第105話 その炎、尽きる日まで

 





 フラムの魔法により、肉片と化す飛竜型キマイラ。

 誰もが、その光景を呆然と見守っていた。

 血の雨は絶えず降り注ぐ。

 臓物の生臭い匂いを漂わせる中、フラムは自らの反転の魔力でそれを弾き、汚れることすらなかった。

 彼女を天使だと見紛えたトーロスにとって、その姿はさぞ神々しく写ったに違いない。


 だが、彼女は決して天使などではない。

 悪魔か、あるいは死神か――一見して正常に見えるが、実際は胸の内で、ミルキットを奪ったオリジンに対する憎しみが、漆黒に至るほどの濃度で滾り続けていた。

 その殺意に満ちた目が、トーロスをにらみつける。


「セイレルさんには悪意がなかった。向こうにいる女の人にもそれはない。けど、そこの男からは歪んだ感情みたいなのがにじみ出てる。あと、ディーザの残り香みたいなものも」


 瞳を見ずとも、今のフラムにはそれが感じられる。

 渦巻く顔、煤けた集会所、大量のキマイラ、そして傷を負ったツァイオンと、血を流すもう一人の男性。

 その状況から、その元凶はトーロスであると判断したのだ。

 しかし、彼の萎えた戦意と、ツァイオンの表情を見て、すぐには殺さない。


「ツァイオン、彼を好きにしてもいい?」


 フラムは、できれば殺したいと思っていた。

 ディーザには手駒がいた。

 目の前に立つ魔族の男がそのうちの一人だとするのなら、きっと彼を殺すことで、キマイラを殺したときよりは気が晴れるはずなのだ。

 しかしツァイオンは首を横に振る。


「そっか。一応、聞いておくけど……あの人が、トーロス?」

「ああ、そうだ。なんで知ってんだ? いや、セイレルの名前を知ってたってことは、あいつに会ったのか」

「そろそろネイガスが背負って連れてくると思う。コアは私が破壊しておいたから、損傷した部位は彼女自身の回復魔法で治してる」

「……だそうだ、トーロス」


 彼に声をかけられ、ようやくトーロスは我に帰る。


「どうしようもないことなんて、無かったろ?」


 ツァイオンは、歯を見せながら笑った。

 ボロボロにされて、さんざん裏切られて、どうしてそこまで笑えるのか。


「ツァイオンは、強いね」


 顔がまともだったら、トーロスは涙を流しながら笑っていただろう。

 勝てるはずがない。

 どれだけ力を手に入れようとも、心でこんなにも負けているのなら、最初から勝負は決まっていたのだ。


「こんだけボコボコにされてるオレを見て、それを言うか?」


 全身に激痛が走っているだろうに、ツァイオンは笑顔を崩さない。

 きっと無理をして、トーロスの罪悪感を軽減しようとしているのだ。

 どこまでも、どこまでも、どこまでも――敵わない。

 それ以外に、言葉が見つからない。


「そういう君だから、僕はうらやましかった……」


 シートゥムを欲しくなったのも、本当は、それが彼のものだからだったのかもしれない。

 彼女そのものを好きになったわけではなかったのだ。


「そういう君だから、僕は疎ましかった……」


 途方もない劣等感にかられる。

 決して、トーロスは不出来な魔族などではない。

 魔力も高いし、ツァイオンの言う通り、性格だって優しいのだ。

 しかし隣にいる彼と比べるから、劣っていると感じてしまう。


「でも……そういう君だからこそ、僕みたいな面倒な奴の、友達になってくれた……」


 ツァイオンでなければ。

 彼のように、無条件で他人を信頼できる魔族でなければ、トーロスと友になることはなかった。

 自己嫌悪の塊である彼は、そう考える。


「それはちげえよ」


 だが、ツァイオンは即座に否定する。

 少し怒り気味に、語気を強めて。


「前からずっと疑問だったんだ、トーロスの自己評価の低さがさ。お前はさ、すごい奴なんだよ。言っとくが、面倒さで言えばオレの方が上だし、シートゥムですら暑苦しいとか言ってくるぐらいだからな。そんなオレに、嫌な顔ひとつせずに付き合ってくれる。魔法の腕だっていつ追い抜かれるかとビビってたし、性格だって優しいから、なんで彼女ができねえのかいっつも不思議だった」


