第105話 記録
そして迎えた大会当日。
俺はまた小玉さんにレンコントを頼み、楓と恵美と一緒にクラウディアを連れて大会会場へやって来た。
会場は埼玉県にある大きな公園の多目的広場。会場の中央にはオレンジ色で高さ七十センチくらいの網の様なもので仕切られた場所がある。その網には大会の主催者の横断幕が括り付けられており、スポンサーである小玉さんの会社の横断幕もあった。その網の横に、大会本部らしきテントが立ち並んでいる。
「ここか……」
「ここだね……。蒼汰とクラウディアが記録を残す、最初の場所」
「ああ」
「お兄ちゃん、エントリーしないと」
「ああ、そうだな」
俺達は本部のテントへ向かい、エントリーを行った。
実は、一ヶ月前。俺は小玉さんにお願いをしていた。
──
「え? エキシビジョンじゃなくて普通に出たい?」
「ええ、フリスビードッグだけなんですけど、こっちは普通に出られるので普通に出たいんですが……」
「あぁ……勝てそうになって欲が出た?」
「んまぁ、そんな感じです……出来ますか?」
「うぅん……確かにこの子なら……」
小玉さんは腕を組み、クラウディアを見ていた。
クラウディアは小玉さんを見て笑った。と言うか、正確には笑って見えるような可愛い顔をした。
「いやぁぁぁっ! かぁわいいぃぃぃっ! よし、OK!」
「良いんですか!? やったな、クラウディア!」
「(ええ、やったわね)」
俺はクラウディアを撫で、クラウディアも喜んでいた。
「あ……。ゴメン、今のナシ」
「……は?」
「この子の可愛さにほだされて、思わずOKって言っちゃった……。でも、ちゃんと聞いてみるから。私の一存では決められないことだからさ」
「あ、はい。宜しくお願いします」
「うん。でも、必ずあっと驚くような記録を出してね」
「あ……はい……」
そこは変わらないのか……。もちろんそのつもりだし、問題ない。
そして小玉さんからの返答はOKだった。実は、主催者側も出場自体には問題がないのだし、エキシビジョンではなく普通に出て欲しい、公正に出場して記録に残して欲しいと言っていたのだそうだ。なんか主催者側には悪い事をしたと思った……。
──
「あれ? 片桐蒼汰さん?」
受付に送られてきたメールを印刷したものを出し、エントリーを行っていた時、受付の男性が言った。
「はい」
「あの、ペットフード会社の方からエキシビジョンで出場されたいとご相談のあった方ですか?」
え……。まさか会場の人にまで知られていたとは……。
俺は小玉さんの話を聞いた時、少なからず主催者側に悪い印象を残したかなと、そう思っていた。ただ、上層部だけの話だろうし、実際に会場に来る人達には影響はないだろうと……勝手にそう思っていた。
「あ……はい……」
「やっぱり! そうですか、今日はがんばってくださいね。期待してますよ!」
男性は笑った。
「はい、ありがとうございます!」
あ、取り越し苦労だったか……。
そして開会式が終わると、ファーストラウンドが始まる。
大会は誰かと競うというよりも個人競技。三回のラウンドの合計点で勝敗が決まる。
「どうぞ」
入口の近くで待機していた俺達を係員が誘導した。
『続いては、今回初の参加! 片桐蒼汰&クラウディアチーム!』
俺達の名前が呼ばれ、会場から小さな拍手が沸き起こると会場の中に入った。俺は少し緊張していた。
『なんと、この片桐蒼汰&クラウディアチームは今回、エキシビジョンでの参加を予定していたそうですが、それを取りやめて一般参加に変更したという鳴り物入りのチームだ!』
事もあろうかMCは俺達の申し訳ない経緯を紹介し、会場からは「おぉぉぉ」という声が漏れていた……。ただでさえ初参加で、しかも小玉さんのクビがかかって緊張していると言うのに、さらにハードルが上げられてしまった……。
「別に言わなくても……」
俺が振り返ってMCを見ると、MCはグッドサインを返した。悪気はないらしい……。
「(別にいいじゃない、本当のことなんだし。驚かせてやれば良いんでしょ?)」
「まぁ、そうなんだが……」
「(ほら、気持ちを切り替えて)」
「あ、ああ……。じゃ、作戦通りに行くぞ?」
「(ええ。一ラウンドと二ラウンドは四投ね)」
