第43話 愛と阿呆と天才と

 





 フラムたちは、生き残ったオリジン教の信者数十人を引き連れてシェオルを出た。

 じきにネクトによって、教会にこの村が壊滅したことが伝わるだろう。

 そうなれば、教会騎士なり何なりが大挙して訪れ、形跡を消し、そして――生存者までも処理・・される可能性があった。

 いくらオリジン教徒とはいえ、そんな人々を放ってはおけない。

 そう考えた上での行動である。

 ティアの遺体は、傷つかないようにエターナの水魔法で包み運搬し、ギルドに頼んで王都まで搬送してもらう。

 キンダーとクローディアの遺体は、彼女が跡形も残らず吹き飛ばしたので、回収の必要は無いとのことだった。

 集団で向かうのは、ギルドが存在する最寄りの町である“ミール”だ。

 人口二千人ほどの大きめの町で、そこでなら生存者たちを保護することができるかもしれない。


 一方で、ガディオはフラムたちと分かれ、単身で王都へ向かった。

 その手には、ダフィズからミルキットに託された資料が握られている。

 教会は素早く事件を隠蔽しようとするだろう。

 彼らに手を打たれる前に、ウェルシーに頼んで全てを公表する必要があるのだ。

 生存者を引き連れての行軍は時間がかかるが、一人でなら馬車以上の速度で王都に戻ることができる。

 彼がウェルシーに資料を渡し、事情の説明を終えたのは昼過ぎのこと。

 それから記事を書き起こし、印刷し、夜には王都にばらまかれ――翌朝には、シェオルで起きた全てが王都の民衆に知れ渡ることとなるはずだ。




 ◇◇◇




 夕刻、ガディオは自宅へと戻った。

 門を抜け、屋敷へ続く石畳の上を歩くと、玄関の前に座り込む女性の姿を見つける。

 ケレイナだった。

 ガディオの足音に気づいた彼女は顔をあげ、笑顔を浮かべる。

 だが、その口元は震えている。

 目は涙で潤み、色々と用意しておいた言葉がうまく出てこない。

 だから、仕方なく、ありきたりに彼を迎えるしかなかった。


「……おかえりっ」


 それは考えておいた言葉を並べるより、よっぽどガディオの胸に突き刺さった。

 果たして自分に返事をする資格などあるのか。

 戻ってきてもなお、ティアへの未練を断ち切るどころか、さらに強めているというのに。

 しかし、罪悪感のせいにして、健気なケレイナに報いようとしないのは、ただの自己満足にすぎない。

 本当に悪いと思っているのなら、彼女の望む言葉を告げるべきなのだ。

 それがどれだけ自分を責める結果になったとしても、それこそが、最大の罰なのだから。


「ただいま、ケレイナ」


 ガディオの言葉を聞くと、彼女は立ち上がった。

 そしてふらふらとした足取りで近づいてきたかと思うと、その胸に顔を埋めた。

 彼の腕が、彼女の背中を抱きしめる。

 互いの体温を感じながら、ガディオはどこか苦しげな表情を浮かべていた。




 ◇◇◇




 翌朝、フラムたち四人が、遅れて王都へ戻ってくる。

 並んで中央区の大通りを歩いていると、いつもの騒がしさとは別の空気が漂っていることに気づいた。

 すれ違う人々が手に持ち、話題にしているのは、ウェルシーたちのばらまいた新聞である。

 作戦は、どうやらうまくいったようだ。


 それから――教会はすぐさま反論声明を出すかと思われたが、彼らにはできない理由があった。

 サティルスの隠し部屋より回収された資料の数々。

 そしてミルキットがダフィズから託された、教会の印が押された書類。

 さらには、シェオルの村から脱出したオリジン教徒の証言。

 これら三つの証拠が、記事に強い説得力を持たせていたのである。


 元よりオリジン教に不信感を持っていた一部の人間が扇動し、教会を取り囲んでのデモが発生。

 さらには神父に対する暴行事件も起き、教会騎士と参加者が衝突、多数の負傷者を出す結果となった。

