第55話 そんな訳ない




 次の土曜日。


 今日は月に二回の譲渡会の日。


 譲渡会に来るお客さんは、大きく分けて二種類ある。一つはフラリとやってきて「取り敢えず見に来てみました」という人。もう一つはネットの写真を見て申込んだか、前日に一度来て動物と会っており、実際に楓に会って面接をし、動物と会って相性を試されるために来る「里親候補の人」だ。


 どちらも大切なのだが、俺の役目は前者の対応だ。

 今日の楓は予約者の対応ばかりをすることになる。


「いらっしゃいませー。ごゆっくりとご覧くださいー」

 俺は新しく来る人を見つけるとそう言い、決して声をかけない。欲しいと言ってくる人にしか対応しない。元々利益を目的とせず、本当に欲しい、動物を飼うことが出来る環境を持ち、正しく動物を飼おうと思っている、経済状態が安定している人にしか譲らない。これがレンコントのシステムだ。

 これは楓と空さんが作ったもので、一旦飼ったのに飼えなくなって、またここに戻って来る事がないように。動物に負担をかけないようにするためのものなのだそうだ。これには俺も賛成だ。

 なので、ゆっくりと歩いて回るが、声をかけられるまでは声をかけない。もちろん、危ないなと思ったら優しく注意をする。


「蒼汰、相性!」

「おう」

 俺は楓に呼ばれ、楓のところへ行った。

 そこには若い夫婦と子猫が居た。子猫は女性に抱かれていた。

「(どう?)」

「(嫌がってはいないな……と言うか、こいつはあまり喋らないからな)」

「(大丈夫そう?)」

「(ああ。合格)」

「うん。サンキュー」

「おう」

 俺はまたふらふらと室内を歩く。


 こうして時々呼ばれては、楓の相性チェックに付き合わされる。楓いわく「動物の話がわかるんだから、動物側の意見もちゃんと聞きたい」のだそうで、俺は動物側のご意見番として呼ばれるのだ。


 つまり、俺が最後の関門。


 という訳だ。最初は結構責任重大で、かなり緊張していた。ただ、数をこなしていくうちに、段々と分かってきた。飼い主と楓がOKと言っている時点で、多くは動物もOKしているのだ。だが中にはそうじゃない場合がある。動物によっては「この抱き方が嫌」とか、「この匂いがダメ」だとか。そう言う場合、俺がNGを出すのではなく「こう言っているみたいに見えますけど、直せますか?」とサポートをすればいいとわかってきた。

 で、それに従えない人は、楓が許さない。と言うか……「この人に従えないのなら、お譲りできません」と言うのだ……。「その言い方、なんとかならんか?」と楓に聞いたことがあるのだが、「蒼汰に反論するなんて許せない!」と言い、全く聞く耳を持たなかった……。まぁ、実際には「誰に言われても、動物の為に生活を変更できない人はダメという意味なのだ」と、空さんから聞いた。だとしたら「そう言え!」と言いたいところなのだが、それも言えずに現在に至る。


「櫻井くん、来たよ!」

「おう、もうそんな時間か」

 予約時間通りに藤崎が母親を連れてやって来ると俺に声をかけ、俺は藤崎に右手を挙げた。

「すまん、まだスケジュールが押している……」

 俺はまだ前の人の相手をしている楓を見た。

「うん、良いよ。それより、とし子さんは?」

「ああ、あそこだ」

「居た! お母さん、ほら、この子だよ!」

 藤崎は俺を紹介する前に、とし子さんを紹介していた……。まぁ、そうなりますよねー。

 とし子さんは藤崎に会えて喜んだ。藤崎はその後何度もここを訪れ、とし子さんと面会をすると、散歩を繰り返した。これは楓に勧められたもので、その度に俺や楓と散歩に出かけ、色々と覚えていったのだ。


