第60話 喪失

 





「づ、ああぁぁぁああああああッ!」


 フラムは吼え、強く地面を蹴り後ろに飛んだ。

 それは痛みというよりは、自分の頭蓋が破壊されることに対しての恐怖に耐えるための行動だった。

 しかし左足だけでの移動には限界がある。

 バランスを崩し、彼女の体は地面を転がった。

 移動したおかげか回転は収まる。

 どうやら“フラムに対して”というよりは、立っていた場所を指定して力を行使しているようだ。

 つまり、常に移動を続けていれば、今の右足や左腕のように、完全にねじ切られることは無い。

 それでも――すでに再生されてはいるが、頭蓋骨、ひいては脳に直接物理的なダメージを与えられるのは、想像を絶する嫌悪感である。

 横たわるフラムの口からは吐瀉物が吐き出され、さらに蒸せて咳き込んだ。

 もう二度と味わいたくない、けれどルークは攻撃の手を緩めてくれそうにない。


「オ……オオォ……」


 そのうめき声はミュートよりは少し低い。

 彼は特に手を伸ばしたり、体を震わせたりもせずに、首を少し傾けた状態でゆっくりとフラムに歩み寄った。

 そして足裏がぺたりと地面を叩くたびに、発せられる力が周辺に異変を巻き起こす。

 ガッ、ガガガッ、ガリッ――

 フラムの耳に聞こえてくる、何かが砕け擦れ合う音。

 聞こえてくるのは横たわる地面から。

 体に感じる振動を、彼女はどこかで感じたことがある。

 傾き、刃のように形を変える地面――おそらくそのうち高速回転を始め、体を飲み込もうとうするはずだ。

 ようやく再生した足で駆け出し、フラムは渦から逃げ出す。

 そして、範囲外まで脱出した瞬間――


「ぐ、が……ッ!?」


 ゴリュッ、と鈍い音と共に腰がぐにゃりと捻れる。

 内臓が潰れ、血液が食道をせり上がり、口から吐き出された。

 予兆もなかったのに、なぜ――地面に倒れ這いずるフラムは、予想外の攻撃に混乱する。


「オォォ……オオォオ……ッ」


 ルークの声は心なしか嬉しそうだった。

 全身の筋が脈打ち、その隙間からじわりと赤い体液が滲み出る。


「予測、して……設置していた・・・・・・……!?」


 単純だが、不可視の罠というのはそれだけで厄介だ。

 再生により、フラムの体のねじれは少しずつ解消されていく。

 それに連動して、麻痺した下半身の感覚も戻っていった。

 だが完治を待っている暇はない。

 両手で這いずり、ルークから離れようともがくフラム。

 爪に血をにじむ、このまま剥がれてしまいそうだ。

 それでもやはり、両足で移動する彼との距離はなかなか離れない。

 ミシッ……とまたフラムの耳に、内側・・からの――頭蓋骨が変形する音が聞こえてきた。


「ぎ、いいぃぃ……ッ!」


 苦悶の声をあげるフラムは、自らの頭に右手を押し付け、反転の魔力を流し込む。

 バチイィッ!

 すると体内に流れ込んだ回転の力とぶつかり合い、激しく火花を散らした。


「あっ、ぎゃああぁぁぁああッ!」


 フラムはのけぞると、その場でのたうち回った。

 久々の、セーラにヒールをかけられたとき以来の苦痛だった。

 とんだ自滅だ、右眼球が破裂し視界が塞がれ、さらに顔の右半分がケロイド状に焼けただれる。

 一部は完全に頭蓋骨が露出していたが、脳までダメージが及ばなかったのが幸いか。


「あ……あがっ、が……っ!」


 彼女はそれでも前進を続けた。

 火傷した右手が前に伸びる。

 透明の汁に塗れた手のひらが地面を叩き、フラムの体を前方へ引きずった。

 次は左腕を前に、血まみれの爪先を石畳の溝に引っ掛け、力を入れる。

 ゴ、ガガッ、ガガガガッ!

