第22話 闇夜を砕く

 





 フラムから、時間感覚は完全に失われていた。

 頭を抱え、まばたきもせずに床を見つめたまま、いったいどれだけの時間が経ったのか。

 永遠にも思えるほど長い時間だったが、実際には数時間程度なのだろう。

 まだ夜は明けない、座り込んだ廊下は暗いままだ。

 口の中はカラカラで、もう汗も流れない。

 体は水分を求めていたが、立ち上がり、キッチンに向かうだけの力は無かった。


 ガタンッ。


 フラムの後ろで、ドアが揺れた。

 ガチャガチャとノブが捻られ、何度も背中にぶつかる。


「あ、あれ? 開かない、なんでだろ。鍵はかけてないはずなんだけど……」


 中から聞こえてきたのは、インクの声だ。

 フラムはびくっと体を震わせる。

 退くべきだろうか。

 退いて、彼女と対面して、どうする。

 ああ、そんなのは決まっている。

 インクは、研究所で見たあの化物と、同じ存在なのだ。

 だったら――だったら――


「わっ、開いた。あれ、誰かそこに居るの?」


 ドアの前から離れたフラムは、右膝を付き、しゃがみこんだ体勢で魂喰いを呼び出した。

 黒い刃の先端は、彼女の方を向いている。


「はぁ……はぁ……はぁ……」

「息遣いだけ聞こえる。フラムなのかな? ねえ、黙ってないで何か言ってよ」


 顔は――普通の、いつも通りのインクだった。

 条件がある? 意図的に変えられる?

 わからない、もう何も信じられない。

 でも、さっき見たあの光景だけは、確かな事実だ。

 インクの顔が渦巻き、眼球を吐き出すあの、悪夢のような光景は――

 セーラが居なくなった。

 ミルキットとエターナが帰ってこなかった。

 他にも、人が、何人も死んだ。

 それが、インクの手によって行われたことだとするのなら。


 フラムは立ち上がる。

 剣を持ち上げ、握る両手に力を込める。

 あとは振り下ろせば。

 振り下ろせば――死ぬのだろうか。

 いや、彼女が本当にアレ・・と同じだと言うのなら、傷口が渦巻いて、コアが潰れるまで死なないはず。

 コアはどこにある、心臓だろうか、それとも別の場所に?

 それをはっきりさせるために、まずは、彼女の体を切断して――切断、して……!


「そこにいるんでしょ? おかえりフラム。ごめんね、あたし寝ちゃってたみたいで。気づいたら2階に居たんだけど、寝ぼけてたのかな。前からよくあるんだよね、だからみんなにも“お前は寝相が悪すぎる”ってよく怒られてたの」