「蒼汰、藤崎さんはまだ?」

 十五分ほどすると、楓が俺のところに来ていった。

「いや、もう来てるぞ。あそこに」

「え? あ! すみません、遅くなりました!」

 楓は藤崎を見つけると、そう言いながら藤崎のところへ行った。

「あ、楓さん。もう良いんですか?」

「うん、今終わった。じゃ、始めようか?」

「はい。お願いします」


 藤崎とお母さんの楓チェックと俺の相性チェックはすぐに終わった。

 これまで何度もやって来てはとし子さんと遊び、散歩をしていたのだから当然の結果だった。


「では、お届けはいつがいいですか?」

 楓は藤崎のお母さんを見た。

「早いほど嬉しいのですが、いつでも結構です」

「では……この日は?」

「はい。大丈夫です」

「お父様も大丈夫ですか?」

「夫は五年前に亡くなりまして、今は私一人なので……」

「え……そこまで……」

「そこまで……何でしょうか?」

「いえいえ! こちらの話です……そうですか……。では、お時間のご都合は?」

「できれば夜が良いのですが……その方がこの子も同席できますし」

「では……二十時くらいでは?」

「はい。あや、大丈夫?」

「うん。楓さんは大丈夫ですか?」

「うん。では、この日の二十時くらいに伺います」

「はい、宜しくお願い致します」

「こちらこそ、宜しくお願い致します」

「宜しくお願いします」

 楓とお母さんが頭を下げると、藤崎は一緒に頭を下げた。

 とし子さんはそれを察しているのか、嬉しそうに尻尾を振っていた。


 二時間後、田辺が両親を連れてやってきて、同様にすぐにチェックとトライアルの手続きを済ませた。


 ──


 三日後。


「じゃ、とし子さん。行こうか」

 楓はそう言うと、廊下のフックからとし子さんのリードを外し、とし子さんをケージに入れた。とし子さんは嬉しそうにケージに入った。

「しかし、とし子さんはいつ見ても笑ってるな……」

「うん……なんだか小鉄を思い出すよ……」

「俺、そんなに笑ってたか?」

「私にはそう見えてたけど、違う?」

「どうだろな……覚えてない」

「そっか」

 楓は笑った。

「じゃ、お届け行って、そのまま帰りますねー!」

「はーい、気をつけて! お疲れ様でーす!」


 俺がとし子さんのケージを持ち、楓と一緒に地下駐車場へ行くと、車のバックドアを開いてとし子さんのケージを載せ、上から布をかぶせた。

「何かあったら言えよ」

「(うん、わかった)」

 俺はゆっくりとバックドアを閉めた。


 車は夜の街を走っていた。


「ねぇ……知ってた?」

「ん? 何がだ?」

「藤崎さんち、お父さん、五年前になくなったんだって」

「いや、知らない……あ、自分と似てるって、そう言いたいのか? 俺はお前一筋だぞ……?」

「ああ、そうじゃない! もうそれは考えてないよ!」

「……そうなのか?」

「うん……世の中って、そういう似た境遇の人って、居るんだなって……」

「そうなんだな……」

「蒼汰って、自分の好きな人を呼び寄せる力でも持ってんの?」

「あはははは、そんな力、あったらいいな!」

「あるじゃん……」

「あ……。ま、事実そうなってるよな……」

「…………」

「お前、やっぱり考えてないか?」

「考えてないよ!」

「何をだ?」

「……いや……そりゃ少しは考えるよ。でも、私は蒼汰を信じるって決めた。蒼汰が浮気をしようが、私を振ろうが、もう信じないって決めたの」

「考え方が極端だな……。でも、それでいい」

「いい?」

「ああ。お前は俺を信じてくれれば全てうまくいく……。理由はないが……なんかそんな気がする」

「うん、そうだね……。よし、ピロリロリン♪」

「なんだ、その音?」

「私の『蒼汰が好き好きゲージ』が、二ポイントアップしました!」

「……今、何ポイントなんだ?」

「え……? 考えてない。っていうか、ずっとMAXなんだけどね……」

「じゃ、二ポイントアップも何もないな。それ以上あがらないんだから」

