第116話 PROMISE

 





 数分後、遅れてジーン、ネイガス、ツァイオン、セーラ、そしてバートの五人が到着する。

 抱き合うフラムとミルキットを見て、ジーンが露骨に舌打ちをしたのは言うまでもない。

 他の四人は、溶けた村人によって血だらけになった広場を見て眉をひそめていた。


「これはまた妙なメンバーが集まってる」


 エターナがそう言うと、視線が彼女に集中する。


「エターナ、貴様もしぶとく生きていたか。もっとも、五体満足とは行かなかったようだがな」


 ジーンがそう言うと、インクが唇を噛んで目をそらす。

 そんな彼女をフォローするように、エターナはその手を握った。


「ねえ、セーラもそこにいるんだよね。回復魔法でエターナの腕は治せないの?」

「傷口を見せてもらわないとなんとも言えないっすけど……」

「いい、自分でもわかってる。もうあれから時間が経ってる上に、切断された腕も無いから、魔法による治癒は難しいはず」

「……そう、なんだ」


 インクとてわかっていた。

 それでも、可能性に賭けてみたかったのだ。


「問題はない、わたしにはこれがあるから」


 そう言うと、エターナは魔法を唱え水の腕を作り出す。

 それは通常の右腕と遜色ない動きで、開いたり閉じたりを繰り返した。


「器用なもんだな、オレの炎じゃんなことはできそうにねえ」

「水使いの特権」

「ふん、僕にもそれぐらいはできるがな」


 なぜか張り合うジーンだったが、もちろん誰も相手にしなかった。

 そしてひっそりとリートゥスも鎧から黒い腕を揺らしてアピールしていたのだが、こちらには誰も気づいていない。


「と言っても、インクは納得しなさそう」

「だって……」

「インクは優しい子だからすぐには無理だろうけど、本当にわたしは平気。だから、早いところ前みたいに笑ってくれると嬉しい」


 水の腕がインクの頭を撫でる。

 それでも彼女はやはり自らの罪を許容できないようだが――エターナがそばにいれば、いずれは解決するだろう。

 そのやり取りを見てフラムたちも、エターナが腕を失った理由がインクにあることは察しがついていたが、首を突っ込もうとする者は一人もいなかった。


「ところで、フラムのステータスが異常な数値になってる理由を聞きたい」

「その前に、今日ここでなにが起きたのかを説明しろ。助けてやった僕らにはその権利があるはずだ」

「人に物を頼むときはもう少し言いようがあると思う」

「エターナ、自分の立場を弁えろ。いいか、僕たちが来なければ、お前はヒューグに殺されていたんだぞ?」

「ジーンはほとんど何もしてないわよね」

「ネイガス貴様までっ! どいつもこいつも僕のおかげで命を救われたくせに横柄な奴らだ! いいだろう、ならば僕の偉大さをその体にわからせてやる!」

「まあまあ、落ち着けって」


 今にも魔法を放ちそうになるジーンを、ツァイオンが前に割り込んでなだめる。

 まるで凶暴な猛獣でも手懐けようとしているようである。


「エターナさんって、ジーンさんと仲が悪いんですか?」


 ミルキットが小声で尋ねると、フラムは首を縦に振った。

 旅のときからずっとそうだった。

 というか、ジーンと仲のいい人間など一人もいなかったかもしれない。

 相当人の良かったライナスは何かと気にかけていたが、かつてはそれすらもぞんざいにあしらっていたのだから。

 しかし、その中でも際立って、エターナとジーンの仲は悪かった。

 魔力は高いが水属性しか扱えないエターナと、魔力は劣るものの四属性を操るジーン。

 互いに役割が微妙に被っているからこそ、特に戦闘中なんかは罵倒し合うことも珍しくなかったのだ。


「エターナ、とりあえずこっちから話していいんじゃない? シアのこととか、溶けちゃった村人のことも気になるだろうし」

「……インクがそう言うなら」


 インクに説得されるとあっさりと折れるエターナ。

 そして「ふん」と鼻を鳴らして勝ち誇るジーン。

 すると彼の後頭部に、拳より小さいぐらいの氷の固まりが落下した。


「ぐっ……エターナ、またか貴様ぁッ!」

「わたしじゃない。たぶんジーンがあまりに生意気だから、天罰だと思う」

「ならば八つ当たりで貴様の四肢を切り刻んでやる!」


 ジーンの周囲で渦巻く魔力。

 今度こそ彼は本気だ。

 エターナも受けて立つと言わんばかりに構える。


「頼むから落ち着けって!」

「これが落ち着いていられるか、あのクソ女を殺す! 完膚なきまでに殺して原型を留めない肉片にしてやる!」

「できるものなら――」

「エターナさん、あれがムカつくのはわかりますけど、お願いだから冷静になってください。私もカムヤグイサマの話を聞きたいんです!」


 今度はフラムに説得され、エターナはようやく大人しくなる。

 一方でジーンは、ツァイオンに加えてネイガスとセーラの三人がかりで、今にも暴れそうなところを抑え込まれていた。

 バートはそんな彼らを遠巻きに眺めながら、大きくため息をついた。


「く――オリジンを倒したら絶対に僕の手で殺してやるからな!」


 そう吐き捨ててようやくジーンは落ち着いた。

 まだ二人の感情は火花を散らしていたが、ひとまずここでやり合うのは阻止できたようだ。

 そもそもエターナは魔力の大部分を消費している上に怪我までしており、それどころじゃないはずなのだが。


「はぁ……どっと疲れた」


 半分以上は自業自得なのだが――それだけジーンのことが嫌いなのだろう。

 できれば、同じ空気を吸いたくないとまで思っているに違いない。


「えっと、それで……今日ここで何が起きたか、だっけ。先に確認しておくけど、フラムたちはカムヤグイサマのことをどこまで知ってる?」

「あいつは王都でいきなり現れて、私たちにカムヤグイサマについて教えてくれた人間を食い殺しました。それで、ミルキットたちがその生贄になる可能性があるからってことで、それを止めるために、ファースの村を目指してきたんです」

「そしたらいきなり村が王都みたいな見た目になって、さらに空に顔が浮かび上がってびっくりしたんすよね」


 それは何の前触れも音もなく、フラムたちの目の前に顕現した。

 ただの田舎村が巨大な都市へと姿を変え、空に満ちた灰色の雲の裂け目から、女性の顔が現れたのである。


「と思ったら、フラムが急に『魔法で私をあそこに飛ばして』って言い出すものだから、こっちにも驚いたわ」

「仕方ないじゃないですか。なぜか、ミルキットに危険が迫ってる気がしたんです」


 ミルキットを抱き寄せながら、フラムは唇を尖らせた。

 抱きしめられたミルキットは、話の内容など頭に入っていない様子で、主の横顔を見てうっとりしていた。


「でも結局、カムヤグイサマそのものはどこにもいなかったですよね。ヒューグから似たような気配は感じましたけど、やっぱりあいつの中にいたんですか?」

「その認識で間違いではない」

「村人たちが『ヒューグはカムヤグイサマの化身だー!』って信じ込んじゃったから、合体しちゃったんだよね」


 インクはさらっとそう言った。

 フラムたちの頭の上に疑問符が並ぶ。


「……どゆこと?」


 普通に考えて、『村人が思い込んだから合体する』と言われても意味がわからない。

 彼女がそう尋ねると、インクの代わりにエターナが答えた。


「そうとしか言いようがない。カムヤグイサマは、村人たちが信じたからこそ生まれ、そして信じた姿に形を変えていた」


 フラムはさらに混乱する。

 するとジーンが一歩前に出て、顎に手を当てながら語りだした。


「人間の想像が作り出した怪物――いや、魔法ということか?」

「ムカつくけど正解」

「私はますますわからないんですけど」

「仕方ない、阿呆にもわかるように話を――」


 やたら偉そうなジーンの言葉を、エターナが遮る。


「そこのシアって人をスキャンしたらわかる」


 言われるがまま、へたりこんだままの黒髪の女性に、フラムたちは一斉にスキャンをかけた。

 蚊帳の外だったシアに複数の視線が集中し、彼女は視線をさまよわせ挙動不審に困惑する。


「夢想……」

「希少属性ということか」


 初めて口を開いたバート。

 彼もヒューグの関係者として、この村で起きた出来事には関心があるようだ。


「そう、ざっくり言うと“想像を具現化する”能力」

「んだよそりゃ、そんな能力が本当にあるんなら、なんでもやり放題じゃねえか!」

「実際、わたしもポテンシャルは高いと思っている。ただし、その力は彼女個人で制御できるものではなく、周囲の人間も巻き込む」

「どういうことっすか?」


 一連のやり取りを聞いて、ジーンは一人薄ら笑いを浮かべている。

 おそらく『こんなこともわからないのか』と見下して悦に浸っているのだろう。


「発動条件はおそらく、シア自身がその現象――今回の場合はカムヤグイサマの存在を信じること。なおかつ、近くにいる人間が複数人、カムヤグイサマを強く信じることで、想像は実体化する」

