第111話 ゴッドイーター

 





 フラムの握りしめた鋼鉄の拳が、ヴェルナーの顔面ど真ん中に向かって突き出される。

 ゴオオォッ!

 掠めるだけで体が吹き飛んでしまいそうなほどの衝撃。

 だが彼女が腕を振り終えたとき、そこに標的の姿は無かった。


「その程度じゃあ、おいらを捕まえることはできない」


 当たる直前、彼の肉体は霧散したのだ。

 消えたかと思えば、次の瞬間にはフラムの背後に現れる。

 彼女は振り向きざまに蹴りを放った。


「あっはははははっ!」


 再び霧のように消え、今度は真正面に出現。

 すぐに構えるフラムだが、ヴェルナーはそれを超えるスピードで、腕に装着した金属の爪で斬りかかった。


「ちいぃッ!」


 咄嗟に両手でガードすると、爪と籠手の間で火花が散る。

 速度もさることながら、威力も人間離れしている。

 その衝撃に、フラムはズザザザッと地面を滑りながら後退した。


「人間だった頃から速さには自信があったんだ。オリジンの力を得た今は、たとえ君であってもおいらを捉えることはできない」


 得意げに笑うヴェルナー。

 しかし彼は、自身の爛れた・・・腕を見て、忌々しく眉間に皺を寄せた。

 ガードの瞬間、フラムの反転の魔力が体内に流入していたのだ。


「はっ、小癪な女だねェ。悪あがきを」


 彼の腕はすぐに治癒し、元の形に戻る。

 いや――むしろ爛れた不定形の状態こそが、今の彼の真の姿なのかもしれない。

 それが人間の形を作っているだけで、もはや人の肉体を持っていないのだ。


「おいらは圧倒的な力を手に入れたんだ。ずっと望み続けた、他者を見下し、支配するための力を!」

「それがオリジンコアを使った理由? なんてしょうもない」

「わからないさ、生まれ持っての才能を持った人間には」


 ヴェルナーは羨望と嫉妬を込めて、フラムを睨みつけた。

 才能――そんなものがあれば、彼女の人生はどれだけ楽だったことか。


「才能を持ってたから、ヘルマンさんを殺したの? そんな下らない理由で、必死に生きてた人の命を奪ったの!?」

「だって目障りじゃないか。必死であれば必死であるほど、おいらの視界の中で自己主張してくるんだから。殺すしかない、排除するしかない!」

「ふざけるなッ!」


 フラムの怒号が部屋に響き渡る。

 無論、二人の感情はどこまでも平行線だ。

 怒りをぶつけたところで、腐りきったヴェルナーは何も感じないし、何も反省しない。


「世界は弱肉強食だよ、フラム・アプリコット。強者が残り、敗者が去る。たったそれだけの単純なロジックで動いてる。これはその結果なんだ」


 貧民街で生きてきたヴェルナーは、それを行動理念とする。

 しかしフラムは首を振ってすぐに否定した。


「だったらとっくにあんたは死んでる、だって弱いから!」

「はっ、強がりだねェ。じゃあ見せてあげるよ、おいらの本気の力をさあ!」


 ヴェルナーの右腕が、小刻みな振動を始める。

 肌色だったそれは一気に赤く変色し、ぐにゃりとねじれると、千切れて石の床に落下した。

 まるで、キマイラの吐き出したねじれた肉によく似ている。

 切れたトカゲの尻尾のようにビチビチと暴れていたそれは、仰向けで横たわるヘルマンの死体に取り付くと、口から体内に入っていった。


「どうよ?」


 どうよと言われても、フラムにとっては何番煎じかわからないほど見てきた光景だ。

 それでも、見るたびに怒りがこみ上げてくるが。


「悪趣味」

「褒め言葉だねェ。知ってたかい? 強者は、死者の尊厳を踏みにじったっていいんだよ! あははははっ!」


 聞くに堪えない笑い声が響く中、ヘルマンの体がむくりと起き上がる。

 爪でズタズタに引き裂かれ血まみれになったままで、ただそこに棒立ちしている。


「さあヘルマン、強者であり、勝者であり、支配者でもあるおいらに従い、フラム・アプリコットを殺せえぇェェッ!」


 裏返った声で、実に楽しそうに手を振りかざし、指示を出すヴェルナー。

 ゆっくりと、ヘルマンの顔がフラムの方を向いた。

 王城に捕らわれていたときは、何かとお世話になった人だ。

 無口だけど、いい人だった。

 少なくとも、こんなゴミクズみたいな野郎に殺されて死んでいい人じゃない。

 ましてや、死体をこんなおもちゃみたいに扱われていいはずがないのだ。

 フラムは歯を食いしばり、悔しそうに拳を握りしめ、構える。

 鎧の中では、いつでも彼女のフォローをできるように、リートゥスも戦闘態勢に入っていた。


「さて、おいらは二人の悲しい戦いを特等席で見守らせてもらおうかなァ。どっちに転んだって面白いよねェ、フラムがヘルマンの死体を滅茶苦茶にする? それとも、優しいフラムちゃんはヘルマンの死体も壊せず苦戦するぅ? いやぁ、どっちになるか楽しみだァ!」


