第74話 色のない世界で彼女が見つけたもの

 





 大聖堂の図書室には、ずらりと魔法に関する資料が並んでいる。

 普段は部屋に引きこもって自分の研究に没頭するジーンも、時折それ目当てで訪れることがあった。

 だから彼がエターナのその姿・・・を見たのはまったくの偶然である。


「なあエターナ」


 無視して自分の横を通り過ぎようする彼女を、ジーンは呼び止めた。

 付き合う義理はなかったが、一応エターナも足を止める。


「同じ魔法使いとして、君にも最低限のプライドぐらいはあると思っていたよ。まさか土下座までしてサトゥーキに命ご――」


 ヒュンッ!

 言葉の途中で、ジーンの頬を水の弾丸がかすめる。


「うるさい、死ね」


 エターナはいつになく不機嫌な声で、彼の顔を見ることなくそう告げた。


「わ、わかった、わかったから待ってくれエターナ。つまり本意ではなかったんだな……?」

「……あんなやつに頭を下げたい人間なんていない」

「だったらなんのためだ、他人のためとでも言うのか?」

「そう、ジーンにはたぶん永遠にわからないこと」


 言うまでもなく、インクが人質だからやったまでのことだ。

 それさえなければ、今すぐにでも全身の穴という穴から水を流し込んで地上で溺死させてやりたいぐらい恨んでいる。


「用はそれだけ? じゃあわたしは行くから」


 返事も聞かずに、エターナは早足で立ち去っていく。


「待てっ!」


 そんな彼女をジーンが呼び止める。


「なに?」

「ライナスはどこにいる? 話がしたいんだ」

「……城の一階、西側。許可を取らないと外には出られないから部屋にいると思う」


 それだけ伝えると、エターナは今度こそ彼の前を去った。




 ◇◇◇




 大聖堂をあとにしたジーンは、エターナに聞いた場所に向かう。

 ライナスの部屋をノックしようと拳を握ったところで、ふと他人の部屋を訪れるのが久しぶりだということに気づいた。

 研究もほぼ自己完結、たまに出歩いてもせいぜい大聖堂の図書室ぐらいのもので、フラムを奴隷商人に売り払ったとき以来だろうか。


「まあ、どうでもいいことだがな」


 特に反省することもない。

 改めて拳を握り、ドアをノックする。

 すると中からは、「へぇーい」とだるそうな返事が聞こえてきた。


「ライナス、僕だ」


 名乗らないあたりが実にジーンらしい。


「ジーンか? 珍しいな、入っていいぞ」


 それでライナスもわかってしまうのだから、余計に彼は改善しようとはしない。

 無言で部屋に入ったジーンは、両手を頭の下に敷いてベッドに横たわるライナスに近づいた。

 彼も上半身を起こし、来客を迎える。


「どうしたんだよいきなり、一度も顔を見せなかったくせに」

「僕の顔を見たかったのか?」

「いや、別に」

「だろうね、だから来なかった」

「つまりわざわざ来たってことは、ちゃんとした理由があるってことか?」


 ジーンは頷く。

 そして胸元からローブの内側に手を突っ込むと、二個の水晶体を取り出した。

 ライナスはその一方を見て驚愕する。


「お、おいそれ……オリジンコアじゃねえかっ!」


 中で“力”が渦巻くそれは、彼にとってトラウマになりつつある代物である。

 マリアといい、巨大な赤子といい、マザーといい、碌でもない事故しか引き起こさない。


「これはマリアから渡されたものだ」

「見せびらかしにきた、ってわけじゃなそうだな」

「ふん、そんな悪趣味な自慢をするつもりはない。むしろ僕にとっては汚点だよ。ああ、不愉快でしょうがないね。あんな小娘が僕ほどの天才に施しをしようだなんて百億年早い。しかも、あまりに不出来な粗悪品だったのでな、改良してキマイラが備えているもの以上に受信機能を削ってみたんだ、ほら」