 時間経過とともに状況は逼迫していく。

 上層部は対応を迫られ――結果、記事が発表された二日後の昼過ぎ、枢機卿サトゥーキ・ラナガルキが、北区にある大聖堂の礼拝堂にて声明を発表した。


 彼はネクロマンシー、及び教会が行っていた死体・・に対する人体実験の存在を認め、二度と再発させないことを宣誓、深く謝罪する。

 また、その責任者であったファーモ・フィミオ、及びサティルスから違法に薬物を購入していたスロワナク・セイティをすでに・・・処分したことを明らかにした。

 処分内容は、枢機卿の地位の剥奪に加え、禁固十年。

 想像していた以上に重い処分に、デモの参加者たちも溜飲を下げた。

 だが、サトゥーキの演説はこれだけでは終わらない。

 今回の事件は、教会内部に満ちていた“驕り”が引き起こしたものだと断じる。

 そして、同様の理由でその驕りの象徴であった、神父や修道女による医療行為の料金引き下げを約束したのだ。


 ごく一部の人間は、これを批判避けのためのパフォーマンスだ、と叩いた。

 また、なぜ声明を発表したのが教皇であるフェドロ・マクシムスや、次期教皇と噂されるトイッツォ・トルッキオではないのか、という疑問を抱く者もいた。

 しかし大多数の人間にとって、シェオルなどという田舎町で起きた事件のことなどどうでもいい。

 デモだってそうだ、参加者たちのあげる声も、いつの間にか事件に対する不満から、日頃の教会に対する不満に論点が変わっていた。

 そして、彼らは教会からの謝罪と枢機卿の処分、加えて医療費の値下げという戦利品・・・を手にした。

 勝者となった彼らは満足し、騒動はひとまず終息したのである。




 ◇◇◇




 リーチの屋敷に集まったフラムたちは、客間にてソファに腰掛け、ウェルシーが大聖堂から戻るのを待っていた。

 そしてサトゥーキの声明の内容を彼女から聞くと、各々が考え込むような表情を浮かべる。

 もっとも、インクはよくわからなかったのか、首を傾げながらエターナの顔を見ていたが。

 その中でも特にリーチは、枢機卿二人の処分に驚いているようであった。


「サトゥーキは一体何を考えているんでしょう、枢機卿を二人も禁固に処するなんて……」

「想像以上の処分内容に加えて、ネクロマンシーは死者への実験だから“生きた人間に対しては実験を行っていない”という印象を与えて、教会へのイメージダウンを最低限に抑えてる」


 冷静に分析するエターナに、リーチは焦りからか少し早口で反論する。


「ですが枢機卿は教会の最高幹部です、それが二人も欠ければ組織の機能低下は免れません。それ以外の目的があったとしか思えないんです」

「派閥争いかもねー、枢機卿の間でも対立があったみたいだしー?」


 ウェルシーは立ったまま、手帳を眺め言った。


「ねえリーチさん、サトゥーキ・ラナガルキって、教会騎士のトップに立ってる人でしたっけ?」

「ええその通りです、王国の軍部とも繋がりが強いと言われていますね」


 フラムからの質問に、リーチは補足説明を加えながら答えた。

 サトゥーキは軍部との繋がりが強く、“教会らしくない人間”とよく言われている。

 良くも悪くもリアリストなのだ。

 神を崇拝する宗教団体には似合わない思想の持ち主だが、だからこそ教会にはその存在が不可欠であった。


「わざわざ出てきたってことは、今回の声明内容を決めたのはその人ってことなんですかね」

「どうでしょう、断言はできませんが……しかし、可能性はありますね」


 一旦間を空けて、リーチは言葉を続けた。


「教皇フェドロや枢機卿トイッツォは、現在の教会の体質を作り出した張本人です、あっさりネクロマンシーの存在を認めるのは彼ららしくない。また、残る一人の枢機卿タルチは、医療分野を統括しています。つまり彼は、料金引き下げなどやりたくないはずなんです」

