第96話 見つからないパートナー
時間がない……。それだけじゃない、どの子と一緒にやるのかすら決まっていない……。
「ごめんね……私のせいで」
「は……?」
自宅に戻り、楓と一緒に自宅の老犬の散歩していた時、楓がふとそんなことを言った。
「いや、お前のせいじゃない……ってか俺、落ち込んでたか?」
「うん……。なんかここ数日、暗い顔になってから……ずっと謝りたいと思ってた……」
「そっか……そんな事無い。でもすまん、気をつけないとな……」
不安な動物たちを世話する俺達は、努めて明るく振る舞っていなくてはならない。
「でもさ、やると決めたらやるしかないよ……って、私がこんなこと言っても良いのか微妙だけど……」
「そうだな。やるしかないな」
俺は笑った。
「うん!」
楓も笑った。
「でもさ、本当にペアを組む子……どうしようか?」
「うーん……一匹の方が良いと思うか?」
「ああ、競技によって替えるってこと?」
「ああ。どう思う?」
「特性で分けてもいいと思う……でもさ、妬かないかな?」
「そうなんだよな……」
「うん。蒼汰が特別扱いする子って……難しいんだよね」
俺は動物と話ができる。だがそれは逆の意味で困ることもある。意思疎通しすぎて、愛されすぎて、極度に妬かれるのだ……。事実、その問題は俺のしつけ教室でも起きていた。
──
それは三匹を同時にしつけていたときのことだ。
時々三匹を同時にしつける事がある。それは卒業間際の、既に個々ではほぼ完璧と言える三匹を同時に放ち、それぞれに別々の指示を出すことで個々への命令を認識させる為にやる、仕上げのようなものだ。
「よし。じゃ、次はエルマ、来い」
俺はポメラニアンのエルマを呼んだ。だが、エルマは動く素振りを見せない。
あれ? これまで一度もエルマが言う事を聞かなかった事などなかったのに……。
「どうしたエルマ、来い」
エルマは動かない。それどころか俺を見すらしない……。
なんだ? 何が起きているんだ?
俺は暫くその状況を認識できなかった。
「おいエルマ? どうした……」
俺がエルマに近づいて、身体に触れようとした時……。
「バウバウバウバウ(私に触るな! 私よりそいつが好きなんでしょ!?)」
エルマは俺に吠えて噛み付こうとし、俺はとっさに手を引いた。
「うおっ! って……エルマ? そいつ……?」
「ガルルルル……」
エルマはそのまま隣りに座っていた、ラブちゃんを威嚇した。
「え……まさか……」
俺はこの三匹同時指示を行う時、一匹だけ俺によく懐いた完璧な子を入れる。それはその子が他の子を落ち着かせ、俺の言うことを聞きやすくする為。つまり他の二匹を引っ張るためのリーダー役として入れるのだ。ところが、この時ばかりは違っていた。俺がリーダーとして用意したラブちゃんを、他の子、この場合はエルマが、リーダー役のラブちゃんを俺の中の一番と認識してしまったのだ。
通常、出会うことのないこいつらは、俺の一番になりたいなんて思わない。普通なら本当のリーダー、つまり、飼い主さんの一番になりたいと思うべきなのだ。そして例えばその飼い主が多頭飼いをしていた場合、自分が飼っている犬に順位をつけ、それを守らせなくてはならない。つまり、リーダーとして、それを守らせないといけないのだ。
ところが俺は仕事として一時預かりをしているだけなので、こいつらに順位をつけてはならないし、こいつらにそうなりたいと思わせてはならない。そうしないと順位付け争いが起こる。
そして今回は、エルマが「俺の一番になりたい」と思ってしまった。つまり、俺をリーダーとして認め、それ以外の子たちの上に立ちたいと、より愛されたいと思ってしまった。
「むむむ……なぁ、エルマ」
「(…………)」
エルマは俺を見ると、すぐにそっぽを向いた。