「ああ。最後に体力を残せ」
俺は手を挙げてスタートの合図をMCに送った。
「(わかったわ)」
『レディー! ……ゴー!』
「それっ!」
俺はフリスビーを投げた。
フリスビーは真っ直ぐに浮き上がり、そのまま遠くへ飛んで行く。クラウディアはそれを確認してから走り出す。
実はこれが俺達の作戦の一つ。例の「曲がった方向をどうするか?」という問題の解決法として、クラウディアの能力に依存しようということになったのだ。あの後、何度か試してみた所、実はどんなに思いっきり投げてもクラウディアはフリスビーに追いつくことが出来ることが分かった。つまり、先に走って待つ必要がない。逆にそうしないと見当違いの方向へ走ってクラウディアの移動距離が伸び、余計に体力を消耗してしまう。ならば飛ぶ方向を確認しながら追ったほうが確実だということになったのだ。
『一投目ー! おーっ、これは速い! クラウディア、遅れてスタートを切ったかと思いきや、ものすごい速度で追い上げる!』
「あ、少し右だ!」
「(見えてる!)」
クラウディアはフリスビーに追いつき、そのままタンと地面を蹴ってジャンプする。
『ジャンプキャーッチ! っと、そのまますごい速度で戻ってくるぞー! これは本当に凄いチームの登場か!?』
会場からおぉぉっと声が上がる。
「よし来い!」
俺が両手を広げて呼ぶと、クラウディアは俺のすぐ右側にフリスビーを落とし、そのまま俺の後ろを回って横に伏せる。俺がそれを拾い上げ
「それっ!」
再びフリスビーを思いっきり宙へと放つ。
クラウディアは方向を見定めてから走り出す。
『二投目ー! これまた良い角度だ! 飛距離が伸びてものすごい速度でクラウディアが追いかける! っとここで十五秒経過! このままだと五投しそうな勢いだぞ!?』
クラウディアは再びすごい速度でフリスビーに追いつくと、ジャンプしてキャッチ。
『またジャンプキャーッチ! このまま行くと一ラウンドの歴代最高点を叩き出しそうだぞ!』
え、一ラウンドの歴代最高点? それを聞いた瞬間、気持ちが揺らいだ。
いや待て……作戦通りだ、作戦通り……。
俺は自分に言い聞かせてストップウォッチを見た。まだ二十五秒……。すぐにクラウディアが戻ってきて俺の横に伏せる。俺はフリスビーを取り上げて投げた。
「あ、ミスった!」
俺が投げたフリスビーは大きく左に逸れた。このままだとエリアを出てしまいそうだ。手前でキャッチしたとしても、ギリギリ最高点エリアに届かない……。下手をすればエリア外で無得点……。
「(任せて!)」
『おーっと、ここでフリスビーが逸れた! ん? なんだ? なんと、クラウディアは先回りしてコース沿いに走り出した! このままエリアを超えて最高点を出そうという策なのか!?』
「あいつ……。無理するな!」
「(大丈夫!)」
クラウディアは徐々に曲がるフリスビーに対して直線的に先回りし、そのままコースの縁に沿って走り出した。そしてフリスビーがエリア外へ出ようとした所でジャンプ。キャッチしてそのまま最高得点エリアに着地した。
『す~ごいぞ! 犬が得点を底上げした! こんな天才犬、見たことがありません!』
「やった! 凄い!」
「頑張れ!」
会場から声援が飛び始めた。
ストップウォッチを見ると、まだ三十五秒。いける……だが、どうするか……。ここで気持ちが揺れたらまた曲がりかねない……。
「……よし」
クラウディアが戻ってきてディスクを置いて横に伏せた。
「インターバル」
「(はい)」
そのまま動かず、クラウディアを休めながらじっとストップウォッチを見る。
『おや……? 突然動かなくなったぞ……時計はラスト二十秒!』
「いくぞ、それっ!」
フリスビーはまっすぐに飛んだ。正解だった。
そのまま時間いっぱいをかけ、俺達は四投を全て最高得点で締めくくった。
『三、二、一、フィニーッシュ! なんと余裕で四投全てを最高点で終え、現時点で総合一位に躍り出た! これは次のラウンドも期待できるぞ! 片桐蒼汰&クラウディアチームに盛大な拍手を!』
わーっ! と会場から大きな拍手が巻き起こり、俺はクラウディアを両手で抱き上げ、競技エリアを出た。