「要するに何だ。そこのお嬢さんと、ファースの村人がカムヤグイサマを熱く信仰してたから、あの化物が生まれちまったってことか?」


 頷くエターナ。

 さらに彼女は補足して説明を続ける。


「そして一度でも発動してしまえば、そこから先でシアがカムヤグイサマを信じなくなったとしても、周囲の人々が信仰を続けることで実体は維持される」

「でも、それはシアさんの魔法なんすよね? 確かに5000ってどんでもない量っすけど、その魔力だけじゃ、あんな地形を変えるような化物を作れるとは思えないっす」

「そっか……私、わかっちゃったかも」


 気まずそうにフラムが口を開いた。


「もしかして、カムヤグイサマを信じた人間全員から、魔力を吸い取ってたんじゃないですか?」


 その言葉に、「そういうこと」とエターナは首肯する。


「じゃあ、私たちからも魔力が送られてたわけですね」

「なんでそうなるんすか?」

「いやだって、私たちは王都でカムヤグイサマの実体を見たわけでしょ? それで、その実在を信じて、倒すためにファースまで来たわけで……」


 ぽんっ、と手を叩き「ああ、なるほどっす!」と納得するセーラ。

 あの時点で、フラムたちはカムヤグイサマが存在すると信じてしまったのである。


「結果、フラムたちから吸った大量の魔力で、カムヤグイサマはあんな無茶苦茶な力を扱うことができるようになった」

「あはは……なんかすいません」


 自分が戦っていたカムヤグイサマが、自分のせいで強くなった化物だったのだから、そりゃあ気まずくもなる。

 マッチポンプもいいところである。


「ご主人様が謝ることはありません、だってそのおかげでヒューグを倒すことができたんですから」

「ミルキットの言う通りだよ。フラムの魔力が流れ込んだってことは、フラムの思い込みも事実に変わるってことだしね」

「あ、じゃあヒューグに私の攻撃が当たってたのって、私が『神喰らいなんだし神様に効くはず』って思い込んでたからなの?」


 うんうん、と三度頷くエターナ。

 それはフラムにとって、自身を奮い立たせるための自己暗示のようなものだったのだが。

 まさか本当に効果を発揮しているとは、フラムでなくとも誰にも想像できなかっただろう。


「ってことは、ミルキットが戦闘中に私のこと褒めてくれてたのも、そのためだったり?」

「聞こえてたんですね……そうです。ご主人様に、というよりは村人たちの信仰を揺るがすためだったんですが」

「なるほどね、だからヒューグの動きが途中から鈍ったわけだ。でもあの声って、誰かが風の魔法でサポートしないと、あんな風には聞こえてこないよね」

「それはわたしも疑問だった。離れた場所にいたわたしとインクが話してた作戦をミルキットが聞いて、決行できた理由もわからない」


 フラムとエターナ、二人の視線がミルキットの方を向いた。

 別に責めているわけではなく、単純に疑問に思っているだけなのだが。

 もちろん、彼女はそれがライナスの魔法によるものだと知っている。

 しかし、彼はライナスを名乗らず、あえて『風の旅人』などとふざけた名前を使っていた。

 つまり自分がそばにいることを、誰にも悟られたくなかったのである。

 本来なら、主に隠しごとなど許されることではない。

 だが今回だけは――そのおかげでフラムが助かったのだから、ライナスの意思を尊重する義務が自分にはあるのだ、とミルキットは感じていた。


「ごめんなさい、私も誰があんなことをしてくれたのかはわからないんです」


 もっとも、微かな表情の変化から、その嘘に気づかないフラムではないし、ミルキットとて隠しきれるとは思っていない。

 それでも問いただそうとしない主の優しさに、想いが通じ合ったようで彼女は罪悪感を抱くと同時に、少し嬉しかった。


「ミルキットが知らないなら仕方ない。とりあえず、わたしから話せることはこれぐらいだけど、他になにか疑問はある?」

「その女はどうするつもりだ?」


 ジーンは顎でシアを指した。


「あ、あの、わ、私……その……」


 いきなり話の中心に投げ出され、彼女の目が泳ぐ。

 自分の意思では無かったとはいえ、カムヤグイサマを作り出したのはシアだ。

 ミルキットたちが遺跡に連れてこられる以前には犠牲者だって出ている。

 裁かれても文句は言えない立場ではあるが――


「わたしはどうもしない」

「シアさんは私たちのことを助けてくれましたし……」

「むしろ感謝するぐらいだよね」


 エターナ、ミルキット、インクの三人は続けざまにそう言った。


「カムヤグイサマと実際にやりあったお前はどうなんだ、フラム」

「私もみんなと一緒かな。同じ希少属性の持ち主だし、制御できない苦しさはわかるつもりだから」

「そうか、ならば僕からもなにも言うまい」


 あっさり引き下がるジーン。

 てっきりフラムは、『僕の手を煩わせるクズめ!』と言って殺そうとすると思っていたのだが。

 こうも素直だと、逆に気持ち悪い。

 とはいえ、話がスムーズに進むのは悪いことではないので、あえて口には出さないが。


「つうことは、ここに捕まってる他の連中と同じように保護して、王都まで連れてくってことか」

「い、いいの? わ、私、ひどいこと、したのに……」

「制御できないんなら仕方ないわ。元々の原因は、村人たちが生贄を要求するような神様を求めたことにあるんでしょ?」

「で、でも、わ、私は、カムヤグイサマの巫女で、私さえいなければ、その……」

「よくわかんないけど、ようやくその巫女からも解放されたわけでしょ? なら、これからはあなた自身で選んだ人生を楽しまなくっちゃ。ね?」

「あ、えと……あ、ぅ……は、はい……」


 有無を言わせぬフラムの満面の笑みを前に、シアはなにも言えない。

 生まれたときから遺跡に閉じ込められてきた彼女は、紛れもなくこの村の犠牲者だ。

 ならば罰する理由などどこにもない。

 彼女がそう望まない限りは。


「そういえば、生贄として連れてこられた人たちはどこにいるんすか?」

「姿はどこにも見えんな」


 バートは村を見渡すが、自分たち以外の人影はどこにも無い。

 少なからず、生きたまま連れてこられた人々がいるはずなのだが。


「たぶん、まだ遺跡の中を彷徨ってるはず」

「この村にも遺跡があるのね」

「うん、それもとびきり広いやつでさ。カムヤグイサマに追っかけられながら脱出するの、大変だったんだよ」


 つまり、その中から無事な人間を探し出すのも、それだけ大変というわけで。

 エターナは地下に続く階段のある建物を見ると、「はぁ」と物憂げにため息をついた。




 ◇◇◇




 遺跡内部の人々を救出するため、手分けして探索をすることになった。

 単独行動で迷っては元も子もないということで、二人組を作ることになったのだが――


「なぜ着いてくる」

「二人一組で行動しろっつう話だったろうが」


 ジーンとツァイオンが組むことになったのは、簡単に言うと余ってしまったからであった。

 電灯に照らされた薄暗い遺跡の中を、ツァイオンがジーンを追う形で前へ進んでいく。


「僕が迷うとでも?」

「思わねえが、救出した人間と熱く喧嘩でもされちゃたまんねえからな」


 彼が一人なら、間違いなく揉めるだろう。

 フラムたちの目がある以上、なんだかんだで地上までは運ぶだろうが、それまでに怪我でもさせたのではたまったものではない。


「安心しろ、僕は救出などに興味は無い」

「じゃあなんで遺跡に入ったんだよ……」


 ツァイオンは呆れ顔でぼやいた。

 しかもその割には、ジーンの歩みには迷いがない。

 まるで何か目的があるようではないか。


「やはりそうだな」


 ジーンはふいに足を止めると、壁に手を当てながらそう呟く。

 彼にぶつかりそうになったツァイオンは、「おっと」と声を上げながら寸前で止まった。


「なにが“そう”なんだよ」

「物分りの悪い単細胞魔族のために説明してやろう」

「いちいち罵倒しなきゃ喋れねえのかよ……」

「王国に存在する遺跡はその昔、人類や魔族が、オリジンと戦うために作り上げた施設だ。しかしこの遺跡は、それより以前に作られたものだと考えられる」

「要は、カムヤグイサマはそんだけ昔から存在してたってことか?」


 ジーンの浮かべる『よくわかったな』と言わんばかりの意外そうな表情に、ツァイオンのストレスがたまっていく。

 ああ、確かに彼は間違いなく天才なのだろう。

 頭脳だけでなく、他人を不快にさせることに関しても。


「その証拠はいくつもあるが、最もわかりやすいのは天井にぶら下がっている照明だな」

「魔力灯じゃないのか?」

「いいや違う。あのケーブルを通して供給されているのは、魔力とは全く異なるエネルギーだ」

「なんだってんなもんを使ってんだ?」

「これは仮説に過ぎないが、かつてこの世界に生きていた生物には、魔力というものが存在しなかったのだろう」

「魔力が存在しねえ?」


 ツァイオンは怪訝な表情で聞き返した。

 人間以上に魔法が日常生活に溶け込んでいる魔族にとっては、信じられない事実だろう。


「でも、昔の人間がオリジンを作り出したんだろ?」

「だからこそだ。かつてこの世界には、今とは比べ物にならないほど進んだ文明が存在した。それこそ、オリジンのような化物を作り出せるほどの、な。しかしあいつは、一種の到達点だったんだ」

「作り上げたのはいいが、強すぎて止められなかったってことか」

「おそらくはな。オリジンの特性を考えれば、おそらく当時の人類は同士討ちで滅びたのだろう。結果、この星は再起不能なまでのダメージを受けた」

「その割には、オレらは普通に生きてるんだが?」


 再起不能なダメージを受けたというのなら、もはや誰も住めないはずである。

 すなわちそれは、オリジンが望んだ世界の完成でもあった。


「ツァイオン、お前はこの大陸の外がどうなっているか知っているか?」

「どう、って……海があるな」

「はっ」


 ツァイオンの答えは鼻で笑うジーン。

 確かに、あまりにアホっぽい返答である自覚は彼にもあった。

 もっとも、他にどう答えればいいのかわからない。

 なにせ、大陸の近くに細々とした離島はあれど、紛れもなくその向こうには海しかないのだから。


「王国は大陸統一後、何度か海の向こうへと調査隊を送ったことがある。他に人間の暮らす島が存在するのではないか、資源の眠る場所があるのではないか、と期待したのだろう」

