第134話 過ぎゆく日常
慰霊碑への参拝を済ませ、英雄霊廟から出たフラムは、道に出るなり大きく体を伸ばした。
「うぅーん……はぁ」
同時に大きなため息を吐き出す。
「……あいつと話してると、どっと疲れちゃうよ」
言うまでもなくジーンのことだ。
別人と頭で理解はしていても、やはり共通点はあって、それがフラムの心の体力を的確に削ってくるのだ。
割と長い付き合いになってそうなシアもあの様子だったということは、これはフラムに限った話ではないのだろう。
「私は……少しだけ、ジーンさんのことが羨ましいです」
「へっ!? なんでそうなるの?」
予想外の言葉に、フラムは素っ頓狂な返事をした。
しかしミルキットはジョークを言ったという様子ではなく、至極真面目なようだ。
「だって、ご主人様の心の中であの人が占める範囲は、それなりに大きいじゃないですか。それが憎しみだったとしても」
納得できるような、できないような。
だが言われてみれば、ただ知り合っただけの相手よりも、強く憎悪した彼の方が占有領域は広いかもしれない。
もっとも、それはフラムにとっても不愉快なことではあるが。
「もう死んじゃったし、あれは別人だから、じきに消えていくとは思うけど……完全に否定できないのは、私としてもやだなぁ」
「そういう意味でも、私はあの人のことがあまり好きではありません」
嫌悪感を露わにするミルキットは珍しい。
気持ちが理解できるだけに、フラムは困惑し頭を掻いた。
しばし彼女は考え込むと、ぽんっと手をたたく。
「ミルキット、じゃあさ、今からデートしよっか?」
「デート、ですか?」
「そう、道案内を兼ねてさ。まだ中央区の地理はうまく把握できてないし、デート中はミルキットに夢中になるから一石二鳥じゃない」
「私としては飛び跳ねたいぐらい嬉しいですが、お墓参りからの流れで大丈夫でしょうか」
「私は気にしない。つまり何の問題もない。んじゃ今からデートでけってーい!」
そう言って、フラムは拳を天に突き上げた。
その仕草が周囲の注目を集めたことは言うまでもない。
しかし、何事も慣れである。
すでにミルキットに夢中モードに突入したフラムには、周囲の視線など気になっていなかった。
フラムは繋いだ手のひらを引いて、軽く駆け足で、霊廟前の通りを渡る。
ミルキットは出会ったばかりの頃を思い出して、無償に嬉しくなった。
◇◇◇
大通りはコンシリアの大動脈。
かつての王都よりもさらにパワーアップしたその通りには、大小様々な店がひしめき合っていた。
毎日がお祭りのように露店も賑わっており、通り掛かるだけで「フラム様、タダでも良いからうちのを食っていっておくれ!」と声をかけられる。
フラムが食べれば、それだけで大きな宣伝になるのである。
無論、全部を相手にしていてはデートの前に動けなくなってしまうので、やんわり断りながら歩く。
「いやぁ、賑やかだねー」
「確かに以前よりも人の往来は増えましたね。ご主人様の周囲は特に、だと思います」
「やっぱりこれ、囲まれてる? まあ、見られてるだけならいいかなー」
フラムの周囲はすでに野次馬でいっぱいだ。
それでも触ったり話しかけようとする者はおらず、一定の距離は置いている。
「みんな恐れ多いと思ってるんですね」
「そこまで敬うかなぁ」
「敬いますよ、私でなくとも。今のこの街があるのはご主人様のおかげだって、誰もが思っていますから。きっと王様よりずっと偉いと思われているはずです」
それはそれでどうなんだ、と心の中で突っ込むフラム。
何にせよ、デートの邪魔が入らないのなら都合がいい。
「さーて、いよいよ全然わからない場所に出たぞー」
「お昼ご飯にはまだ少し早いですよね、どんなお店を見たいとかありますか?」
「んー、とりあえず前の王都からやってて、残ってる店とかないのかな」
「だったら、懐かしいところがありますよ」
そう言ってミルキットが連れて行ったのは――本がずらりと並ぶ書店だった。
大通りの建物も全滅したわけじゃない。