 お世辞抜きで、ずっとそう思ってきた。

 トーロスという友のことを、心から尊敬し続けてきたのだ。

 だから不思議でしょうがない。

 なぜそんな彼が、自身のことを低く評価しているのか。


「買いかぶりすぎだよ、ツァイオン」

「んなこたねえ。お前は優しいからこそ、ずっと自己嫌悪してきたんじゃないのか? ディーザに命令されたからオレと友達になったことや、本当はディーザの子供だってことを父親に隠してきたことを」

「……それは、そうだけど」


 震えた声で、トーロスは答える。


「当然だよ。だって、最悪じゃないか! 今まで僕に優しくしてくれたツァイオンや父さんを、僕は裏切り続けてきた……! でも今さらやめられるはずもない。だったら僕はその道を進むしか無い! どこまでも、ディーザ様に従うしか!」


 必死で紡がれた言葉を聞いて、ツァイオンは「ははっ」と嬉しそうに笑った。

 それこそが、彼の待っていたものだったからだ。


「それを『最悪だ』って思ってる時点で、トーロスにゃ人を騙す才能がねえな」

「え……?」

「本当に染まっちまった悪人は、いちいちそういうこと考えねえんだよ。たぶん、そうなるってわかった上で、ディーザはお前の心を誘導してきたんだろうな」


 それぞれの性格を把握した上で、適した洗脳の方法を使う。

 優しい心を持つトーロスを操るためには、罪悪感を利用する方法が一番だった。

 彼はまんまと、それに引っかかってしまったのである。


「オレはさ、たぶん命令なんか無かったとしても、トーロスとダチになってたと思う」

「そんなはずが……」

「オレがあるっつったらあるんだよ。遅かれ早かれ、ディーザの思惑なんざ関係なしにさ。だから命令がどうとか気にすんな、オレらの関係にそんなもんは何の影響も与えてねえ」