「オレらも何度か飛んで海を探したことあるが、なにも見つからなかったぞ?」

「ああ、それが答えだ。無いんだよ。この大陸の外には、火山の噴火により新たに生まれた人の住めない島と、かつて存在した島の残骸以外、なにも無い」


 この世界に暮らす人間や魔族にとって、それはごく当たり前のことだった。

 なにを今さら――そんな感情を込めてツァイオンはジーンの方を見る。

 すると彼は、近くにあった部屋の扉に手を伸ばし、中に入っていった。

 そこは机と棚の並ぶ、なんの変哲もないカビ臭いだけの空間だ。


「マジで救出するつもりはねえんだな」

「そう言っただろう」

「で、この部屋はなんなんだ?」

「壁の案内板を見なかったのか、資料室だ」

「何千年も前の文字なんざ読めねえよ、オレは研究者じゃねえんだ」

「それは読もうとしていないだけだな。ほら見てみろ」


 ジーンは机の上に置かれた灰色のケースを手に取ると、ツァイオンの前に突き出す。

 そこには、『資料端末』と彼にも読める文字で記されていた。


「古臭い字体ではあるが、確かに読めるな」

「だからそう言っただろう」

「何千年も前から文字が変わってないなんてこと、ありえるのか?」

「実際あったんだ、あると言うしかない」


 言いながら、ジーンはケースを開く。

 すると中は見慣れぬ装置でびっしりと埋まっており、触れるまでもなく急に光りだす。

 どうやら、開いた時点でスイッチが入る仕組みのようだ。

 そして、装置は空中に画面を映し出した。


「なんつうか、スキャンでステータスを見たときみたいだな」

「少なからずルーツに共通点はあるのかもしれないな」


 指で画面に触れるジーン。

 するとまた別の文字と画像が表示される。


「なるほど、これ自体にかつての時代の資料が保存されているわけか」

「んなちっちぇえ箱にか」

「これがかつてと今の技術力の差ということだ。ああ、しかし――興味深いデータばかりだ。こんなときで無ければ、部屋にこもって解析したいところだが」

「今はやめろよ」

「その程度は弁えている、見るのは少しだけだ」


 ツァイオンは、ジーンに多少なりとも常識的な感覚があることに地味に驚いていた。


「さて、問題だツァイオン」

「んだよ急に」

「この世界にはかつて、どれぐらいの人間が暮らしていたと思う?」

「今より発展してたってんだから……何千万人とかか?」


 再び鼻で笑うジーン。

 さっきはともかく、今回は端末のデータを見ているだけのくせに、なぜそこまで偉そうに振る舞えるのか。

 その調子のまま、彼は答えを告げる。


「約百億だ」

「ひゃっ……!? いやいや、どう考えても無理だろ! この大きさの大陸に百億だと!?」

「見ればわかる」


 言われるがまま、端末の画面を覗き込むツァイオン。

 するとそこには、今とはまったく異なる世界の姿が描かれていた。


「ちなみに、僕たちが暮らしている大陸はここになる」


 ジーンが指し示したのは、地図に描かれた中でもそう大きくない島であった。


「マジで言ってんのか?」

「ああ。そしてオリジンが作られてから十年後、世界はこうなったらしい」


 まるで早送りでもするように時が過ぎていく。

 すると徐々に破壊されていくのではなく、突如、穴が開いたように大陸の一部が消えた。

 一箇所だけではなく、世界中のあらゆる場所で同じ現象が起き――そしてオリジンの存在するこの島を残して、ほぼ全ての大陸が消滅する。


「冗談だろ……魔法もなしに、こんなことができちまうってのか?」

「ああ、その兵器の概要ならここにあるはず――」


 画面が移り変わった途端に、ジーンの表情が固まる。


「どうしたんだよ」


 ツァイオンが声をかけた直後、彼は端末の表面に手を当てて、ぼそりと何かをつぶやいた。

 すると装置からまるで植物が成長するように石で出来た枝が生え、内側から破壊する。

 そしてバチンッ、と弾けるような音がしたかと思うと、表示されていた画面は消えてしまった。


「お、おい、なにやってんだよ!」

「見なかったことにした」

「あ?」

「こんなものは無かった、存在しなかった。そういうことにすると言っているんだ」

「さっきまで解析したいとか言ってたじゃねえか」

「よもや設計図まで残っているとは思っていなかったのでな。これは現代に残しておくべき技術ではない」

「お前がんなこと言う玉かよ」

「……勝手に言っておけばいい」


 ジーンは低い声でそう言うと、壊れた端末を投げ捨てて部屋から出た。

 彼が何を考えているのかさっぱりわからないツァイオンは、「ふぅ」と息を吐くと、ポケットに手を突っ込んで後を追った。




 ◇◇◇




「でもさあ、ヒューグが王都の光景を再現したのはわかるんだけど、だったらカムヤグイサマが再現したあの変な世界はなんだったの?」


 エターナと腕を絡めるインクは、彼女にそう尋ねる。

 この遺跡が、オリジンが生まれるより前から存在するものだということはわかった。

 だからといって、カムヤグイサマが当時の景色を再現できる理屈にはならないはずだ。


「わたしにそれを論理的に説明する自信は無い」

「エターナでもダメなんだ」

「たぶんジーンでも無理。もはやそういうもの・・・・・・として納得するしかない」

「と言うと?」

「土地に染み付いた記憶、あるいは過去に自分を崇拝していた者の記憶を呼び覚ました可能性があるということ。いわゆるアカシックレコードと呼ばれる概念にアクセスした可能性もある」

「あかしっく?」

「ざっくり言うと、世界が誕生してから今に至るまでの全ての出来事が記録された存在のこと」


 説明を聞いて、インクは「ほへー」と気の抜けた返事をした。

 たぶんよくわかっていないのだろう。


「つまり、シアの能力がやばいってこと?」

「簡単に言うとそうなる。それは彼女に限った話ではなく、希少属性全体に言えることかもしれない。フラムの反転もそうだし、キリルの勇者だってそうだけど、世界の理を超えて、バグめいた挙動を引き起こしている節がある」

「ばぐ……」

「不具合のこと」


 また「ほへー」と相槌を打つインク。

 エターナは、そんな彼女が一周回って可愛く思えてきたらしく、かすかににやつく。


「確かに、フラムのなんでもかんでも反転させるって滅茶苦茶だもんね」

「キリルもそう。リターンやブレイブを始めとして、どうやって成立しているのか説明できないし、たぶん彼女自身も理解していない」

「なんでそんなことになっちゃったんだろうね」

「バグでも利用しないと、オリジンには勝てなかったのかもしれない」


 魔力という概念が、オリジンに打ち勝つために作られたものなのか、はたまたオリジンへの耐性を得る過程で偶発的に生まれたものなのかはわからない。

 だが結果として、勇者は数千年前にオリジンを封印し、そして現在、フラムはオリジンを滅ぼすだけの力を得た。

 星の選択は、間違ってはいなかったのだ。


「めんどくさいね、オリジンって。あたし、以前は届かなかったからこそ偉大な存在だって思い込んでたけど、その姿が見えてくるたびに……すんごくちっぽけな存在に思えてきたんだ。こういうのを幻滅って言うのかな」


 以前のオリジンは、インクにとって紛れもなく“神”だった。

 しかし今は違うようだ。


「曖昧だからこそ、頭の中で勝手に神格化してたのかも」

「世界が狭いんじゃ仕方ない」


 インクの場合、マザーによってあえてそうさせられていたのだろうが。


「インクはとっとと何もかもをオリジンのせいにするべき」

「そう簡単には割り切れないよ」

「わたしが言ってるのに?」

「エターナが言うから余計に」


 思わずエターナは足を止めた。

 当然、腕を絡めるインクも同時に止まる。


「わたしの言葉、プレッシャーになってた?」

「んーん、そういうことじゃないよ。知れば知るほど幻滅していくものもあれば、知れば知るほど好きになってくものもあるってこと」

「……それは、私のこと?」

「それ以外にあるわけないじゃん」


 エターナの顔が紅潮する。

 どうせ見えないだろうけど、と彼女はたかをくくっていたが――


「あはは、エターナってば、顔赤くなってるでしょ」


 どういうわけか、見抜かれてしまった。


「そんなことはない」

「わかるよぉ、体温が上がってるもん。嬉しいなー、あたしの好きなエターナが、あたしのことを好きでいてくれて。でもそれが悩みなんだよね」


 少女の顔から笑みが消える。

 好きになるのは、幸せなことばかりではないのだ。


「ヒューグと戦ってるときも、地下であたしたちを見つけてくれたときも、エターナってばすっごくかっこよくてさ。だから、余計にごめんなさい、って気持ちが大きくなるの。でも役に立ちたくたって、こんな目じゃなにもできないし、今だってエターナが導いてくれなかったら満足に歩くことすらできない。もっと、ちゃんと、恩返ししたいのに、なんであたしはこうなんだー! って叫びたくなるぐらい、すっごく悔しいんだ」