一部が損壊しただけで済んだこの書店は、比較的早い段階で営業再開したそうだ。
とはいえ、あの状況で本を集めるのは大変だったろうし、何より経営母体であった教会がすでに存在しない。
なので今は、セーラ率いる医療魔術師組合が母体となって経営されている。
「棚の配置もほぼ前のまんまだ……」
「意識はしてるみたいですね。少しでも懐かしさを感じられる場所があった方が、以前から王都に暮らしている人はほっとしますから」
確かに、フラムも変わりきったコンシリアを見て、寂しさを感じないでもない。
逆に、こういう変わらない場所を見つけると、故郷でもないくせに落ち着く自分が居た。
「売り場の配置も同じってことは、こっちには……あった」
フラムが手を伸ばした先には、かつてミルキットに買い与えたものと全く同じ本が刺さっていた。
それを手に取ると、懐かしそうに表紙を指でなぞる。
「懐かしいですよね。あの頃は、簡単な文字も読めませんでしたし、書くなんてもっての他でした。私の中にある知識は全て、ご主人様が与えてくださったこの本から始まっているんです」
「そこから先はミルキットの努力あってこそのものだよ」
「その知識も全て、少しでもご主人様の役に立てればいいと思って身につけたものです。あなたがいなければ、私は何かを学びたいと思うことすらなかったでしょう」
謙虚――とは少し違う。
心地よい重さを伴った愛情を、ミルキットはこれでもかというほどぶつけてくる。
胸の中に渦巻く、言葉では表現できない想いを、少しでもどうにかして伝えようと。
それに対するマストな返答は、たぶん謙遜じゃない。
素直に、愚直に、『そっか』と受け止めて、同じぐらいの愛情を投げつけてやることだ。
フラムは耳をくすぐるようにミルキットの頬に触れ、まっすぐに目を見て、告げる。
「ミルキットはほんと、全身全霊で私のものになろうとしてくれてるよね」
「私がこの世に存在しているのは、ご主人様に所有されるためですから」
フラムの手の上から、ミルキットの手のひらが重ねられた。
そして頬ずりをするように軽く押し付け、包帯越しの体温を堪能する。
その仕草に、愛おしさを覚えないフラムではない。
「本当はさ、ここで顔を引き寄せてキスをしたいところなんだけど、さすがに観客が多すぎるよね」
「本屋さんにも迷惑をかけてしまいますから、あとで」
「うん、あとで」
この程度のスキンシップで足りるわけもないが、時と場合ぐらいはわきまえている。
二人はそのまましばし見つめ合うと、名残惜しそうに手を離した。
そのとき、何やら外のオーディエンスたちが肩を落としていたのは、おそらく気のせいだろう。
◇◇◇
二人のデートは続く。
お昼は美味しいと評判のカフェ&レストランへ。
まだ少し早い時間だからかピーク時に比べると席は空いており、並ばずに入ることができた。
「今、ここの味を研究しているんです」
そう言うミルキットは、すっかり顔を覚えられているようで、注文を聞きに来た店員さんに「いつもありがとうございます」と頭を下げられていた。
それは単純に常連さんだから、という意味合いもあるのだが、ミルキットが客として来ることで店の評判が上がるという一面もあるようである。
何だかんだで、『フラムのパートナー』という肩書は大きいのだ。
それに料理上手という噂もいつの間にか広がっており、たまに新聞や雑誌の料理コラム記事を頼まれたりすることもあるのだという。
まあ、全て断ったらしいが。
「なんで受けなかったの?」
「ご主人様のために練習したのに、ご主人様が帰ってくる前に他の人に言いふらしても意味がないじゃないですか」
まさに、全てはフラムのために。
そう言われては納得するしかない。
やがて二人の前に、注文しておいた五段重ねのパンケーキが現れる。
ペア専用の人気メニューで、ケーキは見事なハートの形になっていた。
トッピングはシンプルかつリッチで、どんっと乗っかったクリームの上から、甘酸っぱい赤のベリーソースがたっぷりかけられている。
