第30話 すれ違う記憶たち

 





 氷のように冷めきった表情で、サティルスの消えた方向を凝視するフラム。

 リーチは彼女の放つ殺気に若干気圧されながらも、恐る恐る肩に手を伸ばす。


「あの……フラムさん、大丈夫ですか?」


 とんとん、と指先で叩かれる感触。

 フラムはゆっくりと首の向きを戻し、リーチの方を見て――にっこりと笑った。


「ああ、ごめんなさい、少しぼーっとしてました」

「だったら、いいんですが。何だか、以前に会った時と比べると少し雰囲気が変わりましたね」


 最後にリーチと会ってから、色々なことがあった。

 まだ懐かしむほど日数は経っていないのだが、フラムには随分と昔のことのように思えてならない。


「あの時はまだ、揺れていましたから」

「揺れる?」

「自分の立ち位置が、といいますか。これから先どう生きていくべきなのか、よくわかっていなかったんです。ですが最近は少しずつそれが見えてきました」


 彼女は自分の手のひらを見つめながら言う。

 自分とミルキットが、この世界で平和に生きていくためにはどうするべきなのか。

 普通でいい、特別なものなんて何もいらない。

 本当は誰かを殺すのだって嫌だし、痛い思いをするのも、自分の体がバラバラになるのだって嫌で嫌で仕方ない。

 けれど、そうしなければ・・・・・・・

 他人の命をゴミのように扱う教会、彼らに対抗するためには、こちらも彼らの命をゴミのように斬り捨てなければならない。

 全ての元凶であるオリジン、彼に対抗するためには、身を削らなければ指先すら届かない。

 フラムは拳を握る。


「どんなに理不尽を嘆いても、それだけで相手が消えてくれるわけじゃない。だったら、それ以上の力で押し潰すしかないんですよね」

「確かに、弱者を守る強者など幻想ですからね。誰だって自分の都合を通したがるもの。もしキャストはそのままで、弱者と強者の立場が逆転したとしても、人は同じことを繰り返すでしょう」

