第52話 一度ハマると抜け出せない、可愛い奴らの襲来


 事務所に入ると、並べられた椅子の上に藤崎が寝かされていた。

「空! いきなり失神したみたい!」

「わかった! 男子は外!」

「は、はい」

「あ、蒼汰くんだけ残って!」

「あ、はい。田辺、少し廊下で待ってくれ」

「おう」

 空さんは聴診器を取り出し、耳に当てると田辺が外に出るのを待った。

「(蒼汰くん、失神は何が起きたか判別するのが難しいの。最も怖いのは脳腫瘍。だから、君の能力でこの子の体に痛みがないか調べてくれる? でも、スイッチ入れたら、一瞬だけ触るんだよ。もし脳腫瘍だったら、ものすごい痛みのはずだから)」

 空さんは小さな声で、俺に耳打ちしながら、藤崎の手を取って脈を測っていた。

「わかりました。(アリシア、エンパシーON)」

「はい」

 ピッ。とアリシアがスマホのボタンを押すと、なんだか感覚が研ぎ澄まされたようになる。

 そのまま藤崎の手にトン、と一瞬だけ触れた。何も感じない……。もう一度触れる。

トン……。やっぱり何も感じない。俺は藤崎の腕に触れ、握った。……うん。

「空さん、どこにも痛みはありません」

「良かったー……。うん、ありがとう。もう安心していいよ。ただ気を失っただけだと思う。じゃ、もう少し調べるから、君も外へ」

「はい。(エンパシーOFF)」

「はい」

 ピッ。


「どうだ!?」

 廊下に出ると、田辺は壁によりかかり、心配そうに俺を見た。

「大丈夫だ。ただ、気を失っただけだろうって」

「そっか……良かった。……しかしお前、酷いことするな……」

「酷いこと?」

「まさか、藤崎がお前のことを好きだって、知らないわけじゃないだろ?」

「ああ……後で謝る……」

「いや、それもどうかと……」

「やっぱりそうか?」

「ああ。むしろ知らないフリをしてやった方が……あ、そういう意味では今回連れてきたことも、理にかなってんのか……」

 田辺は廊下で俺と並んで立ったままで壁により掛かると足を組み、両手を頭の後ろに組んだ。

「……なぁ、藤崎の誕生日。知ってるか?」

「あ? 藤崎の? あぁ……知ってるが……」

「蒼汰くん、気づいたよ。不安そうだから、二人の顔を見せて安心させてあげて」

 空さんが事務所の戸を開けた。

「あ、はい!」


 俺達が事務所の中へ入ると藤崎は椅子に座っていた。

「櫻井くん……ごめんなさい」

「どうして藤崎が謝る。お前は何も悪いことはしてないだろ」

 俺は藤崎の前にしゃがんだ。親が子供をなだめるように。

「でも……ご迷惑を」

「誰も迷惑だなんて思ってない。な、気にするな……」

「……ありがとう」

「気分は? もう大丈夫なのか?」

「うん……大丈夫」


「なんかさ……昔の楓みたいじゃない?」

「うん……」

 空さんが楓を見ると、楓は藤崎を見たままそう言った。


「よし、じゃ良かったら施設を案内するが、どうだ?」

 俺は立ち上がった。大丈夫そうだ。

「うん。お願いします」

 藤崎は頭を下げた。

「よし。空さん、今から動物病院へ見学に行ってもいいですか?」

「ん? ああ、いいよ。じゃ、一緒に行こう」

「はい」


 俺と田辺と藤崎は、空さんについて二階の動物病院へ降りていき、楓はまだ仕事があるからと言って一階のサロンへ降りていった。

 空さんから簡単にこのレンコントに於ける動物病院の役割、意味などを説明してもらい、その後三階の事務所と四階をすっ飛ばして、先に俺の仕事場、五階へ向かった。


「ここが来たばかりの動物の管理フロアで、俺の仕事場だ」


「ワン、ワンワン!(誰!? 怖い、怖い)」

「シャーッ!(近寄るな! こっち来るな)」

「キャン、キャン(殴らないで! こっちに来ないで!)」

 と、動物たちは好き放題に鳴きわめいていた。