「消去法でサトゥーキ主導だった、ということになるわけか」


 ガディオの言葉に、彼は頷く。


「ということは、そのサトゥーキという人は、自分が教皇になるために、ライバルを蹴落としたということになるのでしょうか?」


 ミルキットが、か細い声で発言した。

 それに答えたのは、リーチではなくウェルシーだった。


「その可能性は高いと思うよー、演説したことで彼の存在感も増しただろうし」

「ですがトイッツォが残っていますから、現状でサトゥーキが教皇になるのは難しいでしょうね」

「じゃあまた何かに拍子に、残りの枢機卿も蹴落とそうとか考えてるんじゃないかなー。あと気になるのはさ」


 ウェルシーは手帳のとあるページを眺めながら、記されたとある名前を指でなぞる。


「演説に同席してた女。他の連中は見知った顔ばっかりだったんだけど、彼女だけ情報が無かったんだよね」

「名前は?」


 リーチが問う。


「エキドナ・イペイラ」


 告げられた名前に、ぴくりと手元を震わせて反応したのは、エターナだった。

 様子の変わった彼女を見て、インクは不思議そうにその顔を覗き込む。

 エターナはちらりとガディオの顔を見た。

 すると彼は、殺気立った瞳で虚空を睨みつけていた。


「エキドナ……キマイラのリーダー……」


 低い声で、ガディオが言った。

 つまり――ティアや仲間たちの敵である。


「キマイラって確かー、シェオルから持ってきてくれた資料に書いてあったやつだよね」

「ああ、主に・・モンスターの肉体にコアを埋め込み、強力な兵器として運用するための研究だ」

「んー、となるとおかしいなー。他はサトゥーキと繋がりの深い人間ばっかりだったのに、なんでこのエキドナって女だけ研究絡みなんだろ。面倒を見てくれてたファーモを追放したのは、他でもないサトゥーキなのに」


