陳留阮氏

阮脩   独歩のひと   

陳留ちんりゅう阮氏 阮脩げんしゅう

 既出:衛玠3



西晋せいしん後期で有名な阮氏と言えば、

阮咸げんかんの息子たち、阮瞻げんせん阮孚げんふだろう。


が、もう一人名を馳せた阮氏がいる。

阮脩げんしゅう阮籍げんせきの甥らしいが、

父親の名前は残されていない。

世説新語には、なかなか任誕な

エピソードばかりが残されている。



阮脩、社の木を切ろうとした。

いやいや祟られるから!

ある人が慌てて止めようとすると、

阮脩は言うのだ。


「この社の霊威が

 木に宿っているとしても、

 切り倒すことで木は死ぬ。


 あるいは木そのものを

 社であるとみなすのであれば、

 その木を用いた先が

 新たな社となる。


 どちらにせよ、問題はあるまい?」



こんなことを語る阮脩、

何せ「怪力乱神を語らず」のひとだった。

目に見えないものは信じない、

そんなノリである。


だから阮脩は言っている。

人々が信じている、霊魂。

そんなものは存在しない、と。


根拠はこうである。


「幽霊を見たと言っている奴がいる。


 そいつのいわくでは、

 幽霊が生きていた時の服を

 着ていたそうじゃないか。


 ん、どういうことだ?

 理屈から言えば、衣服にも

 霊魂があるということに

 なりはしないか?」



 世の中の常識が通用しない人、

 それが阮脩であった。


 かれは気ままに、

 杖の先に百銭ほどをぶら下げ、

 街中を散策する。


 そしてふらりと酒場に立ち寄れば、

 ひとり酒を楽しむのだ。


 そこに世の貴顕が同行を願い出ても、

 すげなく突っぱねるのだった。




阮宣子伐社樹,有人止之。宣子曰:「社而為樹,伐樹則社亡;樹而為社,伐樹則社移矣。」

阮宣子の社が樹を伐せるに、之を止む人有り。宣子は曰く:「社を樹と為さば、樹を伐たば則ち社は亡びたり。樹を社と為さば、樹を伐たば則ち社は移りたるなり」と。

(方正21)


阮宣子論鬼神有無者,或以人死有鬼,宣子獨以為無,曰:「今見鬼者,云箸生時衣服,若人死有鬼,衣服復有鬼邪?」

阮宣子の鬼神の有無を論ぜるに、或いは人の死ぬるに鬼有りと以い、宣子は獨り無きと為しと以い、曰く:「今、鬼を見たる者、生きたる時の衣服を箸けたりと云う。若し人の死にたるに鬼有らば、衣服に復た鬼有りたるや?」と。

(方正22)


阮宣子常步行,以百錢掛杖頭,至酒店,便獨酣暢。雖當世貴盛,不肯詣也。

阮宣子は常に步行せるに、百錢を以て杖頭に掛け、酒店に至らば、便ち獨り酣暢す。當世の貴盛なると雖も、詣でるを肯ぜざりたるなり。

(任誕18)




阮脩

こんな感じで自由気ままに、それこそ嫁も貰わずに過ごしていたところ、王敦おうとんさんに嫁をめあわされ、王敦さんのもとに出仕せざるを得なくなったら永嘉の乱にぶち当たって殺されました、という事らしい。哀しい限りである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る