第59話 回転

 





 遠くから聞こえてくる地鳴りのような音を聞くたび、フラムは焦りを覚えていた。

 果たして自分一人だけ、ここで突っ立っていていいのか、と。

 しかしこれもまた、重要な役割である。

 スロウを放り出して助太刀に向かうわけにもいかないのだから。


「しっかし、オリジンが実在したってのが俺としては一番驚きなんですよね。てっきり空想上の存在だと思ってたんで」

「私もそれは驚いたけど、それよりも実は人を滅ぼす悪役でしたって方が……いや、それもそれでよくある話な気もするわ」


 緊張からか手のひらに汗が滲んでいる。

 人間形態のルークならば問題ない、だが間違いなく彼は人間を捨てて立ち向かってくるだろう。

 ミュートの場合、能力が変質し、周辺にいる人間たちの力を吸い上げて自分のものに変えた。

 彼も、単純に“回転”を操る能力にとどまらない可能性がある。

 そうなったとき、果たしてフラムはスロウを守りながら戦い抜くことができるのか。


「神様が敵だとか、実は王族の血を引く人間だったとか、なーんか空想上のお話みたいで実感が無いんです」

「玉座の似合わない王、歴代一位でしょうね」

「あっはは、間違いないと思いますよそれ!」


 強くなったという実感はある。

 装備だけではない、騎士剣術キャバリエアーツも以前に比べればかなり使いこなせるようになっているはずだ。

 だが、やはり、まだ足りない。

 もっと強い力を――しかしそう望む先に待つものはおそらく、チルドレンと同じ、人を捨てた存在。

 再生能力は便利だが、使うたびに、自分が人間離れした何かになっていくような気がする。

 体がどうこうではなく、それは気持ちの問題である。

 自分の体を犠牲にした戦い方に慣れてしまうと、後戻りができなくなっていくのだ。


「そういえば、スロウ君のお母さんはどうしてるの?」

「おふくろは王都のどっかに身を寄せてるみたいですね。昨日ウェルシーさんが実家を見に行ってくれたんですけど、無事だから安心して欲しいって書き置きがあったって」

「そう、なら安心なのかしら」

「まああいつらもわざわざおふくろを狙ったりはしないでしょうから、今は自分の身を心配しとかないと」


 フラムが戦うのは、オリジンを打倒した先にある、平穏な日々を得るため。

 もしそこにたどり着けたとしても、人間らしさを失ってしまえば――


「あのー……」

「なによフラム」

「まさか敵が迫ってるとか!?」

「いや、そうじゃなくて、なんで中で待っててくれないのかなーって」


 フラムは困り果てている。

 イーラとスロウは、なぜか入り口の前にある階段に腰掛け、二人で並んで駄弁っていた。

 危険だから中で待っていて欲しいと伝えたはずなのだが。


「フラムさんが外にいて、俺らが中にいるって、結構不安なんだよね」

「そうそう、いきなり敵が屋内に突っ込んでくるかもしれないじゃない」


 可能性が無いとは言い切れないだけに、フラムも反論ができない。

 かといって、こんな調子で呑気に座っていていいか、と言われると“そうじゃない”と言い切れるのだが――困ったことに、理由がうまく説明できなかった。

 納得のいく理屈がなければ、フラムが何を言っても、ルークが来るまで二人はここに居座り続けそうである。


「それに、俺が死にそうになったらキマイラってのが助けてくれるわけじゃん?」

「憶測だから、必ずしもそうとは限らないの!」

「そうかっかしないでいいじゃない、どこにいようが危険なことに変わりは無いんだから」

「それはそうだけど……」


 こうも開き直られると、ますます何も言えなくなってしまう。

 不機嫌そうなフラムに、スロウが相変わらず脳天気に問いかけた。


「てかさ、俺のことを守りたいなら、どっかに保護してくれた方が安全じゃね?」

「私たちとスロウの接点を作っておきたかったんじゃない」

「何のために?」

「演出。王都だけではなく、王を守った英雄ってことにするために」

「確かに、そういう王と英雄の秘められたエピソードみたいなのがあると、ドラマティックで心惹かれるわよねえ。それに、英雄に守られた男、って箔も付くわ」


 ひょっとすると別の思惑もあるのかもしれないが、今のフラムに想像できるのはそれぐらいだった。

 スロウは納得したのか、「ふんふん」と相づちを打って頷いている。


「あとついでに聞くけど、フラムさんたちがあのチルドレンってのと敵対するのはよくわかる。でも、なんでサトゥーキとも敵対してんの?」

「なんでって……」

「教皇派ってのを潰してくれるわけだから、敵じゃないんと思うんだけど」


 確かにサトゥーキは、今の教会を牛耳っている教皇派と敵対している。

 このまま彼の計画通りに事が進めば、求心力を失いつつある教皇や国王を押しのけて、最高権力者として王国のトップに君臨するだろう。

 そしておそらく――彼はうまくやる。

 ウェルシーの記事によってネクロマンシーの存在が表に出たとき、サトゥーキの動きは迅速かつ的確だった。

 まあ実際のところ、それこそが枢機卿としての正しいあり方ではあるのだが、今の教皇や国王はオリジンを崇拝している。

 つまり何らかの形でオリジンの洗脳を受けているのではないか……フラムはそう思っていた。

 だから彼らは民衆の方を向かない。

 オリジンのために国を運営し、民が犠牲になっても平気な顔をしている。

 そんな教皇と国王が駆逐され、サトゥーキが同じ立場になれば、きっと王国は今よりも豊かになり、発展するはずである。

 ただし――


「私は、オリジンの力がそう簡単に制御できるとは思ってない」

「信用できないってこと? じゃあ何で、今はそのキマイラってのは大人しくサトゥーキに従ってるんだ?」

「あいつは父親の悲願を果たすために、魔族に戦争を仕掛けようとしてる。実際、キマイラがどれぐらい強いかはわからないけど、もしそれが本当に魔族に勝てるほどの力を持っているのだとしたら――」


 あのチルドレンを圧倒するほどの強さなのだ。

 フウィスには二個目のコアを使った形跡がなかったとはいえ、かなりの戦闘能力を持っていると思われる。

 それが数百、あるいは数千体量産されているのだとしたら、人的被害を出さずに、魔族に勝利することも可能かもしれない。


「オリジンはあえてそれに力を貸すことで、自分を復活させようとしているのかもしれない」

「復活?」

「確証はないけど、オリジンの……本体っていうのかな、どうもそれが魔族の領地に封印されてるみたいなの。私やキリルちゃんがオリジンのお告げで魔王討伐の旅に行かされたのも、本当は世界平和のためなんかじゃない。オリジンの封印を解くためだった」


