透明なブルー

春乃寒太郎

プロローグ 朝色の夢幻(アサイロノムゲン)

「もうすぐ・・・もうすぐ」

 太陽の光が、夜の闇を完全に押しきるまでの数分間。そんな夜明け前の光景が、篠崎しのざき柚葉ゆずはは好きだった。

 こうして早朝の屋上に出向いているのも、その空を誰よりも近くで見たいがためだ。

 彼女は金網を乗り越えて、屋上の端に佇んでいる。もしも誰かが彼女を見かけたなら、間違いなく、これから投身自殺をするところだと思うだろう。

 しかし、時間は部活の朝練も始まっていないほどの早朝だし、この学校の近くに、朝から車が走っているような大きな道路もないため、彼女が入学してからの二年と半年ほど、今のところ問題になったことは無い。 

「もうすぐ・・・もうすぐ」

 光が、どんどん闇を飲み込んでいく。まるで、なにかを隠すように世界を覆っていた夜の膜が、その秘密を暴かれるかのように、陽光の刃に剥ぎ取られてゆく。

 だが彼女は思う、いったい今更なにを暴こうというのだろう。世界の嘘など、誰もが知っていることなのに。

 そう、彼女が好きなのは、この空の無意味さだった。まるで賄賂の額にしか興味の無い、無能な裁判官と、妄想癖のある容疑者の言葉を真に受け、必死で弁護する弁護士のようで、滑稽ではないか、と。

「もうすぐ・・・もうすぐ」

 残暑も終わりを告げ、徐々に冷たくなってきた朝の風に、彼女は目を閉じた。心地いい。

 もう一歩、前に向かって踏み込めば、自分の体は、この風と共に舞う事ができる。

 それはきっと、素晴らしく心地よいのだろう、と思う。しかし、そうだとしても死ぬつもりは無い。今はまだ。

 最近までは、この空に飽きたり、また何かの理由で無くなったりしたら、風になってみるつもりだった。

 今は、例えそんなことになっても、十日後の夜までは生きるつもりだ。

「もうすぐ・・・もうすぐ」

 十日後の夜、つまりは十月二十三日の夜。地球の傍、日本の空の上を流星群が通り過ぎるのだという。

 彼女は観てみたかった。千とも五千とも言われている無数の流れ星を。その裏で、いつもどおりに輝く月と星を。

 その全てを包む、空を。

 彼女は知りたかった。その全てを観た時、自分は何を感じるのかを。

 無性に、無性に知りたかった。

 それこそが、今、彼女を動かしている衝動。生きている理由そのものだった。

 好きなもの、知りたいことが世界にある限り、彼女は生きているつもりだし、無くなれば死ぬ。

 現在のところ、彼女の人生において、双方が同時に失われた事は無い。

 つまりは、彼女は今までに人生において退屈したことなかった。好物や疑問のあるうちは、退屈するわけがない。

 だから彼女は生きている。それが篠崎柚葉という人間だから。

「もうすぐ・・・もうすぐ」

 流星群の夜まで、あと十日。



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