「……っ、ふ……」

「もうフラム、イタズラのつもり? あたし、耳はいいんだから、ちゃんと聞こえてるよ。なんだったら、こんだけ静かなら心臓の音だって聞こえるんだから」


 インクは、変わらない調子でフラムに話しかけてくる。

 殺すのか。殺せるのか、この子を。

 ひょっとすると、さっき見た姿は、インクとは全くの別人だったのかもしれない。

 そう、すり替わっていたんだ。

 彼女が眠っている隙にあいつは現れて、入れ替わって、そしてフラムを驚かせるためにわざと姿を現した。

 そう考えれば辻褄は合う。

 合うのだが――合ったからと言って、それが何だと言うのか。


「インク……」


 ついに、フラムは名前を呼んでしまった。

 インクはほっとした表情を浮かべ、すぐに頬を膨らまして怒った。


「やっと反応してくれた。フラムじゃなかったらどうしようと思って不安になってたんだからね?」


 彼女は年相応の、人間らしい表情を見せる。

 人、だ。

 これが人でないのなら、一体何だと言うのだろう。

 いっそ化物になったまま戻らなければいいのに、どうして人の姿を取るのか。

 フラムを追い詰めるため、あるいは油断させるため。

 けど、それが理由なら、とっとと一緒に暮らしている間に殺せばいいだけだ。

 そうしなかったのは、なぜ。

 なぜ、なぜ、なぜ。

 何もかもがわからない、考えても答えは出ない、受け入れられない。


「でもその感じだと、2人は見つからなかったんだね。残念だったけど、明日、明るくなったら帰ってくるかも――」

「ねえインク、覚えてないの?」


 だから、問いかけた。

 絶望の匣に、自ら手を伸ばした。

 インクは首を傾げる。


「何を?」


 フラムは乾いた喉から声を絞り出す。


「自分が……眼球を、吐き出す、化物になってたことを」

「……なに、それ。フラム、いくら冗談にしてもそれはひどいよ!」

「違うっ! 冗談なんかじゃない、幻でもない。さっき、たった今、インクは私の目の前で確かに化物になってたの! 私は見たの!」


 2人しか居ない家に、フラムの悲痛な声が響く。

 その音は、微かに外にまで漏れていた。


「フ、フラム、そんなわけ……」

「ある。見間違えなんかじゃない。音もしたし、匂いも嗅いだし、温度だって覚えてる! あの時、インクは間違いなく人間じゃなかった。目玉を吐き出す化物だった! ねえ本当の事を教えて。インクはなんなの? どこから来たのっ!?」