さらにベリーの果実そのものもふんだんに使われており、ソースに混ざった1センチ大の角切りはもちろんのこと、ケーキを囲むように丸ごと配置されていた。
「こ、これは……!」
「ベタですけど、一番好きなメニューなんです。もちろんペア用は初めて注文しましたが」
「バターの香り漂うパンケーキに、たっぷりのクリームとベリーのソース……こんなの間違いないよ!」
「喜んでいただけて何よりです。ずっと、ご主人さまと一緒に食べられたらいいなって思ってたんですよ」
膨らむ食欲とミルキットへの想いで、フラムの胸はいっぱいだった、
しかしここはカフェ、愛情を優先する場所ではない。
ひとまずはこの目の前にそびえ立つケーキを胃袋に収めてから、そのあとだ。
そう思い手元を見るフラムだったが――なぜか、ナイフもフォークも置かれていない。
一方でミルキットのところには一式が揃っていた。
そう、これこそがカップル用である最大の所以。
「まさかこのメニューは、カップルに『あーん』を強制させるためのもの……!?」
「そうみたいですね。わざわざお膳立てしなくても、自然とやるものだと思うんですが」
「言われてみればそれもそうだ」
フラムたちの場合、それは完全に不要であった。
だが用意された以上は楽しむ、それが今日のデート。
ミルキットはフォークとナイフを手に取り、ミルフィーユの如く重なったパンケーキに入刀する。
さすがに五枚全てだとフラムの顎が外れてしまうので、器用に二枚目までを、一口サイズに切り取った。
そして、
「ご主人様、あーん」
とお約束通りに言いながら、フラムの口に運ぶ。
フラムもフラムで、ノリノリで「あーん」と口を開いてパクリと頬張る。
表面はほんのりサクっとしており、噛むと同時にバターとミルクの香りが広がった。
中はふんわり柔らかく、ほのかに甘い。
パンケーキ自体の味は控え目なものの、クリームのまろやかな甘さと、ベリーの強めの酸味がそれを補う。
単体では尖っているベリーソースの味を、クリームがいい具合に和らげ、パンケーキといい具合に調和するのだ。
「んふうぅ~っ」
フラムが思わず唸ってしまうのも仕方のない味であった。
彼女が飲み込むと、ミルキットは次の一口を切り分け、すかさずフラムの口に運ぶ。
もはや職人芸としか言いようのない息の合った動きで、次々とパンケーキを胃袋に収めていくフラム。
だがケーキが四分の一ほど減ったところで、さすがに彼女も待ったをかけた。
「食べさせるのが楽しい気持ちはわかるけど、私もミルキットに食べさせたい!」
「名残惜しいですが、私だけこの喜びを独占してはいけませんね」
そう言うミルキットは、本気で名残惜しそうだった。
――というわけで、攻守交代。
「ふっふっふっふ……」
不敵な笑みを浮かべるフラムが、ナイフとフォークを手にミルキットと向かい合う。
もちろんおふざけだが、その雰囲気に引っ張られて、なぜかミルキットは緊張した表情を浮かべていた。
そして、フラムがケーキ入刀。
さっくり、ふんわりとした生地を、ミルキットほどではないものの比較的綺麗に切り分けると、
「あーん」
と恋人の口に運ぶ。
“主から与えられた”パンケーキが口に入ると、ミルキットは唇を真一文字に結んだ状態のまま静止してしまった。
「ミルキット?」
たっぷり十秒ほど止まっていたミルキットだが、そこでようやく咀嚼を始め、飲み込む。
そして両手を頬に当てて「はふぅ」と恍惚とした表情を浮かべた。
「すいません、ご主人様から頂いたパンケーキの感触を味わっていたので、返事ができませんでした」
「味わうのレベルが違う……!」
もはや味や香りというより、フラムから与えられたという事実を食していたかのようである。
しかし彼女もさすがに時間をかけすぎだと思ったのか、二口目からは普通に食べるようになった。
こうして仲睦まじく食事を終えた二人は、食後のドリンクでほっと一息つくと、次の目的地を目指す。