「だよね」

 楓は笑った。

「ああ」

 俺も笑っていた。


 車を一時間ほど走らせると、藤崎のマンションの前についた。


「ここか……マンションなんだな」

「うん。お父さんが残してくれたらしいよ」

「そうなのか……」

「車は……ここで良いのかな?」

「電話してみるか?」

「あ、うん。聞いてみて」

「おう」


 俺はスマホを取り出すと、藤崎に電話した。


『はい、もしもし。櫻井くん?』

「おう、今マンションの前にいるんだが、どこに車を停めたら良いんだ?」

『あ、今出ていくから待ってて!』

「わかった」


 俺は電話を切った。

「何だって?」

「今出てくるとさ」

「わかった」


 三分もせずに、藤崎が出てきた。

「あ、来た。ここだよー!」

 楓が窓を開けて藤崎に手を振ると、それに気づいた藤崎は手を振り返し、左右の安全を確認してから走って車道を渡ってこちらへ来た。


「こんばんわ」

「こんばんわ。どこに停めると良いのかな?」

「あそこの駐車場の開いている場所に止めてください。それで、この紙をフロントガラスの所に置いてください」

「わかった」

 楓は紙を受け取ると、ダッシュボードの上に置いた。


 そのまま前後の安全を確認し、車をマンションの駐車場に入れると、開いているスペースに停めた。

「ここでいい!?」

「はい、大丈夫です!」

「よし、行こう」

 楓はギアをパーキングに入れると、パーキングブレーキを引き、エンジンを止めた。

「おう」

 俺は車を降りると後ろに回ってバックドアを開けて布を取った。

「(うわ)」

「あ、悪い。驚かせたか? 新しいお家についたぞ」

「(新しいおうち?)」

「ああ。お前の大好きな人の家だ。ほら」

 俺はケージを持ち上げ、外に出した。

「(あ、いつも来てくれる人!)」

 とし子さんはケージの中から藤崎を見つけ、喜んだ。

「とし子さん、いらっしゃい」

 藤崎は俺が持つケージの中を覗き込み、とし子さんに挨拶をした。

「バウ(宜しくね!)」

「お、鳴いた……」

「初めて聞いたよ……」

 藤崎も俺も驚いた。

「ああ、宜しくってさ。喜んでる」

「うん。宜しくね」

「蒼汰、行こう」

 楓が道具一式を持ち、バックドアを閉めると鍵をかけた。

「おう」

「こちらです」

 藤崎が先に歩き、俺達は藤崎の後に続いた。


「いらっしゃいませ、お待ちしておりました」

 玄関を開けるとお母さんが出迎えてくれた。

「お邪魔します」

「お邪魔しまーす」

「入ってください」

 藤崎が先に上がり、俺達を招き入れた。

「ケージはどこだ?」

「こっちだよ」

 俺と楓は靴を脱ぎ、廊下に上がると藤崎についていった。


 寝室にケージと柵が用意されていた。

「うお……大きいな」

「大きいねー……」

 柵が広々と、部屋の半分を占領していた。

「大きすぎましたか?」

「うーん……ケージだけでいいんじゃないかな。と言うか、これだと生活に困んない?」

「あはは、やっぱり……ちょっと頑張り過ぎちゃいました」

「ケージってね、お庭じゃなくて、お家なんだよ。自分の居場所。だから、体がすっぽり入れば狭くてもいいの。そのほうが落ち着くんだ」

「あ、そうなんですか……勉強不足ですみません……」

「ううん。今から覚えれば良いことだよ」

 楓は手早く柵をたたむと部屋の壁に立てかけた。

「これさ、最初のうちは入ってほしくないところに立てて。とし子さんの体の大きさだと飛び越えられそうだけど、区切りをつけることで覚えさせるの」

「わかりました」

「うん。じゃ、入れてみよう」

 楓は俺を見た。

「おう」

 楓がケージの扉を開き、俺はその前にとし子さんの入ったケージを置いて、扉を開いた。

「ほれ、ここがお前の新しい部屋だ」

 とし子さんは頭を出し、鼻をヒクヒクさせて周囲の匂いを嗅ぐと、ゆっくりと新しいケージの中に入った。

「(新しい臭がする、でもこの人と同じ匂い……嫌じゃない)」