 フラムの声色から、彼女が本気だということを悟ったのだろう。

 インクは「違う、違う」と何度もつぶやき、首を横に振った。

 そして手で壁の位置を確認し、フラムから少しずつ離れていく。


「あたしは、人間だもん」

「違う、人間じゃない」


 即答で否定する。

 どちらかが嘘をついているわけではない。

 互いに、そう確信しているからこそ対立するのだ。


「人間だよぉ……」

「あの眼球で、セーラを追い詰めた」

「ち、違う、あたしじゃない……っ!」

「何人もの人が犠牲になったッ」


 フラムが怒り混じりに吐き捨てる。

 インクは、向けられる、信じていた相手からの突然の憎悪に、困惑するしかない。

 だが――彼女は理不尽だとは思わなかった。

 “もしかしたら、そうなのかもしれない”。

 その予感があったから、だから、余計にフラムの言葉が突き刺さる。


「知らない、知らないっ!」

「そしてミルキットと、エターナさんも戻ってこなくなったの!」

「違う、違う、違うっ! 何で信じてくれないのぉっ!?」

「見たからに決まってんじゃないッ! あんなもの見せつけられて、どうやってインクの言葉を信じろって言うの!?」


 フラムだって、できることならこんなことは言いたくなかった。

 信じられるなら、いつまでも信じていたかった。

 そう望むなら、フラムとミルキットが出会って互いに居場所を得たように、インクの居場所になってもいいと、そう思っていた。

 けれど――崩れたのだ、もう、とっくに、全てが。


「あたしは……化物なんかじゃない、化物なんかじゃないッ!」


 そう言って、インクは階段を駆け下りていく。

 途中で躓いて、1階まで転げ落ちた。

 全身がずきずき痛む。

 閉じられた瞳から涙が零れた。

 それをシャツで――フラムから借りた、彼女の甘い匂いがちょっとするシャツで、拭う。

 過ごした数日の記憶が蘇って、余計に悲しくなった。

 その悲しみを糧に立ち上がって、廊下を走り、何度も壁に肩を打ち付け、よろめきながら玄関にたどり着き――裸足のまま外に出た。

 夜の冷たい空気が、“お前は孤独だ”と告げているようだ。




 フラムは――そんなインクを、止めることすらしなかった。

 魂食いがゴトンと手からこぼれ落ち、彼女自身も崩れ落ちる。

 膝立ちの体勢になると、目を閉じたまま上を向いた。

 インク同様に、フラムだって泣いている。

 何の涙なのかは本人にだってわからない。

 色んな――とにかく様々な嘆きが混ざりあって、それが具現化して雫になっている。


「っ……あぁぁぁああああっ! あぁっ、ああぁっ、あぁぁあああっ!」


 行き場のない感情を咆哮に変え、狂ったように叫んだ。

 両手で頭を抱え、額を床に擦り付ける。

 そしてまた、叫ぶ。

 ガンガンと何度もその額を床にぶつけ、血が滲むほどそれを繰り返し、痛みで自らを罰する。

 そしてまた、枯れた声で、叫ぶ。




 そこから離れようとしていたインクは、家の中から聞こえてきた声に、思わず足を止めた。

 嘆いているのは、自分だけではない。

 苦しんでいるのは、自分だけではない。

 嘘偽り無く、泡沫でもなく、その叫声にこもる感情には、確かな形が――“実感”がある。

 すなわち、嘘ではない。

 夢でもない。

 インクは確信する。

 きっと、フラムは自分が化物になった姿を、本当に見たのだろう、と。


「ふっ……ぐ、う……うぅ……っ」


 インクは唇を噛み、肩を震わせ、嗚咽を漏らす。

 そんなこと、ありえないと思いたい。

 けれど、自分が育ってきたあの施設が、普通で無いこともわかる。

 自分はあそこで何をされていたのか、何のために育てられてきたのか、彼女は何も知らされていない。

 役立たずで、仲間はずれだったからだ。

 けど、こんなことになるなら、嫌になって逃げ出したりしなければよかった。

 知らないまま、箱庭の中で家畜として生き続けたかった。

 そしたら、人並みの幸せなんて手に入らなかったもしれない。

 でも――こんな苦しみを、味わうことも無かったのだから。


「フラ……んぐっ!?」


 もう一度家に戻ろうと、一歩踏み出したインクを――何者かが背後から羽交い締めにし、口をおさえる。

 手の大きさ、力の強さからして男性だろうか。

 インクはもがき、抵抗したが、逃げられそうにない。

 しかし手が口から離れた一瞬、必死で声をあげた。




 額を床に当てたまま、放心状態で座り込んでいたフラムの耳に、


「いやっ――!」


 インクの叫び声が飛び込んでくる。

 すぐに途切れてしまったが、聞き間違いではない。

 誰かに襲われているのだろうか。

 助けなければ――反射的にそう思い、立ち上がる。

 しかしその場で足を止めた。


「は……ぁ……助けて……どうする、つもりなんだろ」


 追い出しておいて、化け物扱いしておいて、今更。


「……ああ」


 鎌首をもたげる、偽物の正義心。

 そいつはこう言うのだ。


「それ、でも」


 ミルキットはここに居ないのに、英雄ぶってどうなるというのか。

 フラムにもわからない。

 けれど、押さえ込めそうには無い。


「それでも……助けなきゃ、きっと私は後悔する……!」


 理屈抜きに、そう思ってしまった。

 だったら、後先なんて考えてはいけない。

 そんなもの、終わった後に考えればいいことだ。

 今は、生かすにしても……殺すにしても、選択の余地を残すために、インクを救う。


 フラムが階段を駆け下りると、床に落ちていた魂喰いは粒子となり、彼女の手のひらに印が浮かび上がる。

 1階の廊下につくと、彼女は全力疾走で直線の廊下を疾走し、外に飛び出した。

 跳躍と同時に光の粒子が足を包み、エピックのレザーブーツを装着。

 そしてザザッ、と滑りながら着地し、左右を確認した。

 インクの姿は――あった、大柄の男に羽交い締めにされている。


「インクッ!」

「おっとぉ、やっぱ出てきたか」

「あんた……デインッ! なんでここに!?」

「なんでって、そりゃあこの逃げ出したモルモットを探すために決まってんだろ? ここに居るんじゃないかって、んな気がしてたが、やっぱ僕の予感通りだったらしい。さすが僕だ、冴えてるよなぁ」


 そう言うと、デインは腕に力を入れてインクの体を更に締め上げた。

 彼女は苦しそうにもがく。


「インクを離しなさいッ!」

「やなこった、僕にも事情ってもんがあるんでね。それによお、こいつが1人で飛び出してきたってことは、喧嘩でもしたんだろ? わかる、わかるぜ、どうせお前がこいつに“化物めー!”とか言ったんだろうなあ。ああ、かわいそうに、まあ事実だけどな、ひゃはははっ!」

「っ……あんたはあぁぁぁぁああっ!」

「おお怖い、図星だったか」


 怖いと言いながら、デインは余裕の表情だ。


「なあフラム、なんでこいつが出来損ないとか役立たずって言われてたか知ってるか?」

「知らないし知りたいとも思わない!」

「まあ聞けよ。こいつはさ、知っての通り自分が化物で人殺しだっていう自覚が無いんだ。なぜかわかるか?」

「んうぅっ……!」


 化物。人殺し。

 それらの言葉に、インクは少し俯きながら、首を振って反応した。

 信じたくないのだろう。

 だがデインは構わず――いや、むしろ嬉しそうに、インクの真実を語っていく。


「それは、オリジンの力が発現するのが“深い睡眠状態”にある時だけだからだ。意識を手放した時だけ肉体がオリジンの力に支配されるって寸法だ。お前の家に泊まってる間も、全員が寝静まった時間にあの気持ち悪ぃ顔面から自動防衛機能を持ったお優しい眼球を産み出してたんじゃねえの? それがフラムぅ、お前のお友達や保護者に奴隷まで追い詰めてるってんだから、滑稽な話だよなぁ、あははははははっ!」