 そう言って、ジーンはライナスにコアを手渡す。


「は? いや、こんなもん俺に渡されたって困るんだが」

「とりあえず持っておけ、僕には不要なものだからな」

「俺にも不要だよ」

「マリアに縁があるんだろう? だったら案外、持っているだけで彼女を引き寄せるかもしれんぞ」

「そんなお守りじゃねえんだからさ……」


 頬を引きつらせながら、手のひらの上のコアを見つめるライナス。

 一方でそれを押し付けたジーンは、何やらもぞもぞと体を動かし、ローブを脱いだかと思うと、おもむろに上着をめくりあげた。


「おいジーン、いきなりなにやって……ってうわああぁぁぁぁっ!?」

「僕にはキマイラからこっそり拝借したこれがあるから、二個目・・・は必要ないんだ」


 ライナスが見たものは、ジーンの腹に埋まったコアだった。

 まるでねじ込まれたように周囲の肌はねじれた形で皺が寄り、完全に体の内側に入り込んでしまっている。


「お、おおお前っ! それがどういうもんかわかってんのかっ!?」

「ああ、わかってるさ。だからこうなっている」


 ジーンはにやりと笑うと、腹部のコアを握り、かぽっと取り外す。

 もちろん体には空洞が空いたが、数秒後には、まるでフラムの再生のように元の形に戻っていた。


「取り外し可能だ」

「いや、いやいやいや、わけわかんねえって、何のためにそんなもん作ったんだよ!?」

「鼻を明かしてやりたい」

「何のだよ!?」

「オリジンの」


 ふざけているのかと思えば、ジーンはいたって真面目な表情だ。


「どういう、ことだ?」

「ライナスは、今回の戦いについてどう思ってる?」

「どう、って……その戦いってどこからどこまでのこと言ってんだよ」

「一連の出来事だよ。魔王討伐の旅という茶番に始まり、そして第二次人魔戦争にいたるまで。一体誰が、なんの目的で引き起こしたものなのか」

「そりゃあ、オリジンのお告げってのから始まったんだから、そいつが黒幕じゃないのか?」

「そう、その通りだ! 全ての戦いは、オリジンが自らの封印を解くためために、この天才たる僕までも巻き込んで起こした茶番だったのさ!」


 ジーンは両手を広げて、強い語調で高らかに言い放つ。

 どこか演劇めいた発声に、ライナスは軽くのけぞりながら驚いた。


「城にいると、王国で起きている出来事はほとんど耳に入ってくる。他人と話さずとも、魔法で風の噂・・・を聞けば自然とね」

「要するに盗み聞きだろそれ」

「ライナスも人のことを言える立場ではないだろう。まあいい、とにかく僕は把握してるんだ。だから、戦って勝利しても、いまいちすっきりしない勇者と英雄たちの気持ちも理解できる」

「それは……」


 ライナスがフラムたちとともに戦ったのは、マザーのときだけだ。

 しかし、そのときだって漠然と、もやもやとした気持ちを抱いていた。

 見つからないマリア、そして仮に勝利してもサトゥーキの思惑通りという虚しさ。

 そしてフラムたちは、それ以上の気持ちの悪さを感じていただろう。

 エニチーデ地下のオーガに始まり、デイン、インク、ネクロマンシー、そしてチルドレン。

 退けたところで、完全なる解決にはならない敵ばかりだった。


「なぜなら、根源・・を断ち切っていないから。本体であるオリジンは、今も魔王城の地下に封印されたままでいるわけだ。人類が――いや、この星に存在する生命が完全なる勝利を求めるのなら、あれを滅ぼすしかない」