 ツァイオンの言葉に続けるように、呼吸の荒いグロウスは息子に呼びかける。


「トー、ロス……私と過ごした、時間も……嘘なんかじゃ、なかったん、だろう……?」

「父さん……」

「ディーザ、から……命令されて、親子のフリを、していた……だけ、だったのかい……?」

「それは……違うよ」

「なら、はぁ……それ、で……十分、じゃ、ないか。ん、ぐ……ふうぅ……関係……無いんだ、ディーザ、なんて。トーロスは、トーロスの意思に、従えばいい」


 他人から与えられた言葉ではなく、己の奥底にある欲求を。

 やってしまった事実は消えない。

 だが幸いなことに、誰一人として命は失わなかった。

 支える人々のおかげで、彼は後戻りできる道を見つけたのである。


「僕は……こんなことを、したのに……こんな、どうしようもない奴なのに……どうして……みんな……っ……!」

「ごめんなさい……トーロス、私のせいで……」


 崩れ落ちるトーロスに、見守っていた母サッシアも肩を震わせる。

 彼らの顔に成り代わった肉の渦は、『そんな感情など知らない』とでも言うように動きを止めていた。

 もはやトーロスに反抗の意思はまったく残っていない。

 ほっと一安心したツァイオンは、気が抜けたのかがくりと膝から崩れ落ちた。

 慌てて駆け寄るフラムだが、手で制して『平気だ』とアピールする。


「なあ、フラム。セイレルを助けたってことは……コアだけぶっ壊す方法が、あるってことだろ?」

「あの二人を助ければいいの?」

「ああ、頼んでもいいか」


 話を聞く限り、あの二人は自らの意思でコアを使ったのだろう――フラムはそう推察する。

 しかし、彼らを生かすことで、ディーザの謀略の一角を崩すことができるのなら、短絡的に殺してしまうより大きな復讐となるだろう。


「私は深い事情までは知らないから、ツァイオンに従う。でも、セイレルさんが来るまで待ってもいい? 回復を使えないと、いきなり瀕死ってこともありえるから」

「やっぱ、簡単に壊して終わりってわけには、いかないんだな」

「あれだけ体が変えられてるとね」


 顔にはどうしても傷跡が残るし、内部にも損傷が及ぶ。

 それでも、人型を失っていないだけ、被害はマシな方なのだろう。

 後を追うネイガスたちが到着するまで、しばしの静寂。

 リートゥスは空気を読んで鎧に身を隠してくれている。

 彼女がいたら、こうも落ち着くことはできなかっただろう。

 そして数分後、セイレルを背負ったネイガスとジーンが姿を現す。


「はっ、そうか。あいつも生きてたんだな」


 ネイガスを見て、口元に笑みを浮かべるツァイオン。

 だがすぐにその表情は消え、眉間にシワが寄る。


「なんか変な奴も付いてきてんぞ」

「一応は味方らしいから安心して」

「安心できねえって……」


 彼の言うことももっともだが、少なくともジーンに敵対する意思はない。

 もっとも、ジーンもツァイオンを見るなり顔をしかめ、彼の不安を自ら膨らましていたが。


「ツァイオン、生きてたのね!」

「ネイガス、お互いにな。再会を喜びたいところだが、まずはセイレルに一仕事頼んでもいいか?」


 ネイガスの背中から降りたセイレルは、「ありがとね」と友人に一言礼を告げると、トーロスを睨みつけた。


「これ、どういう状況なの」


 怒りの籠もった低い声で、彼女は言う。

 その問いに答えたのはフラムである。


「トーロスって魔族が改心して、戦いが終わった。今から彼と奥の女の人のコアを破壊するから、傷を回復してあげて欲しい、だと思う」

「……いや、まずはグロウスさんから頼む。傷が深いからな。サッシアさんとトーロスはそのあとだな」

「それを聞いて安心した。いきなりトーロスから治せって言われたら、ツァイオンのことも引っ叩いてるところだったから」


 どんなにツァイオンがトーロスを許そうとも、セイレルにまでそれを強いることはできない。

 襲われ、強引にコアを埋め込んだ彼女が、トーロスの治癒に難色を示すのは当然のことである。


「あと、グロウスさんの次はツァイオンの治療だからね。自分がどういう状況かわかってる?」


 手足が折れ、立っているのも精一杯の状態だ。

 それでサッシアとトーロスの治療を優先させようとするのだから、とんだ自己犠牲馬鹿である。

 無論、セイレルがそんなものを許容できるはずがない。

 グロウスに回復魔法をかけ傷を塞ぐと、すぐさまに彼の折れた骨を繋ぎ、全身の切り傷を癒やしていった。


 続いて、サッシアのコアの除去だ。

 事情を知らないセイレルは彼女の治癒にもあまりいい顔をしなかったが、グロウスに「頼む」と言われれば断ることはできない。

 まずはフラムが反転の魔法で体内のコアだけを破壊。

 オリジンの力で歪んでいた顔や内蔵が元の形に戻り、その影響で各部に裂傷が生じる。

 痛みに苦しむサッシア。

 それに乗じて、ネイガスは素早く風の魔法で腹部を切断し、体内のコアを除去した。


 セイレルのコアもすでに取り除いてあるが、麻酔も無しに腹を切られるのは相当な痛みと恐怖である。

 他の部位に生じた傷に気を取られているうちに開いてしまった方がいい――それはセイレルに処置を施したときの失敗を踏まえた方法である。

 あのときの辛さを思い出したのか、傷口を見た彼女は「うぅ」と苦しげにうめいた。

 しかしすぐに回復魔法を発動、腹部はもちろん、体内や顔の傷も治していった。


 そして――次はトーロスの番である。

 彼が最後になったのは、もちろんセイレルの要望だった。

 気まずそうに俯く彼を前にして、彼女は自らの手が汚れることもいとわず、血に濡れた襟を掴んだ。


「うひゃあ、セイレルって怒らすと怖いんだよね」


 付き合いの長いネイガスは、実際に怒られた経験でもあるのだろうか、肩をすくめて苦笑いを浮かべている。

 それを聞いてか聞かずか、ジーンは空気を読まずに言い放った。


「なるほど、野蛮な女だな」


 ネイガスは無言で彼の足を踏みつけた。

 そして二人は、ガンを飛ばしながら睨み合う。

 場外乱闘はさておき、セイレルは何も言わないトーロスにしびれを切らし、低い声で告げる。


「黙ってないで、私に言うことがあるんじゃないの?」

「……ごめんなさい」

「謝罪はそれだけ?」

「本当に、ごめんなさい」


 ツァイオンは割り込みたい気持ちをぐっと抑えて、二人のやり取りを見届ける。

 自身はトーロスを許すと言ったが、セイレルが彼を許せない気持ちも理解できたから。


「ツァイオンが許したってことは、何か事情があったんだろうね。でも私にはそんなの関係ないから。いっそそのまま死んでくれてもいいと思ってる」

「当然だと思う」

「わかっててやったんだ」

「うん」

「ふふっ……“うん”だって。私は死んでたかもしれないのに。ほんっと、どうしようもない男。ツァイオンの友達じゃなかったら、とっくに見捨ててる」

「ツァイオンには、感謝しても、しきれないぐらいだよ」

「しきれてないなら、一生をかけて恩を返して。言っとくけど私がこれからトーロスを助けるのは、あんたのためじゃない、ツァイオンのためだから。心だけじゃない、あんたはツァイオンに命も救ってもらったの! それを、一生、自分の胸に刻み込んでおいてよね!」


