第132話 失われたもの、残されたもの

 





 ミルキットと二人きりですごす甘い日々は、そう長くは続かなかった。

 オリジンとの戦いを終えて戻ってきたフラムには、大切な役目が山積みだったのだ。

 まずは彼女の帰還を祝すパーティー。


 キリルの装備を思わせる鎧を着せられたフラムは、やたら華やかに飾られたパーティ会場で、様々な貴族から賛辞の言葉を浴びせられることとなった。

 無論、嬉しくなどない。

 ミルキットが隣にいたり、イーラやスロウがフォローしつつ同情的な目を向けてくれたのがせめてもの救いだろうか。

 パーティが終わり部屋に戻る頃にはもうぐったりで、恋人を抱く元気など残っていなかった。


 その数日後には、帰還を祝すパレードが行われた。

 王の結婚パレードに負けず劣らずの賑わいを見せ、貴族と違い純粋にフラムの帰りを喜んでくれる民衆の声は、彼女にとっても悪いものではなかった。

 もっとも、精神的な疲れはパーティと同等だが。


 他には大聖堂への挨拶だったり、商店に顔を見せたり、よく知らないうちに爵位を貰ったりと、とにかくイベントが目白押し。

 そのどれもがフラムの気ままな生活には不要なものだというのだから、疲れは倍に感じられる。


 結局、フラムがまともに自由な時間を得られたのは、二週間以上経ってからのことだった。

 安静にしろと言っていたセーラも、この酷使っぷりにはさすがに呆れ顔だったが、止められるものではない。

 それだけフラムの存在が、王国にとって大きいということなのだから。




 ◇◇◇




「う……ん……」


 うっすらとフラムの目が開く。

 外はすでに明るくなっていた。

 昨晩は死んだように眠ったことだけは覚えているが――体に、ミルキットのぬくもりを感じる。

 どうやら彼女がフラムを抱きしめてくれているようだ。


(いや、違う……)


 抱きしめたのではなく、抱きしめてほしい、とねだったのではなかったか。

 そうだ、疲労のピークに達したフラムは、幼児退行を起こしてしまったのだ。

 無論、そういう甘え方をしただけではあるが――素面の時では絶対に口にしない言葉を発し、ミルキットは嫌な顔ひとつせずにそれに付き合い、思う存分甘やかしてくれた。

 そしてそのまま、ベッドになだれ込んだのである。


(いくら疲れてるからって、あれは無いよ私……)