 彼らしからぬ、まるで正義の味方のような言葉に、ライナスは顔をしかめる。


「なんか悪いもんでも食ったのか?」

「人が真面目な話をしているときに何を言ってるんだ君は」

「真面目だからおかしいっつってんだよ。お前、星を救うとかそんなキャラじゃなかっただろ」

「無論、僕は僕のために動いているだけだ。ただ、少しだけ考えを改めた部分があるのも事実だな」


 ジーンが改心とは、明日は空から槍でも降ってくるんじゃないか。

 ライナスは割と本気でそう思っていた。

 しかし、ジーンがそんな素直な人間だったのなら、今日までこんな人格のままで生きてくることはなかったはずである。


「ただし、クズはクズだしゴミはゴミだ。フラムの件に関しても僕は正しいことをしたと思っている」

「変わんねえな、お前」

「僕ほどの人間がそう簡単に変わるものか。言っただろう? “少し”考え方が変わっただけだ、と。まあそれはどうでもいいんだ、要するに僕が言いたいのは――」

「人間同士で争っても無駄ってことか?」

「いいや、それもどうでもいい。重要なのは“そのあとどうするか”だ」

「そのあとって……」


 戦いが終わったあと。

 戦争が起きるにしても、その前にライナスたちが脱出するにしても、とにかく大事なのはそのあとなのだと、ジーンは主張する。


「どうせ抜け目のないライナスのことだ、すでに脱出の算段はついているのだろう?」

「一応は、な。でも人質がいる限りはどうにもなんねえって」

「頑張れとしか言いようがないな、僕には関係ない」

「ならなんで聞いたんだよ!」


 こめかみに血管を浮かばせるライナス。

 だがジーンは素知らぬ顔をしている。


「どう進もうが同じ結末にたどり着く。だが、過程を少し変えることはできるはずだからな。君にその意志があるのか確認しておきたかった」


 完全に他人に伝わることを放棄した言葉のチョイスである。

 ライナスはもはや文句を言う気力すら失っていた。


「そしてそのために、もうひとつの“手段”を用意した」


 ここでジーンは、コアとは別の水晶をまたライナスに手渡す。


「なんだよこれ、またコアとか言うんじゃないだろうな」


 色は赤、オリジンコアとは異なるものだが、内側では魔力が渦巻いていた。

 ジーンはなぜかライナスの耳に口を近づけると、小さな声でその用途を囁く。

 するとライナスの目は見開かれ、「んなっ……」と思わず声をだして絶句した。


「……そういうことだ」

「お、お前なぁっ! さっきからなんてもん渡してやがるんだ!」

「必要になるかもしれない」

「こんなものが……必要になる、だと?」


 赤い水晶を握りしめ、歯を食いしばるライナス。

 ジーンの魔法が封じられたこの球体が必要になる状況とは、つまり――


「言っとくが、俺は諦めるつもりはねえからなっ!」

「それは結構。だが、どうやってあの身勝手クソ女を救うつもりだ?」

「身勝手とかお前にだけは言われたくねえよ!」


 マリアを侮辱されて黙っていられるライナスではない。

 しかし、完全に否定しきれないのが何よりも悲しかった。

 だからと言って見捨てられやしないのだが。

 惚れた弱みというやつだ。


「万が一の保険と考えておいてくれていいさ、使わないのならその方が僕も嬉しい」

「それはそれで気持ちわりい、つうかさっきからずっと気持ちわりぃ」

「ひどい言い草だな。だが確かに、僕もらしくないとは思う。本来なら他人のために労力を割くなんて無駄なことだからね」


 自嘲気味に笑ったジーンは、気まずくなったのかそのまま席を立ち、部屋の出口へ向かった。


「待てよ」


 ライナスはそんな彼を呼び止めた。


「なんだ?」


 立ち止まったジーンは、ドアノブに手を当てた状態で、顔だけ振り向いて聞き返す。


「お前その口ぶりから言うと、近いうちに、なにかでかい事件が起きるって予測してんだろ?」

「そうだな」

