第44話 崩壊

 





 ジーンは自問する。

 なぜこの僕が、他人のために花など買わねばならないのか、と。

 ジーンは自問する。

 なぜこの偉大なる僕が、他人のためにローブまで新調したのだろう、と。

 ジーンは自問する。

 なぜこの偉大なる天才である僕が、他人が部屋を訪れるからと言って、そわそわして鏡の前で髪型を整えているのだろう、と。


「緊張などと、馬鹿らしい」


 そう言いながらも、彼は忙しなく自室の中を歩き回った。

 本棚から魔法理論に関する本を取り出したかと思えば、表紙を見ただけで戻してみたり。

 机の上に置かれたペンを手に取り、意味もなく観察しては、また元の場所に戻したり。

 椅子の場所を整え、また鏡の前に立ち格好を確認、それから一旦は座って落ち着いてみたものの、すぐに立ち上がってまた歩き出す。


「……馬鹿らしい」


 自分にとって縁のないものだと思っていた。

 それが何のことかと問われれば、ジーンが今感じている“全て”としか言いようがない。

 コンコン。

 ノック音が聞こえると、ジーンの動きがピタリと止まった。

 生唾を飲み込み、喉がゴクリと動く。


「は……入って、いいぞ」


 語頭音が上ずる。

 それを誤魔化すように、彼は恥ずかしそうに咳払いをした。

 そして決め顔を作り、部屋を訪れた人物を迎える。

 ドアノブが回り、ツヤのある木製の扉が開かれる。

 姿を現したのは――彼が待っていたキリルではなく、ライナスであった。


「なんだライナスか。すまないが用があるなら後にしてくれないか、今は別の人間と約束をし――ぶぇっ!?」


 ジーンが言い終える前に、その頬にライナスの拳が叩き込まれる。

 腕力だけでなく、しっかり体重まで乗せられ、さらにひねりまで加えたその一撃は、ジーンの顔を激しく揺らし歪ませた。

 開いた口から飛沫が散り、首がねじれ、それが限界まで達すると残った衝撃が体そのものを吹き飛ばす。

 背中から机にぶつかり、崩れ落ちるジーン。

 彼は殴られた頬に手を当て、ライナスを睨みつけた。


「い、いきなり何をするんだっ!」

「何をじゃねえよ!」


 ライナスは、今度は胸ぐらを掴み、額が当たるほど顔を近づける。

 そして鬼のような怒りの形相で、激情をぶちまけた。


「てめえ、フラムちゃんに何をしやがった!?」


 それを聞いたジーンは、「はっ」と鼻で笑う。


「なんだそんなことか」

「んだとてめぇ!?」

「何をそう憤慨することがある、役立たずなくせに仲間面をした上に、勇者であるキリルに馴れ馴れしく接した。これだけでも万死に値する罪だ! だというのに僕は、わざわざ相応しい身分を与えてやったんだぞ? 賞賛されることはあっても、罵倒される筋合いは無い」