 スロウもイーラも、神妙な顔でそれを聞いていた。

 場合によっては荒唐無稽な話だ、と笑われるような内容である。

 しかしそれを話しているのは、実際にオリジンと戦ってきたフラムだ。

 内容には現実感が無いのに、妙に説得力があった。


「その……オリジンの本体ってのが復活したら、どうなるんだ?」

「わかんない。でも間違いなく、一つだけ言えることがある」


 フラムは煙の上がる東側を見て、さらにはミュートとの戦闘で大きな被害を受けた街並みを思い浮かべながら言った。


「たくさん人が死ぬよ、きっと今とは比べものにならないぐらい」


 王都は炎に包まれ、血の海に沈むだろう。

 さらに被害は周辺の村々にまで及び、傲慢で理不尽な死が数え切れないほど降り注ぐ。

 理由などない。

 強いて言えば、“そこにいたから”。

 運悪く、偶然に、ただそこにいたという理由だけで、オリジンは人を殺す。

 そんなものの復活を、フラムは許すわけにはいかない。


「だから私たちは、教皇や国王はもちろん、サトゥーキの好きにさせるわけにはいかないの」

「ふーん……たくさん人が死ぬのは、俺も嫌だな」

「頭が悪そうなコメントね」

「イーラさん、そういうときは素朴で優しいって言うべきだと思いますよ」


 イーラが茶々を入れたせいで、真面目な話をしていたのに台無しである。

 しかしまあ、この状況でもこんなやり取りができるとは、二人とも肝が座っているというか、楽天的すぎるというか。

 フラムは溜息をつかずにはいられなかった。


「そういえばスロウ君、自分が王になるってことを簡単に受け入れてるみたいだけど、怖くはないの?」


 イーラに聞かれて、スロウは「うーん」と唸ってから答える。


「怖いっていうか、ピンと来ないんで。でも、王様になったら金には困らないですよね? そしたらおふくろに楽させてやれるんで、そういう意味ではむしろ嬉しいと思ってます」