◇◇◇
そこは厳かな雰囲気の、いかにも高級そうな服屋だった。
しかし、フラムはこの店に見覚えがある。
「あ、ここもしかして……」
「似てますよね。ご主人様にこのメイド服を買っていただいたお店の方の、お弟子さんがやられているんですよ」
「そっか、弟子の人が」
つまり元の店主は――そういうことだろう。
ミルキットは、今でもフラムから与えられたメイド服と同じデザインのものを着ているが、全く同じものを使い続けるのはさすがに無理だ。
なにせ、この四年で彼女の体は成長したのだから。
そんなとき、サイズ変更の相談に乗っていたのが、ここの現在の店主である女性なのだという。
店内に入ると、本人が出てきて、使い慣れた営業スマイルを見せてくれた。
「ミルキット様、いつもありがとうございます。本日はフラム様もご同伴なのですね」
「はいっ、今日は……ご主人様に、新しい服を選んで貰おうと思いまして」
「そういうこと、か」
「私にとって一番いい服は、ご主人様が選んだものですから」
ミルキットの価値観の中心には、いつもフラムがいる。
世間一般の常識で言えば、独り立ちする人間の方が偉いのかもしれないが、それはあくまで一般論だ。
二人はそれを変える気はない。
「あと、ですね……実は、その、不躾だとは思いながらも、ご主人様にお願いがあるんですが」
「どーしたの、そんなにおどおどしちゃって、珍しい」
「実は……あの、あれ出来てますか?」
「ええ、もう完成していますよ」
そう言って、店主は店の奥に消えた。
かと思えば、何かを持って戻ってくる。
「メイド服?」
それはやたらフリフリの付いた、もはやドレスに近いメイド服だった。
ミルキットが着たら、包帯と相まってとても似合いそうだ。
「でも、サイズがちょっと違うような……」
「これ、ご主人様用なんです」
「へ、私? 私が、メイド服を着るの?」
「……ダメ、でしょうか」
世界で最も可愛い恋人にそうねだられて、断れる人間がいるだろうか。
いや、いない。
「わかった着るね!」
即答だった。
しかし言ってみたのはいいものの――これまで何度も言ってきたことだが、似合うとは思えない。
特に、簡素なメイド服ならともかく、あんなフリフリで派手なゴスロリ衣装など、普段はラフな格好ばかりしている自分に向いているとは思えなかった。
フラムは試着室に押し込められ、店主の手伝いの元、手際よくメイド服を着せられていく。
あまつさえ、頭にはリボンまで着せられて……目の前の姿見に映る姿は、まるで子供の発表会のようでは無いか、と嘆くフラム。
だが試着室の前では、ミルキットがサンタクロースを待つ子供のようにそわそわしながら待機している。
出ていかないわけにもいかなかった。
全て着替えが終わると、自らカーテンを開き、ミルキットとご対面。
「わあぁ……!」
すると彼女は、両手をぎゅっと握り、目をキラキラと輝かせた。
「か、かわいいです、ご主人様っ!」
「本当に……?」
「かわいいですよー! 思った通りです、ご主人様は絶対に似合うと思ってたんです!」
その興奮っぷりは今日一番と言っていい。
おそらく、脳内でフラムにメイド服を着せる妄想をずっとしていたのだろう。
そしてついに我慢しきれず、オーダーメイドにまで手を出したのである。
「うーん、服に着られてないかなぁ」
「ありえません。どんなに派手な服だとしても、ご主人様は常にキラキラと輝いています!」
「そ、そう?」
「はいっ、ご主人様以上にその服を着こなせる人間は存在しません。ご主人様が一番ですっ!」
熱弁され、少しずつその気になっていくフラム。
とはいえ、やはり恥ずかしいものは恥ずかしい。
もし購入したとしても、ミルキットと二人きりのときだけ着る服になるだろう。
「はあぁ……本当に、想像していたのより一万倍……いえ、一億倍はかわいくて……あはぁあ……」
それにしても、すごい感動の仕方だ。
そんなミルキットを前にして、フラムの中でいたずら心が鎌首をもたげる。
