庾亮25 尋陽の隠者   

翟湯てきとう周邵しゅうしょうはマブである。

若いころから、尋陽じんようの町で

仲良く隠棲していた。


だがそんな彼らの元に魔の手が迫る。

庾亮ゆりょうさまである。


特に二人のうち、

特に周邵の名声が響き渡っていた。

なので庾亮さま、彼の才能を

世のため人のため役立てよう、

と説得にかかる。


と言っても周邵、はじめは逃げていた。

庾亮さまが自宅の門の前に来ると、

裏門から逃げ出してしまう。

だがある日、庾亮さまは不意打ち。

逃げ損じた周邵、一日庾亮さまと

向かい合わねばならなくなった。


「ところで、飯は出んのかね?」


自分で不意打ち決めときながら

この言い回しである。

庾亮さまかっけえ。


そこで周邵が出したのは

実に粗末な食事。

隠者たる周邵にとってはおそらく

通常のものであったろうが、

庾亮さまには、

大層みすぼらしく見えたことだろう。


だが庾亮さま、頑張って食べた。

その様子に周邵、大喜び。

世の中についてのことを様々に語り、

遂には士官の約束を取り付ける。


こうした出仕した周邵、累進し、

二千石クラスの将軍にまでなった。


が、この周邵の振る舞いに

納得がいかないのが翟湯であった。

翟湯にも仕官の誘いこそ来ていたが、

頑として応じない。


周邵が遊びに来たところで、

やはり塩対応。


このことが、周邵にとっては

よほどショックだったのだろうか。


隠者を目指そうとしていた人である、

あるいは、単純に宮仕えそのものが

性に合わなかったのかもしれない。


ある真夜中、嘆息と共に呟くのだった。


「男児ともあろうものが、

 庾亮殿の口車に乗せられ、

 まんまとその魂を

 朝廷に売り渡してしまったわ!」


後日、その背にできたできものが原因で、

死んでしまうのだった。




南陽翟道淵與汝南周子南少相友,共隱于尋陽。庾太尉說周以當世之務,周遂仕,翟秉志彌固。其後周詣翟,翟不與語。

南陽の翟道淵と汝南の周子南は少きより相い友たり。共に尋陽にて隱ず。庾太尉は周に以て當世の務を說き、周は遂に仕えたれば、翟秉が志は彌いよ固し。其の後、周の翟に詣でるに、翟は與に語らず。

(棲逸9)


庾公欲起周子南,子南執辭愈固。庾每詣周,庾從南門入,周從後門出。庾嘗一往奄至,周不及去,相對終日。庾從周索食,周出蔬食,庾亦彊飯,極歡;并語世故,約相推引,同佐世之任。既仕,至將軍二千石,而不稱意。中宵慨然曰:「大丈夫乃為庾元規所賣!」一歎,遂發背而卒。

庾公は周子南の起つるを欲せど、子南は辭に執わること愈いよ固し。庾の周を詣でる每、庾は南門より入らば、周は後門より出づ。庾は嘗て一なるに往きては奄れて至り、周は去りたるに及ばず、終日相い對す。庾は從いて周に食を索め、周は蔬食を出し、庾は亦た彊めて飯し、極めて歡ぶ;并せて世の故を語り、相い推引せるを約し、佐世の任を同じうす。既に仕うれば、將軍二千石に至れど、意は稱わず。中宵に慨然として曰く:「大丈夫は乃ち庾元規に賣らる所と為れり!」と。一に歎じ、遂には背に發し、卒す。

(尤悔10)




翟湯

晋書読んだら四代にわたって隠者決めててカッコよかった。そこからうっかり晋書隠逸伝読んじゃったのはご愛敬。そんな筋金入りの人から見れば「周邵この野郎」にはなりそうだけど、一方では子々孫々の代まで隠者とか、とことん意固地になってました、みたいなふいんきも感じるんですよねー。

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