 また地面の回転が始まる。

 ただでさえ速度が遅いというのに、体もそれに巻き込まれうまく前に進めず、脱出はできそうにない。

 それにどうせ、逃げたところでその先に見えない罠が設置されているに決まっているのだ。


「オオォオ、オオォッ」


 その証拠に、ルークの声はどこか嬉しそうである。

 フラムは悩み、そして――地面に当たった胴体に、反転の魔力を注ぎ込んだ。


「リヴァ……ァ、サルッ!」


 バチンッ!

 再び力同士がぶつかり合い、生じた火花が、瞬間的にあたりをまばゆく照らした。

 そして衝撃で宙を舞うフラムの胴体。

 内蔵や肋骨を撒き散らしながら、それでも心臓さえ無事なら死にやしないと割り切って、彼女は強引に渦から脱出する。

 いくらエンチャントで痛みが軽減されていると言えど、ここまでの重傷だと意識まで吹っ飛びそうだ。

 腹を風車でかき混ぜられるような苦痛の中、フラムは空中で魂喰いを抜く。

 それはルークが初めて見せた、攻撃動作に対しての反応であった。

 彼は拳を斜め上に突き出す。

 すると竜巻のような螺旋の力が、彼女へ向かって一直線に射出される。


「つありゃあああぁぁぁぁっ!」


 言葉に意味など必要はない。

 ただ意識をつなぎとめ、体を動かすだけの気合さえ入れられば、発音なんてどうでもよかった。

 フラムは猛る。

 そして魂喰いを、迫る螺旋に向かって突き出した。

 バヂバヂバヂッ!