 誰かを好きになれた歓喜と誰かを好きなったがゆえの苦悩の間で、拳を強く握りながら揺れるインクの心。

 それをあっさり解消できるような魔法の言葉は、この世に存在しない。

 励ましが逆効果だと言うのなら、エターナにできることなど、無言で、いつもどおりに寄り添うことぐらいだ。


「愛が重い」

「も、もうちょっと他に言うことあるんじゃない……?」

「無い。わたしはインクがそばにいるだけで十分だし、インクだってそう思ってる。なら、さらに深い場所にある心の問題は、インク自身に解決してもらうしかないから」

「スパルタだ」

「人付き合いがあまり得意じゃないだけ。こういうとき、フラムなら気の利いた歯が浮くようなセリフでも言うんだろうけど」

「そうかなあ、ただエターナが照れ屋さんなだけじゃない?」

「それはない」


 即座に否定するエターナだが、その頬はかすかに赤い。

 体温の変動でインクにもそれが伝わったらしく、彼女が噴き出すように笑うと、エターナは唇を尖らせてすねるのだった。




 ◇◇◇




 一方その頃、地上ではネイガス、セーラ、バート、そしてシアの四人が待機していた。

 セーラは、バートや救出された人々の治療のため、ネイガスはキマイラに襲撃される可能性を考慮してここに残っている。

 とはいえ、彼の治療にさほど時間はかからなかった。

 元より重傷なのは体ではなく、盾の方なのだから。


「この有様では、オリジンとの戦いに加わるのは不可能か。盾がなければ正義執行ジャスティスアーツを発動することすらできないからな」

「たぶん最初から数には数えられてなかったから、問題はないと思うわよ」

「そうなのか?」

「そうなんすか?」


 バートとセーラはほぼ同時に言った。


「だってあなた、特にオリジンと因縁とか無いでしょう?」

「確かにそれはそうだが、数がいた方がいいだろう」

「ジーンがどう考えてるかはわからないわ、でもあいつが何の計画も立てずに決戦を迎えるとは思えないもの」

「つまり、ここに集まった全員が生き残ることを、最初から予測してたってことっすか。いくら天才でもさすがに無理っすよそれは。正直、欠けたのがガディオさんとキリルさんだけっていうのは、奇跡だと思うっす」

「私もそう思ってたんだけど――」


 果たしてそれは、本当に奇跡だったのだろうか。

 誘導は不可能でも、読むことは可能だったのかもしれない、そうネイガスは考える。


「マリア一人の動きぐらいは、読めたんじゃないかしら」

「ねーさまの?」

「ええ。彼女は王国でヒューグ、エキドナ、ヴェルナーの三名にコアを渡し、ライナスを始末した。そしてフラムを拉致し、ミルキットたちが避難していた遺跡を破壊したわ」

「ヒューグのコアは、聖女が渡したものだったのか……!」


 驚愕するバート。

 一方でセーラは、苦しそうに顔を伏せている。

 事実ではあるが、それを羅列されるのは辛いようだ。


「エキドナが化物になって暴れれば、ガディオは復讐を果たすことができ、マリアはその死体を利用することでオリジンへの義理立てもできる。ライナスとの戦闘の形跡を残しておくことで、自らの未練を断ち切りながら、エターナをミルキットたちが避難してたっていう遺跡に誘導することも可能よ」


 その半端さは、まさに今のマリアを象徴するようである。

 彼女はどこまでも聖女を捨てられない。

 まるでそれは、呪いのようにどこまでも、彼女を追い詰め続けるだろう。


「おらやネイガスが生きてたのも、ねーさまがそう望んだから、ってことっすか」

「そこは間違いないわね」


 それは他の予測に比べて、あまりにはっきりとした“事実”だ。


「でも、ジーンは助けにいくことを拒んだんすよね? 時間の無駄だ、って」

「あくまで彼は予測しただけで、誘導したわけじゃないわ。望む望まないに関係なく、未来はそう動くって読んでただけ。だからストレスが溜まらないわけではないし、彼の場合は他人の感情なんて気にせずに好き放題に発散するタイプでしょう?」

「迷惑な男っすね……」

「しかも実際に頭はいいし、魔法の腕だって一流だから、余計に厄介だわ」


 今のところは味方なので、どうにか役に立っているが。

 できればプライベートではお近づきになりたくないタイプである。


「俺が戦力にカウントされていない理由は、まあ半分ぐらいはわかった。だが、それで勝てるのか?」

「勝つしか無いでしょう。とは言え、たぶん私たちは足止めぐらいにしかならないと思うわ」

「コアを破壊できるのはフラムおねーさんだけっすからね」

「フラム頼みということか。負担が大きいな」

「それでも勝算があるからやるんでしょう、今はそう思うしかないわね。ま、私たちは私たちで必死にやるだけよ」

「ネイガスの言う通りっす、おらに出来ることを、全力でやってみせるっす!」


 両手を握り、気合を入れ直すセーラ。

 ただし彼女の場合、敵を倒すと言うよりは、もう一度マリアと心を通じあわせることが、最大の目的なのだが。

 手遅れだと理解していても、無駄だとは思いたくない。

 マリアが自分たちに幸福な終わりを与えようとしたように、彼女にも間違ったままではなく、本来の自分を取り戻した上での終わりを迎える方法があるはずなのだ。


「な、なんだか……大変、なこと、起きてるんだね」


 外の世界を知らないシアは、もちろんオリジンのことも知らない。

 ゆえに、三人の会話のほとんどを理解できなかった。


「箱入り娘ここに極まれり、だな」

「でも彼女が見つかってたら、真っ先にオリジンに利用されてたでしょうね」

「それもそうだな。現状でも、十分に他人に利用される危険性は残っているとは思うが」

「そのために、王国でしっかり保護することが大事だと思うっす」

「承知している、妙な奴らは近づけさせないさ」


 以前の王国ならともかく、今の彼らにならある程度は安心して任せられる。

 オティーリエやアンリエットも以前のように暴走はしないだろうし、スロウもまあ真っ当な人間で、道を違えないようイーラが手綱を握ってくれるはずだ。


 会話が一区切りつくと、バートはふいにシアの方を見た。

 目が合うと、彼女は気まずそうにおどおどと視線を外す。


「不思議に思っていたのだが、村人たちの死を目の当たりにした割にはケロっとしているんだな。辛くはないのか?」


 そう問いかけられると、シアはびくっと体を震わせた。

 いくらなんでも人見知りが過ぎるが、村人以外とほぼ喋ったことが無いのだから仕方がない。


「わ、わからない」

「わからない?」

「私は、み、巫女で……その、みんな、そういう扱いしか、しなかったから。ふ、普段から、喋ってくれなかったし……たまに、子供が忍び込んで、あ、遊んだりしてたけど、その子も怒られて、い、いなくなっちゃった……」


 その『いなくなった』がどういう意味なのか、バートはあえて深くは考えなかった。

 にしても、徹底している。

 それだけ、カムヤグイサマをこの世に顕現させたシアの存在は大きかったということか。


「同じ村人という意識が無かったのね」

「ご両親はいなかったんすか?」

「い、いるって……聞いたことは、あるけど、だ、誰かは知らない。たぶん、あ、あの中の、誰か」


 シアが指さしたのは、村人が溶けた血溜まりだ。

 あの中に両親がいる――それを理解していても、シアは特に悲しくはなかった。

 親として一度も接したことのない両親など、ただの他人と同じなのだから。


「それだけ狂的に信仰しておいて、よく今まで王国に気づかれなかったものだな」

「信仰心が高かったからこそ、誰も口を滑らせなかったんでしょう。一人でも裏切り者がいたらそれでおしまいよ」


 二十年以上に渡る、完全なる隠蔽。

 あるいはシアに会いに来なくなった子供のように、明らかになっていないだけで、“生贄”の体裁で命を奪われた者もいたのかもしれない。

 もっとも、先ほども言ったように、王国が気づいていたからと言って、それが必ずしもシアの幸せに繋がるわけではないのだが。

 彼女がまともに人間としての人生を手に入れられる可能性が生まれたのは、王国がほぼ滅びたからである。


「シアが悲しめないことを『虚しい』と思ってしまうのは、おらの身勝手なんすかね」

「私は、悲しんだ方が、よかったって、こと? でも、か、悲しむって、よくわからないし。あの人たちがいなくなったって、私は……別に」

「そんなもの、結論を出す方が難しいわ。王都で暮らしていく中で、少しずつ考えていけばいいのよ」


 ネイガスが微笑みかけると、シアの表情がようやく緩んだ。

 これから先、しばらくは他の人々との感覚や知識のずれで、彼女は苦労するだろう。

 しかし、崇拝される対象ではなく、対等な関係を築いていくうちに、いつかは人並みの感情を抱けるようになるはずだ。

 元より、このファースで生きながら、生贄を拒み止めようとする善意を持ち合わせた人間なのだから、おそらく心配は無い。


 その後四人の会話は途切れ、遺跡の入り口となった民家の前で無言で待機していると、フラムは夫婦と思しき男女をそれぞれ腕と背中に抱え、ミルキットは若い女性に肩を貸しながら地上に戻ってきた。