「大丈夫か?」
「(ええ、全然。あなたが休ませてくれたおかげよ……。ありがとう)」
「いや、実はあの時……少し気持ちが揺れた……すまん」
「(あ、司会者の人が五投って言ったから?)」
「ああ……。あのまま投げてたら、間違いなくボロボロになっていた」
「(でもやらなかったじゃない……。私はてっきり投げるかと思ってた。偉いわ……)」
「そりゃどうも……。どこも痛くないか?」
「(ええ、まだ興奮しているし……でも、多分大丈夫)」
「そっか」
俺達は会場の柵の脇に敷いたビニールシート、楓と恵美のところへ戻った。
「おかえりー! 凄かったよ蒼汰、偉い!」
「おう」
「お兄ちゃん、よくあそこで我慢したね? あ、ここに置いて」
「おう、頼む」
俺がクラウディアを地面に横たえると、恵美はクラウディアをマッサージする。今、学校で学んでいるのだそうで、俺は良くわからないから恵美に任せていた。事実、恵美のマッサージの後は調子がいいとクラウディアが言っていたので任せることにしたのだ。
「あ、パンパンになってる……。どこも痛くない?」
恵美はクラウディアとは話せないのにそう言った。マッサージをする時、話しかけてやるのも重要なのだそうだ。
「(ええ、痛くないわ)」
クラウディアはそれに答える。だが、恵美には聞こえない。
「痛かったら言ってね?」
「(ええ……あぁ、そこそこ……いいわ……)」
「気持ちよさそうだな」
「うん、良いはず……。お願いだから、怪我だけはしないでね」
「(ええ、ありがとう……恵美)」
「ありがとうってさ」
「わかるの?」
「わかるわけ無いだろ……。そう思っただけだ」
「なんだ……子供だましな……」
恵美は少し膨れてマッサージを続けた。
俺と楓とアリシアは、それを見て微笑んでいた。
「あ、ちょっと本部へ行ってくる」
「え、どうしたの?」
「ちょっと聞きたいことがあってな」
「あ、私も行くよ!」
楓は立ち上がった。
「恵美、クラウディアを頼む」
「うん、わかった」
そして迎えた第二ラウンド……。
『さぁ! 次はお待ちかね、片桐蒼汰&クラウディアチームの登場だ!』
わーっ! と歓声が上がる。
『ここで新情報です。実はこのチーム、動物保護団体からの参加。なんと、ものすごい脚力の持ち主、クラウディアは保護犬だそうです! へぇーそうだったんですね……。それが理由で、最初は特別参加を申し込んでいたのですが、その後普通に参加できることが分かって、今回は一般参加に変更されたと……。あ、ものすごいチームだからエキシビジョン参加って訳ではなかったんですね……なるほど……。でも、凄いチームだから……と言われても違和感がない第一ラウンドを見せてくれたこのチーム、果たして第二ラウンドは如何に!?』
実は俺が本部にお願いしに行ったのは、この「動物保護団体から」というところを話して欲しいと相談しに行ったのだ。本部は快く受け入れてくれ、MCにそれが伝えられると、MCの人は急いで原稿を書いていた。なんともプロフェッショナルである……。
『さぁ、期待の第二ラウンド! いいですか? OK。三、二、一、ゴー!』
──
そして無事に第二ラウンドを終え、予定通り四投して全て最高得点を得た。つまり、第一ラウンドと全く同じことをやった。いや、今回は投げるのを失敗したりはしていない……。と、ここまでは予定通りで全て順調……。もうこの時点で俺達の優勝はほぼ確定。あと、やるべきことはただ一つ。
そして迎えるファイナルラウンド……。
『さて次は……出ました! ダントツ一位の片桐蒼汰&クラウディアの動物保護団体ペア! ここまでは全く危なげのない四投の満点を叩き出しているこのチーム、大きなミスがなければこのまま優勝確定だ!』
「全力で行くぞ? いいか?」
「(ええ。準備は整ってるわ)」
「よし」
俺は振り返って左手を挙げた。
『準備OKのサインが出た! それでは行きます! レディー…………ゴー!』
「それっ!」
『戦いの火蓋が切って落とされたー! このチームは歴代最高得点を叩き出すのか!?』
──
そう、俺は本部でもう一つ聞いていた。
「え? 一ラウンドの歴代最高点ですか?」