「だったら、それを前もって止めりゃいいだろ。もちろん俺らだって力を貸す!」


 ジーンを助けると言っても誰もついてこないだろうが、オリジンに立ち向かうと言えばフラムだって協力してくれるはずだ。

 しかし彼は首を横に振ってそれを拒む。


「止めたって無駄なんだ」

「なにが起きるのかは知らねえけど、ちったあマシになるかもしれないだろ!」

「問題の先延ばしにしかならない。それに、僕の望みを叶えるためには、“それ”が起きてくれた方が都合がいい」

「自分の欲求を満たすために犠牲を出すってのか!?」


 声を荒らげるライナスだったが、言ったあとに気づく。

 実にジーンらしい考え方じゃないか、と。


「そうだ、僕は僕のために動いていると言ってるだろう? そのためなら、クズでもゴミでも利用してやるさ」


 それが彼の見いだした、この世に存在する自分以外の生命の存在意義であった。


「しかし、それが気に食わないと言うのなら、最後にひとつ、ライナスが好きそうな話題でも振ってみるか」

「んだよ、俺が好きそうな話題って」

「以前、僕を飲みに誘ったことがあっただろう? 僕のような崇高な人間を、酒場などという汚く騒がしい場所に誘ったのは、人生で君が初めてだったよ」

「結局、ジーンが拒否したんじゃねえか」

「そう、だから……あれだ、お互いに生き残ったら、付き合ってやってもいい」

「……は?」


 それはジーンらしからぬ言葉。

 だからこそ――その“生き残ったら”という前提条件が、ライナスには異様に重く感じられた。

 まるで、二人が同時に生存するのは絶対に不可能だと確信しているかのようだ。

 驚きのあまり黙り込むライナスを見て、ジーンは「ふっ」と頬を緩めた。


「……ま、別にライナスが行きたくないのならそれでもいいさ。じゃあね、生きてたらまた会おう」

「お、おいジーンッ!?」


 どこまでも、ジーンらしくない。

 ライナスがその名前を呼んでも、今度は立ち止まらなかった。

 バタンとドアが閉まり、彼は部屋に取り残される。


「……ったく、いきなり来たかと思えばなんなんだよあいつは」


 左手で顔を覆い、俯くライナス。

 指と指の隙間から、右手に握った二つの水晶を見つめる。

 黒と赤、内側で大量の力が渦巻く禁じられた力。


「どうしろって……いや、違うな。どうなるんだよ、俺たちは……」


 今の彼には、ジーンがなにを予測し、どんな未来を思い描いているのか、想像すらできなかった。




 ◇◇◇




 夜が明けても、部屋に日光が差し込むことはない。

 しかし体内時計がアラームを鳴らしたのか、フラムは自然と目を覚ました。


「んん……」


 苦しそうに声を出しながら、ゆっくりとまぶたを持ち上げる。

 開いた視界に写り込んだのは、見覚えのない二人の男性だった。


「ひっ!? だ、誰っ……ですか?」


 一人はかなり大柄で、仏頂面である。

 彼は無言でフラムの方をじっと見つめていた。

 もう一方は、隣に並ぶ男性に比べるとかなり小柄で、細目で人懐こい笑みを浮かべている。


「おっと、やっと目を覚ましたんだ。オティーリエの尻拭いもこれで終わりだね」


 奇妙な口調に加え、オティーリエという名前を聞かされ、フラムは猛烈に嫌な予感がした。

 またまともな人間じゃない、それも二人とも。


「おいらはヴェルナー・アペイルン、オティーリエと同じ副将軍だよん」

「……」

「自己紹介ぐらいしたら? このでくのぼう」

「……ヘルマン」

「相変わらず無口だねえ。フルネームはヘルマン・ザヴニュ。おいらも彼も、アンリエットの下で働いてる副将軍だ」


 副将軍、つまりオティーリエと同じ役職だ。

 もう彼女と共通点があるというだけで嫌悪感が先行する。

 明らかに警戒しているフラムを見て、ヴェルナーは「はあぁ」と大きくため息をついた。


「オティーリエの件については、改めてアンリエットが謝りたいって言ってたよ」

「……それは、いいです」