「違法な手段を使っておいてよく言えたもんだなぁ!」

「ふん、いくらでも胸を張って言ってやろうじゃないか。時に、僕の思考は法よりも正しいからね」


 その表情に、全く反省の色はない。

 本気で、心の底から、自分がやったことを正しいと思いこんでいるのである。

 ジーン・インテージとはそういう男なのだ。

 どこまでも自分勝手で、どこまでも唯我独尊で――だからこそ天才、しかし人の心がわからない。


「ふざけんじゃねえッ! あんなか弱い女の子が、この王都で奴隷として生きていくのがどれだけ大変なことかわかってんのか!?」

「ああわかっている、今までぬくぬくと他人に守られて生きてきたツケだな」

「さんざん他人にフォローされて生きてきたてめえが言えることかよ!」

「何だと……?」


 ジーンの眉がぴくりと震える。

 それだけは聞き捨てならなかった。

 なぜなら、彼には心当たりが全く無かったである。

 しかし一方で、ライナスは実体験として、彼の尻拭いをしたことが何度もあった。

 主に人間関係において、ライナスのフォローが無ければ、ジーンに殴りかかっていたであろう人間が、今まで何人いたことか。

 二人の間には、大河を隔てるほどの認識の差がある。

 ジーンの怒りに正当性は無いが――それでも自分の正しさを信じている以上、彼が怒るのは必然であった。


「いつ、どこで! この僕が一体誰に助けられてきたと言うんだ!?」

「誰にでもだろうがッ! てめえは人間関係で周囲に迷惑をかけすぎなんだよ! 確かに魔法の腕は確かだ、頭もいいかもしれねえ。でもなあ、お前には致命的に――」


 ライナスは自らの胸を拳で叩き、語気を強めて言った。


「他人を思いやる気持ちってもんが足りねえ!」


 まさにそれこそが、問題の根源。

 他人の気持ちを理解できないし、理解しようとしない。

 そこさえ修正できれば、ジーンは本当の意味で“賢者”になれるのだが。

 ライナスの言葉は正論だ、真理だ、誰も反論などできない――ジーン本人以外は。


「はっ、ははっ、あははははははははっ!」

「何がおかしい!?」

「いいかいライナス、僕は天才だ。世界一の頭脳を持つ男だ。万人の頂点に立つべき人間なんだ! その僕が、そんな僕が! なぜこの星で最も貴重な脳細胞のリソースを他人のために割かなければならない! それこそが最大の損失なんだよ! 僕が、僕のためだけにこの脳を使うことこそを最優先するべきなんだ、わかるか!?」

「わかるわけねえだろうがッ! 何でそこまで自分に自信を持てるのか理解できるやつなんて世界に一人もいねえよ!」


 二人の言い争いは平行線をたどり、収束の気配がない。

 ライナスの言葉でジーンが反省することは無いだろう。

 だが、ジーンの反省の言葉を聞かない限り、ライナスの怒りが収まることは無いだろう。

 押し問答はいつまでも続き、徐々にエスカレートしていく。




 ◇◇◇




 キリルは自分の部屋の扉に挟まっていたメモを手に、ジーンの部屋に向かっていた。


『今日、いつでもいいから部屋に来い』


 そんな強気の一文を見て、彼女の胃がきゅっと痛む。

 正直に言って、キリルはジーンのことが苦手だった。

 最初こそ、重責に潰れそうなときに相談に乗ってくれる人として頼りにしてきた。

 従っていれば、自分で考えずに済んで、気が楽になった。

 だがその結果――フラムを失ってしまったのだ。

 以降、ジーンの顔を見るのも嫌になっていた。

 確かに、フラムに酷いことをしてしまったのは、キリル自身だ。

 けれど彼は、その原因を作った張本人でもあるのだから。

 しかし……その他人に責任を押し付けるような考えが、キリルの心を自責の念で蝕んでいく。

 悪いのは自分なのに、言葉を発したのは確かに自分自身なのに、なぜ自分だけが罪を背負うことを拒むのか。

 大切な友達だった、彼女がいなければとっくにリタイアしていた。

 そんなフラムを――なぜ自分は、裏切ってしまったのか。


「ごめん、フラム……」


 幾度となく繰り返してきた言葉。

 それを免罪符代わりに使い、言うだけで許されると思おうとする都合のいい自分を、キリルはさらに嫌悪する。

 湧き上がった感情を抑えきれず、ジーンから渡されたメモをくしゃりと握りつぶした。


「はぁ……」


 そして大きくため息をついて、前を向く。

 ジーンの部屋まではあと少しだ。

 何の話をするつもりかはわからないが、早く話を終わらせて、自分の部屋に閉じこもってゆっくりしよう。

 そんなことを考えていると――


「だいたい何だよその格好はッ!」


 部屋の中から騒々しい声が聞こえてきて、思わず足を止めた。


「キリルを迎えるんだ、相応しい格好で待つのは当然だろう!」

「前々から思ってたが、お前、本気でキリルちゃんに惚れてんだな」

「ああそうだ、悪いか?」

「悪ぃよ、最悪だよ、最低だよ! てめえ、あの子からフラムちゃんを奪っておいてよくもまあそんなこと言えたもんだな。しかも何だ、あの机の上に置かれた花束は、まさか今日告白でもするつもりだったのか!?」

「……そ、そうだ。だからキリルを呼び出したッ! 本当はライナスではなく彼女が来る予定だったんだ!」

「無理に決まってんだろうがこの童貞野郎がッ!」

「キリル以外に僕に相応しい女がいなかっただけだあぁぁぁぁッ!」


 一方はジーンだが、もう一方は……ライナス、だろうか。

 いつもの優しい口調とあまりに違うので断言はできないが。


「だいたい貴様こそ人のことを言えるのか!? あのマリアとかいう女、腹の中が臓物を血で煮込んだようにドロドロと淀みきってるじゃないか!?」

「んだとぉ……!?」

「見る目がないな。僕が思うに、あの女の脳内は謀略姦計悪巧のフルコースだ! 他者に施すフリをして、この孤高の天才であるジーン・インテージすら見下す性根の腐ったあばずれなんだよ!」

「はっ……俺が知らないと思ってんのかよ」

「何だって?」

「知ってるよ、そういう女だって知った上で惚れてんだよ。そういう影も含めて惚れちまったんだよ! 自分にとって都合が悪いからって、フラムちゃんを奴隷にして売り払うてめえとは違うんだよおぉッ!」


 キリルの頭が真っ白になって、呼吸すら忘れてしまう。

 目を見開いて、無言でその場に立ち尽くす。

 くしゃくしゃになったジーンのメモが、かさりと絨毯の床の上に落ちた。

 他の内容も衝撃的ではあったが、何よりもショックだった言葉がある。


 ――フラムが……奴隷、に?