メイド服を着ただけでこの反応なのだ、だったら――“ご主人様扱い”したら、どうなってしまうのだろうか。
フラムは彼女に接近し、その手を取って、耳元に口を寄せた。
「ご主人様」
ぼそりと、吐息多めに囁く。
「……!?」
ミルキットの目が見開かれ、体が硬直した。
やはりフラムの思った通り――“メイド服を着せたい”という欲求は、“自分もご主人様扱いされてみたい”という好奇心と直結したものだったのだ。
それは決して、下剋上的な考えではない。
ただ、自分が服従しているから、支配されているからこその背徳感と言うか――
一瞬、あるいは一夜だけだからこそ意味のある、
「それとも、“ミルキット様”とお呼びした方がよろしいでしょうか」
店主を置いてけぼりにしていることなどお構いなしに、特殊なプレイを続けるフラム。
「そ、それは……いけませんご主人様、こんなことっ……メイド服を着ていただいただけで十分なのに……!」
「ご主人様ではありませんよ、今の私はただのフラムです。呼び捨てにしてください」
「呼び捨て……私が、ご主人様を……」
うわ言のように呟くミルキット。
それは禁断の果実だった。
だが、フラムは決して彼女をからかっているわけではない。
一度でいいから、名前で呼ばれてみたかったのだ。
恋人というのなら、夫婦というのならば、誰もが呼び捨てで呼ばれることに一度は憧れるはず。
「さあ、ミルキット様」
促すフラム。
それが主からの命令だと言うのなら――ミルキットに逆らう権限など無い。
唇が震える。
握った拳がじっとりと汗ばむ。
喉に、思うように力が入らない。
「ふ……ふ……」
フラムの耳元に近づけられたミルキットの唇から、息が吐き出された。
耳をくすぐる呼気にこそばゆさを感じつつも、フラムは期待してその瞬間を待つ。
そして――
「……フラ、ム」
ミルキットは、呼んだ。
顔を真っ赤にして、心臓でビートを刻みながら。
所有物たる自分が主を呼び捨てにする――その禁忌を犯してみせたのだ。
「ミルキット様」
「フラム」
「ミルキット様?」
「フラムぅ……」
二人は自然と抱き合いながら、何度も互いの名前を呼びあった。
(何だこれ……)
店主はそう思いながらも、ニコニコと営業スマイルを浮かべながら、二人のやり取りが終わるのを待つしか無い。
「ミルキット、さ、ま」
「ひうぅ……ご、ご主人様、ダメです、これ以上は……」
「んー? 何がダメなの? 私はただ名前を呼んでるだけだよ?」
「し、しかし、ご主人様も息が荒くなってますし、お店にご迷惑がかかってしまいますので……」
「……それもそっか」
すっと素に戻るフラム。
彼女はミルキットから体を離すと、少し気まずそうに店主に頭を下げた。
もちろん服は購入。
今後は家の中で、二人きりの時だけ着ることになるだろう。
◇◇◇
買い物を終えて店から出る二人。
すると出てすぐの場所で、見知った顔と鉢合わせになる。
「あら、あなたたちも来てたの?」
「イーラにアンリエットさん。買い物に来たの?」
「王妃の私だけ呼び捨て……」
「様付けで呼ぶ間柄でも無いでしょ。ところでアンリエットさんはどうして一緒に?」
「王妃はタメ口で護衛の軍人には敬語……」
「あぁもううるさいなぁ!」
イーラは言うまでもなくフラムをおちょくってニヤニヤしていた。
こんな場所で話し込むのは何なので、店主に会釈して再び店に戻るフラムとミルキット。
そこにイーラとアンリエットまで入ってくると、さらに店内は騒然とした。
王妃に軍の最高権力者、加えて英雄とそのパートナーが一同に介しているのだ、偶然出くわしたコンシリアの民にとっては、盆と正月が一緒に来たような贅沢な場面であった。
「そんで、イーラは護衛のアンリエットさんを連れて買い物なわけ? それともお仕事?」
「プライベートの買い物よ。護衛を連れないと出歩くことすら出来ないなんて、不便な身分よね」
「当たり前じゃん、自分がどれだけ偉いかわかってる?」