 彼は笑いながら語る。

 呆れるやら感心するやら、相変わらずの脳天気な回答に、イーラもため息をついた。


「俺、なんか変なこと言いましたか?」

「言った」

「言ってるわよ」


 女性陣から言い切られ、スロウは困った表情で首を横に倒した。

 彼らと話していると、フラムの緊張感が薄れていく。

 そうこうしている間にも聞こえてくる戦闘の音は激化していた。

 ますます、自分だけこんな場所にいていいのかと不安になるフラム。

 しかしそのとき、彼女は肌で感じる、周囲を取り巻く空気が張り詰めたことに気づいた。

 気配、というやつだろうか。

 フラムの表情が変わる。


「二人とも、中に入って」


 声に宿った迫力に、二人は首を縦に振ることしかできない。

 そして、そそくさと屋内へと逃げていった。

 ギルドの入り口が閉まったことを確認すると、亜空間より黒い刃を引き抜く。

 それを両手で握り構え、ルークが現れるのを待った。

 すると数秒もしないうちに、前方の屋根から金髪の少年が飛び降り、ポケットに手を突っ込んで、フラムの方に歩み寄ってくる。

 ある程度の距離まで近づくと、彼は「よぉ」と手を上げて彼女に挨拶をした。

 今から殺し合おうといのに、まるで友達に会いに来たかのようである。

 無言で睨みつけるフラム。

 ルークは「はっ」と寂しげに笑った。


「無視はないだろうがよ」

「挨拶を交わす間柄でも無いから」

「確かにそうだが、少しぐらいは殺し合う相手と話をしておきたいと思ったっていいだろ?」

「どういうつもり?」

「俺が消える前に、人間らしいことをしておきたかった」


 そう言って、ルークはポケットから黒い水晶を取り出した。

 内側で黒い螺旋が渦巻く――“二個目”のオリジンコアである。

 彼もまた、ミュートと同じように、死ぬ覚悟を決めてフラムの前に表れたのだ。

 つまり彼女との会話こそが、ルークという人間にとっての、最後の心残り。

 付き合う義理はない。

 しかし――フラムにも同じ人間として、その気持ちは理解できた。

 構えを解き、体から力を抜いて向かい合う。


「ネクトのやつが意外と話の通じる相手だって言ってたが、本当だったんだな」

「あんなやつに評価されたって嬉しくともなんとも無いけど」

「ははっ、まあそうだろうな。でも珍しいことなんだぜ? ネクトが他人を褒めるなんてよ」

「どうでもいい、それより話したいことあるんじゃないの?」


 会話をする気はあるが、無駄話に付き合うつもりはない。

 フラムはネクトの話題を広げようとするルークを、冷たく突き放す。


「そうだな……じゃあまず、ミュートのことだ。死体、どうなってんだ?」

「ギルドに保管してある、約束通り戦いが終わったら埋葬するから」

「そっか、それならいい」


 ルークは安心したように、優しい笑みを浮かべた。


「じゃあ次だ、インクはそこにいるのか?」

「いない」

「王都から出たのか?」

「それを私が言うと思ったの?」

「いや、ダメ元で聞いてみただけだ。だがその感じだと王都から避難したみてえだな」


 あっさり見抜かれ、フラムはムッとする。


「最後に会いたかったんだ」

「そういうわけじゃ……いや、そうかもな。最後に一回ぐらいは、顔を見ておきたかった」

「元気にはしてる」

「そうか……」


 ほっと肩を撫で下ろすルーク。


