第82話 ドイツ?



「櫻井くん、最近ちょっと更新が減ってない?」

「いえ、もう櫻井じゃありません」

「あ、片桐くんか……失敬、失敬……。って、そんな事はどうでもいいのよ」

「いえ、どうでもよくは」

「それより、ASのホームページの更新が滞っているみたいだけど?」

「……ええ、まぁ……」

「あのさ、ちゃんと寄付してもらっているんだから、きちんと更新してくれないと困るわけよ。分かる?」

「……はい」


 試供品のペットフードを大量に持ってレンコントにやってきた、アニマルサポーターOGの小玉さんは、入ってくるなり俺を見つけて説教した。


 小玉さんは去年、大学を中退してペットフードのメーカーに就職した。「別に大学を中退しなくても」という話もあったのだが、小玉さんは「もう大学に居続ける意味がない」と言い、早々に中退して就職を決めていた。なんとも波乱万丈な人生を送りそうな人である……既にこれまでも数々の伝説を残しているが……。


「あ、小玉ちゃん。いらっしゃい!」

「あ、片桐さん! 毎度です!」

 楓がやってきて小玉さんに声をかけると、小玉さんは右手を挙げた。

「いつもありがとね。本当に感謝してるよ」

「いえいえ。私が今できることってこのくらいなんで……。あ、これ。最新の老犬用です。試して意見を聞かせてください」

「うん、ありがとう! 今度のはどんなの?」

「今度のやつはですね……」


 小玉さんは、こうやって試供品を持ってくるかたわら、俺達に新商品のモニターを頼んでいる。モニターの料金は貰わず、その代わりにペットフードを提供して欲しいと楓が頼み、小玉さんが上司に掛け合って現在の関係が生まれた。

 小玉さんの会社にとってはモニター金額以上の試供品を安価に提供することができ、レンコントにとってはモニター金額以上のペットフードを頂けるという、正にウィンウィンな関係。

 この二人がタッグを組んだら、何でも出来てしまうんじゃないか? なんて思えるほどに、力強く、前へ前へと突き進んでいく二人だった。


「うん、わかった。じゃ、そっちの方向でレポートを書けば良いんだね?」

「はい。宜しくお願いします」

「任せて」

「で、片桐くん」

 小玉さんは俺を見た。

「あ、はい……」

 む、忘れてなかったか……。

「予定は?」

「今のところは何も……」

「それでいいと思ってるの?」

「いえ、思ってません……。でも、どうするかな……」

 俺は困っていた。

 何しろ休みがない。でも、寄付を頂いている以上、おざなりには出来ない……。


「なになに? どうして蒼汰が怒られてるの?」

 楓は小玉さんを見た。

「いえいえ、怒ってるんじゃないんです。説教しているんです」

 何が違うと言うのだろう……?

「説教?」

「ええ、実は……」


 小玉さんは俺のASの活動が滞っていることを楓に話した。


「あぁ……そっちか……」

「あれ? どうして怒らないんですか?」

「……怒れないよ……。半分は私のせいだし……」

「いや、それは違うぞ! 楓のせいじゃない!」

「うん、そうだね。片桐くんが一方的に悪い」

 いやいや、元はと言えばあんたがこんなハードなものを立ち上げて、他人に出来ないようなことをやってのけるから、後任の俺が困っているんだろ……? と、言える筈もなく。

「すみません……」

 謝った。結果的には俺ができていないのが悪い訳だし……。

「でも、どうしようか? 何もしない訳にはいかないし……」

「ですよね……」

 俺と小玉さんは腕を組んだ。

「一番の問題は、時間?」

 小玉さんは俺を見た。

「ええ……朝早くから夜遅くまでですし、空き時間も不定期です」

「そっかぁ……お金なら何とかなりそうだし、いいアイディアだと思ったんだけどな……」

「いいアイディア……どういう意味ですか?」

「うちの会社と組んで、見学旅行に行くの」

「は……? 見学旅行?」

「うん。今ね、会社でそれに参加してくれるユーザーさんを公募しててさ。それに当たるとドイツのドッグショーを見に行けるの」

「あ、そうか! 小玉さんの会社ってそう言うペットショー関係のスポンサーでしたもんね」

「そう。毎年そういうイベントがあってさ、今年はドイツなんだよ。それで、ここは大口のお客さんだし、むしろ共同関係にある団体。それに、会社にとってもイメージ戦略にはもってこいだと思うんだ。だから私が推薦したらすぐに」