 我ながら呆れてしまう。

 昨日はだらけた分、今日はかっこいいご主人様を見せなければ。

 そう思って、一気に目を開いた。


「おはようございます、ご主人様」


 素顔のミルキットが、フラムを迎える。

 その太陽よりも眩しい笑顔を前に、先ほどまでの決意など一瞬で消え去った。


「おはよ、ミルキット」


 力の抜けた笑みでそう返事をするフラム。

 そして二人は自然と顔を近づけ、口づけを交わした。




 ◇◇◇




 二人で一階に降りると、すでに全員が目を覚ましていた。


「おはよう、フラム、ミルキット」

「おっはよー!」

「おはよう、もう朝食は済ませたから」

「わかってますよエターナさん、こんな時間に起きたんですし仕方ありません」


 すでに時計は十時過ぎを示している。

 あと少しすれば昼ごはんの準備を――という時間だ。

 フラムは最初から朝食を期待などしていなかった。

 しかしキリルはキッチンのエプロンを手に取ると、上機嫌に言う。


「ホットケーキでも作ろっか? お昼に差し支えない量で」

「いいの?」

「もちろん。ミルキットがそれでいいんならね」

「もうキリルさん、さすがに料理まで独り占めしようとは思っていませんよ」

「ふふふ、なら作るね」


 キリルは他人に――というより、フラムに自分の料理を食べさせるのが好きらしい。

 そのせいか、この家に戻ってきてから、何度かミルキットとキッチンの主導権を争う姿を目にしている。

 まあ、だいたいミルキットの方が勝つのだが。

 なにせキリルの得意料理はケーキだ、メインディッシュではないのである。


「フラム、今日もまだ用事?」


 椅子に座ったフラムに、エターナが尋ねる。


「いえ、今日はやっと休みです」

「じゃあみんなで買い物でも行こうよっ」

「ごめんなさい、インクさん。実はもう予定は決めてあるんです」

「どこか行くの?」


 台所からキリルがそう言った。

 フラムはエプロンを纏った彼女の背中に告げる。


「墓参りに行こうと思って」


 すでにパレードや式典で何度か訪れているが、落ち着いて語らうことはできていない。

 時間ができたら、必ず個人的に手を合わせに行こうと思っていたのだ。


「そっかぁ、それなら買い物はまた今度だね」


 インクは少し肩を落としたが、それでも“仕方ない”と駄々をこねたりはしなかった。


「墓……」


 一方でエターナは、何やら考え込んでいる。


「どうかしたんですか?」

「いや、なんでも……というか、行けばわかる」

「んー?」

「あはは……」


 言葉を濁すエターナに、なぜか苦笑いを浮かべるミルキット。

 二人の意図が読めないフラムは、首を傾げるばかりだった。




 ◇◇◇




 キリルの作ったケーキを頬張ったあと、二人は町に繰り出した。

 向かうは中央区、大聖堂の近くにある英雄霊廟。

 仰々しい名前がつけられたその施設に、戦いで命を落とした人々の墓が作られていた。

 彼らがそういった特別扱いを望むかどうかはさておき、死んだ英雄を神格化し、一種の守護神として扱うのは、王都再建に必要なプロセスだった――とスロウは語っていた。

 寄る辺は多い方がいい、そういうことなのだろう。


 フラムとミルキットが町を歩くだけで、人々はざわめく。

 向けられる視線は基本的に好意的なものばかりなので、慣れてしまえば問題はない。

 だが、二人の手がしっかりと指を絡めて繋がれていることが、余計のその騒ぎを大きくしていることに、彼女らが気づくことはなかった。


 歩くこと五分、魔導列車の駅に到着する。

 そこで切符を買おうとしたフラムだったが、彼女の場合は顔パスで無料利用できてしまうらしい。

 申し訳ない気持ちになりながらも、タダで列車に乗り込む二人。

 英雄霊廟までは、そこからさらに十分ほどで到着する。

 歩けば四十~五十分かかるのだから、技術の進歩には舌を巻くばかりだ。

 もっとも、フラムが走ればそれより早く到着するのだが――ミルキットと、変化した町並みを楽しむのもまた一興。

 いつ忙しくなるのかわからない毎日だ。

 時間があるうちに、彼女とより長く心と体を密着させていたい、フラムはそう考えていた。


『次は英雄霊廟前、英雄霊廟前――』


