第72話 動物のお仕事



「飼い主さん待ってますよ?」

 空さんは診察室のドアを開けると、先生に言った。

「あぁぁ、ごめん! 入れてあげてくれ!」

「どうぞー」

 先生が許可し、空さんが中へ招き入れた。

「失礼します……ブチ……もどこか悪いんですか?」

 飼い主さんは点滴されているブチを見た。

「実は……」


 先生は一通りの説明をした。


「そうですか……では、外に出さないほうが安全……ですか?」

「はい。それは間違いありません。それに話を聞くと、この子が勘違いをして子どもたちを隠したそうで……。それなら尚更外に出さないほうが安全です。もちろん家の中にも隠す場所はたくさんあります。ですが、外よりも見つけやすいのは確かです。それに、これ以上子供が欲しくないのなら、去勢手術をされることをおすすめします」

「……そうですか……」

 飼い主さんはブチを撫でていた。


「じゃ、落ち着いたみたいだし、私たちは帰るとするか?」

「そうだね」

「はい」

 空さんが言い、楓と俺が同意すると俺達は先生と飼い主さんに頭を下げ、一緒に車に乗って一路レンコントへと、車を走らせた。


 ──


 レンコントへ向かう車の中。


「空。ありがとね」

「いや、別に。なんかそんな気がしてね。蒼汰くんから報告を聞いた時真っ先にマダニが浮かんで、気がついたら血清を持って電車に乗り込んでた……。だから、今回は蒼汰くんの手柄だと言っていい」

「だよね」

 楓はバックミラーを見て笑った。

「でも……一匹救えなかった……」

「あ、死後硬直してたんだっけ? それが一番つらいよね……。死亡時間が分かっちゃうだけに、あと一時間早かったらもしかして……って、思っちゃうからね……」

「はい……」

「でも、蒼汰」

「ん?」

「蒼汰は、五匹を救った。一匹死んじゃったけど、ブチは許してたよ?」

「……そう思うか?」

「うん。思うんじゃなくて、そうだった。これは自信ある!」

「そっか……」

 だといいな……。

「でも……困ったなぁ……」

 楓は前を見ながらつぶやいた。

「何がだ?」

「……あの女の子に、全部助ける! って……宣言しちゃったんだよなぁ……」

「ああ、そういやしてたな……」

「なに? 何の話?」


 俺は空さんに庭に入るまでの経緯を、一通り話した。


「あはははは! そりゃ傑作けっさくだ!」

「笑い事じゃないよ! あの歳の女の子の期待を裏切るんだよ!? もう……どうしたら良いか……」

「はぁ……ごめんごめん。でも、そうだよね。聞く限りだと、二年生くらいかな? そのくらいだと一番純粋、なんでも信じちゃう頃だよね……。そりゃ確かに困ったね……」


 ──


 その数日後。


 ブチの飼い主さんから「ブチと子猫五匹が助かった」と連絡を受け、俺達は喜んだ。そして次の日の夜、俺と楓は車に乗って再びブチの家を訪れた。


 楓は俺の料金を受け取り、領収書を渡した。

「ありがとうございます。また何かございましたらご連絡ください」

「はい。今回は本当にありがとうございました」

 ブチの飼い主さんは深々と頭を下げた。

「(来てたのね)」

「おお、ブチ。もう大丈夫か?」

「(ええ。あなたのお陰で私も子どもたちも助かった。ありがとう)」

「いや、一匹救えなかった……すまん……」

「(あの子はもう死んでいた。あなたのせいじゃない。でも、他の子が助かったのはあなたのおかげ)」

「そっか。そう言ってくれると助かる……」

「(それから、お母さんに伝えて欲しい)」

「なんだ?」

「(子どもたちを、他の家に預けても良い)」

「……良いのか?」

「(私は勘違いをしていた。お母さんはやっぱりいい人だった……それも謝りたい)」

「わかった。あの……」

 俺はブチの飼い主さんを見た。

「はい」

「ブチが、子供を他の家に預けてもかまわないと。それから勘違いをしていてすまなかったと……そう言ってます」

「え……? ブチ……良いの?」

「(いい)」

「良いそうです」

「そう……。よし、じゃ今度は二匹残そうねー!」

 飼い主さんがそう言ってブチを抱き上げると、ブチは飼い主さんの頬を舐めた。

「あはは、今度はブチが残す子を選んでくれる?」

「ニャー(いいわ)」

「あ、あのー……」

「はい」

 楓が済まなそうに話しかけると、飼い主さんはブチを床においた。

「あの家、どこでしたっけ?」

「はい?」


 俺達はブチが子供を隠した家を覚えていなかった。


「あぁ、ブチが子供を隠した家ですか。福島さんですね」

「福島さん……って言うんですか? あの家」

「はい。私もあの後ご挨拶に行って、色々お話をしました。一匹助からなかったけど、その他の子は全て助かったこと、それは優愛ゆあちゃんのおかげだったことなど、いろいろです」