「あんたにだけは言われたくないわ」
国内での地位で言えば、フラムとイーラはどっこいどっこい――いや、人気を加味するとフラムの方が上かもしれない。
仮に彼女が『王国内に新しい国を作ります!』と言い出せば、かなりの人数がついていくだろう。
「私はほら、護衛とかいらないから」
「わかってるわよ、あんたを襲う馬鹿なんて居ないでしょうからね」
「私たちとしても、フラムが自由に動いてくれると助かる。それだけで抑止力になるからな」
「あはは、そういう期待のされ方は素直に喜んで良いのか判断に困るなぁ」
あくまでフラムの目的はデートであって、パトロールではないのである。
「ま、それでもこうして自由に外に出歩く機会があるだけマシな方なのかもしれないわね」
「マシも何も、今週だけで三度目ではないですか」
「いいじゃない、アンリエットだって平和すぎて仕事がなくて暇って言ってたわよね」
「それはそうですが……あくまで軍人としての私が暇になるだけで、私個人としては時間が空くわけではないのです」
「仕事の虫であるあんたが何をするって言うのよ」
「イーラ様が突発的に『外に出かけたい』とおっしゃるたびに、私はオティーリエとの約束を断っていますので……」
アンリエットに時間があれば、オティーリエはすかさずそこに予定を入れてくる。
一分一秒たりとも、彼女と離れようとしないのだ。
アンリエット自身も二人の時間を大切にしてはいるが、王妃の命令とあればそれに逆らうことはできない。
結果――
「私としては、オティーリエがいつ爆発するのか少し怖い状況です」
彼女のストレスは、日々バーストに向けて順調に膨らんでいた。
「そういうことはもっと前に言っておきなさいよ! 私だってあれが爆発したら怖いわよ!」
王妃になっても、権力で抑えつけられない存在というのはいるものである。
実際に出くわしたわけではないが、イーラはオティーリエがそういう存在であると、直感的に気づいていた。
フラムも話を聞きながら、「うんうん」と頷く。
普段は至極まっとうな、優秀なアンリエットの秘書である彼女ではあるが、根っこはまだ変わっていないのである。
「……わかった、今度からは少し外出を控えるわ」
「そうして頂けると助かります」
しかし、この二人の力関係も奇妙なものである。
イーラの方が偉そうなのに、主導権を握っているのはアンリエットのように見えた。
まあ、言ってしまえばイーラはまだまだ素人。
権力者として長年将軍を続けてきたアンリエットには敵わないということだろう。
「あぁ、そうだ。せっかくだし、時間がある今のうちにフラムとちょっと話しておきたいのよね」
「何を?」
「特に何とは無いんだけど、雑談よ、雑談。ねえ、あなたが店主?」
少し離れた場所にいた店主にイーラが話しかける。
彼女の営業スマイルは、フラムたちに接していたときよりも強張っているように見えた。
緊張しているのだろうか。
「身勝手なお願いで申し訳ないんだけど、少し部屋を貸してもらってもいいかしら。すぐに終わるわ」
そう言うと、店主は裏手に事務室があり、そこなら使えると答えた。
無論、普段は客が立ち入るような場所ではない。
「……王妃に頼まれて断れるわけないよね」
「うっさいわね、こうでもしないと落ち着いて話せる場所は作れないのよ」
だったら王城に呼び出せばいいだけなのだが――そうもいかないらしい。
要するに彼女は、王妃と英雄ではなく、ただのイーラとただのフラムとして、気楽に話せる場所が欲しいのだ。
ゆえにアンリエットとミルキットも、置いていかれることになった。
ミルキットはデート中なのに他の人に時間を取られて、ほんの少しだけ不満そうな顔をしていたが、フラムが軽くキスをすると機嫌はすぐに治った。
◇◇◇
奥の部屋に入った二人は、テーブル越しに向かい合って椅子に座る。
「で、何?」
「んー? お互いに遠いところまで来ちゃったわね、っていう話よ」
「本当に雑談じゃん」
「だからそう言ったじゃない」