 トーロスは深く、何度も何度も頷いた。

 セイレルは大きくため息をつくと、フラムの方を見る。

 そして、コアの除去が始まった。

 最後までセイレルは浮かない顔をしていたが、ちゃんと最後までやり遂げて――力を使い果たしたのか、地面に横たわった。


「すまねえ。ありがとな、セイレル」


 セイレルに歩み寄ったツァイオンは、手を差し伸べる。

 彼女がその手を握ると、引っ張り上げる勢いでどうにか立ち上がった。


「ほんと、甘いんだから」

「それでもオレは、諦めたくなかったんだ」

「まあいいんじゃないかしら。結果的にツァイオンが諦めなかったおかげで、フラムちゃんが間に合ったんだから」


 ネイガスの言う通り、少しでも早くツァイオンの心が折れていたら、その時点で終わっていた。

 それに、仮にフラムが間に合ったとしても、彼女に炎を消す力はないのだ。

 避難者たちの命を救ったのは、紛れもなく彼の功績である。


「ツァイオンのそういうとこを、シートゥムちゃんも好きになったんだろうな」

「そうか?」

「間違いなく」

「そうなのか……だったら、あいつのことも諦めるわけにはいかねえな」

「確か、ディーザに接続・・されたんだっけ」


 接続、という言葉にフラムの表情が曇る。

 どういった形での接続だったかはわからないが、果たして本当に取り戻すことなどできるのだろうか、と。


「ツァイオンは、シートゥムを取り戻すつもりなのね」

「諦めなけりゃ、必ずどうにかなるはずだ」

「ふん、無理だな。完全に接続される前ならまだしも、すでに取り込まれてしまっているんだろう? すでに原形すら残っていない可能性が高い」

「うるせえよジーン・インテージ。諦めなけりゃ、不可能は可能になるもんなんだよ。どんだけ困難だったとしても、試してみねえとわかんねえだろうが!」


 ツァイオンは敵意を剥き出しにして食いかかった。

 どうやら彼も、勇者パーティに参加していた頃からジーンのことはあまりよく思っていなかったようだ。

 パーティメンバーにいちいち声を荒らげる彼の姿を見ていれば当然とも言えるが。

 しかし、ジーンは意外にもツァイオンの反論に納得した様子である。


「確かにそれは一理あるな」

「あぁ?」

「諦めなければ不可能は可能に変わる、というフレーズだ。もっとも、それができるのは僕が天才であるからであって、凡人である貴様には無理だろうがな」

「てめえ……喧嘩売ってるんだよな?」

「いや、淡々と事実を述べているだけだ」

「それを世の中じゃ喧嘩を売ってるって言うんだよ!」


 フラムから味方と聞いているので手は出さないが、ツァイオンの苛立ちは最高潮に達していた。


「それに何を言っても無駄ですよ、ツァイオン」


 リートゥスはすぅっと鎧から姿を現し、彼に忠告した。

 その声を聞いて、ほぼ全員の視線がふわりと浮き上がる半透明の彼女に集中する。


「……頃合いを見計らって紹介するつもりだったんだけどなぁ」


 フラムはひとりぼやいた。

 ネイガスは彼女の肩にぽんと手をおいて、「どんまい」と半笑いで励ます。


「な……その姿は、まさかリートゥス様っ!?」

「そんなわけないよツァイオン、リートゥス様はとっくに死んでるはずだし!」

「いや、むしろ死んでないとあの姿にはならないんじゃない!?」

「まさか、リートゥス様の幽霊だとでも言うのか……」

「信じられません。ですが、幻というわけでもなさそうです」


 それはもう大騒ぎである。

 おそらく集会所の中の人々まで加われば、さらに混乱は広がるだろう。


「そう言えば、フラムが着てるその鎧、生前にリートゥス様が使ってたのだよな」

「うん、これに取り憑いてたっていうのかな……着たら姿を現して、私たちに力を貸してくれることになったの」

「不思議なもので、彼女が鎧を身に着けていると、私の思考が正常さを取り戻すのです」

「たぶん反転の力の影響だとは思うんだけど、色んなことが起きるから私にもさっぱりで」

「理屈を聞いても信じられねえな……やっぱ集団幻覚とかじゃねえのか?」


 なおも疑うツァイオンに、リートゥスは彼に向かってアビスメイルから腕を伸ばす。