「にはははっ、嫌われたもんだねえ、まあいきなり血を舐められた上に首を絞められたんじゃあ当然だけどさァ」


 別に彼女の件だけで嫌っているわけではない。

 フラムは――このヴェルナーという男のことも信頼していなかった。

 彼は本性を隠している。

 なぜならば、薄っすらと開いたまぶたの向こうにある瞳が、ひどく濁っていたからだ。

 信用してはならない。

 彼女は直感的にそう思った。

 しかし今は、彼から情報を引き出すしか無い。

 感情をさとられないように気をつけながら、フラムは彼に尋ねる。


「あの男の人はどうなったんですか?」

「ん、ジャックのこと? 彼ならもちろん死んでるよ、騎士団長のヒューグに首を落とされたんだから当然だ」


 やはりあれは、夢などではなかったのだ。

 ジャックという男に押し倒され襲われそうになったのも、そして彼の首が斬られたことも。

 凄惨な死の場面を思い出すと、吐き気がこみ上げてくる。


「う……ぷ……」


 苦しげに口元を手で抑えるフラムを見て、ヴェルナーはにっこりと微笑んでいた。


「でもま、目を覚ましたんならこれ以上は付き合う理由もないね。おいらはもう部屋に戻るよ」


 そして彼女の背中を擦るでも、桶を差し出すでもなく、冷たく席を立つ。


「ヘルマンは?」

「……残る」

「物好きだなァ」


 低い声で返事をした彼を置いて、早々にヴェルナーは部屋を出ていった。

 心の底から、フラムになど興味はないようだ。

 部屋には彼女とヘルマンの二人だけが残る。

 なぜかフラムの方をじーっと見てくるヘルマンに、彼女は恐る恐る声をかけた。


「あの……私の顔、何かついていますか?」


 ヘルマンは無言で首を横に振った。


「……気にするな」

「難しいです、見られていると気になるので」


 フラムがそう言うと、ヘルマンの眉間にシワが寄った。

 まずい、怒らせたかな――と彼女は体を強張らせたが、彼は「ふむ」と小さく声を出すと、体の向きを壁の方に変えた。


「……これでいいか」


 大きな背中越しに聞こえてくる、ヘルマンの声。


「そこまでしなくても……」

「……そうか」


 フラムの指摘に、彼はしょんぼりと肩を落とした。

 そして再び九十度ほど体の向きを変え、彼女と真正面から向き合わない程度に調整する。

 というか、視線をそらしてくれればそれだけで十分なのだが、どうやら彼は不器用な男らしい。

 ヴェルナーと比べて目も澄んでいるし、そこまで悪い人ではないのかもしれない、とフラムは少しだけ警戒を解いた。


「……」


 しかし、彼はとにかく無口で――フラムが話しかけない限り、ずっと黙っている。

 彼女にも特にやることはなかったので、そのままぼーっと一時間ほど沈黙していたのだが、さすがに不安になってきた。

 見張られているのだろうか。

 それとも、監視を理由に休憩しているのだろうか。

 フラムがそんなことを考えながらヘルマンの顔を見ていると、その視線に気づいた彼が口を開く。


「……暇か?」

「そう、ですね。特にやることはありません」

「……剣は好きか」

「へ?」


 突拍子もない質問に、気の抜けた声で返事をするフラム。

 剣は好きか――もちろんただの田舎娘である彼女に興味など無い、はずだったのだが。

 なぜか否定できなかった。

 好奇心が、肯定しろとフラムに告げている。


「好きではないですけど、気になります」


 そう返事をすると、それが嬉しかったらしく、ヘルマンの口元に笑みが浮かんだ。

 そして彼は立ち上がり、フラムの方を見て言った。


「……なら来るといい」


 部屋の出口へ向かうヘルマン。

 フラムは慌ててベッドから出ると、意気揚々と出ていこうとする彼に声をかけた。


「待ってください、私、まだ寝間着のままなんで!」


 せめて着替えだけでも――と主張すると、ヘルマンの足が止まる。

 ついでに言うと寝癖もひどくて髪はぼさぼさだ。