「あんた、ミルキットとエターナさんのことを知ってるの!?」

「知ってるも何も、あの2人に眼球をけしかけたのは僕だからさ。今ごろどっかであの気色悪い肉の塊になってる頃だろうなぁ!」

「――ッ! 殺す、あんただけは絶対に殺してやるうぅぅうッ!」


 剣を抜き、デインに突撃するフラム。


「おっと、僕は脱走した化物を送り届ける役目がある。足止めはこいつらに頼むぜ」


 デインが合図をすると、待機していた男たちが物陰からぬるりと現れる。

 全員が死んだような顔をしている。

 おそらく教会に何らかの処置をされたのだろう。

 哀れな。

 ずっとデインを信じて付いてきた仲間だろうに、奉仕の末に待っていたのが、自意識を奪われて道具扱いとは。


「雇い主にフラム・アプリコットは殺すなって言われてるから……まあ、僕としては殺したいからどっちでもいいんだが、一応警告しといてやる」

「……警告?」

「ああ、僕なりの優しさだよ。そいつらには手を出すな・・・・・。逃げ惑え、そして僕を追おうと思うな。なぜならそいつらは、とっくに教会側の人間だからだ」

「命乞いのつもり?」

「はははっ、そんなんじゃねえよ! 僕はお前のことを思って言ってんだぜ? その目を見る限り、自制できそうにねえけどな。じゃ、せいぜい生き残れるよう頑張るんだな」

「んぐうぅぅっ!」


 そう言って、デインはインクを抱えて逃げていく。

 彼女は助けを求めるように、フラムに向かって手を伸ばした。


「インクウゥゥゥゥッ!」


 フラムは彼女の名を叫び、前に出ようとする。

 だがそこに、デインの手下たちが立ちはだかった。

 短剣、槍、鈍器――様々な近接武器を手にフラムを囲む男の人数は10人ほど。

 さらには離れた場所や屋根の上に、弓やボウガン、スリングを構えた男もいる。

 少女1人を相手にするには、過剰すぎる戦力だ。

 彼らの実力を、フラムは一番近くの男をスキャンして確認する。




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 ゴージン・トーレス


 属性:火


 筋力:611

 魔力:422

 体力:580

 敏捷:412

 感覚:457


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 計2482――Cランク最上位の実力。

 かなりできる冒険者だ、この男がリーダー格だろうか。

 念のため、さらに別の男にもスキャンをかける。




--------------------


 ゴージン・トーレス


 属性:火


 筋力:611

 魔力:422

 体力:580

 敏捷:412

 感覚:457


--------------------




「全く、同じ?」


 そんなことがあり得るのだろうか。

 同姓同名ならともかく、属性もステータスも全て一致するなんてことが。

 次は隣の男にスキャンをかけると――




--------------------


 ゴージン・トーレス


 属性:火


 筋力:611

 魔力:422

 体力:580

 敏捷:412

 感覚:457


--------------------




 また、同じだった。

 つまりフラムを囲むデインの部下は、全員が姿が違うだけの全く同じ能力を持つ人間ということになる。

 こうも露骨だと、もうフラムも驚きはしない。


「これも教会の仕業ってわけ」


 十中八九、コアの力だろう。

 デインは教会の一員となるために、仲間を売った。

 見ればわかる、おそらくもう彼らに自意識はない。

 望んで、このような状態になる人間が居るものか。


 ギリ……とフラムは歯ぎしりをした。

 罪のない人間とは言わない。

 しかし、彼らは彼らなりにデインを慕っていたはずなのだ。

 それを保身のために裏切るなどと――


「許せない、何もかも……!」


 怒りを力に変えて、フラムは地面を蹴り、前方の男たちに接近した。

 対多人数の戦闘など初めての経験だ。

 相手は自分より少し力が劣る程度の冒険者たち、人数差を考えると勝てるわけがない。

 アドバンテージを――肉体の再生と反転の魔法を最大限に活かさねば、可能性は見えてこないだろう。

 そして、圧倒的不利な状況を変えるため、まずは確実に一人ずつ数を減らしていく。


 フォンッ!