 ずっと、自分のせいで田舎に帰ってしまったのだと思っていた。

 ただそれだけで、キリルは自分を殺したくなるほど責め続けたのだ。

 それが、本当は故郷にすら帰っておらず、奴隷として売られていたことを知ったら――耐えられるはずなどなかった。

 貧血のように、全身からさっと血の気が引いていく。

 ようやく呼吸は再開したが、肺が震えて、うまく酸素が取り込めない。

 体から力が抜け、膝をついた。

 両腕で自分の体を抱きしめ、小刻みに頭が左右に揺れる。


「そ……そんな……私の、せいで、フラムが……」


 カチカチと歯が音を立て、視界が涙で滲む。


「フラムが……ああぁ、フラム、が……あぁぁぁあっ……」


 声にして吐き出さなければ、今すぐにでもこの場で自分を殺してしまいそうだった。

 いや、いっそ死ぬべきだったのかもしれない。

 生きる価値もない。

 何が勇者だ、何が友達だ、結局は友達のフリをして近づいて、裏切って、挙句の果てに彼女の人生を滅茶苦茶にしただけじゃないか。


「あああぁぁ……私は、私はあぁぁッ!」


 その嘆きは次第に大きな音となり――部屋の中でつかみ合いの喧嘩を繰り広げていた、ライナスとジーンにも届いた。

 彼らは今にも殴り合いそうになっていた腕をぴたりと止め、同時に部屋の外へと視線を向ける。


「なあジーン。さっき、キリルちゃんを迎えるつってたよな」

「ああ」

「……もしかして、それって今、だったのか?」

「そう言ったはずだが」


 ライナスはジーンを解放し、慌てて開きっぱなしの扉から外を覗き込んだ。

 そこにいたのは、泣き崩れるキリルである。

 本当はもっとタイミングを見計らって、彼女には伝えるはずだった。

 ただでさえ精神的に不安定だった今のキリルには、刺激が強すぎると思っていたのだ。


「な、なあキリルちゃん……ちょっと、俺と話をしないか?」


 ライナスはゆっくりと彼女に歩み寄る。


「あ……あぁ……」


 するとキリルは、怯えたように彼の姿を見上げ、後ずさった。


「さっきの話は、何ていうか、その……」

「嘘、なんですか?」

「……いや、事実、なんだが」

「じゃあ、やっぱりフラムは、奴隷に……私のせいで、奴隷に……っ」

「そう自分を責めないでくれ、責任は――」

「私は……もう、誰とも……そんな、資格なんて……」

「頼むよキリルちゃん、俺の話を聞いてくれ!」


 出来る限り優しく、しかし必死に語りかけるライナス。

 だが、どんな言い方をしたところで、事実は変わらない。

 フラムが奴隷になった。

 少なからずキリルにもその責任がある。

 それだけで、十分だった。


「う、ううぅ……うわあぁぁぁああああッ!」


 彼女は四つん這いになって彼から離れたかと思うと、立ち上がり、叫びながらどこかへ去っていった。

 追いかけようとも思ったが――かける言葉が見つからないし、全力で駆ける彼女の姿はすでに廊下から消えている。

 ライナスは頭を抱え、その場で立ち尽くすことしかできなかった。

 すると部屋から、恐る恐ると言った様子でジーンが顔を出す。


「ライナス、なぜ彼女は泣いていたんだ?」


 いつもと変わらぬ調子でそう問いかけてくるジーン。

 ライナスは拳を握ると、再び怒りを燃え上がらせて彼の方に振り向いた。


「あれが、お前のやったことの結果だよ!」

「僕が? 理解できないな、なぜ彼女はフラムのような人間がいなくなった程度で悲しむ。あれだけの才能と力がありながら、なぜ矮小な存在にあそこまで振り回される」

「はぁ……」


 もはや怒るだけ無駄だと悟ったのか、ライナスは肩を落としてため息をついた。

 ジーンに常識を説こうとするだけ無駄なのだろう。

 だから孤高なのだ、彼は天才であることの代償として、他者への理解力を失ってしまったのである。


「もういい、ジーンには何を言ったって無駄らしいからな」


 ライナスはそう言い残すと、ジーンに背中を向けた。

 その寂しげな姿を見て、ジーンはようやく、一つの可能性にたどり着く。


「まさか、この僕が……間違ったことをしたとでもいうのか?」


 そのとぼけた呟きが、誰かの耳に届くことはなかった。




 ◇◇◇