 わざとらしく言いながら、ヴェルナーはヘルマンに背中を向け、部屋の隅へと移動する。

 そして次の瞬間――ヘルマンの巨体が、その背中に迫った。


「へ?」


 近づく殺気に気付いたヴェルナーが振り返る。

 するとタイミングを合わせたように、槌のごとき大きな拳が、鼻骨を押しつぶしながら叩きつけられた。


「は、ぶっ!?」


 顔面のど真ん中が陥没する。

 回避はおろか防御態勢を取ることすらできず、ヘルマンの拳はヴェルナーの頭部を殴り飛ばしていた。

 そのまま床に叩きつけられたヴェルナーは、部屋の壁にぶつかり止まるまで、ゴロゴロと転がった。

 そして咳き込み、支配したはずの男を睨みつける。


「ごほっ……げほっ……なぜ、だ……そんな、お前はとっくに死んだはずだろっ!? だったらおいらに従えよぉっ!」


 鼻を押さえながら立ち上がるヴェルナーを、ヘルマンは虚ろな瞳で凝視していた。


「ヘルマンさん……生きてるんですか?」


 恐る恐る声をかけるフラム。

 するとヘルマンはゆっくりと彼女の方を見て、苦しげな表情で言葉を紡いだ。

 その顔でわかる。

 彼は生きてなどいない。

 気力だけで、今にも消えそうになる意識を、この世につなぎ留めているのだ。


「……死が、近づく。わかって、いたんだ」


 ヘルマンは、王都に戻ってきた時点で予感があった。

 なぜ、どうやって――それはわからないが、いわゆる死期・・を悟ったというやつか。

 だから、急がなければならなかった。


「……呼ばれて、いた。先に逝った、大切な人に」


 理由はわからずとも、ずっと呼ぶ声が聞こえていたのだ。

 命を落とした最愛の家族たちが、『早くおいで』と。

 優しく、暖かい声で、ヘルマンを幸せな場所・・・・・へと導いていく。

 声は徐々に近づいてきて、タイムリミットを示していた。


「ヘルマンさんの妹さんは、死んじゃったんですね」

「……ああ」


 唇を噛むフラム。

 城に囚われていたとき、彼がフラムに優しく接した理由は、彼女が自身の妹に似ているからだった。

 その妹が死んだ。

 さすがに、他人事だとは思えない。


「……だから待っている。俺を、みんなが」

「だったらさァ、未練がましくしがみついてないで、とっととそこに行けよォ、ヘルマァンッ!」


 ヴェルナーはヘルマンに向かって突進した。

 そしてその鋭い爪を、胸に突き立てる。

 しかしもはや、彼の肉体は死んでいる。

 痛覚もないのだろう。

 表情一つ動かさず、まるでヴェルナーの存在を認識していないかのように、フラムへの言葉を続けた。


「……だが、命を無駄にするつもりは、無い」


 いつも無表情なヘルマンが、にこりと笑みを浮かべる。

 きっと、妹に対してはいつもこんな表情を向けていたのだ。

 しかも彼は軍の副将軍という、エリート中のエリート。

 妹にとっては、優しくて頼もしい、自慢のお兄さんだったんだろう。

 彼らとて、特別を必要とせず、ただ今が続けばいいと思っていたはずだ。

 それを踏みにじるのはいつだって――理不尽で身勝手な、エゴだ。


「なんだよ……無視すんなよ……おいらの方が強いんだぞ、お前は死体なんだぞっ!? だったら、おいらに従えよ、ヘルマアァァァンッ!」


 わめくヴェルナーの声など、ヘルマンはもちろん、フラムの耳にも届かない。

 仮に届いたとしても、何の意味も持たないノイズにすぎない。

 ちょうどそのとき、部屋の前にオティーリエとジーンが到着する。

 しかしヘルマンは、やはり彼らの存在も認識できず、ただフラムの方だけを見て、言葉を続ける。


「……フラム」

「はい」

「……俺の魂は、ゆりかごで、待っている」

「ゆりかご……?」


 首をかしげるフラム。

 その答えを尋ねる前に、怒りに顔を真っ赤にしたヴェルナーが――


「無視ッ、すんじゃねえぇぇぇえエエッ!」


 ヘルマンの首を、切り落とした。


「ヘルマン!」

「ヘルマンさんっ!」


 部屋に入ってきたオティーリエと、フラムが声をあげる。

 彼女の背中越しにその惨状を見たジーンは、眉をひそめた。


「は……はは……せっかく役立ててやろうと思ったのに……あぁ……おいらのこと無視するから、身の程を弁えないからこうなるんだよォッ!」


 ヴェルナーはヘルマンの生首を踏みつけ、彼を見下す。

 強がるのは、心に余裕がない証拠だ。

 もはやどうしようもないほど、ヴェルナーは精神的に敗北していた。

 いや――彼は敗北を再確認・・・しただけなのかもしれない。

 オリジンの力を借りた時点で、もはやヴェルナー・アペイルンという人間が、それ以上成長することはないのだから。


 しかし、ヘルマンはそれでも手を――いや、口を・・緩めない。

 トドメを刺すかのように、


「……ヴェルナー、お前は」

「んだよ」


 最期に残った力を振り絞って――口元に笑みを浮かべ、憐れむように言った。


「……どこまでも、弱い男だ」


 それはヘルマンらしくない言葉だからこそ、ヴェルナーの心をかき乱す。

 明らかな挑発だとわかりきっているのに、彼は激昂する己を止めることが出来なかった。


「は……? なんだよ、それ。なんだよその、自分は強えけどお前は弱いみたいな言い方はァ! は……はは……はははは……あは……あぁ、ああぁあ、ああぁぁああああああっ! ヘルマンッ、てめえぇぇぇぇええええええッ!」


 ヘルマンの頭部を踏み潰さんと、ヴェルナーが足を上げる。

 今の彼の脚力ならば、人の頭など紙風船のようにくしゃりと壊せてしまうだろう。

 阻止すべく、真っ先にフラムが動いた。


「やらせないッ!」


 一瞬で距離を詰めると、当たらないことは承知の上で、ヴェルナーに拳を叩き込む。

 するとやはり先ほどと同じように、彼は霧のように消えてしまった。


「邪魔するんなら、まずはてめえから消してやるよ!」


 今度はフラムの真後ろに現れたヴェルナー。

 爪を振りかぶる彼の胸を、背中から細身の剣が刺し貫いた。


「消えるのはあなたの方ですわ、ヴェルナー」


 その剣の柄を握るのはオティーリエだ。

 アンリエットの傷が癒えたことで多少は冷静さを取り戻した彼女だが、しかしヴェルナーへの怒りを忘れたわけではない。

 血液弾倉ブラッドカートリッジ内の体液が刃越しに彼の肉体に注ぎ込まれ、その動きを封じる。

 相手が身動きを取れなくなったら、何十回も何百回も突き刺して、命乞いをするまで追い詰めてから殺してやるつもりだった。

 だが、目の前のヴェルナーの姿は、まるで液体のようにどろりと溶けてしまう。


「どいつもこいつも……ああぁ、どいつもこいつもだッ! 何でだよ、何でおいらに逆らうんだよ! この場で一番強いのはおいらだってのにさァ!」


 そして別の場所に、また人の形をして現れる。

 両手を広げ、激昂するヴェルナー。

 そんな彼の姿をフラムは、怒りと哀れみが入り混じった表情で睨みつける。

 そのとき、様子を見ていたジーンがつぶやいた。


「なるほど、あれは本体ではないわけか」

「そうっ、そうだ! この体はあくまで一部でしかない、今ですら捕らえられないってのに、おいらが本気なんて出したらお前らは為す術もなく、死んじまうんだよォ!」


 確かにヴェルナーは強いのだろう。

 オリジンコアを取り込み、おそらくマザーと同化したのだ。


「そんなことをしてまで力を手に入れて、何の意味がありますの?」


 オティーリエは、彼に問いかける。

 アンリエットはセーラのおかげで無事だった。

 しかし全ての力を使い果たしたヘルマンはもう二度と動かないし、かつて仲間だったヴェルナーも化物になって戻らない。

 感情は沈み、彼女に少しだけ冷静さを取り戻させた。

 それでも怒りが消えたわけではないが、乱暴な口調ではなく、オティーリエは淡々と彼に問いかける。


「“力”は手段であって目的ではありませんわ。そのようなものの力を得たところで、待つのは行き止まりだけ」


 彼女は、アンリエットの隣にいるために力を求めてきた。

 だからこそ、誰よりもそれを知っている。


「違う……おいらは、この力でお前らを殺すんだ! 才能と権威でおいらを見下してきたやつらを見返して、そして支配する!」

「支配される・・・の間違いじゃないの? 今は利害が一致してるからオリジンもあんたの人格を放置してるけど、全てが終わればどうせ飲み込まれるのは目に見えてる」


 フラムは、オリジンの被害者たちを何度も見てきた。

 あれは人の心の弱さに漬け込み、餌をちらつかせて、全てを飲み込もうとする害悪だ。

 一時的に欲求は満たされるかもしれないが、あれの力を借りて、夢が叶うことは絶対に無い。


「そんなはずは無い……今だって何も聞こえないんだ、聞こえたとしてもおいらの心は侵せない! 何があってもオリジンには飲み込まれない!」

「その弱い心で、本当にできると思う?」


 フラムの冷たい言葉に、ヴェルナーは反論を封じられる。

 自覚はあるのだろう。

 そもそも、オリジンコアなどという物に頼ってしまった時点で、誘惑に抗えずに仲間たちを裏切ってしまった時点で――それは心の弱さの露呈に他ならない。

 彼にコアを渡したのはマリアだ。

 しかし、マリアはヴェルナー以外に声をかけることはなかった。

 それが、答えだ。


「うるさい……うるさい……うるさいうるさいうるさいうるさあぁぁぁぁぁぁぁいッ!」

「ヴェルナー、まだわかりませんの!?」

「さっきから知ったような口聞きやがって、おいらより弱いくせにいぃッ! いいよ、だったら見せてやるよ、おいらの本気をさ! それで、おいらが一番強いってこと証明してやる! いっひひひひひ、後悔しろ! おいらを馬鹿にしたことをあの世で後悔しろォ! 惨劇の第二章、始まりだァッ!」