「やっぱり、どちらかが消えることでしか解決できないんだと思います」


 かつての自分にはなかった力を実感しながら、さらに強く握りしめる。


「フラムさんは恩人です、言ってくだされば協力はします。ですから、くれぐれも一人で抱え込まないでくださいね」

「それは大丈夫ですよ、今の私には支えてくれる人たちがいますから。それに、リーチさんを巻き込むわけにもいきません」


 彼はあくまで商人だ。

 自分の利益のために教会に抗っているだけで、血を流して戦うほどの理由はない。

 そんな人を巻き込めるわけが――そう思い遠慮したフラムだったが、リーチは「今さらですね」と笑った。


「とっくに教会からは目をつけられていますよ、記者と手を組んで、色んな場所を嗅ぎ回ってますから」

「記者って……新聞の、ですか?」


 王都にはいくつかの新聞社がある。

 単純に起きた出来事を掲載していたり、冒険者向けだったり、教会の機関紙だったりと内容はさまざまだ。

 しかし、共通して言えることは、教会に敵対することはできないということ。

 印刷所が抑えられているのだから当然のことだ。

 だがどうやら、リーチの言っている記者とやらは、教会の手の及ばない場所にいるらしい。


「せっかくですし紹介しておきましょうか」

「え? いや、わざわざ呼んでいただかなくても……」

「すぐそこにいるんですよ、ウェルシー!」


 リーチが名前を呼ぶと、角からにゅっとハンチング帽をかぶった女性が顔を出す。

 タイトなスキニーがよく似合う彼女は、フラムに軽く手を振ると、小走りでこちらに近づいてきた。


「紹介します。彼女はウェルシー・マンキャシー、先ほどお話した手を組んでいる記者です」

「どーも、よろしくねーフラムちゃん」


 明るい表情で握手を求めてくる彼女だが、なぜあんな場所に隠れていたのか。

 おそらく、十中八九つけられていたのだろう。


「マンキャシーって……もしかして、妹さんですか?」

「ええ、お恥ずかしながら」

「兄さん、私の何が恥ずかしいってーの?」


 自分を睨みつける妹に、「そういうところだよ」とつぶやくリーチ。

 彼の砕けた口調を初めて聞いたフラムは、彼にちょっとした親近感を抱いた。


「こんな妹ですが、記者としてはなかなか優秀でして。サティルスが教会に薬草を流してるという情報を手に入れたのも、彼女なんですよ」

「教会に、薬草を? 禁じたがってるはずなのにどうして……」

「魔法では治せない病に、教会の幹部がかからないっつー保証もないから。ただし、量が量だし、兵士の士気をあげるための違法薬物の可能性もあれば、他の目的のためかもしんないけど」

「そのあたりを明かすことができれば、教会の力を弱めることができるのではないかと考えていまして。それが無理でも、交渉カードぐらいには使えますからね」


 さわやかに言うリーチだが、話の内容はなかなかに悪どい。

 さすがに、実力でここまでのしあがってきただけはある、ただの良い人ではないということか。


「そういや兄さん、あの夫婦を待たせてるんじゃないの?」

「ん? ああ、確かにそうだったな……申し訳ありません、実はついさっき、フラムさんに渡したあの家の、元の持ち主だった夫妻が訪ねてきまして」

「もしかして、返せとか言うのでは……?」

「いえいえ、とっくにあの家はフラムさんのものですから。と言うか、私も驚いたんですよ。彼らは相当な高齢なはずですからね、こう言っては失礼ですが、まさかまだご存命だとは」


