第83話 休むための準備



 その後、小玉さんの会社、ペットフードのメーカーと協賛という形で視察に行き、詳細をレポートして会社に提出すること。そしてASのホームページを始め、レンコントのホームページなど、そのレポートが公開される場所では必ず随所にメーカー名を入れることなど、いくつかの条件を満たすことが出来れば、旅費と滞在費を小玉さんの会社が出してくれるという、最高の条件が提示された。

 もちろん、俺たちはその条件に二つ返事でOKした。


 そして俺達は準備を始めた。


 俺と楓の二人が休み、ドイツへ行くための準備だ。実はこちらの方が簡単ではなかった。


 まず楓。楓はレンコントの代表。何をするにも楓が呼び出され、判断を問われる。それは良い言い方をすれば社長。だが、悪い言い方をすれば「命を預かる責任を負う立場」という事であり、それを「はい、分かりました」と二つ返事で受けてくれる人などそうそう居る訳がない……。


「いいよ」

「本当にいいの!?」


「私が引き受けると思って聞いてるんでしょ?」

「いや、そうだけどさ……いくら空でも頼みづらいんだよ……」

「じゃ、嫌だって言ったらどうするの?」

「…………」

 楓は口を尖らせ、上目遣いに空さんを見た。

「困るんならごねるな……」

「……ゴメン」

「そっちじゃなくて、言うことがあるでしょ?」

「……ありがとう?」

「よし。じゃ、楽しんでおいで」

「いや、別に遊びに行く訳じゃ」

「ハネムーンの代わりの……蒼汰くんに対する、お詫びのつもりなんでしよ?」

「……ど、どうしてそれを!?」

「私がわからないとでも思った?」

「うーん……ちょっと、何でも分かりすぎじゃない……?」

「いけないの?」


「ちょっと……キモい」


「キモ…………キモイだと!?」

 楓のその思いも寄らぬ一言に、空さんは固まった。いや、正確には激昂、キレていた。


「あ、あったまきた! なし! 楓の代わりを引き受ける話はなし!」

 空さんはそう言うと、振り返って歩き出した。

「そーらー! 嘘だよ、冗談だってば! そーらー! 私が空にそんな事思ってる訳ないでしょ! ねぇ、そらってば……」

 楓は空さんの後を追った。


 ──


 次の日。


 楓はやっと空さんと仲直りをし、無事に代表を替わってもらえることになった。流石にその日のうちには許してはもらえなかったそうだ……。きっと「親しき仲にも礼儀あり」を体感したことだろう。


 そして、次の問題。俺の代わりなんて居るのか?

 残念ながら俺の変わりになるような、そんな特殊な人間など居る筈もなく……。


「楓、一人で行ってこい」

「絶対に嫌! 蒼汰が行かないんなら、私も行かない!」

「そうは言っても……楓、あんなに楽しみにしてたじゃないか……」

「それは、蒼汰が一緒に行くからに決まってるでしょ!?」

「だが、俺は……」

「とにかく。蒼汰が行かないなら行かない!」


 ──


 そして数日後……。


「やっぱり止めるって、どう言うこと!? そんなの許されるとでも思ってるの!?」

 小玉さんはレンコントにやって来るなり、一階には寄らず、大きな段ボール箱を抱えたままで五階へ来て、俺にそう言いながら迫った。

「スミマセン、スミマセン!」

 俺は小玉さんの勢いに押され、壁にピタリと張り付いた。

「…………」

 小玉さんは身動き一つせず、ジッと俺を睨んでいた。

 あの時の校長はきっとこんな感じだったに違いない。

「……小玉さん?」

「理由は?」

「それが……」


 俺は今の状況を語った。


「なるほど……。じゃ、片桐くんのそのしつけ教室と、五階の子たちの世話をする人がいたら良いのね?」

「ええ、まぁ……」

 乱暴に言ったらそうだけど……そんな奴、居るとは思えない。

「いいよ」

「え……何がですか?」

「え……今の話の流れで分からない?」

「ええ、全く……」

「私が片桐くんの代わりになってあげるって、言ってんの」

「……は……? って、小玉さん、会社は?」

「私、広報だからこれも仕事として許されると思う」

「そうなんですか……? あ、でもしつけの経験は」

「資格なら持ってるよ?」

「……資格?」

「うん。ほら」

 小玉さんは財布の中から一枚のカードを取り出し、俺に渡した。

「なんですかこれ……」

 俺はそのカードを見た。


「ド……ドッグトレーナー!? しかもA級!?」

 そのカードには小玉さんの名前が刻まれ、JDTA公認ドッグトレーナーA級 認定証と書かれていた。


「こ、こんなもの、いつの間に!?」

「え? 在学中に取ったよ?」

「そうなんですか!? って、大学に通いながらですか?」

「うん。C級までは高校で取ってたから」

「は……!? もしかして……最初からトレーナーを目指していたんですか?」

「うん。もうついえちゃったけどね」

「そ、そうなんですか……?」

「どうよ? これでも不満?」

「うーん……」


 正直、しつけ教室に関しても、五階の子たちの世話に関しても、俺は自分の会話する能力をフル活用している。だから、普通の人が普通の方法でこの子達の世話をしたり、しつけたりする事が出来るのかを知らない。いや、出来るのだろうが、どこまで出来るのかを知らないのだ。