「ドイツに行けるの!?」


 楓は大きな声をあげて小玉さんを見た。

「どうした急に?」

 俺は楓を見た。

「ドイツ!? 行きたい! 蒼汰、ドイツに行こう!」

「いや、行こうって……お前、そんなにドイツが好きなのか?」

「ううん。別に」

「は……?」

「ね、それってドッグショー以外にも行くことが出来るのかな?」

 楓は小玉さんを見た。

「あぁ、確か……自由時間はあったと思いますけど……」

「じゃ、行きたい!」

「行きますか?」

「うん、行く!」


「で、どこに行きたいんだ?」

 俺は楓を見た。

「ティアハイムに視察に行きたいの。ずーっと前から、最も進んでいる動物保護施設っていうのを見学してみたいって思ってたの」

「あ、ティアハイムですか! いいですね……。会社的にもいいかも……」

 小玉さんは楓に賛同すると考えた。

「ほんと!?」

「はい。流石に聞いてみないとハッキリとした事は言えませんけど……」

「あ、でも。勝手に行くだけでも良いよ。もちろん、会社から紹介してもらえたら、色々見せてくれそうだから助かるけど」

「ふむ、面白そうですね……。わかりました。じゃ、会社に聞いてみたら返答しますね」

「うん、お願い!」

 楓はとても嬉しそうだった。


「で、ティアハイムって何だ?」

 俺は一人、会話についていけなかった。


「あれ、蒼汰知らないの?」

「ああ」

 楓に聞かれ、頷いた。

「片桐くん、それは勉強不足だよ」

 小玉さんは俺を見た。

「すみません……。それって地名ですか?」

 俺は小玉さんを見た。

「私も知らない」

 小玉さんは胸を張った。

「いや、知らないわけ……って、嘘ですよね?」

「うん、私が知らないわけ無いじゃん」

 小玉さんは更に胸を張った。

 この人の言動は理解できん……。


 楓は俺に、ティアハイムについて語ってくれた。

 ティアハイムとは、ペット先進国と言われるドイツに存在する「動物保護施設」。名称自体が「動物シェルター」を意味するドイツ語で、大きな意味では同業者。つまり同じ志を持った仲間だ。楓はずっと前からこの、最新の動物保護施設を視察したい、勉強したいと思っていた。思い続けて居たのだが、なかなか踏ん切りがつかず、きっかけが掴めなかった。そのまま忙しくなってしまい、現在に至る。

 そしてそこに舞い込んだ、ドイツご招待の話。正に渡りに船、願ったり叶ったりだった。


「だが……俺たちは休めないよな?」

 俺は楓を見た。

「そこは何とかしよう? ね?」

「え、そこまで……?」

 楓がレンコントを休もうと、休んでまで何かをしようと言うのを聞いた事がない。自分たちの結婚式だって早々に切り上げ、レンコントに戻った程だ。楓がそこまで言う、楓にそこまで言わせる何かがあると……そう言う事だ。

「勿体ないよ」

「勿体ない……?」

「ずっと行きたくても行けなかったその場所に、連れて行ってくれるって……そう言ってくれる人がいる。それなのに行かないなんておかしいよ」

 行きたいという気持はよく分かる。だが、その理由は何だ?

「それにさ……」

「なんだ?」

「私たちの目指すべき……ううん、目指さなくちゃいけないものがそこにある……それなら万難ばんなんはいしてでも……」


「行かなくちゃいけないよ!」

 楓は俺を見た。


 目指すべきもの……それか。

「……だな。小玉さん、お手数をおかけしますが、宜しくお願いします」

 俺は楓を見ると、小玉さんを見てそう言った。

「うん。聞いてみる」

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