「なら……思い残すことも、もうあまり無いな」

「じゃあ、こっちから一つ聞いてもいい?」


 フラムの方から興味を持ってきたことに、ルークは驚いた様子だった。

 しかし、どちらかと言えば驚いたのは彼女の方である。


「この前と雰囲気が違うっていうか、もっと問答無用でスロウを狙ってくると思ったんだけど、なんで?」

「そんなことかよ。単純な話だ、あいつを殺すよりも優先したい、個人的な理由ができた」

「個人的な理由?」

「あいつの命を狙うのは、チルドレンの総意だ。だがこれは違う、俺が、俺のために、俺の命を賭してやり遂げたいことなんだよ」


 言いながら、彼はコアを自らの胸に当てる。

 ズズ……と少しずつそれは体に沈み、入り込んでいった。


「それは、何?」


 間もなく戦闘が始まる。

 フラムは改めて魂喰いを握り直し、構えを取った。

 ルークは勇ましく笑う。

 自我の消失に対する恐怖など、微塵も存在しないと強がるように。

 そして彼は高らかに言った。


「あんなみっともねえ負け方したまま死ぬなんてまっぴらごめんだ。フラム、俺はてめえに勝つ、そしてスロウを殺す。それが俺の――ルーク・フーループの生きた証だ」


 コアが埋没する。

 体内で二つのオリジンの力が共振し、存在を代償に、限界を超越した力を与える。


「お……おおぉぉお、ごっ、があぁぁッ! ぐっ、ぎぃああぁぁぁぁぁあああッ!」


 苦悶の表情を浮かべながら叫ぶルーク。

 その首には血管が浮かび、顔は異常なまでに赤く変色している。

 ぐるりと指先が捻れる。

 同時に皮が裂け、肉が剥き出しになる。

 さらに手、肘、肩へと――螺旋は全身へと広がり、ただでさえ人間離れしていた彼を、完全なる人外へと導く。


「あがああぁぁぁああああああッ! おっ、おぉお、おあぁぁぁぁぁぁぁァァァッ!」


 産声は激しく壮絶に。

 肉体だけに留まらず、ルークの周囲では風までもが近づけないほど激しく渦巻いていた。

 そしてついに捻れは頭部にまで達し、中身が剥き出しになる。

 そこには人間らしい頭蓋骨など無い。

 赤い筋繊維の束が捻れながら、辛うじて頭のようなパーツを形作る。

 その頃には、ルークという人格はすでに消え失せていた。


「オ……」


 口のない顔のどこからか、声が響いた。

 人ならざるものの声。

 高く、澄んだ、聞いているだけで正気が削がれるような、異形の音色。


「オォォォォオオオオオオオ!」


 ルークだったものが声を響かせる。

 すると――


「……いっぎ!?」


 フラムは右足に、鋭い痛みを感じた。

 見ると、足が勝手に回転している。

 触れられたわけでもなく、ルークは力を飛ばした様子もなかったのに。

 残った左足でその場から飛び退くと、次は左腕が回り始めた。

 最初はゆっくりと、次第に早く、終いには血を飛び散らせながら高速回転を始める。

 さらに後退すると、それは止まった。

 だが――今度はミシ、という鈍い音が、耳の奥の方から聞こえてくる。


「まさ、か……!」


 首を傾けていないのに視界が動く。

 ルークは力を行使した動作すら見せずに、フラムの頭部の上半分だけを回し、破壊しようとしていた。





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