 オティーリエの言葉を無視し、溶けていくヴェルナーの体。

 反響する叫びだけを残して、彼は姿を消した。


「無駄だよオティーリエ。後戻りできないところまで来たら、最後まで堕ちてくしかないんだから」


 フラムは悔しげなオティーリエにそう告げた。

 そしてジーンの横を通り過ぎ部屋から出ていく。


「フラム、どこにいきますのっ!?」


 慌てて部屋から飛び出すオティーリエだったが、すでに彼女の姿は無かった。

 どうやら城の外に向かったようである。

 確証はないが、そこにヴェルナーの本体がいる――そんな予感があったようだ。

 だが、予感を共有していないオティーリエは、戸惑うことしかできない。

 とりあえずその背中を追いかけようと、部屋から出ようとするオティーリエだったが、そんな彼女を「待て」とジーンが呼び止める。


「なんですの、ジーン・インテージ! というか、そもそもあなた、どうしてここにいますの?」

「諸事情だ。僕も好きでフラムと行動を共にしているわけじゃない。まあそれはどうでもいい、それより教えろ。“ゆりかご”という言葉に心当たりはあるか?」

「ヘルマンが言っていたあれですの? わたくしにはわかりませんわ」

「よく考えろ、あれは死の間際に無意味な言葉を残すような男ではないだろう」

「それはそうですが……いや、それが彼の言葉なら、ひょっとして……」

「心当たりがあるんだな? だったら案内しろ」


 そんなことをしている場合ではない。

 しかし――このタイミングでヘルマンがその言葉を遺したということは、それがフラムにとって直ちに必要になる何かだったから、なのかもしれない。


「わかりましたわ、こちらへ」


 “ゆりかご”がオティーリエの予想通りの場所だったとして、彼女だけでは時間がかかってしまう。

 彼女はジーンを引き連れて、城の外――フラムが向かったのとは別の場所を目指して走り出した。




 ◇◇◇




 今の王都で、死者が徘徊するのはそう珍しいことではない。

 だが現在、その様相は明らかに今までとは異なっていた。

 彼らは明確な意思を持って、一つの場所を目指して進軍・・している。

 しかも、その数も異様に多く、王都に存在する全ての死体が起き上がったかのようであった。

 さらに墓地に眠る死者たちも、土の中から這い上がり、その軍勢に加わる。

 南門に、支配者気取りで立ちはだかるヴェルナーは、その様子を見て満足気にほくそ笑んだ。


「おいらが全てを操っている。おいらは強いんだ、この王都に存在する誰よりも強いんだ!」


 そう天を仰ぐ彼の腹部には、コアが埋まっている。

 それは紛れもなく、ヴェルナーの本体・・であった。

 人型になる必要は無いが、そこは彼の未練なのだろう。


「喰らえ、押しつぶせ、全てを奪え! おいらの力を、あのクソッタレ共に見せてやるんだよォ!」

「だが、それは貴様が望んだ力などではないぞ」

「何――!?」


 建物の上から飛び降り、ヴェルナーに斬りかかる女――

 彼は咄嗟に、爪で彼女の剣を受け止めた。

 金属同士が火花を散らし、きらめく銀色の刃の向こうに、二人は互いの姿を視認する。


「アンリエット、意外だったよ、あんたが真っ先に死にに来るとはなァ!」

「部下を止めるのは上司の務めだろう」


 セーラに治療を施されたばかりのアンリエットは、城の外で起きた異変に気づくと、すぐに城を飛び出した。

 三階の自室から飛び降り、おそらくヴェルナーがいるであろう南門を真っ直ぐに目指したのである。

 フラムもほぼ同時に外に出たが、まだ彼の元までたどり着いていなかった。


「言っとくが、今のおいらはあんたより強い」

「だろうな」

「だったらなんで来たんだよォ!」

「言っただろう、上司としての務めを果たすためだと」

「上司上司って! てめえは貴族の血筋ってだけじゃねえか! 才能に恵まれてるだけだろうがァ! おいらの方が強いってことは、おいらの方が偉いってことだ。つまりあんたは、おいらにかしずくべきなんだよぉおおッ!」


 ヴェルナーはアンリエットを弾き飛ばすと、頭部へ向かって爪を突き出す。

 体を傾け避ける彼女だったが、刃が頬を掠めた。

 にやりと笑うヴェルナー。

 彼はさらに素早く背後を取ると、首を刈る。

 しかしアンリエットは、後ろを振り向くことすらなく剣でそれをガードした。


「っ……!」

「お前の動きは読みやすいな。こればかりは、才能や血筋の問題ではない」


 ギリ……と音が聞こえるほど強く歯ぎしりをするヴェルナー。

 彼は一旦、彼女から離れると、


「アンリエットォオオオオッ!」


 叫びながら、猛スピードでチャージをかける。

 技や経験など必要ない、人間を超越した身体能力――パワーでねじ伏せるために。

 彼の繰り出す爪撃の威力はかなりのもので、まともに食らえばそれだけで体が千切れ飛ぶ程の威力だ。

 スピードも、自信を持つだけあってアンリエットに対応できるものではない。

 本来なら・・・・、連続攻撃を受けた彼女は、とっくに肉片になっているはずだった。

 しかし――


「言ったろう、読みやすいと」


 彼女は決して攻撃を受け止めない。

 流線形の刃で受け流しているのだ。

 だが、それでも、彼の速度には対応できないし、本当のことを言えば彼の斬撃が早すぎて見えてもいない。

 だから受け流せない攻撃は、回避する。

 回避しきれない攻撃は、最低限の被害に抑える。

 全てを予知するように読み、適切な取捨選択を行うことで、最適化しているのだ。


「なんでだっ、なんで当たらねえんだよ、なんでえェッ!」


 がむしゃらに爪を振り続けるヴェルナー。

 それを超越する、アンリエットの自身の経験と知識。

 もちろん、誰に対しても、こんな芸当ができるわけではない。

 相手が、幾度となく訓練で手合わせをし、パターンが読めるヴェルナーだからこそ。

 だが、彼にはそれができない。

 血筋や才能ではなく――努力で補える部分で、アンリエットに及ばないのだ。

 そればかりは、オリジンの力を得ても埋めることはできない。


「貴様が限界を感じる気持ちもわかる。人の体は、歳を経れば衰えていくものだ。だが、諦めるのが早すぎたんだよお前は。まだ、道のりには続きがあったというのに」

「黙れぇっ!」

「そんなものに頼ったところで、先にあるのは行き止まりだ。私やみなを殺したところで、待つのは虚しい未来だけだぞ。強さというのは、認めてくれる誰かがいて、初めて意味をもつものだ」

「知った風な口を聞くな! 恵まれたお前に何がわかる!」

「わかるさ。生まれや育ちは違えど、同じ兵士なのだからな。もうやめるんだヴェルナー、それ以上続けても、お前のプライドが傷ついていくだけだぞ」

「プライド!? そんなものはとうに捨てた! おいらは、誰よりも、強くならなくちゃならないんだッ!」


 アンリエットは、「ふっ」と微笑む。

 ヴェルナーは目を見開いて驚愕し、手の動きを止めた。


「なんで……笑ったんだよ」

「だったらお前は、なぜその爪で戦い続ける。オリジンの力を手に入れたのだろう? だったら、何かしら螺旋の能力を使えるようになっているはずではないか」

「……それ、は」

「真正面から潰さなければ、意味が無い。そう思ったんじゃないのか?」


 それは彼の中に微かに残った、なけなしのプライドだ。

 オリジンの力を借りてヘルマンやアンリエットを殺したところで、何の意味もない。

 彼自身、それを心のどこかで理解していたのだ。


「それがプライドだよ、ヴェルナー」


 アンリエットは優しく語りかける。

 彼女とて、もはやヴェルナーを救えるとは思っていない。

 だがせめて、人らしく逝ってほしいと願っている。

 ヴェルナーはうつむき、両手から力を脱いてだらんと垂らす。


「わかってくれたか」


 微笑むアンリエット。

 しかしそのとき、遠く――王城前広場の方から、激しい戦闘の音が聞こえ始めた。

 死者と、城に残った者たちの交戦が始まったのだろう。

 ヴェルナーが諦めたのなら、操られた死者たちの動きも止まるはず。

 だが今も戦っているということはつまり、彼が、まだ力を与え続けているということに他ならない。


「……ははっ」


 ヴェルナーは笑った。


「は……あははっ、あははははっ、あっはははははははは!」


 ゲラゲラと、腹を抱えながら、目の端から涙が流れるほど全力で。


「プライドかぁ……プライドねぇ。そういや、そんなものもあったなァ。なーんか邪魔なものがあると思ってたんだけど、ありがとねアンリエット、やっとそれに気づけたよ」

「ヴェルナー?」

「確かに、まったくもってその通りだ! 爪にこだわる必要なんて無かったんだよ! そんじゃ、お望み通り螺旋の力で、死ねよアンリエットォオオオ!」


 ヴェルナーが拳を突き出すと、渦巻いた空気がアンリエットに迫った。

 彼女はそれを飛んで避け、地面に膝をついて着地すると、彼に呼びかける。


「やめろヴェルナーッ、それ以上やってもお前は満たされないんだぞ!」

「いやでぇす、やめませえぇぇぇぇんッ!」


 アンリエットの背後で、ドオォッ! と捻れた何かが建物の壁を破壊し、彼女を狙った。

 それは死体だ。

 操った死体を捻り、ドリルのように形を変え、射出したのだ。

 ヴェルナーの力が及ぶ範囲は王都全体。

 つまり、どこから飛んでくるかはわからない。


「ぐっ、人間の体をまるで道具のように……!」

「死にゃあただの肉だろうがァ!」


 無数のドリルが上空に、アンリエットを囲むように飛翔する。

 そしてヴェルナーが手をかざすと、それは一斉に彼女に向けて射出された。

 ズドドドドォッ!