 風魔法を利用したアナウンスが、車内に流れる。

 道を空けてくれた人々に頭を下げながら、フラムはミルキットの手を引いて駅に降り立った。

 またも改札をそのままパスし、駅の外へ。

 広い道を挟んだ向こうに、霊廟はあった。

 見上げるほど大きな、純白の建物――これが復興した四年の間で建設されたというのだから、魔族の技術には驚きだ。

 ただし、まだ完成したわけでは無いらしく、一部の壁は布に覆われ、職人たちが作業を続ける音が響いていた。

 なんでも、壁に描く予定の彫刻がまだ完成していないとのこと。

 細かな作業ばかりはさすがに、魔法に任せることはできないらしい。


「こんなに大きな建物がお墓だって言うんだから、すごいよね」

「それだけ偉大な人たちだったということですね」


 そう言われると、フラムはうなずくしかなかった。

 ガディオもライナスも、他の人たちだってみな――フラムよりも高い志を持ち、脅威に挑んできた。

 誰もが比べることのできない英雄ばかりだ。


「……私も、死んだらここにお墓が立つのかな」


 フラムは珍しく、そんな暗い言葉を口にした。

 目の前の建物にガディオたちが眠っていると思うと、自然と出てしまったのだ。


「もしかしたら、もっと立派な建物が立つかもしれませんよ?」


 ミルキットは冗談ぽく返す。

 するとフラムも、淡く笑みを浮かべて答えた。


「あんまり派手すぎるのは嫌だな」

「それは無理だと思います。ご主人様のやってきたことは、それだけ偉大ですから」

「うーむ、ままならない。まあ、ミルキットが一緒にいてくれるなら我儘は言わないけど」

「大丈夫です、這ってでも同じお墓の下で眠りますからっ」


 ぐっと拳を握りながら宣言するミルキット。

 それはつまり、死後もフラムと一緒にいるために動くということだろうか。

 本気でそれぐらいの執念はありそうである。

 もっともその場合、フラムも同じようにミルキットを求めて這いずることになりそうだが。


 会話を一区切りした二人は、手をつないだまま、道を横断する。

 行き交う馬車や人の数は、以前の王都と比べても引けを取らない。

 いや、それどころかむしろ増えているかもしれない。

 コンシリアは現在進行系で成長を続ける街だ。

 商機を感じとった商人が何百人と集まり、仕事を求める人々が何千、何万と群がる。

 “住居が足りない”という冗談かと思うような問題が、現実に起きている――そんな状況だった。


 だから英雄霊廟を訪れる人の数も、フラムが想像していたよりずっと多い。

 ある人は家族が眠る石碑に参拝するため、ある人は一種の聖地として、またある人は観光地として、この場所を見学しにきているのだ。

 そんな場所にフラムが現れれば、混乱は避けられない。

 霊廟の入り口に近づくと、警備員と思しき兵士が慌てて近づき、別の扉へと二人を案内してくれた。


 扉の向こうは、英雄霊廟の事務局のようだ。

 フラムはたまたまその場に居合わせた一人の男性と目が合う。

 見覚えのある地味だが硬派な顔は――間違いない、元教会騎士団副団長、バート・カロンだ。

 四年前より多少老け込んだように見える彼は、フラムの姿を見て目を見開いた。


「驚いたな、まさかいきなり現れるとは」

「連絡をした方がよかったですか?」

「できればそうしてもらいたい。いきなり英雄フラムが現れたとなれば、場が混乱してしまうからな」

「……ままならない」


 ただの墓参りにも連絡が必要だとは。

 フラムは自分に『落ち着くまでの辛抱だ』と言い聞かせた。


「しかし久しぶりだな、フラム・アプリコット」

「バートさんこそお元気みたいで何よりです」


 パーティやパレードのときに何度かすれ違ってはいるが、こうして面と向かって話すのはフラムが戻ってきて以降はじめてのことだった。


「今は街の警備隊の隊長をしてるんですっけ?」

「ああ、教会騎士団だった俺も、今や軍の一員だ」


 王都崩壊後、生き残った教会騎士団の人間は軍に編入された。

 それに反対する者はほとんどいなかったという。

 教会の中枢に近い人間ほど、その腐敗っぷりに嫌気がさしていたからだ。


「功績を考えたら、もっと上にいてもおかしくないと思うんですけど」