 ぶつかりあった力は拮抗する。

 以前の戦いのとき、ルークの回転の力は、フラムの反転の前にあっさりと破れてしまった。

 しかし二個目のコアを使用することで跳ね上がり――あのときよりもさらに高まった彼女の魔力と、互角以上のパワーを見せている。

 もっとも、ルークは命を捨ててまで力を得たというのに、それでようやく同等とは、あまりの相性の悪さに笑ってしまいそうだが、あいにく彼にはその口がない。


「オォォォオオオオッ!」


 代わりに咆哮する。

 そしてさらなる回転の力を螺旋に込め、フラムに向かって放った。


「くぅ、押し……負けるッ!? きゃああぁっ!」


 力比べに敗北した彼女の体は、後方に吹き飛ばされる。

 ルークは足元の空気を回転させ、気流を作り上げ宙に浮き上がった。

 そして加速し、フラムに追撃を試みる。

 接近する赤い化物を見て、彼女の口角がにやりと吊り上がった。


反転リヴァー――しろサルッ!」


 瞬間、フラムの移動方向が反転し、猛スピードでルークに迫った。

 急な方向転換により、ガクンッとフラムの体に大きな力がかかるが、これまでの痛みに比べれば大したことはない。


「ふっ!」


 空中ですれ違う二人の体。

 フラムが振り下ろした刃は、ルークの右腕を切断した。


「オ、オォォオッ!」


 苦しげな声が周囲に響く。

 傷口はすぐに捻れ、出血は治まった。

 しかしルークは怒りを感じさせる動きで振り向き、着地したフラムに力を行使する。


「あっ、ぐぅ……!」


 走り出そうとした彼女の胸に、鋭い痛みが走る。

 ルークは――その心臓を、直接捻り潰そうとしたのだ。

 無論、そううまくはいかない。


 繰り返し頭や胸を狙って回転を力を放つも、背中を向けて逃げるフラムをうまく捉えることができない。

 一方で彼女は、どうやらイーラやスロウ、そしてキリルのいるギルドから離れようとしているようで、ある程度距離を取ると角を曲がり、建物の影に姿を隠した。

 ルークは彼女を探す――などというまどろっこしい方法は使わない。

 空中で両手を広げる彼は、


「オオォォォォォォォォ――」


 まるで歌うように、澄んだ声を響かせた。

 もちろんその声は、建物の影に逃げ込んだフラムにも聞こえている。

 壁にもたれ、肩を上下する彼女は、ボロボロな上に血まみれになった自分の服を見て苦笑いを浮かべる。

 まだ戦いは始まったばかりだというのに、ひどい有様である。

 しかし、服装など気にしている場合ではない。

 その姿は見えないが、間違いなく次の攻撃を繰り出そうとしているはずなのだから。


「すうぅ……ふうぅ……」


 深呼吸をして、気持ちを落ち着ける。

 痛みは消えても気持ち悪さが残る。

 特に内蔵への損傷は非常に後味・・が悪く、今でも断続的に吐き気がせり上がってきていた。

 それにしても、先ほどからやけに静かだ。

 さっきまであれだけ派手に攻撃を繰り出していたというのに、一体何を――フラムがそんなことを考えていると、

 ガゴオォォオオオンッ!

 腹の底から揺れるような重い音が轟き、彼女の立つ場所から少し離れたところにある建物が、砕け散った。

 いや、砕けたというよりは――貫かれた・・・・と言うべきだろうか。


「なに、今の……」


 巨大な、尖った何かが高速で直線的に移動し、その軌道上にある建物を片っ端から破壊しているのだ。

 ガゴオォンッ!

 また別の場所の建物が壊れる。

 フラムは慌ててそちらを見ると、今度こそ、それの正体を見た。


「尖った……岩?」


 鋭く先端が尖り、回転しながら、猛スピードで猪突する灰色の塊。

 それは地面をえぐり、建物を貫き、一直線に、遠くまで、前方に存在するもの全てをぶち抜いていく。

 ゴオォォォオ――

 そして三目が、フラムの真後ろから迫る。

 音で接近に気づいた彼女はすぐさま走りだし、それでも逃げ切れないと悟ると――

 ゴガアァァァァッ!

 前に飛び込み、ギリギリのところで避ける。

 余波が路地裏を駆け抜けた。

 先ほどまで立っていた部分には大きな溝が出来ており、背もたれにしていた建物は、中央に大きな穴があけられ全壊し、無残な有様である。

 削られた溝の向こうには、赤い筋を蠢かせるルークの姿がある。

 瓦礫の上にたつ彼は、近くにあった石造住宅の壁に手を当てた。

 その建物に回転の力を加えると、土台から剥がされ、瓦礫を撒き散らしながら回り始める。

 やがてそれは回っていくうちに直径四メートルほどの尖った石塊となり、ルークは地面に倒れたフラムにその先端を向けた。

 そして――


「オォォォオオオオオ!」


 射出。

 バシュッ、ズガガガガガガガガッ!