 生存者第一号だ。

 久しぶりに浴びた陽の光に、救出された人々は目に涙を浮かべ、夫婦は二人抱き合った。

 すぐにセーラが駆け寄り、怪我が無いか確認する。

 とはいえ満足に食事もとれず、不安のあまり眠れていなかったようなので、衰弱している。

 傷の癒えたバートは、「ブランケットでも探してこよう」と告げてその場を離れた。

 彼に続いて、ネイガスも「じゃあ私は食べ物でも」と民家へ向かう。


「あ……」


 治療の様子を立って見ていたミルキットが、ふらりとバランスを崩す。

 彼女を両手で慌てて支えるフラム。


「大丈夫? やっぱり休んでた方がよかったんじゃない」

「ご主人様と一緒にいたかったので……」

「そんな可愛いこと言われたら厳しく言えないじゃん……でも、次は一人で入るから。ちゃんとここで休んでてね」

「……はい」


 ミルキットはしょんぼりと肩を落とす。

 離れる前よりも甘えん坊になっているのは、気のせいではないだろう。

 遺跡を探索している間も、ずっとべったりだったのだから。

 また離れてしまうのではないかと不安な気持ちはよくわかる。

 フラムとて、手を離せば、また遠くへ行ってしまうのではないかと――本当は今だって、なりふり構わず抱き合って、何時間でもそうしていたいぐらいなのに。

 ひとまず妥協案として、セーラの治療が終わるまでは抱き寄せておく。

 ミルキットは一瞬驚いたが、包み込む体温にすぐさま安堵の表情を浮かべる。


「ここで一人で休むより、こっちの方がずっと元気になれます」

「気持ちの問題でしょ、体力はそうもいかないの」

「もどかしいです。どうやったらご主人様と離れずにいられるようになるんでしょうか」

「戦いが終わったら、かな」

「あと少しですね」

「うん、あと少し。だからもうちょっとだけ我慢してね。私だって本当は甘えたくて仕方ないんだから」


 戦いが終われば、フラムは元通りの、ただの田舎から都にやってきた少女に戻るだろう。

 化けの皮が剥がれる、と言うと聞こえは悪いかもしれないが、元々彼女はそんなに勇敢でもなければ、見返りも無しに見知らぬ人を助けられるほど善人でもない。

 そこらにいる女の子と変わらない。

 いや、むしろ平均よりも怠け者かもしれない。

 ただ、他の人よりも少しだけ無理ができてしまう性分だったから、今はこうなっているだけだ。


「よしっ、体力チャージ完了っ」

「あっ……」


 フラムの両腕から解放されると、ミルキットは寂しそうに声を出した。

 まるでその反応を読んでいたかのように、主の手がぽんっと頭に乗り、顔を近づけ微笑みかける。


「すぐに戻ってくるから、休んで待っててね」

「わかり、ました」


 納得はしていないが、フラムに言われてしまっては拒否することはできない。

 最後に軽く唇を重ねると、彼女はまた遺跡へと潜っていく。

 甘く暖かな感覚が胸のあたりから淡く広がり、ミルキットの体が火照る。

 このぬくもりが、フラムが戻ってくるまで保てばいいのだが――じっと休んでいると、滾々と嫌な想像が湧いて出てくる。


「ミルキットおねーさん、気持ちはわかるっすけど、じっとしていないとダメっすよ」

「セーラさん……でも、インクさんは今も、エターナさんと一緒に遺跡の中にいるんですよね」

「インクにも戻って来たら言うつもりっす。一緒にいたい気持ちはわかるっすけど、フラムおねーさんもエターナさんも、大切な人が無事でいてくれることを何より望んでるはずっすよ」