 ファーモがいなくなれば、残るチルドレンはもちろん、キマイラだって教会内の立場が悪くなるはずだ。

 恨むことはあっても、恩を感じることなどないはず。

 しかも、演説に同席していたということは、エキドナという女はサトゥーキからの信頼も得ていた、ということになる。


「兵器……ひょっとするとサトゥーキは、リベンジでも仕掛けるつもりなのかもしれませんね」


 リーチが発言すると、視線が彼に集中した。

 フラムは首を傾げて尋ねる。


「リベンジ?」

「ええ、彼は現在の地位と地盤を父親から引き継ぎました。その父親というのが、人魔戦争の開戦に関わりがあるという話を聞いたことがあるんです」

「つまりキマイラを使って、魔族に復讐しようとしているってことですか?」

「あくまで私の勝手な想像ですが。ですがそのためには、彼が教皇並の権力を握る必要があります」


 それは――人の欲望である。

 少なくともサトゥーキの動きは、オリジンの意志とは別の方を向いているようにフラムには思えた。


「まあ、きな臭い動きはありますが、枢機卿二人が処分され、教会の信頼にも傷がついたわけですから、そこは素直に喜んでいいと思いますよ」


 フラムたちの行動は教会の弱体化させた。

 ネクロマンシーは消滅し、ファーモがいなくなったことでチルドレンも動きにくくなる。

 それは確かな事実なのである。


「というわけで、今日は豪華なディナーを手配してみたのですが、よろしければみなさんもどうでしょう」

「兄さん、私も参加していい!?」

「もちろんだ」

「やったー!」


 両手をあげ、歓喜するウェルシー。


「当然、ホスト側としてな」

「うわーん!」


 しかし即座に突き落とされ、両手を突き上げたまま顔だけが涙顔になった。

 彼女の陽気さに場の空気がなごみ、思わずくすりと笑うフラムたち。

 もちろん参加を辞退する理由などない。

 彼女たちは全員でパーティを楽しみ、夜まで騒いだ。

 ただし、ガディオだけは時折暗い表情を見せていたが……今はそっとしておくことしかできなかった。




 ◇◇◇




 夜も更け、フラムたちは家に戻った。

 ようやくネクロマンシーに関する事件が一段落し、肩の力が抜けた様子である。

 寝支度を終えると、それぞれの部屋に分かれ――インクはベッドの縁に腰掛け、なぜか背中からエターナに抱きしめられていた。

 そしてこれまたなぜか、エターナはしきりにインクの匂いを嗅いでいる。


「……エターナ、なにやってんの?」

「匂いを嗅いでる」

「その目的を聞いてんの!」

「癖になった」

「やっぱり変態だあぁー!」


 そう言いつつも、インクは抵抗したりしない。

 そんなことをしても無駄だと体で理解しているからである。

 エターナはこう見えて、かなり腕力が強い。

 本人は“フラムに比べればぜんぜん”と言っていたが、それでもか弱い一般人であるインクに比べれば天と地の差がある。


「シェオルでの一件から、エターナの距離感が近づいてる気がするのはあたしだけなのかなぁ」

「気のせいじゃないと思う、実際近づいてる」

「自覚あるんだ……」

「それは、寂しいから」


 蘇ったキンダーとクローディア。

 二人と過ごしたその時間は、紛い物だったかもしれない。

 だが、人格の完全なる再現が成功していたと言うのなら、それは“あり得ない”ものではない。

 もしもエターナが、二人と別れずに王都で暮らし続けていたら。

 もしもエターナが、二人が死ぬ前に彼らの元を訪れていたのなら。

 そんな可能性の再現。

 全てが嘘だった、と切り捨てるには、出来が良すぎる。


「その割には、容赦なかったよね」


 死体は跡形も残っていない。

 インクは音だけしか聞いていないが、エターナは自らの意志で、キンダーとクローディアが暴走を・・・始める前・・・・に彼らを消し去ったのだ。


「インクがいたから。生きた人間の声と匂いを思い出させてくれた。あとは……墓参りがよかったのかもしれない」

「どういうこと?」

「あの時点で、わたしはお父さんやお母さんとの別れを済ませていた。区切りがあった」


 だから、死を死として受け入れることができた。


「でも寂しいものは寂しいんだよね。その寂しさをあたしで埋めようとしてるんだよね?」

「そういうことになる」


 言いながら、エターナはインクを巻き込みながらベッドの上で横になった。


「ちょ、ちょっとお、強引すぎるってば!」


 気づけば、二人は正面から抱き合うような形になっていた。


「甘えんぼの五十歳児め」


 インクが、真正面で澄ました顔をしている魔女の額を、人差し指で小突く。

 本当にどちらが年上がわからないやり取りだ。

 だというのに、エターナはどこか得意げな顔で言い放つ。


