第45話 衝突
インクが「あーん」と口を開くと、エターナはスプーンに煮た豆をすくい、舌の上に乗せる。
それを咀嚼するインクは、恥ずかしがることなく、実に満足げである。
料理の場所やメニューさえ伝えれば、彼女は基本的に一人で食事をこなす。
だが、時に食べにくい料理だったり、何となく面倒になったりすると、エターナに食べさせるよう催促することがあった。
よくあることで、この家の食事中としては、そう珍しい風景ではない。
しかし今日に限ってはなぜか、フラムの隣に座るミルキットは手を止めて、ぼーっと二人の姿を眺めている。
「ミルキット、じろじろ見てるけど、もしかして羨ましいとか?」
「……え? い、いえっ、そういうわけではありませんっ」
「じゃあ何だってそんなに凝視してたの?」
「ただ、少しだけ、楽しそうだなと思っただけで」
「別に楽しくてやってるわけじゃない」
「それはわかってます! 何となく、そう思ってしまっただけです」
そう言って、ほんのり頬を赤く染めながら食事を再開するミルキット。
楽しそう、という感覚は、フラムには正直よくわからなかった。
しかし何気なく湧いてきた好奇心が、彼女の手を動かす。
そしてテーブルに積まれた小さなパンを手に取ると、何も言わずにミルキットに近づけた。
「……?」
きょとん、と首をかしげ、包帯が揺れる。
フラムはそんな彼女の目をじっと見つめた。
意図を察すまでにしばし時間を要したが、理解するとまた頬が赤くなる。
え、本当にやるんですか――そんな戸惑いを視線でうったえるも、フラムは気付いてか気付かずか反応を示さない。
仕方ないのでミルキットはパンに口を当てて、小鳥がついばむように、小さくかじった。
「……なるほど」
何やら納得するフラム。
ミルキットは口の中のパンを飲み込み、問いかける。
「何が、なるほどなんですか?」
「確かに楽しいかもしれない」
「……私は、少し恥ずかしかったです」
悪い気はしないが、それでも他の誰かがいるところでやるようなことでもない気がした。
エターナは心なしか白けた表情をしている。
しかしそんなことはおかまいなしに、フラムがもう一口食べさせようとパンを近づけると――
「フラム、手紙が届いたよ」
インクがそんなことを言い出した。
耳がいい彼女には、外のポストに手紙が入れられる音が聞こえたようだ。
「ありがと、インク。食後に見に行くから」
「うん……でも、なんか変かも」
「何が? 手紙が届いただけなんだよね?」
「確かにそうなんだけど、足音が聞こえなかったんだよね。普通、手紙を運ぶ人が走り去っていく音が聞こえるのに」
他の音にかき消されただけではないか、とフラムは思ったが、その不安げな表情を見る限りでは、そういうわけでもなさそうだ。
仕方ないので、彼女は食事中だが席を立ち、ポストを確認しに向かう。
家を出て、木製の箱の中を覗き込むと――何も書かれていない、白い封筒が入っていた。
「何だろこれ」
日に透かしてみると、差出人すら書かれていない紙の袋の中には、どうやら三つ折りにされた手紙が一通入っているようだった。
ひとまず家に入り、居間で待つ三人の元に戻る。
「おかりなさい、ご主人様。ポストには何が入っていたんですか?」
「これなんだけど――」
フラムは何となく嫌な予感がした。
この状況における差出人不明の手紙が、今の束の間の平穏を壊す何かに思えてならなかったからだ。
だから彼女は、特にその中身を気にしていたインクに、「開けるのはご飯のあとでね」と優しく告げた。
そして食後――片付けも終わったところで、フラムは封筒を開いた。
中から手紙を取り出し、テーブルの真ん中に広げる。
その内容を見たフラム、ミルキット、エターナの三人は、思わず黙り込んでしまった。
「何が書いてあったの?」
目の見えないインクが、不安げに尋ねる。
それに答えたのはエターナだった。
白い紙に、赤いインクを使った大きな文字で、たった一言だけ書かれた文章を、そのまま口にする。
「あと四日」
他には何も記されていない。
本当に、ただそれだけなのだ。
子供のイタズラである可能性だって考えられた。