 そんなことはわかっている。

 ミルキットやインクだってそうだ。

 けれど二人には力が無いから、相手を救うことも、その無事を確かめにいくことすらできない。

 待つだけは、辛い。

 自分の無力さを嫌というほど痛感させられるから。

 それでも、何もできない。

 体力の限界が近いのもまた、事実だからだ。


 ミルキットはふらりと近くの民家に近づくと、地面に腰を下ろし、壁に背中を預けた。

 どっと疲れが全身に押し寄せる。

 急に来たのではなく、今までは体を動かすことで麻痺していただけだ。

 目を閉じると、すぐにでも意識を手放せそうだったが、さすがにそれは許されない。

 戻ってきた主を迎えなければならないのだから。

 彼女はぼんやりと、治療を行うセーラの姿を見ながら、ひたすらにフラムのことばかりを考えていた。




 ◇◇◇




 数時間をかけ、遺跡に閉じ込められていた人々は全員救出された。

 犠牲者ゼロとまではいかないが、エターナたちがカムヤグイサマの気を引いていたおかげで、死者は最小限で済んだと言えるだろう。

 ジーンはすぐにでも王都に出発したそうだったが、さすがに疲労困憊の人々を連れて移動するのは難しい。

 結局、その日はファースで休むことになった。


 夜のうちに溶けた村人たちの死体は片付けられ、町外れに慰霊碑が建てられる。

 義理は無いが、ある意味で村人もオリジンに追い詰められた被害者ではある。

 最低限の弔いぐらいはあってもいい――そんなエターナの提案によるものだった。


 そして翌朝、全員を連れてファースを発ち、王都へと向かう。

 フラムのペースなら数時間、だが一般人を連れて移動すれば日をまたぐ。

 途中で無人の集落に立ち寄り一泊。

 そこで人狼型キマイラの襲撃を受けたものの、フラムがいれば問題は無い。

 ちなみに、リートゥスの自己紹介はその集落で行われた。

 フラム自身も、彼女がやけに静かだとは思っていたのだが――


「体力がないところに驚かせたら、気絶させてしまうかもしれませんから」


 一応、ミルキットたちの体調を考えてのことだったらしい。

 それでも十分にみんな驚いていたし、怨霊と聞いて怯えてもいたのだが。


 夜は各々が自由に時間を過ごす。

 当然のようにフラムとミルキット、エターナとインク、そしてネイガスとセーラは二人きりになり、ジーンはシアの能力に興味があるらしく、話を聞いていたようだ。

 また、ツァイオンはフラムたちの部屋の隣で、壁をすり抜けてきたリートゥスと、シートゥムについて何やら語り合っていた。

 あっという間に時は過ぎ、また日が昇る。


 朝になって集落を出た一行が目的地である王都に到着したのは、夕方のことであった。

 スロウやアンリエットに迎えられ、また離れ離れになった家族と再会し、人々は感涙にむせぶ。

 その姿をフラムたちが微笑ましく眺める一方で、ジーンはずっと難しい表情で別の場所に視線を向けていた。




 ◇◇◇




 完全に陽は落ち、外は暗闇に包まれている。

 そんな中、フラムたちは王都を発とうとしていた。


「もう行ってしまいますの?」


 オティーリエがフラムの背中に語りかける。

 振り向いたフラムは、苦笑しながら彼女に言った。


「名残惜しいみたいな言い方されると複雑なんだけど」


 確かに共闘はしたが、フラムの中での苦手意識はまだ消えていない。

 あれだけボコボコにされたのだ、当然だろう。


「別にそんなつもりはありませんわ、ただ単純に、早すぎるのではないかと思ったのです」

「私も同感だ、一晩ぐらい休んでいってもよかったんじゃないのか?」


 隣に並ぶアンリエットまで引き止める。

 だがそうは行かないのだ。


「すでに制限時間が迫っている。セレイドに攻め込む前に一日は準備の時間が欲しいからな、もう悠長なことはできない」


 タイムリミットは二週間。

 今日までで、そのほとんど使い果たしている。

 今から魔族領に向かい、準備を終わらせてギリギリといったところか。


「力になれなくて済まない」

「俺も、国王としてなにか出来たらよかったんですけど、すんません」


 バートとスロウが頭を下げる。


「そういうのはいいから、無事に戻ってきて、王都が復興した暁には褒美が欲しい」

「ちょ、ちょっとエターナっ」

「モチベーション維持、大事だから」

「あははっ、今からオリジンと戦うってのにすごいですね。わかりました、考えときます」


 あっさりと安請け合いするスロウの横腹を、イーラが肘でつついた。


「そんなに簡単に引き受けちゃっていいわけ?」

「そんぐらいパーッとやりますよ、復興できたらね」

「じゃあ私はセーラちゃんととびきり豪華な結婚式を挙げたいわ!」


 すかさず便乗するネイガス。

 セーラは顔を赤くしながら、「な、なにを言ってるんすかっ!」と慌てて抗議した。

 しかしまんざらではなさそうである。


「ならオレもシートゥムとの結婚式だな」

「幽霊でも親族代表として出られるんでしょうか」

「それまでに成仏しなけりゃ大丈夫なんじゃないすか?」


 ただでさえデコボコなツァイオンとシートゥムの挙式に、霊の母親まで出席するとは、もう滅茶苦茶である。


「フラムさんはなんか無いのか?」

「私は……ミルキットと一緒にいられれば十分だからなぁ。あ、でもドレス姿のミルキットは見てみたいかも」

「私も、ドレスを着たご主人様をみたいです」

「あれ、その場合って二人ともドレスになっちゃうのかな。それとも私がタキシードでも着る?」

「お色直しで交代するというのも面白いかもしれませんね」


 結婚式の妄想をしながら盛り上がる二人。

 実現できれば、たとえどんな形であろうとも幸せであることは間違いない。


「ジーンはどうする」


 エターナが、腕を組み仏頂面のジーンまで巻き込んだ。

 明らかに悪意のある話の振り方である。


「一人結婚式?」

「なんだその葬式よりも辛気臭い儀式は。僕は研究のために必要な時間と金さえ貰えれば十分だ」

「つまらない答え」

「貴様らのように結婚式で騒ぐほど浮ついてはいないからな」


 浮ついているというより、無理に明るく振る舞おうとしているだけなのだが、それすら彼はお気に召さなかったらしい。


「話は終わったのか? ならばもう行くぞ、一分一秒ですら惜しい」


 そう言うと、ジーンは同意すら取らずに城を出た。


「相変わらず自分勝手なやつ。じゃあ、私たちも行きますね」


 彼に続いて、フラムたちも外へと歩き出す。


「必ず勝つと信じていますわ!」

「英雄たちよ、健闘を祈る」

「これまで数多の困難に打ち勝ってきたお前たちなら、必ずオリジンも倒せるはずだ」

「俺も頑張って王都を復興するんで、みなさんも頑張ってください!」

「フラム、ちゃんと生きて帰ってきなさいよ!」


 最後に聞こえてきたイーラの至極真っ当なセリフに、フラムは思わず「ぶふっ」と噴き出し笑った。

 そして足を止め、ニヤニヤしながら振り返る。


「な、なによいきなり」

「いや、最初に会ったとき、素人だった私をワーウルフと戦わせて殺そうとした人間が、今は『生きて帰ってこい』とか言うんだよ? そりゃ笑うって」

「せっかく綺麗に送り出せそうだったのに、そんなんで止まったわけ!?」


 イーラの怒りももっともだが、フラムも笑わずにいられなかったのである。


「そもそも、あれはデインが……!」

「ふっくふふふ……っ」

「ああもう、人間ってのは変わるもんなのよ! あんただって最初に会ったときよりも、ずいぶんと性格が図太くなってるわよ!?」

「たくましくなったって言ってよ、オリジンにも勝てるぐらいにね」


 不敵に笑むフラム。

 するとイーラも、その理屈が通ってるんだか通ってないんだかわからない根拠に「ふふっ」と笑った。


「それなら大丈夫ね」

「うん、大丈夫。絶対に生きて戻ってきて、ミルキットと幸せになってやるんだから。そっちもスロウとうまくやってね」


 力強い宣言に、迷いは無い。

 あるのは、目指す未来は必ず掴める、という確信だけだ。

 そして今度こそ背中を向け、フラムたちは王城を去る。

 彼女らの姿は王都の暗闇に飲まれすぐに見えなくなったが、それでもしばらく、イーラたちは英雄の消えた空を眺めていた。




 ◇◇◇




 その後、一行は一直線に王国を抜け、魔族領を北に進んだ。

 セレイドに攻め込む前に立ち寄ったのは、以前にトーロスやセイレルと別れた大きな集落だ。

 未だその場所は、幾度となくキマイラに攻め込まれながらも、魔法で作られた壁によって被害を出さずに済んでいた。


「ツァイオン!」


 トーロスの大きな声に迎えられたツァイオンは「よっ」と手をあげて挨拶をした。

 その音に引き寄せられて、建物の中から魔族たちがぞろぞろと姿を現す。

 約一週間ぶりとは言え、無事にまた会えたことを、抱き合いながら喜ぶネイガスとその両親。

 彼女とツァイオンの友人であるセイレルも、嬉しそうに近づいてきた。


「ここに戻ってきたってことは、いよいよ攻め込むの?」

「ああ、明日にはな」

「じゃあ今日はここに泊まっていくんだ」

「問題なけりゃな」

「問題なんてあるわけないよ、ツァイオン。僕らだけじゃなくて、みんなも喜んでる」


 リートゥスもフラムの鎧から抜け出し、魔族と交流している。

 どんなにここで守りを固めても、オリジンを倒せる者がいなければ意味が無いのだ。

 ゆえに、ここに籠もって祈り続けるしかない彼らにとって、フラムたちの存在は救世主に等しい。

 そのせいか、魔族たちはフラムやエターナ、ジーンどころか、ミルキットやインクにまで殺到して、握手を求めたりしていた。

 それだけ期待されているということだ。

 プレッシャーを感じるなと言われても無理な話である。

 決戦を前に、フラムが背負う荷物は、さらに重さを増していく。




 ◇◇◇




 喧騒が落ち着くと、フラムたちは民家のうちの一つを借り、そこで作戦会議を行った。

 だが、会議とは言ってみたものの、すでにジーンが作戦は決めており、その内容もごくシンプルだ。

 ゆえに、手元には説明するための紙とペンすら無い。


「まずセレイドに近づけば、十中八九、大量のキマイラが僕たちに押し寄せてくるだろう」

「突破する算段はあるんすか?」

「フラムが道をこじ開け、そこを抜ける。それだけだ」


 話を聞いていたネイガスが、がくっと肩を落とす。


「気持ちいいほど正面突破ねえ」

「軍との戦いで使った地下通路は利用できねえのか?」


 ジーンとて考えなかったわけではない。

 敵にディーザがいなければ、採用していただろう。


「敵はお前ほど阿呆ではないからな。とっくに埋められているか、罠が仕掛けられているかのどちらかだろう」

「だからその言い方……まあ言っても無駄なんだろうが」

「仮にキマイラの軍勢を抜けられたとして、そこからどう戦う?」

「わかっているはずだエターナ。フラムがコアを破壊し、奴らを倒す。それ以外に方法は無い」

「つまりそれ以外の人員は時間稼ぎだ、と」

「そうだ」


 言い切られるのはあまりいい気分ではなかったが、否定するものは誰一人としていない。

 結局、ここに来るまで誰もコアを破壊できなかったのだから。

 最終的には、フラムの反転に頼るしかないのである。


「薄々わかっていましたが、ご主人様が要なんですね」

「コアを破壊できるのはフラムさんですから、仕方ないことですが……」

「他に方法があるとでも? まあ、倒そうとすること自体を止めはしない。しかしそれで命を落としても、僕は責任を取らないからな」


 時間稼ぎに徹しておけば、命を落とす危険性はぐっと減る。

 その安全を捨ててまで因縁を果たしたいというのなら、そこから先は自己責任だ。

 続けて、エターナは別の質問をジーンに投げかける。


「戦う相手の振り分けはどうする?」

「僕たちがあえて決めずとも、向こうから指名してくるだろう。例えば、どこまでも甘いマリアはそこのガキと戦おうとするだろうし、策士気取りのクズ執事は最初にツァイオンを狙うはずだ」

「望むところだ、熱く戦ってやろうじゃねえか!」


 バチンッ、と拳で手のひらを叩くツァイオン。

 彼の温度とは裏腹に、ジーンはその姿を冷めた目で見ていた。


「キリルちゃんは、私を狙ってくるのかな」

「それは無いな。彼女がいなければオリジンの封印は解除できなくなる。つまり動かず一番奥にいると見て間違いないだろう」

「でも、急に動き出して戦いに乱入してきたらどうするの? 一対一なら私は互角で戦えるかもしれないけど、二対一、それもキリルちゃん込みじゃ絶対に勝てないよ」

「言われずとも、最初から彼女にも足止めは仕掛けるつもりだ。僕と、エターナでな」

「……わたし?」


 急に名前をあげられ、自分を指さしながら困惑するエターナ。


「相手は、死者であるガディオを最初に出してくるだろう。フラムが奴と戦い、マリアはネイガスとセーラが、ディーザはツァイオンが足止めをするとなると、残るは僕とエターナしかいないだろう」

「ツァイオンは一人でいいの?」

「キリルを誰かが一人で止められると思うか? 彼女より、ディーザの方がいくらかマシだと僕は考えている」


 そこに関してはエターナも納得するしかない。

 基本的に、元のステータスが高ければ高いほど、コアを使用したあとの能力も高くなる傾向がある。

 彼女は自我を失っているため、他に比べれば劣る可能性もあるが、それでもブレイブを使えばディーザぐらいなら軽く越えるだろう。


「……わかった、仕方ない。ジーンとの連携に自信は無いけど、やるだけやってみる」

「連携など必要あるものか、天才の僕が貴様を引っ張ってやろう」

「そういうところが嫌なんだけど……」


 エターナの隣で、インクが苦笑いを浮かべていた。

 どうやら彼女にも、エターナとジーンが不仲である理由が少しずつわかってきたようだ。


「僕としては、本当は一人で相手をして、思う存分あのキリルの醜いツラをぐちゃぐちゃに蹂躙してやりたいんだがな」

「まだそんなこと言ってたんだ……」

「懲りない男ですね」


 リートゥスですら苦言を呈する有様である。

 変わらないこその安心感というのも無いとは言い切れないのだが、それでも不快なものは不快だ。


「エターナさん、ジーンがキリルちゃんに余計なことをしないよう、ちゃんと見張っててくださいね」

「なるほど、わたしにはそういう役割が」

「こんなときによくふざけたことを言えたものだな」

「いや、ジーンに言われたくないんだけど」


 ジト目で睨むフラムと、「やれやれ」と何故か上から目線なジーン。

 そんな彼を呆れた様子で眺める仲間たち。

 らしいといえばらしい光景だ。

 ジーンの言う通り、世界の命運を左右する決戦の直前だと言うのに。


 生きてさえいれば、生き残ることさえできれば、いかなる状況でも、人は自分らしくあることができる。

 特別ななにかなど必要はない。

 逆に言えば、命が無ければ、どんなに平和だとしても意味などないのだ。

 それは誰だって知っている、とても当たり前のこと。

 ゆえに、彼が普通の人間とはずれた感覚の持ち主だったとしても、それからは逃げられない。




 ◇◇◇




 話し合いが終わると、明日の朝までは自由に過ごすこととなった。

 ツァイオンは友人と語らい、ネイガスはセーラとともに両親と団欒し、リートゥスは動ける範囲で魔族たちに声をかけ、エターナはインクと寄り添いあう。

 フラムも当然のようにミルキットと過ごすつもりだったのだが――与えられた部屋に入る直前、ジーンの声が彼女を呼び止めた。


「大事な話がある」


 彼にそう言って呼び出されるのは、これで二度目である。

 一度目は、奴隷として売られたあのとき。

 だから――嫌な予感しかしなかったし、正直断ってしまいたかった。

 だって、戦いの前にミルキットと過ごせる時間は限られているのだから。


「どうしたの、ジーン」

「こっちに来い」


 ジーンは碌に答えもせずに、背中を向けて歩き出す。

 不安げに主の目を見つめるミルキット。


「ごめんね、ちょっと行ってくる」

「はい、お気をつけて」


 フラムは彼女の額にキスをして、ジーンを追いかけた。

 小走りで隣に追いつくと、これもまたいつかと同じように、彼に問いかける。


「どこに連れて行くの?」

「……」


 もちろん、返事は帰ってこなかった。

 諦めたフラムは、無言のまま、ジーンについていく。

 やがて建物を出ると、魔族の気配がない路地へ入り、足を止めた。


「また私を売るつもり?」

「なんの話だ」

「覚えてない? 似たような言葉で連れ出して、私を奴隷商人に売ったときのこと」

「細かい女だ。僕の脳には、そんな下らない些事の詳細に割くリソースは無いんだ」


 ジーンは懲りていない。

 オリジンとの戦いの前で無ければ、フラムは神喰らいを無言で引き抜いて叩き切っているところだった。

 いつものジーンなら、そこで終わっていただろう。

 しかし、彼はこう言葉を続ける。


「しかし、あのときの貴様が恐怖という感情を抱いていたというのなら、少しは理解できないでもない」


 すなわち、フラムの行動に理解を示したのである。


「悪いものでも食べたの?」


 彼女は真っ先に、彼の頭を心配した。

 それぐらい異常なことだった。

 だが思い返してみると、最近のジーンは妙にしおらしいというか、大人しくて不気味ではあったのだ。

 フラムを呼び出したことも、それに関連しているのだろうか。


「僕は正常だ、だからこそ嘆かわしい。僕の中に、このような凡人めいた感情が存在しているとは――才能の底を見てしまった気分だよ」


 天を仰ぐジーン。

 空を覆う分厚い灰色の雲は、まるで彼の心情を表しているようでもあった。


「僕の頭の中には、すでに結末までのシナリオが詰まっている。誰がどう戦って、どういう結果を残すのか、全てを予測しているつもりだ」

「……はあ」

「だからこそ、必要なピースの数もわかるんだ。今のメンバーは、必要最低限であり、なおかつ最善だ。しかし、いかなる組み合わせ、いかなる人数であろうとも……オリジンとの戦いにおいて、犠牲は避けられない」