イーラは机に肘を付き、行儀がいいとは言えない姿勢である。
王妃という地位とはあまりにミスマッチ。
しかしイーラという女にはベストマッチ。
「窮屈?」
フラムはふいにそう尋ねた。
それは誰かがいる場所では、そう気軽に言える言葉ではない。
彼女はそういう地位になってしまったのだ。
だから気軽に答えられるこのチャンスに、素直な感情を吐露する。
「クソみたいな窮屈だわ、常に縄で縛り付けられてる気分よ」
「あはは、やっぱり。イーラには向かないと思ってた」
「私もそう思ってたわよ」
「じゃあなんでスロウと結婚したの?」
「そりゃあんた、王妃になるとかならないとか関係なしに、あいつに惚れたからよ」
それが全てだ。
結果的に王妃という地位がついてきただけで、別にそのために結婚したのではない。
「二人はいつの間に付き合いだしたんだっけ」
「最初のきっかけは、王都が滅茶苦茶になったとき、あいつが思ったよりかっこよく避難誘導してたところかしらね。非常時でこそ輝く才能ってのがあるのよ」
「ふーん」
「あとは……私が男の好みを話したら、それに合わせてくれたところとか」
「今のスロウが前と違うのって、もしかしてそのせい?」
「らしいわ。そんなに尽くされたら、惚れないわけにはいかないじゃない?」
「……それはわかる気がする」
フラムもミルキットに尽くされてきた人間である。
共感できる部分はあった。
「あんたこそ、今は堂々とミルキットと恋人だって言いふらしてるけど、いつから明確に付き合い始めたわけ?」
「いつだろうねー」
強いて言うのなら初めてキスをしたあの時だろうか。
それとももっと前だろうか。
恋人のような振る舞いなら前からしていた気がするし、ファーストキスも壊れそうな心を支えるためで、告白と言うほどロマンチックでは無かったような気もする。
「最初から仲良かったわよね」
「最初の頃は、お互いに傷を埋めあってたっていうか、足りない部分を補い合ってたっていうか。ジーンのせいで心も体もボロボロになってたところを、『ミルキットを守らなくちゃ』って自分に言い聞かせてどうにか立ってたって感じ」
「ミルキットの方は?」
「そういう接し方してたら、いつの間にかあの子が触れたことのないものを与えていた、って感じかな。人の温もりや、誰かに守られて、愛されること……一度も経験したこと無かったみたいだから」
ミルキットは空っぽの器だった。
そこに、フラムが全てを注いのだである。
「要するに、お互いに依存してるってわけね」
「そうなる、のかな。でも私はそれが悪いことだとは思わないよ。一人で歩くより、二人で支えった方が強く生きられるなら、別にそうしたって構わないでしょ?」
「別れた時に辛いから……過去に依存した経験がある人は、そうやって否定するんでしょうね」
「じゃあ何の問題も無いね。私とミルキットは生涯添い遂げるって決まってるから」
「羨ましいぐらいの自信だわ」
フラムに迷いはない。
実際、二人が二度と離れることはないだろう。
それは本人のみならず、周囲も認めるところだった。
それだけ、彼女たちの愛情は見ているだけでも伝わってくるほど膨大なのだ。
「イーラの方は、自信がないの?」
「スロウのことは愛してるわよ。でも、王妃としての役目とやらがねー、しんどいのよ」
「弱音なんて珍しい」
「暴力や暴言だったらいくらでもやり返せるわ。けど違うの、貴族連中の攻撃ってこう、ネチネチしてるのよ! 自分が反撃されないように回りくどかったり、保身的だったり、ああもう思い出すだけでイライラする! そのストレスをぶちまけようにも、王妃としてふさわしい振る舞いを求められてそういうわけにもいかないし!」
フラムは「あはは」と笑った。
つまり彼女は、そのストレスを、自分の本性を知るフラムにぶちまけたかったのだろう。
「ほんっと、碌でもない連中ばっかよ」
「教会と繋がりが強かった貴族も、まだ平気で力を持ってるんだよね」
確かに教会は崩壊した。