「お前は俺の一番になりたいのか?」
「(当たり前でしょ!)」
「どうして?」
「(私は貴方に飼われているんだから、貴方から一番愛されたい)」
「いや、俺が飼っているわけじゃない。それは最初に話したよな?」
「(でも、前の飼い主さんは来ないじゃない!)」
「もうすぐ来るぞ。お前の成長を楽しみにしている……。なのに、お前は俺に尻尾を振っていても良いのかぁ……?」
「(来るの?)」
エルマは俺を見た。
「来るさ、お前がお利口になってくれるのを心待ちにしている。ずーっと待ってるんだぞ」
「(本当に? 本当に待ってる?)」
「ああ、待ってる。お前がかわいくて仕方がないんだ。だから俺なんかに愛されようと思わなくていい。お前はお前の飼い主さんに愛されろ。俺とは一時的な付き合い、それこそお前の飼い主さんに愛されるための練習だ」
「(来る?)」
「必ず来る。約束する」
「(嘘付かない?)」
「俺が嘘ついたことあるか?」
「(ないけど……約束よ?)」
「ああ、約束だ」
「(……わかった。我慢する)」
「よし、いい子だ。じゃ、練習続けるぞ」
「(うん)」
「よしエルマ、来い」
俺がエルマから離れてそう呼ぶと、エルマはタタタタと走って来て俺の前でちょこんと座った。
「よし」
──
と、そんなやり取りがあった。
「あれ、いつ起こるかわかんないからなぁ……」
問題はそれがどこまで蓄積され、どのタイミングで起こるのかがわからないことだ。
「やっぱり分からないの?」
「ああ……そこは人間と同じだ。むしろ人間みたいに表情に出ない分、判断が難しい……。なんかこう……メールとかチャットだけ、文字だけで会話していて、ずっと仲がいいと思っていた相手に突然怒られたとか……そんな感じだな。それこそ昨日まで完璧だと思っていた子が、違う子に会わせた途端に起きたり、会って二三日経ってから起きたり、かと思えば全く起きなかったり……。本当にわからん」
「そっかぁ……蒼汰がわからないんならどうしようも無いね……。でも、一匹に絞れるの?」
「絞ること自体は難しくない。だがすべての競技で勝てる、驚かせられるほどの演技を見せることが出来る一匹に絞るってのが……難しい」
「だよね……」
問題が起きたら解決すればいい。そう思われるかもしれない。だが、今回は少し違う……。何しろ、競技会当日にそれが起きたら、小玉さんのクビが飛ぶのだから……。
「あぁー! 小玉さんのクビかぁ……」
「やっぱり……そこが悩み?」
「ああ、俺が恥をかくだけならまだいい。だが、他人の人生を左右するとなると……簡単に決められん……」
「そっか……。でも、早く決めないと……」
「ああ。練習ができないな」
「うん……。基準はやっぱりフリスビー?」
「そうだな。フリスビーが出来る子なら、間違いなく通常の訓練も出来る」
「じゃ、足が速い子……って事になるよね?」
「そうなるな。でも、今うちに居る子で足が速い子なんて……」
「いないよね」
「ああ」
今、レンコントに引き取っている犬は小型犬が多い。中型犬も居ることは居るのだが、皆老犬。とても走らせることなど出来ない……。
「田辺家の子たちは……ダメだよねぇ……」
「ああ。あいつらはそれぞれ六歳と0歳六ヶ月だ。どちらも歳過ぎて、若過ぎる」
「AS会とアニサポの両方に募集してみたら?」
「貸してくださいってか?」
「うん。貸してくれるんじゃないかな?」
「でもそれ……返す時に困らないか?」
「あぁ……三ヶ月も蒼汰と一緒に居たら、蒼汰に懐いちゃう?」
「楓はどう思う?」
「……間違いなく蒼汰にベッタリになると思う……」
「だろ……? じゃ、ダメだ」
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