「断ったんだ、俺の性分に合ってないってな」

「確かに、現場の方が似合ってる感じがしますね」

「だろう? 部下たちもそう言って、俺の昇進を止めてくれたよ。人望が厚すぎて涙が出てきそうだ」


 バートは肩をすくめながらいった。

 それは果たして善意と言えるのだろうか。

 本人も今の立場に満足しているようなので、問題は無いのだろうが。


「さて……目的は英雄たちの墓だろう? それならこちらからしか行けない別のルートがある、案内しよう」

「そんなのあるんですね」

「そもそも英雄の墓は特別な時以外一般公開していないからな」


 それは意外だった。

 フラムはてっきり、誰でもいつでも見れるようになっていると思っていたのだが――つまり、英雄霊廟にやってきた一般人が見られるのは石碑だけということである。


「そういうわけで、墓参りのときは今後も俺たちに前もって連絡を入れてもらうと助かる。端末の番号もあとで教えよう」

「お願いします」


 と言っても、フラムは持っていないのだが。

 ミルキットも、『ご主人様がいないなら持っていても意味がありません』と所持していなかった。

 だがフラムほどの人物になら、わざわざ買わずとも王国の方から送ってくるだろう。

 実際、イーラはすでにその手続きを済ませ、渡す準備を進めていた。


 バートは事務局のさらに奥にある扉に、フラムとミルキットを連れて行った。

 その先には、あまり広くはない通路が延々と続いており、横にいくつもの扉がついていた。

 向こう側は表のルートに繋がっていると思われる。

 さらに進むと、前方に少しだけ豪華な扉が見えた。

 開けば、広めの通路に出る。


「一般公開される日は、ここが通路として使われるんだ」


 バートはそう説明してくれた。

 今日はほとんど誰も使わないからか、明かりはついておらず、道は薄暗い。

 窓もなく、密閉された筒状の空間のため、声や足音がよく響いた。

 すると奥の方から、別の誰かの足音が――それも複数人分近づいてくる。


「おや、久しぶりだねえフラム」

「ケレイナさんっ!」


 そこには、四年前とほとんど変わらぬ、ケレイナの姿があった。

 フラムから一歩下がった位置に立つミルキットは、彼女に頭を下げる。


「ってことは、そっちの女の子はハロムちゃん?」

「はい。覚えていてくれたんですね、お姉ちゃん」

「そりゃあ、四年間って言っても私にとっては数週間の出来事だから。それにしても大きくなったね」

「成長期ですからっ」


 ハロムは、かつての元気さはそのまま、さらに女の子らしい清楚さを身につけていた。

 もう十一歳なので、年相応ではあるのだが、フラムの記憶の中の彼女とのギャップが激しい。


「それと、その子は……」


 最後に、フラムの視線がケレイナの足にしがみつき、背後に隠れる男の子に移った。

 年齢は三歳前後だろうか。

 少なくともフラムの記憶に無いということは、四歳以上である可能性はないだろう。

 するとフラムの視線を感じた男の子は、さっとケレイナの後ろに隠れる。


「ごめんねー、いきなり知らない人が話しかけてきたら怖いよね」


 しゃがんで優しい声で語りかけるフラムだったが、足にしがみついたまま、じっとこちらを睨みつけてくるだけだ。


「この子、ティオって言うの」


 ケレイナが言った。

 フラムは顔を上げ、驚いた表情を見せる。


「その名前って……」

「ティアとガディオから貰ったのさ」

「じゃあ、ガディオさんの子供なんですね」


 少し影のある笑みを浮かべ、頷くケレイナ。

 罪悪感は――ある、のだろう。

 かつての友人の夫に、半ば強引に抱いてもらって、その子供を生んだのだから。

 だが、好きな人の子供を授かることができた喜びだって、確かにある。


「確かに、目元のあたりがガディオさんに似てますね」


 可愛らしい子供で、母親の後ろに隠れて足にしがみつく姿も微笑ましい。

 しかし目つきはお世辞にも良いとは言えず、まゆげも太い。

 まあ、それがいいアクセントになって、さらに可愛さを増しているとも言えるのだが。


「私ね、ティオくんのパパの弟子だったんだよ?」

「……」

「こらティオ、返事ぐらいしなさい」


 ハロムがお姉さんらしく叱る。