しかし教会と対立する今の状況で、これをただのイタズラだと断じることができる者は、ここには居ない。
昼食後の穏やかな雰囲気が一気に失せ、場の空気が淀む。
シェオルでの一件を思い出し、自然とみなが口をつぐんだ。
「……また、教会が何かを仕掛けてきたのでしょうか」
沈黙を破るミルキットの声。
続けて、エターナが意見する。
「だとしても、それをわざわざこちらに伝える必要はない」
「確かにエターナの言うとおり、脅しにしては変だよね。なんでカウントダウンなんてするんだろ」
エターナとインクの言うとおり、攻撃を仕掛けるのに宣言など必要ないはずである。
むしろこの手紙は、フラムたちに危機が迫っていることを伝えようとしているとも言えないだろうか。
「でも敵じゃないんなら、何が四日なのか教えてくれればいいのに」
しかし一方で、フラムの言葉も正論である。
なぜ詳細を伏せるのか、差出人不明なのか――情報量が少なすぎる。
現状では、フラムたちの不安を煽るだけの、意味不明な怪文書であった。
「足音が聞こえないって言ってたのも気になる、一応この手紙は私が調べてみる」
「お願いしますエターナさん。私はちょうどギルドに行く予定だったんで、ガディオさんに相談してみますね」
そう言ってフラムは椅子から立つと、身支度を始めた。
ミルキットもそれを手伝い、五分もしないうちに外出の準備が整う。
彼女のギルドでの用事というのは――チルドレンの新たな拠点について、ガディオと話すことであった。
◇◇◇
ギルドまでやってくると、見慣れぬ金髪の男性が、前の通りを掃除していた。
彼はフラムが近くに来ると、
「ちわーっす!」
と、やけに馴れ馴れしく挨拶をしてくる。
フラムが戸惑いながら「どうも」と会釈すると、人懐こい笑みを浮かべた。
そしてまた、ホウキを手に掃除を再開する。
彼の方を見ながらギルドに入るフラム。
彼女はすぐにカウンターに近づくと、そこで珍しく真面目に仕事をしていたイーラに話しかけた。
「ねえイーラ、入り口のとこで掃除してたあの人って誰なの?」
「スロウ君のこと?」
イーラが君付けしていることに、内心で『うわぁ』と引くフラム。
彼女は好みの男性の前だと、割と露骨に媚を売る女である。
言われてみれば、顔立ちは整っていたし、イーラが食いつきそうなタイプではあった。
「彼は新入りよ。スロウ・ウラッドネス、十八歳。デインの騒動で辞めた事務員が多かったから、マスターが新しく雇ったのよ」
「へえ、ガディオさんってそういう仕事もちゃんとしてるんだ」
雇ったということは、面接もガディオが直接やったのだろうか。
その顔つきと言い、体格と言い、椅子に座っているだけで相当な圧迫感がありそうだが。
「当然じゃない。確かにいないことは多いけど、やることはちゃんとやってるわよ、あの人。おかげで前より楽になったぐらい」
以前、ここ西区のギルドはマスターが不在だった。
だからこそイーラやデインが好き放題やれていたわけだが、一方でマスターがいない分だけ仕事量も多かったらしい。
最初こそ、イーラは規律に厳しいガディオを疎んでいたものの、今ではそれなりに尊敬しているそうだ。
「あ、そうだ。そう言えば今日の朝なんだけど、ライナスって人がここに来たわよ」
「ライナスさんが?」
「ええ、近くで実物を見ると本当にかっこいいのね。素敵な出会いになると思ったのに、早々に帰っちゃったのが残念だわ」
ライナスの顔を思い出しながら、うっとりとした表情を浮かべるイーラ。
その脳内イメージはいささか美化されているが、どうせ彼と彼女に繋がりが生まれることは無いのだからどうでもいいことである。
「トリップしなくていいから。なんでライナスさんがギルドに来たの?」
「いいじゃないこれぐらい。マスターに会いに来てたみたいよ、でもあんたのこと聞いたら血相変えて出ていったわ。奴隷の印って言葉にやけに反応してたみたいだけど」
「あー……それ、伝わっちゃったんだ」
いずれはそうなるだろうと思っていたが、フラム本人と関係のない場所でそれが起きるとは思っていなかった。
それに、まさかライナスが血相を変えるほど動揺してくれるとは。
