庾亮3  臥仏に見える  

庾亮ゆりょうさまが寺院、及びその庭園に

訪問した時のことである。


庭園には、ブッダ入滅の時の姿を模した

仏像があった。


つまり、サガットステージのアレだ。


それを見て、庾亮さま、言う。


「このおかたは説法に

 だいぶお疲れのようだな」


その表現を、

みなが名言だともてはやした。




庾公嘗入佛圖,見臥佛,曰:「此子疲於津梁。」于時以為名言。


庾公は嘗て佛圖に入り、臥せる佛を見、曰く:「此の子は津梁に疲れたるなり」と。時のひとは以て名言と為す。


(言語41)




えぇ……そう? ちょっとしたおちょりの気配も感じるんですけど……



日本で見るのはどうしても結跏趺けっかふ坐や半跏はんか坐のが多い。今ざっと調べてみた感じだと「仏の視覚化」と「シッダールタそのものの偶像」のどっちへの信仰に重きをなすか、みたいな話になってくるらしい。


小乗仏教では「シッダールタの教え」そのものに特に重きを置くそうで、そうすると尊崇の念も「仏」という概念ではなく、「シッダールタそのもの」に向けてのものにどうしてもなる。こう言った絡みから、大乗系が広く信仰されてる日本ではなかなか臥仏はお目にかからない。


ちなみに大乗浸透は鳩摩羅什くまらじゅう法華ほっけ経漢語翻訳が大きな契機となっている。つまり鳩摩羅什登場前夜の東晋仏教は小乗教メインだった、という事にもなるわけですな。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る