 抜いた魂喰いを、横一文字に凪いだ。

 範囲内に居た男たちが、全く同時にバックステップで避ける。

 フラムが剣を振り切ったその時、上の方からパシュッという小さな音が聞こえた。

 放たれた矢を視界の端で確認、足を目掛けてそれに合わせて魔力を集める。

 そして矢の先端が足に接触し、鋭い痛みが走ったその瞬間に合わせて――


「リヴァーサルッ!」


 魔法を発動する。

 すると矢は向きを変え、それを放った本人に向けて射出された。

 男は体を捻り、それを回避する。

 フラムは「ちっ」と思わず舌打ちした。

 うまくいけば1人仕留められるはずだったのに。


 あらかじめ、そう来るだろうとわかっていたからこその、反転魔法。

 これが不意打ちならうまく行かなかっただろう。


 すぐに気持ちを切り替える。

 真正面、槍を持った男が後退と同時に槍を突き出し、体を狙う。

 ザシュッ!

 フラムはそれをあえて受けた。

 リーチの長さの有利不利は覆らない、肉を切らせて骨を断ち、強引に近づくしか無いのだ。

 鋭い穂が肩に突き刺さる。

 血が吹き出し、熱した鉄の塊を埋め込まれたような、強烈な痛みがフラムを襲った。

 彼女は一瞬、痛みに表情を歪めたが、息を吐いて意識を留める。

 すぐに引き抜かれないよう槍の柄を掴み、力づくで獲物を奪い取る。

 槍が男の手から離れたのを確認すると、それをすぐさま地面に投げ捨てた。

 両サイドから同時に剣を持った男が襲い掛かってくる、背後からも別の槍が迫る。

 前進するしかない。

 降り注ぐ刃の合間をくぐり抜け、素手になった男に剣を振るう。

 まだ踏み込みが甘い、これも避けられるはず、だから次を――そう考えていたフラムだったが、


「ふッ!」


 男はあろうことか自ら接近し、その拳に捻りを加えて腹部に叩き込んだ。


「が……はっ!?」


 ドゴォッ!

 強い衝撃に内臓が揺さぶられ、口から肺の空気が全て吐き出される。

 あまりに手練た動き――槍が本命ではなかった?

 いや、その前の動きだって、素人のそれではなかったはずだ。

 格闘技と槍をどちらも極めて……そんな男が、デイン一派の下っ端という立場に甘んじるものだろうか。

 フラムの脳裏に、1つの可能性が浮かぶ。

 まさか彼らは、能力だけでなく、技量まで共有しているのではないか――と。


 よろめく彼女の背中を、別の男が串刺しにする。

 素早く引き抜かれ、すぐさま次の一撃。


「あぐぅっ」


 加えて、右側から男が迫り、首を落とさんと剣を振り下ろす。

 フラムは右手でそれを防ぐも、防いだ部位が切断され地面に落ちる。


「い、ぎいぃい……っ!」


 さらに前方から矢が飛来し、肩に突き刺さった。

 左の屋根の上からは火球が放たれ、彼女の左足に着弾すると同時に炸裂、肉を抉り、その衝撃に体が右側に転倒する。


「う……ぐっ……ぁ……!」


 体のあらゆる部分から脳に叩き込まれる痛みが、体の自由を奪っていく。

 力の差は、あまりに圧倒的だ。

 この人数を相手に広い場所で戦うのは愚策、路地を探すもその距離は今のフラムにはあまりに遠い。

 フラムは地面に倒れると、身軽さを優先して魂喰いを一旦消した。

 そして勢いを利用して側転で転がり、剣を持った男の背後を取る。


「っああぁぁぁっ!」


 そして腕を振りながら魂喰いを抜き、その首を狙った。

 フォンッ!