 家屋がまるごと、ドリルの形状となってフラムに迫る。

 彼女は立ち上がって走り出し、そしてまた倒れ込むように前に飛び込んだ。

 そのまま、飛び散る瓦礫から頭を守って伏せていると、今度はぺたりぺたりと足音が近づいてくる。

 ルークだ。

 彼が死を引き連れて、フラムに迫っていた。

 彼女が慌てて立ち上がろうとすると、彼もまた――明確に、敵対する意志を持って駆け寄ってきた。

 振るわれる黒い刃と、回転する左腕。

 二つの力がぶつかり合い、バヂィッ! と飛び散るスパークが路地を明るく照らした。

 さらに二人は、幾度となくそれを叩きつけ合う。

 フラムは必死で、どうにかして胸のコアへ剣よ届けと祈りながら、素早い連撃を放つ。

 しかし、拳と大剣――力が同等ならば、勝るのは一撃一撃が高速な前者。

 少しずつ彼女は推されていき、足元が後退する。

 さらにルークは、失われた右腕で殴りかかってくるような動作を見せた。

 腕はないのだ、もちろんハッタリ――そう思いたかったが、フラムの体は勝手にのけぞり、その攻撃・・を回避する。

 すると見えない力が前髪をかすめた。

 回転の力で左腕を模したのだ。

 もっとも、それは腕というよりは、触れただけで肉体を抉る凶器そのものだが。


「くっ、離れないとっ!」


 せっかく切り落とした腕が、最悪の形で復活してしまった。

 片腕ならともかく、今の状況で真正面から殴り合うのは危険だ。

 剣を振り下ろし、力同士がぶつかりあった衝撃を利用してフラムは後退する。

 そして下がった先には、罠が待っていた。


「が、あ……しまっ――!」


 可能性は考えていたはずなのに。

 右足が脛の真ん中あたりでねじれ、骨を砕きながら裏を向く。

 彼女は歯を食いしばり着地、さらに後ろに下がろうとしたが、動きが鈍るのは裂けられない。


「オォォ……」


 ルークは声を上げながら踏み込んだ。

 だらんと垂れ下がった不可視の右腕が乱暴に振り上げられ――フラムの下顎に触れる。

 逃げ切れない。

 指先らしき感覚が肌に触れた瞬間、悪寒が彼女の全身を駆け巡った。

 それは皮膚を貫き、顎の柔らかい部分に埋没し、下の裏側から口腔内へと侵入する。

 避けようにも、首をのけぞらせるので精一杯だった。


「げ、ぴゅっ」


 指が口蓋にまで到達、さらには鼻の内側をえぐりながらなおも進行。

 フラムの口から、意識せずとも奇妙な音が漏れる。

 そして両眼球をも奥から引き抜くと、最後は頭蓋の内部、前頭前野の一部をも破壊した。

 彼女のが切り取られ、宙を舞い、地面に落ちる。

 要するに――フラムは、頭部の前半分を喪失したのである。

 視覚を喪失した彼女の世界は、完全なる暗闇に包まれた。

 それは幸福なことだったのかもしれない。

 少なくとも、今の自分の有様を見ずに済んだのだから。

 鼻を啜ると、じゅぶっと血が逆流した。

 辛うじて残った舌の根っこでは、ひたすらに鉄の味と匂いだけを感じる。


「カ……ア……ァ……」


 痛い。

 痛い。

 痛い。

 苦しい、嫌だ、助けて。


「ア……アァ、ア……」


 しかし人という生き物は――前頭葉が壊れた程度では死にはしない。

 もっと奥深くにある、脳幹を傷つけて初めて死は成立する。

 だから潰さなければ・・・・・・ならないのだ。

 抉るだけでは足りない。

 だが、変化というか、被害はある。

 理性と本能のバランスの崩壊だ。

 あるいは人格や感情の変質とでも言うべきか。

 再生までのわずかな間ではあるが――要するに、フラムの心は“ぶっ壊れた”のである。


「オオォォォォオオッ」


 無論、ルークはさらに致命的に脳を破壊しようと手を伸ばす。

 そんな状態では反撃もままならないだろう、と判断しての大胆な攻撃である。

 一方フラムは、まるで何かを探すように両手を前に伸ばした。

 そして――

 パァンッ!

 火薬が発破したような音が鳴り、同時にルークの眉間に何かが突き刺さった。


「オォ……オオォ……」


 フラムは、そんな小回りのきく遠距離攻撃を持っていなかったはず。

 ルークは戸惑う。

 しかし彼女は続けて、それを放った。

 パパパァンッ!

 今度は三連続で、その肩に何か・・が突き刺さる。


「オオォォォ……」

「アアアァァァ……ッ!」


 唸りをあげる異形二人。

 追い詰められているはずは明らかにフラムの方なのに、ルークは若干及び腰だ。

 そんな彼に向けて、おそらく音を頼りに場所を探り当てているのだろう、彼女は指先・・を向ける。

 すでに左の小指、薬指、中指、人差し指は存在していなかった。

 だが再生途中である、じきにまた装填・・される。

 だから次に放つ・・のは、右の指。

 魔力が手の先に流れる。

 “反転”すれば、固着したものは、弾ける。

 “反転”すれば、内側にあるものは、外側へ解放される。

 つまり理性に囚われないフラムは、自らの肉体を武器として利用したのだ。

 指の骨はそのまま。

 肉は氷結させ補強して。

 そして反転の魔力を帯びたその弾丸は、ルークの体を守るオリジンの力を貫通し、絶体絶命の状況を覆す。


「アアァァ、アアア……!」


 ――正気に戻った彼女がどう思うかは、別として。





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