 砂埃を巻き上げながら、対象を粉砕する死肉弾。

 彼女は転がりながらどうにかそれを回避するも、ヴェルナーはすかさず次の弾丸を用意する。

 そのとき――彼の足元から、赤い何かが首を狙って突き出した。


虐殺規則ジェノサイドアーツかっ!?」


 バク転し回避するヴェルナー。

 だがその着地点にも、さらにその避けた先にも、何本もの血の針が、あらかじめ動きを読んでいたかのようにせり出してくる。

 虐殺規則ジェノサイドアーツ潜蛇咬セルペンス

 アンリエットの放つそれは、オティーリエが行使するものを、数、質ともに上回っていた。

 さらに舞い上がった砂埃の向こうから、無数の血の刃が飛来する。


「チィッ、血蛇咬アングイスまで!」


 それを螺旋の力でかき消すヴェルナー。

 さらに生じた風で砂埃も晴れたものの、その先に彼女の姿は無い。

 周囲を見回しアンリエットを捜すが、どこにも見つからず――


「逃げたか?」


 しかし気配はまだある。

 チリリと後頭部が痺れるような感覚を頼りに、振り向いたヴェルナー。

 そして建物の上に立つ彼女の姿を見つけた。


「はああぁぁぁぁぁあああッ!」


 アンリエットは吼え、剣を振るう。


 彼女は特異体質だ。

 血液量が異様に多く、さらに自由に操ることができるため、血液弾倉ブラッドカートリッジを剣に取り付ける必要は無い。

 柄にはぽっかりと穴が空いており、自らの意思で手のひらから血液を流し、刃に満たすことができるのだ。


 そうやって赤い筋の入った剣を振りかざすことで生み出されたのは、紅色の七頭の竜。

 そして全ての竜が一斉にヴェルナーに牙を剥き、食らいつく。

 逃げ場を塞ぐように、周囲を取り囲みながら。

 これこそが、虐殺規則ジェノサイドアーツにおいて最大の威力を誇る剣技、鮮血竜レヴィアタン

 いくらヴェルナーと言えど、これだけの虐殺規則ジェノサイドアーツを受ければ、身動きがとれないほど体の自由が奪われてしまうだろう。


「さすがだねェ、アンリエット」

「もう諦めるんだ、ヴェルナー!」

「それがいいかもしれない、おいらにはもう打つ手が……なーんちゃって」

「何ッ!?」


 鮮血竜レヴィアタンの軌道を遮るように、無数の人影が現れる。

 その肉体はヴェルナーの身代わりとなり、血の竜に食い散らかされ、ズタズタに破壊されてしまった。

 そいつの顔に、アンリエットは見覚えがあった。


「エキドナ……だと?」


 それは南門に放置されていた、異形と化したエキドナの死体。

 しかしその損傷は激しく、残っていたのは下半身だけのはずだ。


「彼女の体はボロボロだったけど、おいらが修復したのさ」

「修復?」

「こういうこと。う……ぶ、うぇつ、げ、が、はああぁっ!」


 ヴェルナーの口から、赤黒い肉塊が吐き出される。

 彼はそれを持ち上げると、自慢げにアンリエットに見せつけた。


「形も変えられる、力も与えられる。すごいんだよこれェ。アンリエットも使ってみる? 意外と強くなれると思うけど」


 自慢げに語るヴェルナーの背後から、修復されたエキドナの本体が姿を現す。

 ガディオに破壊された上半身は確かに人の形を取り戻していたが、皮をはいで肉が剥き出しになったような有様で、とてもではないが元通りと言える状態ではなかった。

 それを見てアンリエットは頬を引きつらせる。


「いいねェその顔、あんたを苦しめられただけで、エキドナを蘇らせた甲斐があったってもんさ」

「ヴェルナー、お前はもう……」

「もう? ノンノンノン、とっくに・・・・だよ。そうだ、綺麗事なんてどうでもいい、力さえあれば! 強くなれれば! おいらの望みは、それで叶うのさァッ!」


 ヴェルナーが屋根の上にたつアンリエットに向かって、腕を振り払った。

 すると彼女の足元がぐにゃりと捻れる。

 慌てて隣の建物に移動したものの、道を塞ぐようにエキドナが立ちはだかった。

 彼女は足の間から伸びた赤い管を差し向ける。

 アンリエットは間を縫うようにくぐり抜け、地面に飛び込んだ。


「すぅきだぁらけェッ!」


 着地した彼女を狙って、飛びかかるヴェルナー。

 すると地面から、アンリエットを囲むように血の槍が飛び出した。

 地面に突き刺した剣で、潜蛇咬セルペンスを仕込んでいたのだ。

 するとヴェルナーの構える三本の刃が伸びる爪、その一本一本が高速回転を始める。


「止まんねえよォ!」


 回転により威力を増した爪撃は、血の槍をいとも簡単に打ち砕いた。

 そして無防備になったアンリエットに、彼の凶刃と、頭上からはエキドナが迫る。

 万事休すか――アンリエットが死を覚悟したところで、絶望を切り裂くように少女の声が響いた。


気剣擲プラーナスロワーッ!」


 フラムはプラーナで作り出した剣を、空中から落下するエキドナに向けてぶん投げる。

 彼女は束ねた赤い管で迎撃するが、接触と同時に剣は反転の魔力で炸裂。

 数十本の管を吹き飛ばされ、さらに自身も地面に叩きつけられたエキドナは、苦しそうにもがいた。

 さらにフラムは足を止めず、アンリエットに斬りかかろうとするヴェルナーに接近。