旅の中ではあまり話もしなかったため、てっきりどうでもいい存在だと認識されていると思いこんでいた。
正直、とても嬉しい。
だがライナスに伝わったということは、自動的にキリルやマリアにも伝達されるということでもあり――
「そっか、伝わっちゃったのかあ。キリルちゃんはどう思うのかな……」
胸に手を当ててつぶやく。
悲しんでくれたらいい、心の底からそう思う。
都合のいい、希望的観測だと理解しながらも、それでも願わずにはいられなかった。
「今まであんまり触れなかったけど、あんたって、本当にあの英雄って呼ばれてたフラム・アプリコットなのよね」
「そういうことになってる」
「なのになんで奴隷の印なんてつけられてるわけ? 他のメンバーに嫌われたとか?」
「……そうだよ。ある人にすっごく嫌われててさ、それでお金で売られちゃったの」
「うわぁ、英雄の闇を見た感じだわ」
「そんなもんだよ、人間だもん。ところで――」
フラムは強引に話題を変えた。
もう割り切っているとは言え、商人に売られたあの時の記憶はいい思い出とは言えない。
ミルキットとの出会いはともかく、広場で焼印を押し付けられた時のことなんか、今でも思い出すだけで印がうずくほどだ。
「ガディオさんはいる?」
「マスターなら外出中よ、そろそろ帰ってくるんじゃないかしら。紹介所で待ってたら?」
約束の時間よりはまだ少し早い。
フラムはイーラに言われたように紹介所に腰掛け、果物のジュースを注文して飲みながら彼を待った。
それから十分後、黒いコートを羽織ったガディオがギルドに入ってくる。
彼はフラムの姿を見つけるなり彼女に歩み寄り、立ったまま告げる。
「待たせたな。早速だが外に出るぞ」
「話をするんじゃなかったんですか?」
「それは後回しだ、先に済ませるべき用事ができた」
「用事、ですか」
いきなりのことに付いていけないフラム。
ガディオはそんな彼女にもわかるように、単純かつ明快に目的を話す。
「チルドレンの拠点を探索する」
◇◇◇
フラムはガディオに連れられ、王都の下に張り巡らされた地下道へと足を踏み入れていた。
外はまだ明るいが、地下はカンテラの火が無ければ真っ暗である。
「本当に、私とガディオさんだけで大丈夫なんでしょうか」
フラムが先導するガディオに向け、不安げに尋ねた。
「問題ないだろう、既に使われていない可能性が高いからな」
彼は飲み込まれそうな漆黒が続く通路の奥を睨みつけながら答える。
ダフィズの資料によると、その最奥にチルドレンの拠点の入り口があるらしい。
彼から託された文書には、ウェルシーが新聞で公表した内容以外にも様々な教会に関する情報が記されていたのである。
ガディオは、シェオルから王都に戻ったその日のうちにに、知り合いの冒険者に頼み、中央区の東側に存在する入口を見張らせていた。
しかし、それから四日が経過しても、誰もこの地下道に入っていく者はいなかった。
「でも、ダフィズさんが知る限りでは、ここが一番新しい拠点だったんですよね」
「そういうことになるな」
「監視が始まったのは、シェオルから戻ったその日。それより前に拠点を捨てたとなると――」
「言いたいことはよくわかる。
フラムは頷いた。
ネクトは、資料もろともあの施設を破壊したつもりでいたはずだ。
ダフィズからの情報漏洩を恐れて、念のために拠点を捨てた、という可能性も考えられるが――“引っ越しが大変だった”と本人が言っていたように、王都での拠点の確保は容易ではない。
おいそれと手放せるものではないだろう。
二人はさらに奥へ歩いて行く。
地下は微妙に湿っており、カビ臭い。
場所にこだわらなければ、もっといい環境で研究を続けられただろうに。
なぜマザーはそうまでして王都にこだわったのか、とにかく彼は謎が多い。
「行き止まりですね」
レンガの壁が二人の前に立ちはだかる。
フラムは足を止めると、薄暗い周囲の壁を観察した。
「曲がり角ってわけでもなさそうですし」
「下がっていろ、破壊する」
ガディオは背負っていた大剣を抜くと――地下の狭い通路でそれを振り回すわけにも行かず――壁に向かって鋭い突きを放った。
もちろん大量のプラーナを込め、破壊力を増強した上で。
ドゴオォンッ!