 前の持ち主――フラムとしてはかなり気になる話だが、急いでいる彼を止めるわけにもいかない。


「というわけで、今日はこのあたりで失礼いたします。ウェルシー、名刺を」

「はいはいー、っと。最近はサティルスを追っかけてることが多いからさー、何かいい情報あったらうちの会社まで来てよ」


 ウェルシーはそう言って、手のひらサイズのカードを差し出す。

 何も考えずに受け取ったフラムだったが、そこには何も書かれていない。

 首を傾げる彼女を見ると、ウェルシーは微笑みながら魔法を発動させた。


「バーンプロジェクション」


 するとカードの表面が焦げ、文字を描いていく。

 会社名に、住所、“新聞記者”という肩書き、フルネーム――最後は空いたスペースに自らの似顔絵を添えて。

 いや、精巧すぎて、似顔絵と言うよりは模写と言った方が良さそうだ。


「文字や絵も書けるし、目に映った光景をそのまま紙に残すこともできる。世界から真実を切り取る新聞記者、ウェルシー・マンキャシーを今後もよろしくねー」


 お決まりのセリフなのか、彼女は満足げにそう言い残すと、リーチとともにフラムの前を去っていった。

 一人残されたフラムの手元には、名刺だけが残った。

 彼女は、すっかり暗くなった空にそれをかざすと、薄っすらと見える文字をじっと観察する。


「新聞記者、か……」


 果たして、ペンの力でどこまで教会の暴力に抗えるのか。

 未知数ではあるが、味方が増えるのは心強い。

 フラムは名刺を懐にしまい込むと、今度こそ自宅へ戻っていった。




 ◇◇◇




 ミルキットがジョウロを傾けると、先端から水が流れ、家の前に置かれたプランターの土を潤していく。

 水やりを終えると、彼女はしゃがみ込み、かわいらしく咲いた桃色の花を見つめた。

 ミルキットが近所のおばさんから貰ったものだ。

 顔を包帯で覆った彼女にも良くしてくれる優しい女性で、最近ではたまにお互いにおかずを融通しあったりもしている。

 最初は蕾すら付けていなかったが、昨日の朝に綺麗な花が咲いた。

 小さな達成感が、彼女の胸を満たす。

 フラムと出会う前には抱いたことのない感情である。

 心地よい――劇的でも鮮烈でもないが、緩やかで落ち着いた暖かさが、ミルキットの心を健全に癒やしていく。


 家の中からは、微かに夕食の香りが漂ってくる。

 今日のメニューは、バジリスク肉とキノコのトマト煮込みに、ポップ豆のポタージュとシーザーサラダ。

 デザートには、タゴールという、王都ではスタンダードな柑橘果物を用意してある。

 果実自体は拳大で他の柑橘とそう変わらないが、粒が大きく、香りも強く、噛むと爽やかな匂いが鼻に抜けるのが特徴的だ。

 また、酸味は弱めで味にクセがないため、タゴールが嫌いという人はあまり見かけない。


 まだ完成はしていない。

 夕食の仕上げは、彼女が帰ってきてからにしようと思った。

 別に、なかなか帰ってこないから、待ち遠しくて外に出てしまったわけではない――ふとそんな言い訳をしている自分に気づいて、なんだか恥ずかしくなった。


 ミルキットは自分の胸に手を当てた。

 柔らかな感触がそこにはある。

 フラムと出会う前の自分にはなかったもの。

 この家で暮らすようになってから、ミルキットの体は少しずつふくよかになっている。

 そのたびに主が嬉しそうにするので、ついつい彼女は食べすぎてしまうのだ。

 だから少し控えめに――と、今重要なのはそこではない。


 手を当てた、肌のさらに向こう、奥底にある、暖かな感触。

 おそらく悪いのは、こいつなのだ。