 しかしティオは口をへの字に結んで、首をふるふると振った。


「あはは、弟子だから何だよって話だよね」

「すまない、人見知りなのさ。そういうところまであいつに似なくていいと思うんだけどねぇ……」

「ガディオさん、人見知りだったんですか?」

「子供の頃はね」


 意外な事実……けど、少しだけフラムはわかる気がした。

 少なくとも、見知らぬ人にフランクに話しかけるタイプじゃない。


「じゃあティオくんも、将来はあんなたくましい男の人に成長するのかもね?」

「……っ」


 再びふるふると首を左右に振るティオ。


「拒絶されてしまった……」

「そういう時期なんだよ。こらティオ、せめて一言ぐらい声を聞かせてやったらどうなの?」

「……」


 ケレイナがそう言うと、ティオは完全に後ろに隠れてしまい、フラムから顔すら見えなくなってしまった。


「ふふっ」


 その動作に、思わず頬を緩めるミルキット。


「ったく、そうやっておどおどしてると、またお姉ちゃんに怒られても知らないからね?」

「お母さんよりお姉ちゃんの方が怖いんだ」

「わ、私は普通にしてるだけですっ」


 少し恥ずかしそうに反論するハロム。

 すっかりお姉さんだ。

 というかフラムとは五歳しか違わないので、以前と同じような子供扱いはできそうにない。


「そういえば――ケレイナさんたちも、墓参りに来てたんですね」

「週に一回は通うようにしててね、ちょうど今日はフラムが戻ってきたって話をしてたところさ。早く姿を見せてやりな、きっとあいつも喜ぶよ」

「そうですね。ガディオさんのとこにも、こっちの世界にもいなくて、心配かけてたでしょうから」


 あれから四年も経ってしまったため、今も彼がこの世界を眺めているのか、それとも“次”に行ってしまったのかはわからないが。


「それじゃ、あたしたちは先に」

「今度は私たちの方から遊びにいきますね。まだあの屋敷を使ってるんですか?」

「ああ、無傷とは言えないけど無事だったからね」

「楽しみに待ってますねっ」


 ケレイナたちは、フラムと手を振って別れた。

 ミルキットは深々と頭を下げて、彼女たちを見送る。

 さらにバートとも、少しだけ言葉を交わしていたようだ。

 すれ違ったあと、しばらく進んでからフラムはケレイナたちの背中を振り返った。

 すると、ティオがこちらをじっと見ている。


「じゃあね」


 フラムが手を振った。

 遅れて、ミルキットも同じように控えめに手を振る。

 するとティオは、おどおどとしながらも、「ばいばい」と口を動かした。


「……子供、かわいいよねぇ」

「ですねぇ」


 二人はティオの魅力にすっかり骨抜きである。


「私とご主人様の子供がいたら、どんな感じなんでしょう」

「そりゃもう、ミルキットに似てとんでもなくかわいくなるんじゃない?」

「いえいえ、そこはご主人様に似てとてつもなくかわいい子供になると思います」


 互いに譲れないフラムとミルキット。

 実際、どっちに似ていようが溺愛しそうな二人ではあるが。


「子供……子供かぁ……」

「生めたら、嬉しいですね。技術の進歩でどうにかならないでしょうか」

「反転使えばなんとかなる気も……」

「そ、そうなんですかっ!?」

「いや、可能性だけどね? 今の私って割となんでも有りだから、やろうと思えば出来ると思うけど……この場合、どっちが生むんだろうね」

「選べるんですか?」

「たぶん」

「ど、どっちもという選択肢は……」


 盛り上がるトークに、


「なあ、お前さんたち」


 男性の声が割り込んだ。

 若干離れた場所で会話を聞いていたバートである。


「俺がいるの忘れてないか?」


 呆れ顔で言う彼に、フラムはあっけらかんとした表情で返事をした。


「忘れてないですよ?」

「そこは忘れていた方が嬉しかった」


 もはや二人には人の目など関係ないのである。

 そんなことを気にしていては、すっかり有名人になったフラムに自由な時間など無いのだから。


「墓はこの先だ、待たせるのも悪いからな、早く行くぞ」


 バートはこれまでより早足で歩きだした。

 フラムはミルキットの手を握り、駆け足気味でその背中を追いかける。

 三人で歩くには広すぎる廊下を進むと、また扉が見えてきた。