 だが――男は後ろを振り向きもせずに、しゃがんでその渾身の一撃を回避する。


 ――そんな馬鹿な。


 さすがにフラムも目を剥いた。

 背中に目がついていると言うのか、今のは確実に取ったと思ったのに。

 ……ひょっとすると、冗談抜きで、似たようなものなのかもしれない。

 共有しているのだ。

 能力、技量のみならず、五感までもを――他の男たちと。

 でなければ見ずに背後からの攻撃を避けられた理由の説明がつかない。

 唖然としていたフラムに、また剣と槍と矢と魔法が殺到する。

 さらに転がってそれを避けるも、追撃の手は緩まらない。


 デインの言葉が脳裏によぎる。

 癪だった。

 あいつの忠告に従って、それが正しい結果を招くなどと、認めるわけにはいかなかった。

 しかし今は、まずは逃げるしか無い。


 フラムは前のめりに倒れそうになりながら、一番近くにある路地の入り口へ急ぐ。

 傷はすでに癒えつつある、痛みはあるが動けないほどではない。

 背後から男たちが迫る。

 しかし、逃げに徹すれば彼らとてフラムの速度に追いつくのは困難――それに狭い道なら1対1の状況を作り出せる。

 時に躓きながら、必死に走る。

 あと少し、あと少しでたどり着く。

 そう、思ったのに。

 フラムの体の両側を魔法が掠めていく。

 その火球は、住宅の外壁に衝突し――


 ドゥンッ!


 ――それを破壊する。

 崩れた瓦礫が積み重なり、道を塞いだ。

 登れば通れないことはない、しかしこの人数を前にそんな悠長なことをしている暇はない。

 フラムは焦り、後ろを振り返る。

 刹那、腹と太ももに矢が突き刺さった。


「はっ……ああぁぁぁっ!」


 すぐさま引きぬく。


「はっ、はっ、はっ」


 強い痛みに、目を見開いて息を繰り返し吐き出す。

 間髪入れずに次の矢が、魔法が放たれ、それをいなしているうちに、片手で扱えるサイズのメイスを持った男が近づく。

 やけくそ気味に魂喰いを振るうフラム。

 もちろん避けられ、距離を詰めた男は鈍色の金属塊を振り上げた。

 ここで見え透いた反撃を放った所で、こいつらは共有した感覚を利用して全てを避けてみせるだろう。

 相手の攻撃を甘んじて受けるしか無いのか。


 フラムは――しかし、にやりと笑った。


 足元に魔力を集中、適応対象はつま先が触れている、数十cm四方の石畳。


「リヴァーサル!」


 彼女が魔法を発動すると、それの裏表が逆転する。

 ゴギッ!

 鈍い音が聞こえたかと思うと、足が裏返った石畳の下敷きとなり、ありえない方向に曲がっていた。

 そしてバランスが崩れ、体が傾く。

 これなら、いくら見えていようが避けられまい。


「そおりゃああぁぁッ!」


 掛け声と共に振り下ろされた渾身の一撃は、男の無防備な右肩口と左脇腹を直線で結び、切断した。

 直後、切断面が凍りつく。


「まずは1人目ぇッ!」


 数の差は歴然、それでも1人減れば攻撃の手はそれだけ緩む。

 仲間が死んでも男たちに動揺は無い。

 やはり、彼らに意思は無い。

 統一され、1つにされてしまった意識は、もはや人間のそれとは呼べない。

 リーダーたるデインの命令を聞くだけの、ただの人形だ。

 だからなのか、人間を殺した時ほどの葛藤は無かった。


 足元を狙う魔法を飛び避け、剣先を真っ直ぐに男たちに向けるフラム。

 一度見せた手が、次も通用するとは限らない。

 二人目をどうやって仕留めたものか――そう考えていると、ぽとり、と何かが落ちる音が聞こえた。

 音のした場所、自分の真横を見ると、そこには――

 