 フラムの帰りが待ち遠しくて外に出てしまったのも、言い訳して恥ずかしくなったのも、そして心音をうるさくしているのも、全てこいつのせい。

 その名も知らぬ感情は、日に日に大きくなっている。

 いつかフラムはその気持ちを“信用”と呼ぶのだと教えてくれたが、とっくにそれは通り過ぎているような気がする。

 主と奴隷の関係――と呼ぼうにも、今までの主にこんな気持ちを抱いたことはなかった、つまりとうの昔に追い越している。

 だったら、こいつは、一体なんなのだろう。

 いつまでも出ない答えに、ミルキットがぼーっと考え込んでいると、


「ただいま、ミルキット」


 彼女の両頬を、暖かな手のひらが包み込んだ。

 上を見ると、そこには白い歯を見せた、フラムの笑顔があった。

 色々と考えたいことはあったが、それより彼女は、頬を緩めて「おかえりなさい、ご主人様」と返事をすることを優先する。


「ごめんね、遅くなっちゃって。夕食の準備、何か手伝えることある?」

「あとは仕上げだけですので、そこだけやってもらえれば」

「りょーかい。ちゃちゃっと終わらせて、空腹でうるさいお腹を、世界一美味しいミルキットのご飯で黙らせなくちゃね」

「ふふ、ご期待にそえるかはわかりませんが」


 そんなやり取りを交わして、二人は手を繋いで家に入っていく。

 柔らかな幸福で包まれていたその空間は、玄関ドアが閉まった瞬間に、また無機質で冷たい石畳の景色に戻る。


 誰もいなくなったそこに、一人の大柄な男が通り掛かる。

 彼はフラムの家の前で一旦足を止め、観察すると、「ふん」と鼻を鳴らして立ち去るのだった。




 ◇◇◇




 ――それは五十年前、王国がまだ人体実験を始めたばかりの頃の話。

 彼らの最初の目的は、寿命、魔力ともに人間を凌駕する魔族を人工的に作り出すことだった。

 被験体は、貧民街の身寄りのない子供を拉致することで賄われた。

 彼らは、様々な手術を受け、毎日得体の知れない薬を投与される。

 命を落とす者も少なくない、身も心も人間とかけ離れた姿になり、壊れてしまった子供だっていた。


 当時、エターナはまだ十歳にも満たぬ子供である。

 両親の顔も知らず、貧民街で暮らしていた少女は、幼いながらも欲望と暴力が飛び交う場所で生きてきた。

 徹底的に他人を信用しない、だからこそ生き残ってきた。

 しかしある日、突然に拉致されてしまった。


 “e211-Nα”、それが研究施設で彼女に与えられた名前である。

 当時の名残で、今でも横腹のあたりに型番・・のタトゥーが刻まれている。

 物扱いされるのは、別に嫌だとは思わなかった。

 元々持っていた名前だって、見知らぬ誰かから与えられた、個体識別番号のようなものだったからだ。

 それが文字から数字に変わっただけ。


『それなら、今日から君はエターナだよ』


 しかし、彼――キンダー・リンバウと、その妻であるクローディア・リンバウは、被験者たちが数字と記号で呼ばれることを善しとしなかった。

 みなに名前を付け、実験に巻き込んでしまったことの償いをするかのように優しく接してきた。

 誰もが最初は警戒する。

 ただの偽善者だ、油断させたところで暴力を振るうに違いない。

 いや……むしろ、そうあって欲しいと願っていた部分すらあった。

 この世界に優しい場所なんてない、そう思い込むことで、子供たちは自分らの悲惨を受け入れてきたからだ。

 しかし、期待・・は裏切られる。

 少なくともキンダーとクローディアは本当に善人で、三ヶ月も経つと少しずつ心を開き、誰もが――そう、エターナまでもが、二人のことを“お父さん”、“お母さん”と呼ぶようになっていったのである。