「五十じゃない、六十歳児」

「余計ひどいじゃん!」


 そう突っ込まれると、エターナは楽しそうに笑い、釣られてインクもケラケラと笑った。

 彼女と話している間は思い出さずに済む。

 笑っている間は痛みも忘れられる。

 せめて傷跡が癒えるまでは。

 エターナが年下の少女に甘える日々は、しばらく続きそうである。




 ◇◇◇




 ファサッ、と包帯がベッドの上に落ちると、フラムはその感触を確かめるようにミルキットの微かに赤らむ頬に触れた。

 するとその上から柔らかく暖かい手のひらが重ねられ、二人はベッドの上に腰掛けて、いつものように・・・・・・・しばし見つめ合う。


「そういえばミルキットさ、シェオルで逃げてる時、何か言いかけてなかった?」


 ふと思い出し、フラムは問いかける。


「ああ、あれですか。私はずっと、ご主人様と自分の関係をどう呼ぶべきなのかわからなかったんです」

「パートナーじゃないの?」

「それも嬉しいんですが、もっと具体的に知りたいなと思っていまして」


 現状で納得していたフラムは、言われて初めて気づく。

 確かに、パートナーという言葉は、割と抽象的かもしれない。


「それで、ご主人様がいなくなったあとにダフィズさんと二人で話しているときに、ようやくその答えを見つけました」

「私もそれは気になるなあ、教えてくれる?」

「はい……」


 ミルキットは重ねていた手を、自らの胸に当てる。

 自然とフラムの手も離れ、体を支えるように布団に沈みこんだ。

 真っ直ぐに向けられる視線。

 出会ったときからミルキットの瞳の綺麗さは変わっていない。

 しかし、銀色の髪はツヤを取り戻し、肌の血色も良くなり、体も随分と女性的な丸みを帯びてきた。

 トータルで見て、あの頃よりずっと可愛らしくなった彼女を見て――フラムは思わず見惚れる。

 そんなミルキットの、桃色の唇が開いて言葉を紡いだ。


「私は、ご主人様のことを愛しています」


 満面の笑みで宣言され、フラムの思考が完全にストップする。

 愛している。

 愛ととは何か、ラブである。

 ラブとはつまり――パートナーはパートナーでも、夫婦的なパートナーになるわけで――


「ま、ままま、ま、まっ、まっ!」

「ま?」

「待って、待ってミルキット! ちょ、ちょっと、突然過ぎてご主人様の脳がついていけない!」


 ぼふっ、とフラムの顔が真っ赤に染まる。

 それを冷まそうと両手を頬に当てるが、すぐに手の方が熱くなってしまう。

 それでもオーバーヒートを起こす頭をどうにかしなければ、と枕に顔を突っ込んだ。

 自分のものではない、甘い香りが鼻腔をくすぐる。

 ミルキットの枕だった。

 さらに体温が上昇し、バクバクとビートを刻む心臓が熱い血液を全身に送り出す。


「ふひゃあんっ!」


 奇声をあげるフラムはすぐに顔を上げて、今度は布団に顔を突っ込む。

 突然壊れたおもちゃのような動きを始めた主に、ミルキットは戸惑いを隠せない。


「あの、私……そんなに変なことを言ってしまいましたか?」

「へ、変っていうか、いきなり、あ、ああ、愛とか言われて、びっくりしたっていうか」

「びっくり、ですか。ですが私のご主人様に対する想いは、愛が一番しっくり来ると思うんです」


 布団に顔を埋めたまま、視線だけをミルキットに向ける。

 フラムが一人で動揺しているのがアホに思えるほど、彼女は羞恥していない。


「……ん?」


 フラムは気づく。

 ひょっとして、ミルキットの言う“愛”とは――恋愛的なそれとは別物なのではないか、と。


「ねえミルキット、もしかしてさ……」

「は、はい」

「今の愛してるって、私と恋人になりたいとか、そういうのとは別のやつ?」

「こ、ここっ、こここっ、恋人、ですか!?」


 今度はミルキットが赤くなる番だ。

 ぼふん、といちごのように染まる頬。

 いや、それどころか耳や鎖骨のあたりまで紅潮する。


「ど、どうしてそんな結論に!?」

「いや、だって愛してるって普通はそういうときに使う言葉だから」

「そうだったんですか!? いや……そういえば、そう……です、よね……」


 徐々にトーンダウンしていく声。

 それに合わせるようにミルキットの体がふらりと横に傾き――そのまま横になる。

 そして両手で顔を覆い隠し、固まってしまった。


「そんなつもりでは……いえ、別に、好きではないというわけではなく、間違いなく好きなのですが……あれ、でも、だったらなんと言えば……」

「ま、まあ、愛と言っても色々あるもんね。ほら、家族愛とか、友愛とかさ! そういう意味では、確かに、私もミルキットのこと……」


 ミルキットだけに恥ずかしい思いをさせてはいけない。

 そう決意したフラムは、体を起こし、太ももの上に強く握った拳を置いて、緊張を隠しきれない表情で告げる。