「死者が出るってこと?」


 今までフラムに背中を向けていたジーンは素早く振り返り、まるで演劇でもしているように両手を広げ、「そうだ!」と大きな声を響かせた。


「憎たらしいよ、あの女が。どこまでも僕を愚弄し、あろうことか障害物として立ちはだかるとはな」

「キリルちゃんのことを言ってるんなら、自分でやったんじゃん」

「あれは必要なことだった。オリジンの封印が解けなければ、あれを破壊することはできないからな。だから必然の流れの中で、確定してしまった死という存在が、僕は憎いのさ」


 キリルがああなってしまったのには、多分にジーンの私怨が混ざっていたが、オリジンの破壊に必要だったというのもまた事実である。

 最大の危機は、最大の好機でもあった。

 しかし結果として、それは最悪の結末を彼にもたらすこととなる。

 才能ゆえに、それが最善であると計算できてしまったがゆえに、選ぶしかなかったのだ。


「なぜ――死を与えられるのは僕でなければならなかったのか」


 ジーンは悲しげな表情でそう言った。


「え……死ぬのって、ジーンなの?」

「そうだ、僕は死ぬ。それはキリルを撃退し、オリジンを破壊するために絶対に必要なピースだ。避けられない、消えなければならない、怖い、悔しい、虚しい、悲しい――様々な凡人の感情が胸で渦巻いている!」


 強い語調でそう吐き捨てる。

 それが、ここ最近の彼の様子がおかしかった理由だった。

 死の恐怖――それは相手がジーンであっても、等しく人に降り注ぐものなのである。


「なあフラム、お前は恐ろしくないのか? 僕という才能が、この世から消えて無くなるという事実が!」

「いや、それは……」


 恐ろしいような、嬉しいような。

 正直には言えないし、かといって自分の心も偽れないので、フラムは口ごもった。

 それに、どうにも彼の言葉が軽く聞こえて、いまいち真剣になれない。

 死の危険なんて誰にでもあるし、ジーンだけが持っているものではないだろう。

 その不安をあえて、フラムを呼び出してまで吐露していることに、いまいちピンと来ないのだ。


「よくわからないんだけど、それって絶対に起きることなの?」

「ああ、確実に訪れる未来だ。いや、あるいはエターナでも良かったのかもしれない。しかし無駄死にでは意味がないんだ。命を有効活用して初めて、活路が開かれる」

「なんでそれを、よりによって私に話そうと思ったの?」


 嘆くのなら一人で嘆けばいい。

 孤高を誇ってきたジーンにはそれがお似合いだ。

 それか、多少は話が通じていたツァイオンあたりに頼むか。

 何にせよ、その相手がフラムである必要性は無いはずである。

 フラムがジーンを訝しむ中、彼は相手の顔を真っ直ぐに見ながら言った。


「フラム。お前が愛する者の元に、無事に帰ることはないからだ」


 時が止まる。

 彼は「伝えないのはアンフェア」、「僕と同じ立場だから」などと言葉を続けたが、フラムの脳には届いていない。

 呼吸や瞬きすらも忘れ、彼女は聞こえてきた言葉の意味をリフレインし続けていた。




 ◇◇◇




 ジーンとの話を終え、フラムはミルキットの元へと戻ってきた。

 さあ、これから思う存分にひっつくぞ、と主に駆け寄るミルキットだったが、どうにも様子がおかしい。

 フラムはどこか儚げな笑みを浮かべると、


「ついてきて」


 そう言って、ミルキットの手を取って部屋から連れ出した。

 向かった先は、集落の北にある集会所だ。

 教会のような作りの建物の中には、今は誰もいない。

 普段は避難してきた魔族たちが寝床に使っているということなのだが、今はフラムが頼み込んで貸し切り状態になっていた。


「どうしてここに?」

「大切な話をしようと思って」

「それならあの部屋でも良かったのでは――」


 問いかけるミルキットの頭に、フラムが薄い布のようなものを被せた。

 あらかじめ集会所に用意しておいた箱から取り出したものだ。


「これは……」


 肩のあたりに垂れ下がった白色のそれは、透けるほどに薄い。

 いわゆる、ヴェールと呼ばれるものだった。

 そしてフラムはミルキットの手を引いて、足元にステンドグラスから、ぼんやりと明かりが差し込む位置まで移動した。


「さて、じゃあはじめよっか」

「え、えっ?」


 戸惑うミルキットを置き去りに、何かを始めようとするフラム。


「えーっと、健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも……だっけ」

「……?」

「あ、ミルキットは知らないか。結婚式のときにね、新郎新婦が誓いをたてる前に、神父さんがそういう言葉を言うの」

「結婚式、ですか」

「うん、私とミルキットのね」


 さらっと言われ、ミルキットは固まる。

 一方でフラムは、ニコニコと楽しそうに笑っている。

 ご主人様の笑顔が可愛い――と関係のないことに意識を持っていかれそうになったが、冷静になって考えてみると、とんでもないことを言われているような気がした。

 いや、気がしたのではなく、言われている。

 ドッ、ドッ、ドッ、とミルキットの心臓が高鳴りだし、体温が上がっていく。


「け、結婚……わ、私と、ご主人様が、ですか?」

「私が結婚するなら、ミルキット以外に相手はいないよ」

「え? あの、それは、私もそうなん、ですが……え、えっ、えぇっ!?」


 落ち着くどころか、徐々に困惑の度合いを強めていくミルキット。

 そんな彼女を見て、やはりフラムはニヤニヤしている。


「私とご主人様が結婚なんて、そんなっ」

「嫌?」

「幸せすぎて頭が、ちょっと、大変なことになってます。恋人なだけでも十分で、十分すぎるぐらい、私には過ぎた幸せなのに、結婚。ご主人様と、結婚。ど、どうしましょう、この場合、お嫁さんはどっちになるんでしょうか!?」

「あはは、どっちだろうね。案外、どっちもだったりして」


 お嫁さん同士の結婚でも構わないし、フラムが夫役になってみても面白いかもしれない。

 あいにく、今は借りてきたヴェールは一つしかないし、タキシードも無いので格好から入ることはできないが。


「で、でもっ、急にどうしたんですか?」

「んー……ほら、王都を出るときにそういう話をしてたでしょ? そしたら居ても立ってもいられなくなっちゃってさ、一刻も早くミルキットと結婚したい! って思ったの!」


 明るくそう話すフラム。

 すると、今まで頬を赤くして困惑していたミルキットの顔から、表情がふっと消える。

 誤魔化せるはずがなかった。

 なにせ、二人は互いに契りを望むほど、深い絆で結ばれているのだから。


「嘘、ですよね」


 その言葉を受けて、フラムの仮面を貼り付けたような笑顔が固まる。

 こうなると、無理をしているのは誰の目にも明らかだった。


「ご主人様は、笑ってなにかを隠そうとしています」

「……やっぱ、ミルキットには通用しないか」

「わかっていたんですか」

「まあね。あ、でも……結婚したいって気持ちは、本当だよ」

「それも、ちゃんと伝わっていますよ」


 二人は以心伝心を体で現すように、見つめ合いながら手と手を繋ぎ、指を絡める。


「本当は、本心から笑いながら、曇りなんて無い心で幸せにやることだと思うんだけど。ごめんね、プロポーズがこんなネガティブな伝え方になっちゃって」

「ジーンさんから、なにを聞かされたんですか?」

「ミルキットに、すごく辛い想いをさせること、かな」

「私にとって辛いことなんて一つしかありません」

「……うん」

「ご主人様が、傍にいないことです」


 だから、それが答えだ。

 オリジンを倒してもフラムは戻ってこない。

 ミルキットと過ごす気ままな日々なんて、そこには存在しない。


「私だってさ、やだよ。なんでこんなに頑張って、苦労して、痛い思いをして、悲しい出来事ばっか起きて……なのになんで、最後の最後でこんな邪魔されなくちゃなんないのか、って」