 その両開きの扉は、首を傾けなければ全貌が見えないほど高く大きく、全体に荘厳な彫刻が施されている。

 絵柄をよく見ると、オリジンと英雄との戦いが描かれているようだ。


「何だか……歴史上の人物って感じがして、少し寂しいですね」


 フラムがつぶやく。


「実際この先、何百年、何千年と彼らの名前は残っていくんだろう。じきに教科書にも載るんじゃないか」

「でも……まだ、“歴史”とか“過去”じゃないんです。少なくとも、私にとっては」


 その死は、生々しく記憶に残っている。

 ガディオとの戦いに至っては、その感触すら忘れていない。

 過去などではなく――その死は、現在進行系でフラムの心にある。


「こう言っちゃ悪いが、俺らにとっては少しずつ過去になりつつあるのかもしれない」

「……そうかもしれないですね。四年もあれば、そうなっちゃうんだと思います。きっと、私も」

「ご主人様……」


 時間のすれ違いを感じる。

 だがしかし、いつまでも彼らの死を引きずってはならないのも事実だ。

 おそらくは彼らだってそれを望んでいないし、あるいは彼ら自身も、次のステージに進んでいるはずなのだから。


「開けるぞ」

「お願いします」


 さすがにこの大きさだと、手で押して開けるいうわけにはいかない。

 バートはポケットから鍵を取り出すと、壁に取り付けられた小さな蓋に差し込んだ。

 そこを開けば、中には水晶が埋め込まれている。

 手を当て、魔力を流し込むと、廊下に重低音を響かせながら、扉が動き始めた。


 開いた先にあったのは、白い空間。

 天井の窓から差し込む光に照らされ、あの世を描いた壁画を除けば、汚れ一つ無い純白に満ちている。

 フラムが立ち入ることを拒んでしまうほど、神聖な場所だった。

 そしてそこには、いくつかの棺が並んでいる。

 マリアやライナス、ガディオのものはもちろん、ヘルマンや、死後の功績から、リーチやウェルシー、フォイエもこの場所に埋葬してあった。


 フラムの足は自然と一番近い棺に近づいていく。

 もちろん中は見えない。

 だがおそらく、棺に遺体は眠っていないのだろう。

 なにせ――彼らはコアだけを残して、消滅したのだから。


「ライナスさん、マリアさん。色々ありましたけど、こうして生き残れたのは、あなたたちの力があったからだと思います」


 ゆえに、残っているのは二人の遺品だけだ。

 それでも手を当てて声を発せば、どこかにいる彼らに、届くような気がした。


「ライナスさんは、言うまでもなく、とても頼りになって……マリアさんも、結局、優しい自分を捨てられなかったんですよね。だから、何度も私たちを助けてくれた」


 マザーとの戦いもそうだし、一人さまようセーラだって、彼女が居なければネイガスと再会する前に命を落としていただろう。


「ずっと想い合っていたのに、オリジンのせいで……だから、きっと今は、うまくやってるはずですよね。お幸せに」


 死は、契りだった。

 神と罪は、二人が結ばれるのを許さなかった。

 ならば互いに想いを遂げるためには、この世を捨てるしかなかったのだろう。

 そう思えば――その末路にも、少しは救いが見えるような気がした。


「ヘルマンさん」


 次は、彼の棺へ。


「命を賭けて神喰らいを託してくれて、本当に、本当にありがとうございました。あの剣がなければ、私は今日、ここに立ってなかったと思います」


 今でも思う。

 ヘルマンが死ぬ必要などなかったはずだ、と。

 あれはオリジンによる死というよりは、ヴェルナーという一人の男の嫉妬による死だった。

 まあ、それを言えば――オリジンによる被害者の全てが、死ぬ必要のない人ばかりだったのだが。

 彼の家族も、同じように。


「記憶を失っていたときも優しくしてくれて、嬉しかったです」


 きっと、妹に対しても、あのときと同じように接していたのだろう。

 無口で、無表情で、体も大きくて、近くで見るととても怖いけれど――優しくて、強くて、自慢のお兄さん。

 そうやって、慕われていたに違いない。


「どうか、あちら側で、家族と平穏に暮らしてください」


 そう祈るしか無い。

 ライナスやマリア、ガディオにしたってそうだが――そんなに都合よく、死後の世界が幸せに満ちているかなんて、フラムにだってわからない。