 その体に手を伸ばしたところで――「チッ!」と舌打ちする彼は飛び上がり、二人から距離を取った。


「フラムか!」

「いくらなんでも一人で飛び出すのは無茶ですよアンリエットさん!」

「すまない、説得できると思ったんだが」


 フラムはため息をついた。

 アンリエットは優秀なのかもしれないが、どこまでも甘い。

 あのオティーリエを許容してきたぐらいなのだから、それぐらいの心の広さはあって当然なのかもしれないが。


「ヴェルナーは私が相手をします、アンリエットさんはエキドナの足止めをお願いしてもいいですか?」

「ああ、わかった。あいつのことは任せたぞ」


 もはやヴェルナーに言葉は届かない。

 アンリエットは、彼を説得できなかったことを悔やみながら、起き上がるエキドナと対峙した。

 もっと前に彼と語り合えていれば――ひょっとするとアンリエットは、そんな風に考えているのかもしれない。

 しかしフラムは、心の中で『そうじゃない』と否定する。


 ヴェルナーと初めて会ったとき、フラムは彼の目が濁っていると感じた。

 その感覚は絶対ではない。

 しかし、外れたこともない。

 きっと最初から、彼はそういう人間だったのだ。


「いいのかなァ、フラム。今ごろ城は死者たちに囲まれてるよォ?」

「ネイガスさんやツァイオンが守ってくれてるから。死者相手なら、十分すぎる戦力だと思うけど」

「それじゃあ足りないって言ってるんだけどなァ」

「何を――」


 瞬間、フラムの足元を影が覆った。

 上空を見上げると、民家が丸々一つ、彼女を押しつぶそうとしているではないか。

 彼女はすぐさま飛び退く。

 目の前に、ズゥゥゥンッ! と巨大な石塊が落下し、風が舞い上がり、砂埃で視界が塞がれる。

 すると、砂埃の向こうにぼんやりと見える民家の影が、奇妙な形に変形していく。

 まるで、石で作られた巨大なドリルのように。


「はああぁぁぁぁあッ!」


 フラムはそれを、真正面から拳で破壊した。

 反転の力も必要ない、今の彼女なら力だけで砕くことができる。

 そして開けた視界の向こうにはヴェルナーと、三人の異形が並んでいた。

 皮が剥げ、捻れた筋繊維がむき出しになったような体。

 辛うじて顔の一部だけが人間の姿を保っており、しかしその部分も、死体になってから長時間が経過しているせいか腐敗していた。

 もはや、誰が誰なのか、判別することすらできない。

 しかし――その三人の名前を、フラムは知っている。


「ネクト、ルーク、ミュート……」


 ヴェルナーが言っていた“戦力が足りない”という言葉は、おそらくミュートの力があるからだろう。

 彼女の能力、“同化”は、別々の人間の身体能力――すなわちステータスを同一化させる。

 つまり、ステータス0の人間とステータス100の人間を同化させれば、ステータス100の人間が二人になるということだ。

 すなわち、現在王都に存在する死者たちは、みなSランク冒険者並の力を持っていると思っていい。


「殺した相手のことも、ちゃんと覚えてるんだァ。やっさしいねェ」

「あんたは……墓に眠ってた人間まで利用して……!」

「だって、死んだ人間はただの肉だから。むしろこうやって使ってやった方が、弔いになると思わない?」

「思うもんかッ!」


 地面を蹴り、殴りかかるフラム。

 すると突如、眼前に建物が現れ、道を遮る。

 拳でそれを打ち壊すと、背後に殺気を感じた。

 転移してきたネクトだ。

 フラムは気想剣プラーナブレイドで背後を切り払う。

 だが空振り――彼は再び転移して姿を消した。

 ギュオォオオッ!

 今度は背後から空気が渦巻く音。

 フラムは振り返る。

 すると砕けた家屋、その破片が全て高速回転し、鋭く尖った先端を彼女に向けているではないか。

 プラーナの剣を地面に突き立て、反転の魔力を注入。

 すると埋まっていた地面がせり出し、彼女を守る盾となった。

 だがフラムは、それを盾として使うつもりなど無い。

 軽くその場から飛び退くと、剣を高く掲げる。


気剣プラーナ――ストーム!」


 そして刃を、地面に叩きつけた。

 ゴオォォオオオオッ!

 嵐は地面を抉り、そして反転で作った壁を打ち砕きながら吹き荒れる。

 瓦礫を巻き込みながら、視界に存在する有象無象を破壊するプラーナの暴風。

 まともに受ければ、無事ではいられない――そのはずだった。

 しかしその嵐の中を、こちらに向かって真っ直ぐ突っ切ってくる男の姿がある。

 ヴェルナーだ。

 彼は瓦礫を足場代わりに使いながら、フラムに肉薄し――回転する爪で、彼女に斬りかかった。

 気想剣プラーナブレイドと爪が衝突し、ギャイィィィ――と甲高い金属音が響く。


「なんて動きっ!?」

「これが今のおいらの力なんだよ!」

「あんたのじゃなくて、オリジンの力でしょうがッ!」

「下らん負け惜しみだなァ!」


 感情が昂ぶると、爪の回転がさらに早まる。

 その力に付け焼き刃の気想剣プラーナブレイドでは耐えきれない。

 パリィインッ!