 行き場をなくしたキリルは、城を駆け抜け、与えられた部屋に閉じこもる。

 ベッドに飛び込み、布団を被り、ぎゅっと目をつぶって何も見ないようにした。

 自分の存在すらそこに無いものだと思いこまなければ、心が潰れてしまいそうだ。


「私が……やったこと。私が悪い、私のせい、私が、私が、私が……っ!」


 それでも無意識の間をすり抜けて、罪悪感はキリルに襲いかかる。

 いっそこのまま消えてしまえれば。

 勇者の力で、自分を消す魔法があればいいのに。

 心の底からそう願う。

 嘆き、苦しみ、嗚咽を漏らす――そんな彼女に、聖女は囁いた。


「キリルさん、その苦しみから解放されるいい方法がありますよ」


 声を聞いて慌てて布団から顔を出すと、ベッドの傍らに立ち、優しく微笑むマリアがそこにいた。

 それどころではなくて、鍵を閉めていなかったらしい。


「何度かノックしたのですが返事はなく、声だけは聞こえてきたので、勝手に入ってしまいました。申し訳ありません」


 深々と頭を下げるマリア。

 キリルは自分は謝られる価値も無い人間だ、と心の中で自虐した。


「ところで、先日お渡ししたコアはどこにありますか?」

「コア? あぁ……あの珠なら、机の下の引き出しに、入ってる」

「使わなかったのですね、もったいない。あれの力さえあえれば、キリルさんの悩みごとなど全て解決しますのに」


 言いながら、マリアはキリルの机の引き出しを開き、コアを取り出す。

 そして黒く渦巻くそれを、うっとりとした表情で見つめた。


「魔族領でのわたくしやジーンさんの戦い、見たでしょう? あれがこのコアの力なんです」

「そう……なんだ」

「キリルさんもこれを使えば、以前のように戦えるように……なって、悩みなんて、なくな……って」


 再びこちらに近づき、キリルにコアを渡そうとするマリア。

 だがその言葉は、次第に途切れ途切れになっていく。


「と、とにかく、素晴らしい力、なので。キリルさんも……使った、方、が……」

「マリアさん?」


 ふらりとよろめく彼女を、キリルは心配そうに見つめた。


「あ、あら……? 何でしょう、これ。こんな、こと……ある、はずが……」

「大丈夫? 回復魔法を使える人を呼んでこようか?」


 本来、マリアがその役割なのだが、本人の具合が悪いのなら別の神官を呼ばなければ。

 キリルはベッドから降り、彼女の体を支えるように体に触れた。

 ぶじゅっ。

 その時、どこからともなく、湿った音が聞こえてくる。


「ば、馬鹿な……どうして、わたくし、が……」


 キリルの言葉が聞こえていないのか、返事がない。


「マリアさん、すぐに呼んでくるから――」


 待ちきれず、自信の判断でそう決めたキリルはマリアから離れ部屋を出ようとした。

 ぶじゅっ、べちゃっ。

 するとまた、背後から先ほどと似たような音が聞こえてくる。

 振り返ったキリルは、床に血液が飛び散っているのを見た。

 場所からして、マリアの口から吐き出されたものかもしれない。

 これは思っていた以上の大事かもしれない――顔面蒼白になるキリル。

 ぶちゅっ、べちゃ。ぶじゅるっ、べちゃ。

 だが、明らかに、様子がおかしいことに気づく。

 血の量だ、人の口からこれだけの大量の血液が吐き出せるものだろうか。


「マリアさん?」


 恐る恐る顔を見ると――覆う手の隙間から、内臓を敷き詰めたような赤い何かが見えている。


「……マリア、さん」


 手だけでなく、ローブの襟元も大量の血で塗れ、さらには追加で血液の排出を続ける。

 それはマリアの優しい笑みをたたえた顔ではない。

 蠢き踊る、開腹した人の胴を思わせる、肉の渦である。


「こんな、はずは……っ」

「あ……あぁっ、ば、化物……そんな、マリアさんが……っ!」


 ただでさえフラムのことで気が動転しているというのに。

 そこに、こんなものまで見せられては――耐えきれぬ恐怖がキリルを満たし、許容量を超える。

 限界を迎えた彼女は、風船が破裂するように感情を爆発させた。


「こんなの……やだっ……やだあぁ……いやあぁぁああああああああああッ!」


 廊下に響き渡るほどの絶叫、そして逃亡。