「すみません、試させていただいてもいいですか?」

「え? うん、良いけど……何するの?」


 俺と小玉さんはチャイちゃんを連れて、三階へ降りた。


「この子は今しつけ中の子で、チャイちゃんと言います」

 チャイちゃんは今オレが預かっている犬の一匹。チワワ系の雑種。毛色が茶色いのでチャイちゃんと名付けられた。

「この子、甘やかされすぎて全く言うことを聞かなくなってしまったと、ここに預けられました。それで……正直、人を噛むほどの状態の少し前だと思います。それでもここ数日、俺がしつけて何とか俺の言うことだけは聞くようになってきた……と、そう言う状態です」


 本当に危なかった。今、連れてこられてよかったと思えるほどに自分が上位に立っており、もう少し放置されていたら本当に人を噛む犬に、それこそゲンちゃんの様になってしまうところだった。


「なるほど。で、何をすればいいの?」

「では、最初にこの子を連れて、部屋の中を歩いてください」

「……それだけ?」

「はい、それだけです。でも、かなり難しいと思います」

「そう? 可愛い子じゃん」

 小玉さんはケージの中のチャイちゃんを見た。

 チャイちゃんからは緊張が感じ取れた。

「よし、チャイちゃん。おいで」

 俺はケージの扉を開け、チャイちゃんにリードを付けた。なんとかここまで出来るようにはなっていた。

「チャイちゃん、大丈夫だから出てこい」

 俺がそう言うと、チャイちゃんはゆっくりとケージから出てきた。

「言うこと聞くじゃん」

「いえ、俺以外は聞きません」

「そうなの?」

「はい。危ないので、最初は手を出さないでください」

 俺はリードを小玉さんに渡した。

「わかった。しつけ用のおやつある?」

「はい。これを」

 俺は小玉さんにしつけに使う小さく切ったジャーキーを渡した。

 小玉さんはそれを一つ右手に持った。

「おやつだよー。よし、そのままおいで」

 小玉さんは左手にリードを持ち、おやつをチャイちゃんに見せるとそのまま立ち上がって歩き出した。チャイちゃんはおやつに誘われて歩き出すと、そのまま小玉さんの右手を見たまま、小玉さんに続いて歩き始めた。

「はい、グルグル回るよー」

 小玉さんがそのまま小走りに部屋の中を走り始めると、チャイちゃんは小玉さんの左側にピッタリとついたままで走る。


「は……? ど、どういう事だ?」


「えっほ、えっほ、いいねー!」

 そのまま何周も部屋の中を走る。

 う、上手い……。

「じゃ……じゃぁ、歩いてみてください」

「うん」

 小玉さんは歩き出した。そのままチャイちゃんが小玉さんの横を歩く……。しかもちゃんと小玉さんを見たままだ。


「どういう事なんですか?」

「え?」

 俺が「もう良いです」と言って止めると、小玉さんは立ち止まってしゃがみ、チャイちゃんを撫でた。チャイちゃんからはこれまでの様な怒りや恐怖を感じず、一度も威嚇しなかった。それどころか、普通に撫でられていた。

「いえ、その子、俺にしか撫でさせないんですけど……」

「初めて会ったからじゃない?」

「え? いえ、初めてだからこそ怖がられるはず」

「ああ、逆だよ逆」

「逆?」

「私が怖くないって意味。私がこの子に対して先入観を持ってないから、私が怖くない。だからこの子も怖がらない」

「……俺の説明、余計でしたか?」

「うーん、人によるね。私は平気。うーらうらうらー……この子、いい子じゃん」

 小玉さんはそう言うと、チャイちゃんを撫で回した。チャイちゃんは嬉しそうに撫でられていた。

「……チャイちゃん、怖くないのか?」

 俺はチャイちゃんを見た。

「(あなたに教えてもらったから。それにこの人は怖くない)」

「それって、この人だから……なのか?」

「(うん。この人は怖くない)」

「……なに? 片桐くんって、話せるの?」

 小玉さんは俺を見た。

「え……ええ。信じてもらえませんけどね」

「ふーん……。だからじゃないの?」

「何がですか?」

「片桐くんが言って聞かせた。その下地があるから、私の言うことを聞くんじゃないの?」

「信じるんですか?」

「うーん、さっき聞いた話が本当なら、この子がこんなに言うことを聞く訳がない。だから信じる」


「合格です」

「じゃ、視察の話、引き受けてくれるの!?」

「はい、是非。宜しくお願いします」

 俺は頭を下げた。

「良かったぁー……」

 小玉さんが床にぺたんと座り込み、天を仰ぐと、チャイちゃんは膝の上に乗った。

「あれ……そんなにマズかったんですか? 俺達が断ったこと……」

「うん……だって、私が企画して会社に頼み込んで、やっと通った話だもん……。やっぱり出来ませんでしたーってなったら、そりゃーねぇ……」

「す……すみません……」

「でも、良かったよ……引き受けてもらえて……。あ、でも私がお休みさせてもらえるか、もう一回聞かないと……。まぁ、会社の仕事として出来なくても、ちゃんと休んで引き受けるけどさ。どうせ三日間だし」

「小玉さん……」

「ん?」

「どうしてそこまで、して下さるんですか?」

「どうして……? そんなの決まってるじゃない……」


「あなた達が頑張らないと、沢山の動物を救えないからだよ」


「俺達が……ですか?」

「うん。自覚ない?」

「いえ、ある事はありますけど……それって、俺達を応援したいから……って意味ですか?」

「うん」

「それだけのために、ここまで?」

「うん。おかしいかな?」

「いえ、おかしいとは思いません。むしろ感謝しています」

「それなら良かった。ねー」

 小玉さんはチャイちゃんを撫でながら笑った。


 小玉さんは、今でも「アニマルサポーター」だった。だったという言い方は正確じゃないかもしれない。小玉さんは「ずっと」アニマルサポーターなのだから。



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