詩による語りかけに対し、同じ邶風の中の一句を持ち出して答える、という離れ業をやってのけるわけだ。なおこの女奴隷のやり取りに対し、井波律子氏は「暗誦できるとは言え所詮女奴隷の教養だからきっちり意味合いを合致させられない、中途半端な耳学問なところにおかしみがある」と解説をお加えになっている。まぁこういうのって断章取義って呼ばれてる気もするので、敢えて外してきてる可能性もあるわけですが。


というかこの話、それよりも奴隷の扱いがひどかったんですなー的な感想しか浮かびませんの……。

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