細く長い通路に、轟音が響き渡った。
フラムも今さら驚きはしない。
だが、あまりに見事に大穴が空いたので、「おぉ」と感嘆の声を出していた。
「やはり奥に続いていたか」
「……雰囲気が、変わりましたね。シェオルで見た研究所と似たような感じです」
本来は、何らかの仕掛けか鍵で開く、頑丈な入り口だったのだろう。
今はガディオに破壊され、見る影も無いが。
チルドレンの研究所内部は、地下道同様に真っ暗である。
カンテラの明かりだけでは、内部を探索するには心もとない。
「どうします、明かりを点けますか?」
ガディオは目を閉じ、施設内の人間の気配を感じ取った。
彼の察知できる範囲内に、自分とフラム以外の生物は――どうやら、存在しないようである。
「ああ、頼む」
短い返事を聞いて、フラムは壁のスイッチに駆け寄った。
壁に埋め込まれた水晶球に手を当て、魔力を流し込む。
しかし……うんともすんとも言わない。
「あれ、壊れてるのかな。ごめんなさいガディオさん、点かないみたいです」
「いや……仕方ない、壊れているのではなく、
ガディオは天井を見上げて言った。
手に持ったカンテラを近づけると、さらにその状況が鮮明に浮かび上がる。
天井には、まるで巨大な爪で引っ掻いたように、端から端まで深い傷跡が残されていた。
設置されたランプはその途中にあったため、ついでに壊されてしまったようである。
「こ、これ……何なんでしょう」
「
「戦闘の形跡、ですか」
フラムの言葉に対しガディオは無言だったが、それは肯定と受け取るべきだろう。
この施設の存在を知る者は少ない。
フラムたちを除けば、教会の研究に携わっている人間ぐらいしかいないはずである。
そんな場所に、明らかに普通の人間の手では作ることのできない傷跡が残されていた、それが意味することは――
「ここで、一体何があったんでしょう」
「先に進めばわかるかもしれん」
研究所の部屋数はさほど多くない。
天井に傷のあったエントランスを抜けると、その先には廊下があり、両側に二個ずつ部屋がある。
さらに奥の突き当りにも一部屋。
つまり、この研究所には、合計で六つの部屋が存在している。
フラムとガディオは、手前から一つずつ探索していった。
「酷い有様だな」
「誰かが暴れた後に見えます」
本棚は空で、研究装置は物理的に破壊されている。
床には破片が尖った散らばっており、歩くだけでも危険な状態だった。
廊下の両端にあった四つの部屋は、全てこんな調子で、手がかりらしきものは何も落ちていなかった。
そして最後に、廊下の一番奥にある部屋に足を踏み入れる。
両開きのドアを、フラムの前を歩くガディオが開く。
瓦礫が邪魔をしているのか少し重かったが、腕力で強引に押しのけた。
そして、室内の空気が二人の立つ廊下に溢れ――むせ返るほどの濃密な血の匂いが流れてくる。
「これは……」
装置と繋がった、いくつかのガラスケースが並ぶ広めの部屋。
その入り口から突き当りの壁に、それはあった。
強烈な力で叩き付けられ、凹み歪んだ壁に磔の状態で放置された、緑髪の少年の死体。
灰色の壁に飛び散った赤い体液が、まるで花のようにも見えた。
胸部には大きな穴が空いており、コアは抜き取られている。
胴体は完全にひしゃげているが、頭部の損傷は少なく、虚ろな瞳でぐったりと地面を見つめている。
それが光景の異様さを、余計に際立たせていた。
「どうしてこの子が……!」
「知っているのか?」
フラムは何度も頷く。
会ったことがあるのは一度だけだが、記憶にはしっかりと刻み込まれている。
「確か、名前はフウィスだったと思います……
荒らされた無人の拠点。
戦闘の形跡。
そして、敵だった少年の惨死体。
それぞれの思惑は、フラムたちの知らない場所で、すでに動き始めていた。
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