 エターナたちは実験の時以外、用意された寮での共同生活を強いられた。

 食事は十分に与えられ、個別の部屋があり、暇になれば、監視役であるキンダーとクローディアが構ってくれる。

 実験は恐ろしかったが、貧民街で孤独に生きていた頃よりも、日々は充実していた。

 人間らしい生活を送っている、そんな実感があった。


『お父さんお母さん、見て見てっ! 魔法でお花作ったの!』


 エターナが手をかざすと、水が薄い膜を張り、無数の大輪の花を咲かせる。

 光が部屋の明かりを反射し、幻想的な風景を作り出した。

 キンダーとクローディアは得意げなエターナを賞賛し、笑いながら惜しみない拍手を送った。

 同世代の子供とは比べ物にならないほど高い魔力、そして精密な制御を可能にする技術の高さ。

 彼女がその段階に達した頃、その家に住む生き残りは、すでにエターナだけになっていた。


 人工的に魔族を作り出すという研究は、奇跡的に成功した。

 魔力の向上、そして成長の鈍化。

 肌の色こそ人間のままだが、魔族同様の特性を手に入れたエターナ。

 しかし、その成功例の少なさと再現性の低さにより、プロジェクトは打ち切られることとなる。

 残る被験体を破棄し、直ちに新プロジェクトに合流せよ――キンダーとクローディアに、そんな無慈悲な命令が下された。


『できるわけがないだろう!? エターナは僕たちの子供だ、血は繋がっていなくても家族だったんだ……!』


 彼はエターナに命令の全てを告白したあと、呆然と立ち尽くす彼女を強く抱きしめた。


『今のエターナには、まっとうに生きていけるだけの力があるはずよ。一人になっても大丈夫よね?』


 選択する。

 例え王国に逆らうことになったとしても――エターナを逃してみせる、と。

 そしてある日の夜、二人は彼女を荷馬車に忍び込ませ、王都から脱走させた。


「……ターナ?」


 その後、キンダーとクローディアがどうなったのか、エターナは知らない。

 彼女は山奥でひっそりと暮らしながら、魔法の技術や、研究所で見聞きした薬草や人体に関する知識を高めていった。


「ねえ、エ……ナ……てるの?」


 そのまま五十年もの月日が過ぎたが、エターナの体はせいぜい十代半ばの少女程度にしか成長しなかった。

 魔族に近い状態なのだから、実際、老化も鈍くなっているのだろう。

 彼女はいつの間にか、麓の村で山奥に住む魔女、と噂をされるようになっていた。

 別に悪さをするわけではない。

 迷い込んだ人々に怪しげな薬を飲ませて、よくわからないうちに健康にされる――という優しい魔女の噂である。

 そんな彼女の元に、王国からの使者がやってきたのは――


「エターナ、そろそろ起きないと夕食の時間だよ」


 ようやく届いたインクの声。

 エターナは机に突っ伏した状態から顔をあげると、ぼんやりとした表情でベッドの方を見た。

 インクは上半身を起こして、呆れた表情をしていた。

 何度も何度も呼びかけたのだろう。

 彼女は相変わらずフラムから借りた一回り大きなサイズのシャツを着ており、さっきまで横になっていたせいか、黒く長い髪が少しぼさっとしている。


「寝てた?」

「すっごい寝てた、熟睡だった」

「それは面目ない」

「あと、お父さんとかお母さんって言ってた」

「……そう」


 エターナはあくまでいつもと変わらぬ調子で相槌をうつと、腕で目元をこすった。

 そして二、三度まばたきをして視界をクリアにすると、「ふぅ」と一息つく。


「エターナにも両親とかいたんだね」


 本当の両親の顔もしらないインクは、何気なくそう尋ねた。


「わたしだって人間、親ぐらいいる……と、言いたい所だけど、本当の親の顔は知らない」

「え、そうなの? じゃあ、あたしと一緒なんだ」

「王国で人体実験を受けてたってことも、いっしょ」


 これにはさすがにインクも驚いた表情だ。


「知らなかった……」

「誰にも言ってないから。わたしは何十年も前に、王国で実験を受けてた。その当時、わたしを含めた被検体が住んでいたのが、この家」

「そういえば、フラムたちがここに来た時、エターナが不法侵入してたとか言ってたけど……」

「その頃に使ってたのがこの部屋だったから、懐かしくて、つい」


 “つい”でも犯罪は犯罪である。

 だが、ただ何の意味もなく入り込んだわけじゃなかったことがわかったのだ――インクの中でのエターナに対する印象が、かなり変人から普通の変人ぐらいに修正される。


「っていうか、さ。さっき何十年も前とか言ってたけど……」

「うん、言った」

「エターナって何歳なの? 声からして、フラムとあんまり変わらないぐらいだと思ってた」


 それは当然の疑問であった。

 インクは彼女の姿を見ることはできないが、仮に見ていたとしたら、もっと困惑したに違いない。

 見た目も声も、十代半ばほどの少女そのものなのだから。


「わからない。いつ生まれたのかもしらないから。たぶん六十ぐらい?」

「エターナおばあちゃん!」

「それはわたしでも傷つくからやめてほしい」


 自分が長寿である自覚がある彼女でも、おばあちゃん扱いされるのは嫌らしい。

 肩を落とし大きく息を吐くエターナ。

 吐息の音を聞いて、インクはいたずらっ子のようにケラケラと笑う。


「でも、エターナがその年齢ってことは、お父さんとお母さんって人たちは、もういないのかな」

「魔王討伐の依頼を受けたのは、その確認のためでもあった。旅に出る前、王都に来る途中、二人が最後に住んでたという町に行って……墓参りは、済ませてある」

「そっか。娘の元気な姿を見て、二人とも喜んでるんじゃないかな」

「そうだといい」


 目を瞑ると、今でもキンダーとクローディア、二人の思い出が蘇る。

 この家にいるとなおさらだ。

 顔を合わせることができなかったのは残念だが――天寿を全うしたというのなら、悲しむことはなにもない。


「エターナさーん、お夕飯できましたよー!」


 下からフラムの大きな声が聞こえてくる。


「だってよ」

「行ってくる。インクの分はあとで持ってくるから」

「ん、楽しみにしてるから」


 インクはにこりと笑って、エターナを見送った。

 彼女はまだ部屋から出ることができない。

 見たところ、すっかり元気にはなっているように見えるが、まだまだ予断は許さない状況なのだ。


 何かがあったときのために、エターナは自分の肩のあたりに浮いていた球体を一つ、部屋に置いていく。

 異常を察知すると、もう一つの球体がそれを知らせる仕組みだ。

 準備を終えると、彼女は今度こそ部屋を出た。


 トマト煮込みの食欲をそそる匂いが、二階の廊下にまで立ち込めている。

 くぅと可愛らしく鳴るお腹に手を当てながら、エターナは階段を降りていった。





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