 眼球が、落ちている。


「……え?」


 1個だけで終わってくれればよかった。

 しかし、白い球体はその後もぼとぼとと、雨のように降り注いでくる。

 上からだけではなく、溝からも、背後からも、そして男たちが迫る前方からも。


「まさか……そういう意味で……っ」


 デインの忠告。

 この男たちに手を出すな、逃げ惑え――その真の意味に、フラムはようやく気づいた。

 インクに人を殺した自覚はない。

 インクに自分が化物だった自覚はない。

 つまり、全ては彼女の意思に関係なく、放れた力が自発的に行ったこと。

 自動防衛。

 教会の関係者を……いや、セーラや騎士が巻き込まれたことを考えるとそうではない。

 おそらくは研究の関係者や、その機密情報を自動的に守ろうとする、制御不能の能力――それが、あのおぞましい姿になったインクが吐き出した、眼球の正体。


 それに触れてしまった者の末路を、フラムは実際に自分の目で見ている。

 反射的に飛び退いて距離を取った。

 しかし間に合わず、すでに密着していた目玉が、ブーツの上から体内にズブズブと侵入してくる。

 痛みはない――ただひたすらに、気持ちの悪い感覚だけがある。


「ひうっ……!」


 フラムは体をこわばらせた。

 そいつが足の中央まで移動を済ませると――ずるぅっ、とブーツの中で足首から先が増殖する。

 ボコッ、とブーツの上部が膨らんだ。


「こ、これが……くっ、ぐうぅ、気持ち悪い……っ!」


 重なり合うように二段重ねになったそれのせいか、足にうまく力が入らず、地面を踏みしめられない。

 そこに、短剣を持った男が近づき――心臓を狙って一突き。

 バチュッ!

 フラムは咄嗟にそれを手で受け止めた。


「あっ、ぐ……」


 刃が手のひらに突き刺さり、貫通する。

 男はすぐさま引き抜き次の攻撃を放とうとしたが、フラムはヒルトを握りしめ阻止した。

 2人の筋力は拮抗している。

 ならば手を負傷しているフラムの方が不利かと思われたが――彼女は足をかけ、男の体勢を崩した。

 そして男の体を、すぐ横にまで迫る眼球の海に引き倒す。


 眼球は蜘蛛の子を散らすように倒れた男の体を避けた。

 どうやら、味方に危害を加えないようにできているようだ。

 しかし、避けきれなかった一部は彼の体に触れ、入り込み――ズルゥッ、と新たな腕や足が生えてくる。

 臓器も増殖しているのか、体も地面に触れている面だけが歪に膨れ上がっていた。

 立ち上がろうと男はもがく。

 しかし足や手がうまく機能せず、ひたすらにその場で蛆虫のように蠢くだけだった。


「これで、2人目っ!」


 自らを鼓舞するように宣言する。

 それでも、まだ敵は多く残っている。

 足が増えたせいか移動速度が落ち、視認さえできていれば避けられていた矢や魔法が、体を掠めるようになる。

 反転でいくつか跳ね返してやったが、見抜かれているのか中々命中しない。

 

 眼球のせいで、狭い路地に入って少人数とやりあう戦法は封じられた。

 どこか――自分に有利な場所は無いものか。

 フラムは一旦彼らに背を向けて、地の利を得るため走り出した。

 だがやはり、増えた足のせいで速度が上がらない。

 この人数相手なら、長期戦になるのは間違いない。

 増殖は、“傷”ではない。

 魂喰いの再生で治癒することはできない。

 だったらいっそ、自分からこの足を――

 彼女は魂喰いを地面に突き立て、その刃に向かって蹴りを放つ。


「っぐ、があぁぁぁっ……!」


 ザシュッ!