 刃が砕け散る。

 フラムは顔をしかめ、ヴェルナーは狂喜し頬を吊り上げた。


「もらったァッ!」

反転しろリヴァーサルッ!」


 フラムの足元の岩がせり出し、その体を浮遊させる。

 ヴェルナーの爪がギリギリのところで空を切り、彼女は一命を取り留めた。


「小癪な真似をしやがってェ!」


 迫る追撃を、フラムは再び作り出した気想剣プラーナブレイドで受け止める。

 強度に問題があるのはさっきのでわかった。

 だがこの剣の利点は、何度破壊されても使い潰せること。

 だったら逆に、自らぶっ壊してしまえばいい。

 爪と剣がぶつかりあう瞬間、反転の魔力で飽和した気想剣プラーナブレイドが激しく爆ぜた。


「ぐっ……見えねえ剣を使い捨てやがったか! だがァッ!」


 衝撃に押され、ヴェルナーは後退する。

 フラムも同様に、風圧を利用して彼と距離をとった。

 これで一息つける――はずもない。

 どうやらミュートは死者の同化要員のようで、積極的に戦闘には参加してこない。

 つまりフラムは一人で、相手は三人。

 息つく暇もなく、今度は背後からネクトが地面とフラムの肉体を接続させようと手を伸ばしてくるし、右に避けた先にはルークが待ち受ける。

 人間離れしたステータスのおかげでどうにか避けられているが、今のフラムにとっては当たれば終わりの厳しい戦いだ。

 相手もそれを理解した上で、間髪を容れずに次々と攻撃を繰り出してくる。

 最初のうちは反撃することもできたが、今では完全に防戦一方だ。

 体には擦り傷も増え、じわじわと、数の暴力にフラムは追い詰められていく。


「だから言ったろうが、おいらの方が強いってさあァ!」


 ヴェルナーは明らかに調子に乗っている。

 しかし、フラムに反撃の手が浮かばないのもまた事実だった。

 助けを求めようにも、ネイガスとツァイオンは城の防衛で手が離せないはずだし、アンリエットもエキドナの攻撃をいなすので精一杯だ。


 リートゥスは――できればまだ手を借りたくない。

 今すぐにでも表に出たいようだが、まだダメだ。

 なぜかと言えば、まだヴェルナーは余力・・を残している可能性が高いからだ。

 相手はフラム一人、そう思っているからこそ三人しか使っていない。

 自分にはまだ余裕がある、そう思うことでフラムを見下そうとしている。

 だが、リートゥスがいることに気づけば――おそらく彼はさらなる数でフラムを押しつぶそうとするはずだ。

 この状況で、ミュートの同化能力により身体能力が向上した複数の死者の相手は難しい。

 彼女を使うなら、ヴェルナーを確実に仕留められるタイミングでなければ。


 あとは――オティーリエとジーンだが、あの二人は一体どこに消えてしまったのか。

 せめて加勢があれば、と期待してしまうフラムだったが、そんな甘い考えは一瞬で振り切った。


 それでは駄目なのだ。

 この男は弱みを見せればどこまでも調子に乗るタイプだ。

 城に逃げ込んだ人たちを苦しめ、ヘルマンを殺し、アンリエットが差し伸べた手を振り払った。

 そんな救いようのない男を、この期に及んで喜ばせるようなことは、あってはならない。

 容赦なく、完膚なきまで、叩き潰さねばならない。


「そら、逃げろ逃げろッ! 無様に地面を這いずる姿をおいらに見せてくれよ、フラム!」

「いちいち挑発が安っぽいんだっての!」


 ネクトが空中に浮かべた複数の民家、それをルークが高速回転させ、フラムを狙う。

 当然飛び退こうとするフラムだが、踏み切ろうとした足が、ぞぶりと渦巻く地面に沈んだ。


「いっ……!」


 足がねじれる感覚に、フラムの顔がゆがむ。

 離れた場所で地面に爪を突き立てるヴェルナーはにやりと笑った。

 フラムは重力を反転、体をふわりと浮かばせ渦から脱出する。

 同時に、頭上より落下してきた高速回転する民家を回避することに成功したが、巻き込まれた足は無傷とはいかない。

 着地した瞬間、ふくらはぎ近辺の内側に違和感を覚える。

 骨が折れているのかもしれない。

 うまく力が入らず、ネクトとルークの追撃はほぼ右足一本で避けるしかなかった。

 ヴェルナーがそれを見逃すはずがない。

 ここぞとばかりに距離を詰め、素早く爪による連撃を繰り出す。

 回転するその刃は、掠めただけでフラムの肉を抉っていった。

 足、腕、頬、そして首――体に溝のような傷痕が刻まれるたびに、フラムは熱にも似た痛みを感じる。

 首の傷はどうにか動脈を避けたが、このままでは致命傷を受けるのは時間の問題である。

 焦るフラムは、そこで回避の選択を誤った。

 ヴェルナーの大ぶり、それを体を捻って避けるべきだった。

 だが彼女はまんまと誘いに乗って、後ろに飛び退いてしまったのだ。

 着地でフラムに生じるわずかな隙。

 その背後の左右からネクトとルークが逃げ道を塞ぎ、さらに前方からヴェルナーの爪が迫る。

 もはや逃げ場は無い。


「もらったあぁぁァァァッ!」


 狙うは心臓。

 一突きで、回転する鎧を刺し貫きその命を奪い取る――だが爪の先端が胸に触れる直前、フラムの頬が愉悦に歪んだ。

 これは、罠だ。

 それにヴェルナーが気付いたときには、すでに手遅れ。

 彼女の背中から無数の黒い腕が伸び、彼の体を掴んだ。

 これが攻撃動作の途中でなければ、捉えることはできなかっただろう。

 そして、フラムはリートゥスを通して反転の魔力をヴェルナーに注ぎ込む。


ぶちまけて死ねリヴァーサル・パラレルコネクトッ!」

「がっ!?」


 ヴェルナーの体が泡立つように膨らみ、変形する。

 耐えきれずゴキャッ、と骨が砕け、グジュグジュと肉がかき混ぜられ、穴という穴からドロリとした赤い体液が大量に吐き出された。

 そこからさらに膨張、最終的には破裂し――彼の死をもって、甦った螺旋の子供たちスパイラルチルドレンたちも動きを止めるはずだ。

 しかし、ルークとネクトは変わらず、フラムを襲撃する。


「どうして、ヴェルナーは殺したはずなのにっ!?」


 幸い、ヴェルナーを撃破したことで逃げ場はできたため退避は容易かった。

 彼の死体の上を通りつつ、その状況を確認する。

 体内には、コアが無い。

 最初から戦っていたのは偽物だった?

 いや、確かにコアの存在を、フラムの感覚が察知していたはずだ。


「だったらいつ入れ替わった・・・・・・? そう思ってんのかなァ」

「ヴェルナーッ!?」


 潰れた民家を乗り越えながら、フラムの前方に無傷のヴェルナーが姿を現す。

 だがそれは一人だけではない。

 さらに後ろから何人もの――最終的には十人ほどのヴェルナー・アペイルンがずらりと並び、フラムを見下ろした。


「ミュートの力を使った同化の応用。エキドナの真似事とも言えるかもねェ。ただ一つ、彼女と違うことは――」


 全員がにやりと笑い、声を揃えて言い放す。


『おいらは元から強い』


 エキドナやミナリィアは、人間や魔族という違いはあれど、元は一般人である。

 それでも、オリジンの影響を受けてあそこまでの力を手に入れた。

 トーロスはツァイオンに匹敵するほどの力を持っていると言っていたが、彼とはまともに戦闘はしていない。

 ヒューグに関しても同じく。

 つまりフラムはまだ、元から力を持つ人間がオリジンコアを使った場合どうなるのか、それを身をもって経験したことは無かった。

 キマイラは圧倒できる、コアを使った一般人も同じく、しかしヴェルナー相手となると――そうはいかない。

 ましてや、彼は王都の人々やマザーの力まで吸収している。

 強いのが道理である。


「さあ、おいらの真の力を味わえ、こっからが最終章だあぁぁぁぁぁァァッ!」


 ヴェルナーたち・・が、一斉に拳を振り上げる。

 すると腕の肉が変化し、そこに鋭い三本爪が現れた。

 一本一本が高速回転をし、螺旋の力を生み出す。

 それを前に突き出すことで――一人あたり三発、すなわち計三十発の螺旋の弾丸が、壁となってフラムに襲いかかる。

 しかも弾丸は軌道を変え、適切に彼女に向かってくるではないか。

 同時に、ネクトの力によって転移させられた民家が頭上に現れた。

 ルークによってドリルのように回るそれは、フラムの逃げ道を塞ぐように、左右と後方に突き刺さり壁となる。


「フラムさん、避けられません」


 壁を破壊しても、重力を反転してももう間に合わない。

 フラムにできることはもはや一つしかない。


「だったら真正面から受け止めるしかないッ!」


 フラムは両手を交差させ自分の身を守る。

 さらに背中から伸びる黒い腕が、彼女の前面を覆った。


「はあぁぁぁぁああッ、リヴァーサルッ!」


 螺旋の弾丸が触れる直前、フラムは一度に吐き出せる限界の魔力を腕に注いだ。

 ガッ、ギイィィィィギャアァァァァッ!

 反転と回転の力がぶつかり合い、まるで異形の叫び声のような音を響かせ、激しくスパークする。

 視界が白で埋め尽くされるほどの激しい閃光。

 もはやフラム自身にも、防ぎきれているのかどうか判別できなかった。

 ギイイィィィィィ――イィインッ!