教皇や枢機卿が振るっていた力の影響は消え、今は一時的に健全さを取り戻している。
しかしその裏では、周辺諸侯たちが、空いた枠に収まろうと悪意の蔓を伸ばしているのだ。
「もしかしたら、あんたに頼むこともあるかもしれないわ」
「私が判断してイーラに加担していいと思ったら、参加するかも」
「それでいいわ。本当なら、そうなる前で止めておくべきなんでしょうけど――私とスロウにやれることなんて、たかが知れてるもの」
「王様でも?」
「ええ、全知全能じゃないわよ。特に私たちなんてまだまだ若くて、人脈も無いもの。英雄様の威光や魔族との繋がりでどうにか貴族たちを従わせてるだけだわ」
「せっかく世界は平和になったって言うのに」
「余裕があるとね、人って悪いことを考えるものなのよ」
「ままならないねえ。私はミルキットと一緒に平穏に暮らせるだけで十分なのに」
「誰もがあんたほど他人を愛せるわけじゃないもの。心ん中の埋められなかった部分は、他の何かで埋めるしか無いのよ」
それが悪意の方向に向かう人間もいる。
何も起きない退屈さを、全ての人が許容できるわけではないのだ。
「はぁーあ……ほんと、随分と遠い場所まで来ちゃったわね」
イーラは天井を見上げながら、物憂げに言った。
「お互い様にね」
フラムも同じく天井を見て、呟く。
「王妃とか英雄とか、柄じゃないわ。あの薄汚いギルドで受付嬢やってるのが私にはお似合いよ」
「最初の頃はそうでもなかったんじゃない?」
「なにがよ」
「たぶん、受付嬢を始めたばっかりのイーラは、『建物は汚いし酒臭いし下品な男しかいない』とか愚痴ってそうだと思ったの」
「……まあ、それもそうだったわね」
それは思い出すことも難しいほど遠い記憶。
あるいは忘れたがっていた思い出なのかもしれない。
だが思い返してみると、想像していたよりも鮮明に蘇ってくる。
「イーラは何だかんだ言って図太い心を持ってるから、どこに行っても時間が経てば適応しちゃうんじゃない?」
「そうかしら」
「住めば都ってやつだよ。王妃様ー、頑張れー」
「投げやりな応援ねえ……でも、そんなものかもしれないわね」
王妃としての生活は始まったばかりだ。
おそらくスロウも慣れておらず、彼女を支える余裕が無いのかもしれない。
時間が経てば、おそらくそれなりの位置に収まる。
「心配は無いよ、好きな人がそばにいるんでしょ? だったらどうにかなっちゃうと思う」
「根拠は?」
「私がどうにかなったから。神様にも勝てたから」
「あー、理由が強すぎるわぁ!」
なぜか嘆くように、両手で顔を覆ってのけぞるイーラ。
それを見てフラムはケラケラ笑った。
「はぁ……頑張るかな」
「愚痴ぐらいならいくらでも聞いてあげるよ。28歳にもなって16歳に頼っても平気ならね」
「助かるわ。もう今さら年齢なんてどうでもいいもの」
形振り構っていられないほど、彼女のストレスはひどいらしい。
おそらく今後、フラムは月に1度ぐらいのペースで、イーラに呼び出されることになるのだろう。
◇◇◇
二人が会話を終えて部屋から出てくると、ミルキットはフラムの胸に一直線に突っ込んだ。
そして抱きつき、ぐりぐりと頭をこすりつける。
デートの途中で他の女との用事を入れたことがそこまで不満だったのか。
それを見てイーラとアンリエットは苦笑する。
その後、フラムとミルキットは腕を絡めながら店を出ていった。
イーラはしばし買い物を楽しむようだ。
「次はどこにいく?」
「そろそろ、お夕飯の準備のことを考えないと時間がまずいかもしれません」
「遅くなったらエターナさんたちに怒られちゃうもんね。んじゃ、食材を買って帰りますか」
デートの締めは、夕食の買い出し。
恋人よりも夫婦っぽくて、それも悪くはない。
二人は今晩のメニューを話し合いながら、ミルキットが普段から使っている八百屋や肉屋を回るのだった。
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