 だが、この世には、人の意志が引き寄せる、説明できない現象がたしかに存在する。

 だったら――ご都合主義だって、あったっていいはずだ。


「リーチさん、ウェルシーさん、フォイエさん」


 次の棺に移った。

 こちらも、寄り添うようにすぐそばに配置してある。

 蓋に刻まれた名前を指先でなぞると、フラムは唇を噛んだ。


「……何もできなくて、ごめんなさい」


 彼らの死は、あまりに、救いがなさすぎた。

 罪など無い。

 仮にリーチが自らの過ちを悔やんでいたとしても、フラムはそれを罪だとは思っていない。

 正しく生きてきたはずだ。

 真実を暴き、人々を救い、豊かにするために、真っ直ぐ、潔白に。

 なのになぜ、あんな酷い死に方をしなければならなかったのか。

 オリジンの醜さを、オリジン・ラーナーズという男の醜悪さを、フラムが最も強く感じたのはあの時だった。


「お世話になってばかりだったのに、結局、生きている間はほとんど恩返しできませんでしたね」


 帰る場所となったあの家だって、リーチに与えられたものだ。

 ウェルシーによる情報収集はもちろん、彼が味方になってくれたことによる安心感も大きかった。


「オリジンはちゃんと倒しましたから。だから……少しでもこれで、あなた方が感じた絶望が薄れたのなら、嬉しいです」


 彼らが暴こうとした真実。

 その先にあった、悪意の根源。

 それはもう、この世には存在しない。

 理不尽な苦しみも、死という現実も消えないけれど――オリジンは今、それよりももっと強く、激しく、終わりのない苦痛を感じている。

 それで、少しでもリーチたちの憎悪が癒せたのなら。

 希望的観測ではあるが、フラムはそう願った。


「ガディオさん」


 そして、最後の棺の前に移動する。


「あなたのおかげで、私、こうやって戻ってくることができましたよ」


 ガディオが死してもなおフラムに騎士剣術キャバリエアーツを伝授していなければ、オリジンに勝つことはできなかっただろう。

 その恩義は、何度言葉にしたって足りないほど大きい。

 もう本人に直接伝えられないとなってはなおさらだ。


「ティアさんや仲間の人たちとは会えましたか? 今度は、ガディオさん自身が幸せになってください」


 彼の戦いは終わった。

 終わったのなら――その先には、幸福があるべきだ。


「本当に……この世界で苦しみを背負ってきた分、心の底から幸せになって、笑ってくださいね」


 残酷な世界で、ボロボロになってあがいてきたのだから、報いが、救いがなければ嘘じゃないか。

 だからフラムは目を閉じ、祈る。

 どうかガディオが、どこか遠い場所でもいいから、愛する人と笑いあえていますように、と。


 フラムが息を吐き、天を仰いだところで、ミルキットは駆け寄った。

 そして取り出した手ぬぐいを渡す。


「ありがと」


 未だ震える声でそう言うと、フラムは涙を拭き取った。

 だが、拭いても拭いても止まらない。

 どんなに希望的な言葉を投げかけたって、大事な人が死んだら、悲しいに決まっている。

 いずれ、この感情も風化していくのだろうか。

 いくらフラムでも、自身に降りかかる時間の流れには抗えない。

 だったらせめて――今だけは、泣けるだけ泣いておこう、悲しめるだけ悲しんでおこう。

 そう思った。


「誰かと思えば、お前たちだったのか」


 と、そのとき、できれば聞きたくなかった男の声が響く。

 開かれっぱなしだった扉から入ってきた彼の姿を視界に捉えると、フラムは露骨に「はぁ」とため息をついた。

 涙も止まってしまいそうだ。


「そんな顔をされても困る、僕の住処に入ってきたのは君の方じゃないか」

「住処? ジーン、ここに住んでるの?」


 フラムの問いに、ジーン・インテージは無駄に髪をかきあげて答えた。

 様になっているのが余計にむかつく。


「僕はジーン・インテージという人間の墓標なんだ。だったら、ここ以上にふさわしい住まいは無いだろう?」


 そう言って、彼はナルシズムに満ちた、儚げな笑みを浮かべた。





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