 そんな攻防が数十秒続いた後、彼女は何かが自らの肉体を貫通する感覚を覚え、そして口から大量の血液を吐き出した。


「ぐ……ぐぶっ……が……あぁぁっ……!」

「フラムさん!」


 防ぎきれなかった。

 ひとつひとつの威力はともかく、あれだけの数を前には、さすがのフラムでも耐えきれない。

 彼女を囲んでいた民家の成れの果ては、流れ弾で穴だらけになり、自重で潰れはじめていた。

 フラムは膝をつき、そのまま体ごと倒れそうになる。

 どうにか手をついてこらえたものの、漂う砂埃の向こうから、ヴェルナーたちの裏返った笑い声がユニゾンしながら近づいてきた。


「あっははははははァッ! これだけで終わりだと思ったのかよォ!」


 振り上げられた爪。

 フラムは気想剣プラーナブレイドで応戦しようと立ち上がろうとするが、思うように手が動かない。

 よく見れば、地面に着いた左手が瓦礫と接続・・し、めり込んでいた。

 さらに肩には誰かの手のひらが触れる感触――転移してきた、ネクトである。


「もらったぜェ、フラアァァァァムッ!」


 このままでは逃げられない。

 フラムは咄嗟の判断で、左腕を爆発させ自らの意思で切断した。


「ぐううぅぅぅぅっ!」


 さらに炸裂の衝撃を利用し、転がりながらヴェルナーの爪を回避する。


「トカゲの尻尾かよ、そりゃ弱者の逃げ方だなフラムゥ!」


 すると別のヴェルナーが飛びかかってきた。

 プラーナを練り上げている時間はない。

 フラムは腕の血液を凍らせ、爪を滑らせ・・・ながら受け流す。

 それでも防ぎきれず、さらに左肩を削られたが、命が無事だっただけラッキーだ。

 そこから体のバネを利用して立ち上がり、前方の敵を確認。

 三人のヴェルナーが高速で近づいてくる。

 接敵までのわずかな時間を利用して気想剣プラーナブレイドを生成。

 右手で握り、腰より低く左後ろに構えた。

 左腕から滴る血液が、刃を滑り落ちる。


「ふぅ――せえぇぇぇいッ!」


 虐殺剣術コンプレックスアーツ血刃斬ブラッドシェーカー

 気剣斬プラーナシェーカー血咬蛇アングイスの合わせ技だ。

 両者の威力を上乗せし、さらに虐殺規則ジェノサイドアーツの身体能力低下特性を取り入れている。

 ヴェルナーたちはこれを正面から受け止めようとはしなかった。

 三人は飛び上がって避け、散り散りになる。

 必殺の一撃が牽制程度にしか使えないことを嘆きながら、しかし今はひとまず危機をしのげたことを喜ぶしか無い。


「はぁ……はぁ……!」


 とにかくヴェルナーの群れから離れることを優先する。

 飛び上がった三人はフラムに向けて螺旋の弾丸を放つが、それは背中を見せて距離を取る足元を掠めるだけだった。

 腕から血が大量に流れ出たせいか、頭がくらくらして、体が冷たい。

 今は凍らせて止めているが、それが悪いのだろうか。

 足に思うように力が入らないが、止まれば死んでしまう。

 死ぬのは嫌だった。

 ましてや、こんなクソ野郎に殺されるのだけは。


 前から飛来する、ルークの放った螺旋を避け、ネクトの転移によって前方に立ちはだかる民家を飛び越える。

 屋根の上に着地したところで、フラムは遠くから成人男性ほどの大きさをした何かが飛来してくるのに気付いた。

 死体を利用した弾丸だ。

 それが百以上、真っ直ぐにフラムを狙って取んでくる。

 さらに数十棟の住宅が空中に浮き上がり、回転を始める。

 背後では十人のヴェルナーが拳を構え、再び螺旋の弾丸を放とうと待機していた。


「フラムさん、これは……!」

「くっそぉおおおおおおお!」


 フラムはとにかく走った。

 屋根から飛び降り、比較的穴の多いルークの方へ向かって駆け抜ける。


「遅ェんだよ」


 そんな彼女の目の前に、ヴェルナーが現れた。

 突き出される爪を、横に転がりながら回避する。

 そこに降り注ぐ死体のミサイル。

 強引に前に飛び込むも、衝撃までは防げない。

 吹き飛ばされ、フラムは前方へと転がっていく。

 そんな彼女を狙って降り注ぐ、回転する民家の雨。

 リートゥスが咄嗟に腕を伸ばし、そしてフラムが反転の力を注ぎ込み、打ち砕く。

 だが次々と休む暇なく落ちてくる巨大なドリル、そしてヴェルナーの放つ弾丸に、為す術もなく彼女の肉体は削られていった。


「ぎっ、ああぁぁぁああああッ!」


 少女のしゃがれた、悲痛な叫び声が死の都に響き渡る。

 民家に押しつぶされ、右足が潰れる。

 さらに回転にえぐられ、血肉が飛び散った。

 砕いた民家の瓦礫もルークの力によって回転を始め、フラムの体に降り注ぐ。

 鎧だけは彼女の体を守ったが、それ以外の部位はもはや防具では防ぐことすら敵わない。

 できることは、破壊される前にエピック装備を消すことぐらいだった。

 石礫が眼球を潰す。

 木片が耳を切り飛ばす。

 螺旋の弾丸が鼻を削り取る。

 掠めた回転する死体によって下顎が吹き飛び、喉がえぐられ、声すら出なくなる。

 右腕は何箇所もえぐれ、骨が剥き出しになり、まるでアンデッドのようである。

 左足は太ももに至るまで完全に潰れ、あとは残り滓のような皮が残るのみ。

 右足は辛うじて残っていたが、ヴェルナーの弾丸が膝から下を切断する。

 その衝撃で、フラムの肉体はふわりと浮かび上がり、放物線を描いた。

 まるで、ゴミとして投げ捨てられるトルソーのようである。


「ひゃっはははははははは!」


 嗜虐心が満たされたヴェルナーは、高らかに笑った。


「これは、もう……」


 リートゥスは絶望する。

 フラムが敗北しても彼女が消えるわけではない。

 しかし、彼女をまともに受け入れられる人間は、この世にフラムしかいない。

 オリジンを殺す。

 ディーザを殺す。

 恨みを果たす。

 その願望を果たせなくなるのは、怨霊たる彼女にとっては消滅よりも恐ろしいことだった。


「ひゅ……ひゅぅ……」


 えぐれた喉から呼吸が漏れる。

 風に吹かれて、傷口のささくれた皮が揺れた。

 フラムはぼんやりとする意識の中で、思考する。


 もう、死ぬんだろうか。

 こんなにボロボロになったのは、あの檻の中で、グールに襲われたとき以来かもしれない。

 いや、あのときでもこうはならなかったっけ。

 他のときも、なんだかんだで魂喰いの再生があったから助かってきたけど……これはさすがに、無理かな。

 前のときは、オリジンは私のことを取り込もうとしてたけど、今は違うしね。

 私、死ぬんだ。

 やだな。

 こんなやつに殺されたくないな。

 でも、どうしようもないもんね。

 ああ、やだな。

 ほんと……やだなぁ。

 だって、ミルキットに会えてないもん。

 何十回も、何百回でも言ってきたけど、私が頑張れたのはあの子がいたからで。

 もしかしたら、あの世に行けば会えるかもしれないけど……いや、たぶんそれは無い。

 こんな死に方するってことは、ミルキットはそこにはいない。

 待ってるのはこの世とは別の地獄だ。

 夢も希望もない、もっと暗くて、何も見えない奈落の底みたいな場所。

 二度と会えない。

 奇跡も起きない。

 いやだ、それだけは、いやだ。

 私は生きるんだ、ミルキットと一緒に暮らして、あの子のこと死ぬほど幸せにして、私も死ぬほど幸せになるまで、死んでやるもんか。

 っていうか幸せになっても死んでやんない。

 大好きなミルキットと一緒にいるためだったら、永遠だって生きてやる。

 だってミルキットだよ?

 隣にいるだけで幸せで、手をつないだらびっくりするぐらい幸せで、抱き合ったら泣いちゃうぐらい幸せで、キスなんてしたら、もう言い表せないぐらい幸せで!

 きっとその先だってあって、そんぐらい、私をたぶん世界に存在するどんな生き物よりも幸せにしてくれる存在、それがミルキット。

 なのに、だってのに、会えずに終わるなんて。

 認めるもんか。

 認めるもんか。

 認めるもんかッ!

 生きてやる、生きてミルキットと再会してやる。

 ミルキットだってそれを願ってる。

 ミルキットだって待ってるに決まってる。

 ミルキット、ミルキット、ミルキット、ミルキット、ミルキット、ミルキット――!