 脇目も振らずに、キリルは部屋を飛び出し、城の廊下を駆け抜け、町へと出ていく。

 そのスピードは勇者なだけあって相当なものだったが、どのみち、彼女を追いかける者など誰もいなかった。

 異形と化したマリアは、自分の状況に戸惑い、その場で身動きが取れなくなっていたからである。

 カツ、カツ、カツ。

 硬いヒールが、絨毯越しに床を叩く音が部屋に近づく。

 そして白衣の女――エキドナは、入り口から苦しむマリアを見下して、唇を釣り上げた。


「あらあらぁ、聖女様ったらそんな醜い姿になられて、どうなさいましたのぉ?」

「……エキ、ドナ。あなた……この、コアは、どういう……!」

「“キマイラ”謹製の、オリジンの影響を限界まで遮断し、力だけを引き出した高性能コアですわぁ。本来なら副作用など出るはずがないのですがぁ」


 エキドナは蠢く肉の渦に顔を近づけると、挑発するように告げる。


「ひょっとしたらぁ、間違えてぇ、モンスター用に調整されたコアをお渡ししてしまったかもしれませんわぁ」

「っぐ……つま、り。最初……から、あなた、は……!」

「んふふふ、ふふふふ、うふふふふふふふっ!」


 悪女は悪女を見下して、実に楽しそうに笑った。

 白衣をはためかせながらくるりと一回転してマリアから距離を取ると、エキドナは真意を語る。


「オリジン、信仰、お告げ、封印の解除……んふふふ、下らなぁい、気持ち悪ぅい」

「どういう、ことです?」

「オリジン教徒の悲願とか言ってますけどぉ、正直ぃ、私やサトゥーキ様はどうでもいいと言いますかぁ。むしろ潰したいと言いますかぁ」

「……そのようなこと……許される、わけ、が……!」

「第一ぃ、オリジンの目的はこの世から自分以外の命を絶やすことですよねぇ? それってぇ、善良な人類である私たちにはぁ、加担するメリットは何もありませんよねえぇ? なのにぃ、王も教皇も一部の枢機卿も、そして聖女様までも洗脳されちゃってぇ、本当にぃ、反吐が出るほど気味が悪いですわぁ!」


 五十年前より始まったオリジンによる“お告げ”は、王国の重要ポストに就く人間に向け発信された。

 創造神を名乗るそれの影響を、先代王や先代教皇も少なからず受けていた。

 だが、生まれたときからずっと囁かれ続けているのは、今の王や教皇である。

 ただしマリアの場合は、洗脳ではなく、人間と魔族を憎むがゆえに自らの意思でオリジンに力を貸したわけだが。


「というわけでぇ、まずはあなたに退場してもらいますわぁ」

「だから、他の、枢機卿を……! あなた、と……サトゥーキは……この王国を、乗っ取る……ため、に……」

「ええ、そしてより強く、より大きく、そしてより幸せな、人間の人間による人間のためだけの国にするために――あなたみたいな化物はぁ、邪魔なんですぅ」


 そう言って、エキドナはパチンと指を鳴らした。

 するとどこからともなく、猿のような姿をしたモンスターが現れる。

 だがその背中には翼が生え、手足はオーガのように太く、そして顔は人間だ。


「試作型小型キマイラ、ですわぁ。サトゥーキ様が人体実験はしないと言われたのでぇ、もう同じ個体は作れないんですけどぉ、なかなか出来が良いのよぉ? 従順でぇ、力も強くてぇ」

「あぐっ……!」


 小型キマイラはマリアの両手を拘束すると、引きずり、どこかへと連れていく。


「うぅ……私は、まだ……まだ……っ!」


 顔から血を吐き出しながら、悔しげな声を漏らすマリア。

 しかしコアがよほど体に合わないのか、抵抗することができない。

 醜い姿のまま、絨毯を血で汚しながら、どこかへ連行される。

 エキドナはそんな彼女の無様な姿を見て、終始上機嫌に「んふふふっ」と笑い続けていた。


 その日以降、キリルとマリアは行方不明となり、ライナスは城に姿を現さなくなった。

 ジーンは一人で部屋に閉じこもり、ロクに姿も見せない。

 もちろんそんな有様で、彼らがパーティを組み、魔王討伐のための旅に出られるはずもない。


 つまり、創造神オリジンに選ばれし勇者と英雄たちのパーティは――完全に崩壊したのである。





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