 腕は彼の目の前で止まると、『触ってください』と言わんばかりにひらひらと揺れた。

 恐る恐る手を伸ばしたツァイオンは、すり抜けず握れたことに、「おぉ……」と感嘆の声を漏らした。


「マジでリートゥス様なのかよ……シートゥムがいたら喜ぶどころの騒ぎじゃねえぞ」

「私もあの子と再会して、抱きしめてあげたい。全力で手を尽くします。必ずシートゥムを救い出し、ディーザをくびり殺しましょう」

「もちろんだ、あいつは絶対に助けるし、ディーザのことも許すつもりはねえ」


 リートゥスに対する困惑も落ち着いたところで、フラムたちは閉ざされていた集会所を開き、中の人々を救出した。

 幸いにも煙を吸って倒れている者もおらず、全員が無事だった。

 グロウスはすぐさま娘であるレーリスを抱きしめ、そしてサッシアとトーロスはひたすらに彼女に謝る。

 状況がわからないレーリスはきょとんと首を傾げていたが、「とりあえずみんな無事でよかった」と笑いながら言った。

 耐えきれず、サッシアとトーロスは涙を流す。

 また別の場所では、ネイガスが両親と抱き合いながら、再会を喜んでいた。

 ツァイオンとセイレルは、手分けして、避難者たちの体調に問題がないか、声をかけて回っている。

 リートゥスもツァイオンのあとを追って似たようなことをしていたが、むしろ相手を驚かせてしまい、逆効果のようだった。


 そんな中、手持ち無沙汰なフラムとジーンは、集会所の入り口付近で、互いに口を開くことなく突っ立っていた。


「ねえ、ジーン」


 ふいに、フラムは彼に尋ねた。


「どうした愚かな女奴隷」

「……こういう時間は、『無駄だ』って癇癪起こさないんだなと思って」

「言ったって無駄だろう」

「たぶん、ここにいる魔族たちを別の集落に移送することになると思う」

「タイムリミットは二週間だ。無駄遣いすればするほど、連中との戦いは厳しくなっていく。それを忘れるなよ」

「でも癇癪は起こさない、と。ちょっと大人しすぎて気持ち悪いかも」

「僕がいつ癇癪など起こした? 僕は天才だ、いつだって冷静沈着で完璧なはずだぞ」

「割といつもやってると思うけど」

「貴様の目が節穴だからそう見えるだけだ」

「そこまで自分に対して肯定的になれる人生って楽しそうだよね」

「馬鹿にしているのか?」

「心から敬ってるよ」


 完全に心の籠もってない棒読みである。

 ジーンは「チッ」といつものごとく舌打ちをすると、外へ出た。


「どこいくの?」

「トイレだ、ついてくるなよ」

「私がオリジンに寝返るぐらいありえないから」


 近くの民家へ入っていくジーンをちらりとも見ずに、フラムは改めて集会所の様子を見回した。


「お父さんやお母さん……元気かな……」


 抱き合う家族たちを見ていると、故郷に残る二人のことを思い出さずにはいられない。

 王都の外まではオリジンの力は及んでいなかったが、キマイラたちは王国全土に散らばっているはずだ。

 あれに襲われれば、強い冒険者が常駐しているわけでもない村は、全滅必至である。


「……もう会えないのかな」


 もし生き残っていたとしても、これから先の戦いで、自分がどうなってしまうのか――


「お前も諦めんじゃねえぞ」


 ふさぎ込むフラムの背中を、ツァイオンの手のひらが叩く。


「うわっと!?」

「フラムにはオリジンに抗えるだけの力があんだからよ、諦めるなら全部やり尽くしてからにするんだな」

「ツァイオン……」


 ミルキットのことは、そう簡単には割り切れない。

 だが――『オリジンを殺す』、それだけは絶対に果たさなければならない。

 諦めることなど、許されないのだ。




 ◇◇◇




 トーロスやサッシアのコアが失われたため、ニアセレイドもじきにキマイラに狙われるようになる。

 食料も尽きて来たところだ、ここに閉じこもるのもどのみち限界だった。

 避難者たちは、フラムたちとともに南下し、別の集落を目指す。

 無論、進行速度はかなり落ちるし、このスピードでは王国にたどり着くまでに二週間はかかってしまうだろう。

 ゆえに、フラムたちが護衛できるのは、比較的安全な集落に到着するまで――そういう約束だった。