 それは彼女にとっての、あらゆる原動力だ。

 もはや文字通り死に体となったフラムだったが、彼女のことを想うだけで目が開き、右腕が動く。

 何かを求めるように、空に向かって伸ばされる。


「走馬灯でも見てんのかァ? だったら優しいおいらが、夢の世界に送ってやんよォ!」


 爪を構えたヴェルナーが、空を舞うフラムに飛びかかる。

 迫る螺旋の爪。

 右腕が動いても何の意味もない。

 万事休すか。

 リートゥスも諦めて瞳を閉じようとしたその時――


「受け取りなさいっ、フラぁぁぁぁぁムッ!」


 オティーリエの声が、響き渡る。

 そして彼女はぐるんと一回転して、フラムに向けて布に包まれた2メートル近くある何かをぶん投げた。


「何か知んないけど、手遅れだっての! おいらの勝ちだあぁぁァッ!」

「いいや、いついかなるときも勝者は天才だけだ。優しく殺せ、レッドウィンド」


 オティーリエの傍らで、ジーンがヴェルナーに向けて手をかざす。

 すると、ヒュオォォ――と一陣の風が吹いた。

 そよ風程度の強さしかないそれが、ヴェルナーの体に触れた瞬間、


「な、なんだこれはっ!?」


 何の前触れもなく、燃え上がる。

 その魔法に彼を打ち倒すほどの威力は無かったが、失速させるには十分だった。

 布でくるまれた何かは引き寄せられるようにフラムに近づき、そして――彼女は右手で、そのを握った。


『助けてくれええぇぇぇぇぇえ!』

『おかあさーん! おとうさーん!』

『お願い、この子だけは、この子だけはどうかっ!』


 フラムの脳に、一気に意識が――否、呪いが流れ込んでくる。


『正気に戻って、お願いだからあな……ぎゃあァァァあ!』

『もうやだ……帰してええぇ……』

『あと少し、あと少しなんだ、だから来るな、お願いだから命だけはぁっ!』


 正常な“声”として聞こえるのは、彼女の反転があるからこそだ。

 本来、その全てが人の命を奪うには十分すぎる呪いなのだから。


『もっと、生きてたかった……やりたいこと、たくさんあったのに……』

『おお神よ! なぜあなたは我々を救ってくれないのですか!』


 それは、王都で失われた命の記憶。

 数多の悲嘆、憎悪、後悔、苦痛、未練――あらゆる負の感情を、数千、数万と束ねた呪いの結晶。

 彼らの意思や呪詛、その全てが、フラムの体に力となって注ぎ込まれる。


『許さない……!』

『呪ってやる、俺から全てを奪ったお前を呪ってやるぅぅぅぅッ!』


 まるで時間を巻き戻すように、肉体が再生していく。

 失われた左腕と両脚、さらに原型を留めないほど破壊された頭部は、一瞬にして元の形を取り戻した。


『すまないなフラム、最初から果たせない約束など交わしてしまって』


 ぼやけていた意識も、クリアになっていく。


『……この剣に、俺の全てを込める。そしてどうか、妹たちの仇を取ってくれ……フラム!』


 オリジンの意識の汚染にも似た、しかし明らかに異なる脳内に響く声を聞きながら、フラムは――


「はああぁぁぁぁぁぁあああッ!」


 強く柄を握りしめ、ヴェルナーに生まれ変わった魂喰いを叩き込んだ。

 その勢いで覆っていた布が解け、黒の刀身が露わになる。

 以前の魂喰いと異なるのは、まるで憎悪の炎を表現したような赤い模様が入っていること。

 それは奇妙なことに、本物の炎のように、常に黒光りする刃の上でうごめいていた。


「スペアの剣か!? だったらまた折ってやるよォ!」


 ヴェルナーはそれを真正面から受け止める。

 ガギィンッ! ギュイィィィィィィッ!

 回転する爪と黒い刃がぶつかり合い、激しく火花を散らした。

 にやりとほくそ笑むヴェルナー。


 彼には、ある確信があった。

 それは、生まれ変わった魂喰いの強度不足・・・・だ。

 ヘルマンは、折れた魂喰いと、王都に残されたガディオの剣を使って、新たな剣を作り上げた。

 しかし普通に考えて、二つの剣を組み合わせて、まともな強度が維持できるはずがない。

 どうにか繋げているだけの、まさに付け焼き刃。

 フラムの作るプラーナの剣よりは頑丈だとしても、この回転する爪とぶつかり合えば、間違いなくじきに折れる。


 だが――空中で鍔迫り合っているうちに、ヴェルナーは違和感を覚えた。

 違う。

 これは、二つの剣を組み合わせただけなどではない。

 何か別の力が、異なる二つの武器をつなぎ合わせている。


「壊せるもんかッ! 何万人という人たちの呪いを取り込んだこの剣は、その意志が折れない限り、傷一つすらつかないッ!」

「何が呪いだ、何が意志だッ、力で勝ればそんなものはァァァァッ!」


 ギュオォォオオオオッ!

 ヴェルナーの爪がさらに回転数を増す。

 周囲の風を巻き込み発生した渦が、フラムの体を傷つけていった。

 しかし、傷は生じた瞬間に消えていく。

 再生というよりは、傷を負った事実が消えたかのように、一瞬で。


「なんだ……これはっ!?」


 さらに、刃と接触するヴェルナーの腕は、茶黒く変色していた。

 腐敗し、ドロドロに溶けている。

 これでは真正面から打ち合うことなど出来ない。


「おぉおおおおおおおッ!」


 フラムは両腕に力を込め、剣を振り切った。

 ヴェルナーは吹き飛ばされ、地面に叩きつけられる。

 彼女は空気を蹴り・・・・・、急降下して追い打ちをかけた。

 仰向けに横たわるヴェルナーの腹に、刃が突き刺さる。

 すると傷口を中心として、彼の体は腐敗し、溶解していった。


「こん、なの……おか、しい。まるで、この剣が……本命みたいじゃ……!」

「ご明察ですわ、ヘルマンの剣はそちらが本命でしたの」


 オティーリエは、歩み寄りながら言った。

 続けてジーンが答える。


「鍵はゆりかごにあった」

「ゆりかご……? ヘルマンが……言って、いた……」

「ああ。つまり、その剣はヘルマンの家族が眠る墓に、死体と一緒に埋められていたというわけだ」

「いつの……まに……」

「彼はわかっていたんですわ、あなたに殺されるであろうことを。だから前もってその剣――対神呪装・神喰らいを完成させて、埋めておいたんですの」


 死にかけるヴェルナーは、少しでも他のヴェルナーに情報を遺そうと、その剣にスキャンをかける。




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 名称:対神呪装・神喰らい

 品質:エピック


 [この装備はあなたの筋力を13264減少させる]

 [この装備はあなたの魔力を12999減少させる]

 [この装備はあなたの体力を14529減少させる]

 [この装備はあなたの敏捷を14264減少させる]

 [この装備はあなたの感覚を15219減少させる]

 [この装備はあなたの肉体を消滅させる]

 [この装備はあらゆる呪いを内包する]


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 ステータスの変動量もさることながら、この装備の真価は最後の二つ――肉体の消滅と呪いの内包にあった。

 その力は、普通の人間であれば、柄を握った瞬間に肉体が蒸発し魂まで呪いに侵されながら苦しみ続けるほどだ。

 つまり、反転した場合の見返りもそれだけ大きいということ。

 まさにフラムのために存在する装備である。

 その厄介さを身をもって味わったヴェルナーは、忌まわしげに吐き捨てた。


「ヘルマン……め。どこ……までも……クソッタレ……!」


 しかし言い終えるより先に、フラムは反転の魔力を注ぎ込み、その体を破裂させた。

 するとすぐさま、次のヴェルナーが、三人同時に姿を現す。


「まだだ、まだおいらの優位は変わっちゃいない!」

「ちょ、ちょっとフラム、ヴェルナーがたくさんいますわよ、どうなってますの!?」

「簡単に言うと、全部殺せばいいってこと!」


 フラムは剣を高く掲げ、近づいてくる三人のヴェルナーを見据えた。


「ああ……みなさん、私と同じ想いを抱いているのですね」


 剣から全方位に撒き散らされる呪いの力を、リートゥスも感じているのだろう。

 ほぼ全てに共通しているのは、神への恨み。

 自らを死へと追いやった、オリジンを憎む想い。

 それをプラーナと絡め、フラムは神喰らいを振り下ろす。


「はあぁぁぁぁあっ、呪剣嵐カースドストームッ!」


 ゴオォオオオオッ!

 刃が地面を叩くと、プラーナが弾けて前方に暴風が吹き荒れる。

 プラーナの刃がヴェルナーの肌を裂いたが、彼は『この程度なら突っ切れるはず』と構わず突っ込んでくる。

 ――だが、これはただの騎士剣術キャバリエアーツではない。

 生じた傷は軽い切り傷かもしれない。

 しかしその傷から呪いが体内に入り込み、内側から体と心を破壊しつくすのだ。


「ぐ……お……おぉぉおお……があぁぁぁあああああッ!」

「うわああぁぁぁっ、なんだ、なんだこれはっ、黙れっ、黙れ黙れ黙れっ、おいらの頭に入ってくるなあぁァァ!」

「やめてくれっ、やめてくれっ、それはおいらじゃない、おいらのせいじゃないぃいぃぃぃ!」


 ヴェルナーたちは足を止め、頭を抱えながら悶え苦しむ。

 フラムは彼らに近づくと、神喰らいの一薙ぎで、敵を弾き飛ばす。


「ふッ!」


 いともたやすく倒れる自身を見て、残りのヴェルナーたちはたじろいだ。

 ルークやネクトも距離を取り、警戒してフラムを見ている。


「こんなことが……たった一本の剣で、ここまで変わるものなのかっ!?」


 悔しげに拳を握る彼に、フラムは黒く輝く剣の先端を向けた。

 そして、今までのお返しをするように、挑発的に言い放つ。


「こっからが、真の最終章ってことでいい?」


 今まで相手を見下すことで精神を安定させていたヴェルナーは、顔を真っ赤にして激昂した。


「ぐ……う……ふ……ははっ……あははっ……ひゃははははっ! な、なんだよ、ちょっと強くなったからって調子に乗りやがってさァ! 何が真の最終章だ、剣を握っただけだろうが! おいらが、格の違いを見せてやるよぉおおおおォッ!」


 残る六体のヴェルナーが、感情に任せて一斉にフラムに飛びかかる。

 しかし彼女に、もう恐れるものは何も無かった。

 オリジンを憎む数万人分の呪いが、その背中を押してくれるのだから――





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