 フラムの苦悶の声と共に、増殖した足が切断された。

 片足を失った彼女は、剣を杖にしながら、それでも前進を続ける。

 止まれば眼球の餌食だ。

 足の再生までのラグはあるが、それでもずっとあの増えた足と付き合うよりマシである。

 追跡する男たちが追いつくより前に脚部の再生は完了し、肉体は万全の状態に戻る。

 ブーツにより上昇した敏捷性により、全力疾走で駆けるフラムは、徐々に男たちから離れていった。

 そこでフラムは、前方から近づいてくる騎士の姿を見た。

 人数は5人ほど。

 デインの部下はともかく、彼らをあの眼球に巻き込むわけにはいかない。

 ここから離れるように伝えるために、フラムは白いプレートアーマーを纏った彼らに近づいた。


「あのっ、ここは危ないので離れた方、が……」


 すると騎士たちは、ほぼ同時に剣を抜いた。

 よく磨かれた銀色の刃が、街灯の明かりを反射する。

 フラムはスキャンを発動する。

 デインの部下とは違ったが、彼ら5人は揃って――全く同じステータスをしていた。


「そんな……挟み撃ちなんてっ!」


 あまりに徹底している。

 殺すのか、捕らえるのか、その違いはあっても、ここでフラムを逃がすつもりはないらしい。

 魂喰いを握り、彼女は両側から迫る敵を交互に見る。

 冒険者、騎士、眼球。

 敵が多すぎる、この状況を1人でどう切り抜けろと。

 手が震え、剣先がぶれる。

 孤独感が迫る恐怖をさらに膨張させているのだ。

 フラムは、まだ16歳の少女だ。

 ミルキットを支えにしてどうにか戦ってきたが、今は彼女すら居ない。

 待つ者も守るべき者も居ない今、その心は脆く――足は凍りつき、死が、終わりが迫っていた。


「死にたくない……私は、死にたくなんてない……っ!」


 振り絞るのは、残り滓のような勇気。

 死を受け入れたくないという、ネガティブな感情から生まれた後ろ向きな意地。

 要するに、どちらか一方さえ足止めできれば、そこから逃げられるのだ。

 

 冒険者よりは数の少ない騎士の方を向き、剣を高く掲げる。

 意識を集中、体に満ちる力を消耗し、プラーナへ変換。

 その湧き水のように澄んだエネルギーを腕へ移動させ、さらに剣に満たす。


 気剣斬プラーナシェーカー


 イミテーションではなく、本物を。

 あれさえ放てれば――いや、よしんばうまく行ったとしても、騎士全員を仕留めるのは無理だろう。

 連続で放つ? そんな芸当ができるほど熟練もしてない。

 そもそも、一発だってちゃんと扱えるかわからないのだ。

 手のひらに汗が滲む、迷いに呼応するようにプラーナが薄れる。

 ダメだ、後ろ向きになるな、諦めるのは、実際にやってみてからだ。

 そう自分に言い聞かせる。


 これが最期になるだろう。

 もう時間は残されていない、じきに冒険者たちはフラムに追いつく、眼球もすぐに取り囲む。

 そこに騎士まで加われば、今度こそ、攻撃を凌ぐことすらできなくなる。

 だから、無理だとわかっていても、奇跡を信じて、全ての命を賭した一撃を――


「フラム、そのままプラーナを地面に叩きつけろッ!」


 ――その時、絶望満ちる王都に勇猛なる英雄の声が響き渡った。


「はああぁぁぁぁぁああああああっ!」


 フラムは声に従い、咄嗟に魂喰いを地面に叩きつける。

 その瞬間、プラーナは弾け、炸裂した。


 バシュッ、ゴオォォォオオオオッ!


 そして弾けた力は、豪風と無数の刃となり、騎士たちに襲いかかる。

 彼らは手に持った盾で防ごうとするも、爆ぜたプラーナは鎧の隙間から侵入し、肉体を切り裂いていく。


 騎士剣術キャバリエアーツ気剣嵐プラーナストーム


 精製したプラーナを刃として放つのではなく、弾けさせ前方の広範囲を切り裂く剣技。

 気剣斬プラーナシェーカー以上に多量のプラーナを必要とする技だが、追い詰められたフラムのプラーナは、すでにそれを可能とする領域にまで達していた。


 声の主は、屋根の上からフラムの隣に飛び降りた。

 ズウン、と石畳を砕きながら、漆黒の重鎧を纏った男は着地する。

 そして、降り立つと同時にすぐさま大剣を抜き、フラムの背後より迫る冒険者と眼球に向かって振るう。


「ふんッ!」


 ゴオォォ――ゴガガガガガッ!

 放たれた莫大な量のプラーナは、地面どころか周囲の建物の外壁まで削りながら、範囲内に存在するあらゆる生命を砕け散らせる。

 すぐさま眼球はどこからともなく現れたが、さすがに冒険者は警戒して足を止めた。


「ガディオさん……!」


 フラムは震える声で、彼の名を呼ぶ。


「油断するなフラム、まだ来るぞ」


 野太く、迫力があって、でも優しいその声が――孤独に沈んでいたフラムの気持ちを照らす。

 彼の言うとおりだ、まだ戦いは終わっていない。

 再会を喜ぶのは、後からでも良い。


「っ……はいっ!」


 浮かぶ涙を拭って、フラムは新たに現れた騎士を真っ直ぐに見据える。

 互いに巨大な剣を握り、背中合わせで構え――


「おオォッ!」

「はあああぁぁあぁぁっ!」


 2人は同時に、地面を蹴った。





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