「はい。先程MCの方が超えるかもって仰っていたのですが、最高得点って何点なんですか?」
「五十三点ですよ。五投目で距離を短く安全に飛ばした結果ですね」
──
クラウディアが二投目を持って戻り、そのまま休まずに三投目を投げる。
『おーっと、休まないぞ! これは本当にやるつもりなのか!?』
──
「それなら、行けそうだな……」
「行けそう?」
「ああ、問題なさそうだ……」
俺は楓に答えた。
「え、片桐さん……行けそうって、五十三点を超えるんですか!?」
「はい。そのつもりで訓練してきましたから」
──
『クラウディア、ゆるぎないその脚力であっという間にフリスビーに追いついてーっ……ジャンプキャッチ! もうジャンプキャッチ以外はキャッチじゃないとでも言いたげだ!』
クラウディアが戻ってきてそのまま四投目を投げる。
『また休まない!? これは狙っているとしか思えないぞ! 私たちは歴史的瞬間を目のあたりにするのか!?』
思った通り、クラウディアはやっと追いつき、ジャンプキャッチして戻ってくる。だとすれば……次は……。
「(はっ、はっ、はっ、全力で投げて!)」
「え!?」
「(早く!)」
クラウディアはフリスビーを置いて俺の後ろを回ると、休まずに先行して走り出した。
「お、おう……そぉぉぉぉぉれっ!」
俺が投げた五投目はふわりと浮き上がり、きれいに弧を描きながらまっすぐに飛んだ。
「よし、まっすぐだ!」
「(わかったわ!)」
クラウディはまっすぐに走っていく。
『おぉぉぉっと! ここで思いっきり投げた! フリスビーはまっすぐに飛んでいったが、クラウディアはもう体力の限界だぞ! 届くのか!? このまま追いついてキャッチ出来るのか!?』
フリスビーはすぐにクラウディアを追い越し、そのままフワフワと飛び続ける。
会場の全員が固唾を呑んで見守った。
『五秒前! 四! 三! 二!』
そしてMCの終了のカウントダウンが始まると、三秒前からは会場の全員が同時にカウントダウンの声を上げた。
『一!』
「行けぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」
俺はクラウディアに向かって叫んだ。
「(今っ!)」
『ゼロ!』
タイムアウト直前で、クラウディアは加速して大きくジャンプした。最も高い地点でギリギリフリスビーをキャッチし、そのまま最高得点エリアに着地した。
「よし!」
俺はガッツポーズした。
「わぁぁぁぁぁぁぁっ!」
一瞬の静寂の後、会場から大きな歓声が湧き上がった。
『ジャンプキャーッチ! なんと、最後まで全てを最高点エリアでジャンプキャッチ! これは……? 合計百四十三点の世界記録だ! なんと、初参加の動物保護団体チームが世界記録を叩き出したぁぁぁぁ!』
「よし、来い!」
俺はしゃがんで両手を広げた。
周囲が歓喜の声を上げる中、クラウディアはフリスビーを咥えたまま、まるでスキップでもするかの様にタッタッタッタと、嬉しそうに、自慢げに、それこそ凱旋帰国したスポーツ選手の様に、胸を張って戻ってきた。
そしてクラウディアは俺の腕の中に戻ってくると、そのままバッタリと地面にうつ伏せた。
「え……? おい、どうした!? 大丈夫か!?」
「(大丈夫よ……。少し疲れただけ……)」
クラウディアはそのまま目を閉じた。
世界記録が更新された瞬間だった。
──
そして後日……。
一階のサロンにあるレジの上に棚を作った。そこには、俺達の表彰式の写真と一緒に、賞状と優勝カップと金色の文字でJFAと大きく書かれた黒いフリスビーが並べられた。これともう一つ、小玉さんの会社のドッグフードが一袋。これが優勝賞品の全てだ。
そして、賞状と優勝カップのラベルには「片桐蒼汰(東京)&クラウディア(Mix)」と書かれていた。その「Mix」の文字が誇らしげで、とても嬉しい文字だった。
個人的には雑種で登録したのだから雑種と書いてほしいのだが、最近ではこのMixってのが流行りらしい……。
そしてその隣にはギネスブックの認定証と、日本フリスビードッグ協会の記録認定証が並んだ。
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