「あ……お話されたんですか。それであの子……優愛ちゃん? は……なんと?」

 楓は恐れていた。裏切り者扱いされていないか……夢を裏切ってはいないかと……。

「今から行かれるんですか?」

「ええ。一度ご挨拶と……謝らないと……」

「謝る? 何をですか?」

「あの子に、全部救うって約束したのに守れなかったので……」

「ああ……。でも、優愛ちゃん。何も言っていませんでしたよ?」

「……それって、怒ってたとかじゃないんですか?」

「うーん……どうでしょう……」


 俺達は飼い主さんに案内してもらい、福島さんの家の前に来た。

 飼い主さんがチャイムを鳴らし、優愛ちゃんのお母さんらしき女性が出てくると、飼い主さんは俺達を紹介してくれた。


「あの、勝手にお庭に入り込んで、申し訳ございませんでした」

 楓と俺は頭を下げた。

「いえいえ、優愛に断って入られたと聞きました。それに、そんな状態だったら私もすぐに許可をしています。気になさらないでください」

「ありがとうございます。それで……優愛ちゃんは……?」

「ああ、呼びますか?」

「あ、はい……」

 楓は弱々しく答えた。

「優愛! 優愛!」

 お母さんが呼ぶと廊下の奥の扉がスッと開き、優愛ちゃんが顔を出した。

「あ……あの時の……」

「優愛、ちゃんとこっちに来てご挨拶しなさい」

 お母さんがそう言って手招きすると、優愛ちゃんはトタタタと走って玄関まで来て頭を下げた。

「こんばんわ」

「こんばんわ。この間はありがとね」

 楓も頭を下げた。

「ううん……何しに来たの?」

「優愛、そんな言い方は失礼でしょ?」

「いえいえ、全然失礼じゃないです! 優愛ちゃん……私、優愛ちゃんに謝らなくちゃいけないんだ」

「……何を?」

「優愛ちゃんとの約束、守れなかったから……ごめんなさい」

 楓はそう言うと、優愛ちゃんに頭を下げた。

「……?」

 優愛ちゃんは首を傾げた。

「この間、お庭に入れてほしくて、絶対に全員助けるって……言ったでしょ? でもね、一匹助けられなかったの……だから、ごめんなさい」

 楓は再び頭を下げた。

「……でも、他の子は助かったんでしょ?」

「うん。他の子はみんな助けられた。優愛ちゃんのおかげ」

 楓は笑った。

「うん。じゃぁいい」

 優愛ちゃんも笑った。


 その後、俺は床下に糞などが残っている可能性があり、それによる害が考えられる。できれば一度点検してもらって、あの通風口も直した方がいいと伝えると、お母さんはそうしますと言ってくれた。


 そして俺達はブチの家に戻り、挨拶を済ませると車に乗った。


「櫻井さん」

 飼い主さんは家の前に停めた車の中の俺を呼んだ。

「はい」

「この度は、本当にありがとうございました」

「いいえ。お役に立てたのなら良かったです」

「はい、本当に感謝しています。なんと申していいかわかりません……。それからあの後、動物病院の先生から櫻井さんの適切な処置と指示が功を奏したとお聞きしました。あなた無くしては子どもたちは助かりませんでした。ましてやブチにまで危険が及んでいたとは知らず……。本当にありがとうございました」

 飼い主さんは深々と頭を下げた。

「いえいえ、とんでもない……」

 俺も頭を下げた。

「では、失礼します!」

 楓が声をかけ、ゆっくりと車を走らせた。

 助手席から左のサイドミラーを覗くと、飼い主さんは頭を下げ続けていた。


「はぁ……。許してくれたのかなぁ……」

 楓は車を走らせながら呟いた。

「ん? ああ、あの子か……許してくれたんじゃないか? 笑ってたし」

 じゃぁいいと、そう言っていた。

「うん……最後は笑ってくれたけど、あの子の心に傷を負わせていないといいなぁ……」

「それはどうやっても分からなく無いか?」

「うん……だから困るの……」

「でも、楓がどんなに気に病んでも、解決しないぞ?」

「大丈夫。明日には忘れてるから……多分……」

「そっか……」

 なんだか「多分」と言う言葉の比重が、とても重そうに感じていた。


「なぁ、楓……」

「なに?」

「動物を助けるって……何なんだろうな?」

「え……? なぜ急に哲学っぽいことを!?」

「なぁ……楓はどうして、サロンを始めたんだ?」

「あぁ。……どうしてかぁ、そうだなぁ……。これって、今は……って事になっちゃうんだけどさ」

「なんだ?」

「私は、動物たちを綺麗にしてあげることで動物たちを助けてる。そう思ってるの」

「綺麗にしてあげることで?」

「うん。動物たちがサロンに来て綺麗になる。すると飼い主さんが喜ぶ。するとね、動物たちも喜ぶんだよ。飼い主さんを喜ばせたお店、そんな風に認識され始めるの。するとサロンに来ると動物が喜ぶ。それを見た飼い主さんが喜ぶ。動物を綺麗にすると飼い主さんが喜んで、動物も喜ぶってわけ」

「連鎖するのか」

「うん。それで飼い主さんはね、より動物たちを連れて歩きたくなって、いつもよりも散歩に連れて行きたくなる。つまり、自慢したくなるのね。そうなる事で動物と人間がより親密になり、幸せになれる……そう思ってるの。だから私は動物たちを綺麗にしてあげることで、動物たちを助けているんだよ」

「そうなのか……それって、空さんも似たようなことを思ってるのか?」

「多分ね……。と言うか、獣医師の場合は直接助けてるけど」

「あ、そっか……そうだな」


 ペット関係の仕事って、みんな何か特別な思い、特別な目的があってやっているのだろうか? ただ漠然ばくぜんと、そんな事を考えていた。


「それにさ、私の目的はこれまでも、この先も、ずっと変わらないよ」

「ん? それって何だ?」

「蒼汰も知ってる事だけどさ……あえて言葉にするのなら……」


「動物と人とが、ずっと仲良く楽しく生き続けられる様にすること」


 運転している楓の横顔は、自信と嬉しさに満ち溢れていた。

 人が目的を持ち、それに向かって邁進まいしんしていく顔とは、誰もがこんなに美しく、素敵なんだろうか?


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