 それから三日、キマイラの襲撃を退けつつ、近場の集落で食料を回収し一行は進む。

 そして比較的大規模な集落に到着したところで、百人ほどの魔族と合流した。

 彼らは土の魔法で作った防壁で集落を囲み、自力で生き残ってきたようだ。

 魔法に優れた魔族が数十人いれば、キマイラから身を守ることも可能なのである。


 トーロスやセイレルを始めとする、ニアセレイドに避難していた人々とは、ここでお別れである。

 回復魔法を使えるセイレルを失ってしまうのは痛いが、元々あまり魔法や戦いを得意としない彼女に、無理をさせるわけにはいかない。


「じゃあ行ってくるわね」

「絶対にオリジンの野郎をぶっ倒してくるからな、それまで死んだりするんじゃねえぞ」

「そっちこそ、シートゥムちゃんを連れて帰ってくるのを待ってるから」

「ツァイオンが諦めないなら、僕もずっと信じてるよ。必ずオリジンを倒して、みんな帰ってくるって」


 ネイガスとセイレルは抱き合い、そしてツァイオンとトーロスは拳を軽くぶつける。

 各々の別れを済ませると、惜しみながらも、フラムたちは集落を後にした。

 ニアセレイドよりも、積もる雪は薄い。

 代わりに灰色に近い砂の大地がむき出しになり、また別の寂しさを感じさせる光景が、五人の前に広がっていた。


「ここから南東だったわよね」


 ネイガスはその方角を険しい顔で見つめる。

 魔族から、セーラと思しき少女を見かけたという情報を手に入れたのだ。

 彼女はここから南東に向かって、一人で歩いていたのだという。


「セーラと言ったか。くたばってないといいがな」

「無事に、決まってるじゃない」


 自分に言い聞かせるようにつぶやくネイガス。


「このあたりはキマイラの数も減ってきましたから、比較的安全だと思いますよ」

「回復魔法が得意ってんなら、そう簡単にはやられねえよ」

「……ありがと。フラムちゃん、ツァイオン」

「ふん、能天気な奴らだ……」


 悪態をつくジーン。

 そんな彼の背後から、ひっそりと黒い腕が伸び、頸動脈のあたりにさわさわと触れた。

 ジーンの体がびくんと跳ねたかと思うと、真っ先にリートゥスを睨みつける。


「おいリートゥス、いきなり首にさわるな! 心臓に悪いだろうが!」

「それがお望みかと思いましたので」

「くっ、タチの悪い怨霊め!」


 そう言い捨てて、ジーンは一人歩き出す。

 フラムは『やれやれ』と言った雰囲気で大きく息を吐き出すと、彼の背中を追った。

 他の面々も、彼女の後に続く。




 ◇◇◇




 魔族領南東部に存在する、フークトゥス。

 最盛期は五百人ほどの魔族が暮らす場所だったが、勇者パーティの襲撃によって一時期はほぼゼロにまで減少。

 その後、ほとぼりが冷めた頃を見計らって戻ってきた者や、オリジン復活後に避難してきた者も合わせ、現在の人口は三百人にまで回復していた。

 果実の生産が盛んなこの町は、暖かい時期になると甘い香りで町中が満たされるのだという。

 だが今は、ただただ生臭い匂いが蔓延しているのみ。

 花が咲いているのだ。

 赤く脈打つ、魔族の花が。


「さあセーラちゃん、君もお食べ」


 お世話になったおじさんが、以前と変わらぬ声色で、笑いながらそう言った。


「さあセーラちゃん、一緒になろうよ」


 一緒に遊んだ女の子が、以前と変わらぬ無邪気さで、遊びに誘うようにそう言った。


 鼻が麻痺している。

 まるで綺麗な花が咲き乱れているように感じる。

 思考が乱されている。

 美しいものだと思い込まされようとしている。

 くらくらとする意識、ふらふらとする体、まるで自分のものではないように。


「ネイガス……おらは、もうひとりじゃ……ネイガスうぅ……っ」


 涙でにじむ視界。

 こぼれる涙を止めようと空を仰げば、まるで天に蓋をするように、緑の葉っぱが揺れている。

 捻れた葉っぱが揺れている。

 そのすぐ横では、渦巻く熟れた果実が甘美な蜜を垂らし、誘うように赤く実っていた。





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