「どうしようも、無いんですか」

「一生会えなくなるわけじゃない。私にとっては一瞬で、でも、戻ってくるまでに、しばらくミルキットを待たせることになるかもしれない」

「……どれぐらい、でしょうか」


 ミルキットの声が震える。

 フラムも拳を握り、唇を噛み、瞳を涙で潤ませた。


「運が良ければ、数年」


 それは――二人が出会ってから今までの時間を考えると、あまりに長すぎる期間だった。

 しかも“運が良ければ”ということは、数十年かかる可能性もあるということだ。

 その場合、フラムは両親との再会を果たすことすらできないだろう。


「だから、せめて、大切な思い出だけでも残していかなきゃ、と思って。忘れられるの、嫌だから」

「忘れませんっ! なにがあったって、私はご主人様のものです!」


 そうは言っても、数年という月日はあまりに長い。

 今日という日の思い出がどれだけ強くても、いずれは感情とともに薄れていってしまうだろう。

 フラムはそれが、何よりも怖かった。


「何十年経とうと、私の気持ちは変わりません。ずっと、ずっと、ご主人様だけを愛し続けます!」

「ミルキット……」


 ミルキットの知る世界はまだまだ狭い。

 今はそう思えても、より広い世界で、もっと魅力的ななにかに出会ったとき、心変わりすることもあるのではないかと――フラムはそう思うのだ。

 だから、縛り付けたくない。

 けれど一方で、永遠に自分のものであって欲しいとも思う。

 彼女の言う通り、何十年でもフラムのことだけを想って待ち続けてくれたら、と。

 しかしそれは、もはや恋ではなく呪いではなかろうか。

 せっかく奴隷から解放されたミルキットを、それ以上の鎖で縛る、あまりに強い――


「私は、自分の全てをご主人様に捧げると決めました。私をそういう生き物に変えたのは、ご主人様、あなたなんですよ」


 ミルキットは縋るように、フラムの頬に触れる。


「それ以外の生き方を望むことなんてありえません」

「私に、そこまでの価値はある?」

「あります。この世に存在する宝石を全て束ねても届かないほど、貴い価値が」

「ああ……そうだよね、ミルキットなら、そう言ってくれるよね。ほんと、悪趣味な神様が何度も私たちを引き裂かなければ、こんなに苦しむことなんて無かったのに」

「ご主人様が苦しむ必要なんてありません。確かに会えない時間は辛いですが、それでも、ただの生きた道具として使われたあの頃より、あなたを愛せているだけで何十倍も、何百倍も――いえ、比べることなどできないほど、満たされているんですから」


 虚無に人らしい感情の炎を灯したのは、フラムという存在だ。

 彼女が消えても、感情は消えない。


「だから、一人にしてしまったと嘆くぐらいなら、私を幸せにしたと誇ってください」

「……うん、誇る。そんでオリジンをぶん殴って、胸を張って帰ってくるから」

「はい。そしたらいの一番に、私に会いに来てくださいね」

「そんなの当たり前だよ、すぐに会いに来て、全力で抱きしめるから。でも……やっぱり、今までより強い繋がりは欲しい、かな」


 フラムの手が後頭部に回され、ミルキットの包帯の結びを、片手で器用に解く。

 そして徐々に顔を覆う包帯は取り除かれていき、白い肌の、ため息が出るほどの美少女がフラムの目の前に現れた。

 彼女の心臓はドクンと高鳴る。

 頬に触れ、指先でなめらかな肌の感触を確かめる。

 主の一部が自らを舐めるたび、ミルキットは甘い感触に「ん」と小さな声をあげた。

 微かに細められる瞳が、やけに色っぽい。

 そして最後に頬を包み込むように手を当て、吐息が近づくほどの距離で見つめ合う。


「私の名前の半分を、もらってくれる?」

「私のような者がもらっていいのなら、喜んで」


 健やかなるときも、病めるときも――そんなお決まりの文言はすっ飛ばされてしまったが、気持ちさえあれば契りは成立する。

 二人は唇を寄せ合い、重ねた。

 両腕でしっかりと相手の体を抱き寄せながら、全身でその存在を噛み締め、体温を与え合う。

 誓いのキスである。


 奴隷で、誰が産んだのかもわからない彼女には、名はあっても姓は無かった。

 つまり、人生で初めて、彼女が明確に家族と言う名の繋がりを得た瞬間だ。


 胸に暖かな温度が広がっていく。

 好きの気持ちに、際限なんて無い。

 フラムは少し心配性な節があるが、ミルキットが彼女を忘れたり、他の誰かに走る心配なんて微塵も無いのだ。

 どれだけ愛されているか――というより、どれだけ愛するだけの理由を与えてきたことか。

 勝手に湧いて出てきた感情ではなく、全てはフラム自身の行動の結果なのである。


 名残惜しそうに、二人は唇を離す。

 そしてまた見つめ合った。


 キスが隔てた数十秒。

 フラムには、たったそれだけの時間で、関係が明確に変わったという実感があった。

 泡沫ではなく、夫婦というはっきりとした形に。

 正式な手続きではないが、契りを終えた瞬間、フラムの中にあった『忘れられるかもしれない』という不安は吹き飛んでいた。

 それだけでも、口づけを交わした意味はあった。


 互いの愛情を瞳に込めて伝えあうように、視線を絡め合う二人。

 しばらく黙ってそうしていた二人だったが、ミルキットが沈黙を破った。


「あなたのお嫁さん――ミルキット・アプリコットは、いつまでもあの家で、ご主人様の帰りを待っています」


 ああ、なら妻を一人にするわけにはいかないな――と、フラムに使命感が湧き上がる。

 その強い想いは、彼女を取り巻くあらゆる不安を消し飛ばした。

 もはや恐れるものはなにもない。

 またこうして抱き合うために運や奇跡が必要だというのなら、引き寄せるだけだ。

 それだけの決意と力が、今のフラムにはあるのだから。




 ◇◇◇




 そして翌朝、ついにフラムたちは魔王城のあるセレイドに向けて出発する。

 ミルキットとインクとは、ここでお別れだ。


「すぐに戻ってくるんだよね?」

「そのつもりだから、いい子にして待ってて」


 エターナとインクの離別に悲壮感は無い。

 最初から敗北など考えていないし、順調に勝てば今日中に戻ってこれるのだから。

 そしてフラムとミルキットもまた、明るく別れを告げる。


「じゃあ、行ってくるね」

「はい……いってらっしゃいませ、ご主人様」


 そう言って、触れ合うだけの口づけを交わし、二人は離れる。

 あっさりしたものだ。

 重要な言葉も行為も、昨晩のうちに済ませた。

 だから最後は、これだけで十分なのだ。


 ツァイオンとネイガスも友人や両親との別れを終え、集落に背中を向ける。

 離れていく英雄たちの姿はあっという間に見えなくなり、見送っていた魔族たちは解散する。

 一方でインクとミルキットだけは、その場に立ったまま、フラムたちが消えた方角を見つめていた。


「行っちゃったね」


 インクが言った。


「はい、行ってしまいました」


 ミルキットは、明るい声でそう答える。


「みんな、戻ってくるといいね」

「戻ってきますよ、必ず」


 彼女は断言した。

 珍しく強い口調で言い切るので、インクは少し驚いていた。


「……なんかミルキット、昨日より自信に満ちてる気がする」

「今までよりもずっと深く、ご主人様と繋がったんです。だから――」


 怖いものはなにもない、と言えば嘘になる。

 けれど、信じているから。

 主――いや、伴侶が帰ってくるその日まで、ミルキットは真っ直ぐに彼女のことだけを想い、待ち続けるだけの強さを手に入れたのだ。




 ◇◇◇




 セレイドに近づくと、キマイラの群れが前方から迫ってくる。

 まるで城壁が向こうから近づいてくるような迫力だ。

 そのまでの距離がある程度まで縮まると、フラムは異空間より引き抜いた神喰らいの切っ先を天に向けて構えた。

 するとジーンの作った岩が、その刃をコーティングし、巨大化させる。

 さらにその上からエターナの氷が覆い、加えてフラムのプラーナが刃を形成する。

 高さ百メートルにも及ぶ、剣の塔。

 フラムはそれを、キマイラの群れの頭上から叩き込んだ。


「うおぉぉおおおおおおおおおッ!」


 喉がちぎれるほどの、獣のような雄叫び。

 限界を越えた力の行使に、腕の筋肉は断裂と再生を瞬時に繰り返す。

 脳からもブチブチッと嫌な音が聞こえたが、すぐに治るのでなんの問題もない。

 グシャアァァァァッ!

 剣はキマイラたちを押しつぶし、さらに余波で周囲の群れを吹き飛ばし、突破口と呼ぶにはあまりに広い空白を作り出す。


「相変わらずすごい威力っす……」

「見とれてる場合じゃないわ。さあ、あのわからずや聖女を説教しに行くわよ、セーラちゃん!」

「そうっすね。マリアねーさまに、おらの言葉を届かせてみせるっす!」


 ネイガスにお姫様抱っこされながら、セーラは先陣を切って突っ込んでいく。


「なにがあっても、シートゥムを取り返す……絶対に、オレはやり遂げてみせるからなァッ、待ってろよディーザ!」


 続けて、いつになく気合の入ったツァイオンが、全身に炎を纏いながら前進した。


「足を引っ張るなよ、エターナ」

「それはこっちのセリフ」

「ふん、気に食わんやつだ」

「お互い様」


 相変わらず噛み合わないエターナとジーンは、口論になる直前ギリギリの会話を交わしながら、魔法を利用してセレイドに向かった。

 そして最後の一人――フラムは、剣を仕舞うと、遠くに見える魔王城を目を細め眺める。


「これが最後の戦い……」

「いよいよ復讐を果たすときが来たのですね」

「はい、ここで全てを終わらせます」


 勝っても負けても、これが最後だ。


「ガディオさんも、マリアさんも、ディーザさんも、キリルちゃんも、そしてオリジンにも……全員に勝って、必ず、ミルキットの元に戻ってみせる!」


 そう宣言して、走り出すフラム。

 世界の命運を賭けた戦いが、今まさに始まろうとしていた。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る