「愛してる、よ?」


 しかしそれが家族愛かと言われれば、フラムは首を横に振るだろう。

 友愛とも違う、だったら何愛なのか――彼女もまた、その答えを知らないでいた。


「……ありがとう、ございます。ですが……ああ、本当に、言われる方が恥ずかしいですね」

「言う方も恥ずかしいから」

「ご主人様に恥ずかしい思いをさせてしまい面目ないです。でも、困りました……だったら私のこの気持ちは、どう伝えたらいいのでしょう」


 ようやく答えを得たと思ったのに。

 愛している、以外の言葉をミルキットはまだ知らない。

 フラムはそんな彼女に四つん這いで近づくと、顔を覆う手に触れた。


「ご主人様?」


 その感触に、ミルキットは指の間から様子を伺った。

 そこから見えたフラムの顔はまだ赤かったが、先ほどに比べるとかなり落ち着いた様子である。

 彼女はミルキットに笑いかけると、


「好きだよ、ミルキット」


 そう言った。

 どくん、と胸が高鳴り、同時に締め付けられるような感覚。

 けれど決して苦しくはなく、心地よいと感じる。


「うん、“好き”でいいんじゃない? 愛してるじゃさすがに重すぎるし、ね?」


 確かにそれなら、全く恥ずかしくないわけでもないが、気兼ねなく言える気がする。

 ミルキットの顔は相変わらず真っ赤なままで、フラムと違って落ち着きも取り戻せていない。

 だが、主の好意に応えるべく、視線を合わせて想いを伝える。


「えっと、それでは……私も、ご主人様のことが好きです」


 フラムは頷く。

 

「えへへ……」


 そしてはにかんだ。

 心が通じ合っているようで、それが無性に嬉しい。


「ふふ……」


 だから彼女も同じように微笑んで、また繰り返す。


「ご主人様のことが、大好きです」


 そう言った彼女にフラムは抱きついた。

 ただそれだけの言葉のやり取りが、幸せで幸せでしょうがない。

 家族に向けるものでもない。

 友人に対するものでもない。

 それは暖かく、心の奥底まで染み込んでいく、未知の感覚。

 液体のようで、けれど球体のように丸くもある。

 ミルキットと出会って初めて手に入れた、代わりのきかない宝物。

 自分の内側で、触れ合うたびに育っていく、きっと綺麗な花を咲かせる種だ。

 フラム自身も、その感情の名前をまだ知らないままだが――しばらくは今のままでもいい、そう思うのだった。




 ◇◇◇




 翌朝、一人の男が、西区のギルドを訪れた。

 まだフラムやガディオの姿はそこにはない。

 偶然にも早出だったイーラは、退屈そうにカウンターで肘をついていたが――彼がやってきたことで、一気に目が覚めた。

 背が高く、体型もスラッとした、緑髪のその男は、彼女でもよく知る有名人だったのだ。


「ライナス・レディアンツ……」


 ギルドを訪れたライナスは、白い歯を見せてイーラに微笑む。

 思わず胸を抑えて倒れそうになる彼女だったが、受付嬢としての役目がそれを許さない。


「なあ、ここのギルドにガディオがいるって聞いたんだが」

「マスターなら、まだ出てきていませんわ」


 好みど真ん中な男性を前に、猫をかぶるイーラ。


「やっぱそうか、早すぎたな……しかしあいつ、なんでまた西区のギルドマスターなんて引き受けたんだ?」

「それは……フラム・アプリコットがいたからではないでしょうか」

「あぁ? なんでフラムちゃんがここにいんだよ」

「そのあたりの事情は私も知りませんわ、なぜか頬に奴隷の印もありますし、厄介事にでも巻き込まれたのではないでしょうか?」

「……奴隷の印だって?」


 ライナスの表情が真剣なものに変わる。

 真面目な顔にもきゅんとするイーラだったが、彼はそれどころではなかった。

 フラムがいきなり田舎に帰ると言い出したとき、妙だとは思っていたのだ。

 しかしこれで、理由がようやくわかった。

 彼はカウンターから離れると、無言で出口へ向かう。


「あら? マスターはいいのですか?」

「あいつには俺が来たってことだけ伝えておいてくれ、別の用事ができた」


 そう言い残し、外へ出たライナス。


「あのアホが……やらかしやがったなァ!」


 石の地面を凹ませるほど強く蹴ると、目にも留まらぬ速度で移動を始める。

 すれ違った女性が、その衝撃波だけで転んだ。

 ライナスは足を止め、その人に手を差し伸べ謝ると、今度は屋根の上に移動した。

 そして障害物の無い高い場所を、まるで鳥が飛び回るように駆け抜けていく。

 彼の向かう先はもちろん――王城で呑気に研究に勤しむ、ジーン・インテージアホの部屋であった。





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