 振り向いた彼は、


「……すまん」


 と気まずそうに頭を下げた。

 そのときばかりは、彼の二メートル近くある巨体も小さく見えた。




 ◇◇◇




 着替えたフラムは、ヘルマンに案内されてどこかへと向かう。

 部屋に用意されていたのは、オティーリエたちが着ていたのと同じ、白の軍服だ。

 どうやらここは、広い城内にある軍関係者が利用しているエリアらしく、この格好の方が目立たずに済む。

 しかし、着慣れない服な上に、“あの”オティーリエと同じ衣装だからか、お世辞にも着心地がいいとは言えないようだ。

 フラムは歩きながら、襟の位置などを調整していた。

 そうこうしているうちに、とある部屋の前に到着する。

 ヘルマンに導かれ、中に足を踏み入れると――そこには灰色の煉瓦で覆われた、薄暗い空間が広がっていた。

 壁にはいくつもの武器がかけられており、隅に並んだトルソーには銀色の輝く鎧が着せられている。

 また、奥には、火は灯っていないものの、炉らしき装置が設置されていた。


「ここは……工房、ですか?」

「……俺の自室だ」

「ヘルマンさんの?」


 言われてみれば、部屋の隅っこの方にベッドが一個だけ置かれている。

 だが彼の私物らしきものはそれだけで、他のスペースは全て工房としてのスペースに使われていた。

 言うまでもなく生活感は全く無く、これで自室と言われてもフラムは困惑するしかなかった。


「……趣味」

「すごいですね、鍛冶って趣味でできるんですか」

「……いつの間にか、仕事になった」


 部屋を見回して、フラムは気づいた。

 あの壁にかけてある剣が、ヒューグが使っていたものにそっくりなのだ。

 つまり彼は――騎士団や軍に提供する装備を、ここで作っているのだろう。


「……好きに見るといい」


 彼はそう言って、炉に火をくべ、自らの作業を始めてしまった。

 確かに剣に興味はあると言ったが、その剣ではないのに、とフラムは少し不満だった。


「ん……? なんでそんなこと思うんだろ。私、剣なんて握ったことないはずなんだけど」


 そもそもなぜ興味を持ったのか。

 失われた記憶となにか関係があるのだろうか。

 試しに手のひらを見つめてみるが、なにもわからない。

 ただ、頭の奥のあたりで引っかかったような感触があるだけだ。


「だいたい、私なんかが剣を使ったって戦えるわけないし、戦う理由もな……」


 そのとき、意識に――


『ごしゅ……まっ』


 ――ノイズが走る。


「……い、から」


 言葉が詰まる。

 本当に、戦う理由はなかったのだろうか。

 誰かのために、命を賭けてでも戦ったことがなかっただろうか。

 失ったものは多く。

 しかし、それでも得たものに比べれば微々たるものだと言い切れるほど、大きな存在が――


「いたのかな、本当は。私の知らない、私にとって大事な人が」


 誰だかわからないその声の主との出会いは、おそらくフラムの内面に大きな変化をもたらした。

 考えるだけで、どくんどくんと胸が高鳴る。

 体温が上昇する。

 普通じゃない。

 家族とか友達とか仲間とか、そういう区分ではここまでにはならない。


「これって、要するに……」


 姿も声も思い出せない。

 けれど、あらゆる先入観が無い今だからこそ、フラムは自分の状態を冷静に分析できる。


「私、その人が大好きで、好きで好きでたまらなくて――」


 たぶん、それは最初から。

 あらゆる不純物を取り除けば、芯はずっと変わっていなかった。

 でも、英雄願望だとか、奴隷と主だとか、あとは同性だとか、色んな雑音が多すぎて、フラムはそれを見つけられずにいたのだ。

 それは、ずっと探していた答え。

 あるいは、行動原理。


「――恋、してたんだ」


 彼女を満たす感情の、本当の名前。





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