「大丈夫そうだな」

 俺は楓を見た。

「うん……じゃ、最初に注意点を説明します。まず……」


 楓はいつもやる説明を始めた。

 藤崎とお母さんは真剣に聞き、時々質問をしていた。それほどしっかりと興味を持って聞いてくれていた。とし子さんのために真剣だった。

 俺はとし子さんを見ていた。とし子さんはすぐに落ち着き、あたりを見渡し始めた。

「落ち着いたか?」

 俺は小声で言った。

「(ええ、あの人と同じ匂いだから怖くない。ここはあの人のおうち?)」

「ああ、今日からは、お前のおうちでもある」

「(私、捨てられたの?)」

「逆だ。お前はこの家の人に好かれ、受け入れられた。家族になって欲しいと言われたんだ」

「(そうなの?)」

「ああ。だから安心しろ」

「(この人と、あなたとはお別れなの?)」

「ああ、でもそれは悪いことでも悲しいことでもない。俺達よりもお前をかわいがってくれる人のところに来たんだ。これからは存分に甘えられるぞ」

「(わかった。じゃ、あの人にも伝えて。×××××××××××××××××って。そして、あなたにも)」

「おう……こちらこそ……。施設のみんなが寂しがるよ」

「(そうかしら?)」

「ああ……お前は人気者だったからな……」

「蒼汰、どう?」

 楓が後ろから声をかけた。

「え?」

 俺は振り向いた。

「櫻井くん……どうして泣いてるの?」

「え……。あ、いや、目にゴミが……気にするな」

 俺は涙を手でぬぐった。

「そう……」

「ああ」

「蒼汰……」

「あ、楓。もう出していいぞ」

「うん」

 楓はとし子さんの扉を開けた。

「さ、おいでー」

 楓が呼ぶと、とし子さんはゆっくりと出てきて、いつもの笑顔を振りまいた。

「おー、お前は本当に可愛い子だねぇ……」

 楓はワシャワシャととし子さんを撫でた。

 とし子さんは楓をなめていた。

 感謝を言いながら……なめ続けていた……。


 その後、一時間ほど様子を確認し、俺達は藤崎家を後にした。


 車に乗り、駐車場を出て一つ目の角を曲がり、少し走った所で、楓は路肩に車を停めてエンジンを切った。


「ん……?」

 俺は楓を見た。

「ひくっ……うっ……うぅぅ」

 楓は両手でハンドルを握りしめたまま、ハンドルにもたれかかってうつむいた。ハンドルの上に、涙がこぼれ落ちていた。

「楓……」

「蒼汰……私……」

 楓は顔を上げて、俺を見た。目から涙を溢れさせ、グシャグシャの顔で、俺を見ていた。

「楓、おいで」

 俺はシートベルトを外し、両手を広げて楓に差し出した。

 楓もシートベルトを外してそのまま俺に抱きつくと、声をあげて泣いた。


「楓、言わなくちゃいけないことがある……」

「なぁに……?」

 楓は俺の胸に顔をうずめたまま、ぐずり、こもった声で聞いた。

「とし子さんからの伝言だ。あの時、とし子さんな、楓を見てこう言ったんだ……」


『あの人にも伝えて。長い間、本当にありがとうって』


「うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 楓はとし子さんの思いを知り、さらに大きな声をあげ、体を震わせ、しゃくり上げながら泣いた。楓がこれほどまでに泣くのを始めて見た。これまでにも何度か、お届けの帰りに楓が泣くことはあった。だが、ここまで泣くのは初めてだった。


 楓は「お届けはお別れだけど、お別れじゃない。次の誰かを迎え入れるために必要なことなんだよ」と、そう言っていた。

 だが俺は考えていた。俺が楓と出会う前までに……。


 一体どれ程、こういう別れを繰り返したのだろう?

 一体どれ程、悲しい思いを繰り返したのだろう?

 一体どれ程、『我慢』を繰り返して来たのだろう?


 俺には想像がつかなかった。


 お別れだけど、お別れじゃないだと?



 そんな訳あるか……。




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