「大丈夫だ、こいつらは何もしない。俺の友達だ」

 俺がそう言って聞かせると、動物たちは少し落ち着いた。まだ鳴くやつも居るが、さっきよりはましになった。


「なんだ……? 櫻井、お前動物使いとかなのか?」

「黙った……。櫻井くん、お話できるの?」

 田辺と藤崎は不思議そうに俺を見た。

「いや、動物使いでもなければ、話もできん。こいつらはもう一週間近くここに居るから、俺に慣れているだけだ。お前らを見たことがないから怖いだけ。あ、でも手は出すなよ? まだ知らない人には、怯えて噛んだり引っ掻いたりする」

「おう……」

「うん……」

「よし、ここに長居をしても怖がらせるだけだ。四階へ行こう」

「おう」

「うん」

「また、後で来るからな」


「ワン!(お腹すいた!)」

「ニャー!(腹減ったぞ!)」

「わーかった、わかった! 時間になったらちゃんとやるから待ってろ!」

 俺はそう言い残し、四階へ降りた。


「わぁー、かーわいいー」

 藤崎は四階の部屋に入るなり、嬉しそうに声を上げた。

「ここはもう慣れた子たちで、引き取り待ちだ」

 部屋には十五匹の犬や猫がいる。

「触っても平気?」

「ああ、ここの子は大丈夫だ。でも一匹ずつにしろ。相性がある」

「うん」

「あ、その前に!」

「え?」

 藤崎はケージに入れかけた指を引っ込めて俺を見た。

「二人共こっち来い」

 俺は二人を連れてトイレへ行った。

「ここでしっかり手を洗ってくれ。この洗剤で手を洗って……。仕上げはこのアルコールで手をこする」

 俺はトイレの中の洗面台の前で、二人に手の洗い方を教えた。

「うん」

「おう」

 藤崎が先に手を洗い、アルコールで手をこすり始めると田辺は交代で手を洗い、アルコールで手をこすった。

「これでいいか?」

 田辺は両手を俺に見せた。

「おう。じゃ、どの子から触りたい?」

「私はこの子」

 藤崎が子猫を指差し、俺はケージを開けるとゆっくりと子猫を取り出し、藤崎の手に載せた。

「ゆっくり動け。それにこいつはまだ体温調節が出来ないから、胸に抱け。しっかり温めてやるんだ」

「うん……こう?」

「この手をこうやって、子猫を囲うようにするんだ。そのまま胸に当てるか、腹に当てろ」

「うん」

 俺が藤崎の手を持って動かしながら正しい抱き方を指導すると、藤崎はその形を維持しながら子猫を眺めていた。

「かーわいいー……」

「お前はどの子が良い?」

 俺は田辺を見た。

「俺はこの子」

 田辺は柴風の子犬を指差した。

「お前は、犬派か……」

 俺はケージを開け、子犬を抱き上げた。

「おう。どうやって抱くんだ?」

「この子は大きいから、まず、左手を尻の下に。その時、足も支えてやれ。こうだ。そして右手で上半身を支えてやる。基本的には左手だけで持つ感じだ」

「おう、わかった」

「渡すぞ……おぉ、上手い上手い」

「大丈夫か?」

「ああ、嫌がられてないから大丈夫だ」

「そっか……可愛いな……」

「小さい奴らは特にな……」

「ああ……」

「櫻井くん」

「ん?」

 俺は藤崎を見た。

「この子、どうすれば引き取れるの?」

「……なんだ、もうその気か?」

「うん……もちろんお母さんに相談しないとだけど……欲しい」

「そっか……ちょっと待ってろ」


 俺は四階にある電話の受話器を取り上げ、一階のボタンを押した。

『はい、一階です』

「楓か?」

『あ、蒼汰。どうしたの?』

「今、四階で二人に動物を抱かせているんだが、藤崎がもう欲しいと言い出してな。どうすればいい?」

『え、本当に!? あぁ……うーん。じゃ、あと十五分位したら私がそっちに行くよ』

「わかった。待ってる」


 俺は受話器を置いた。


「十五分くらいしたら、楓。ここの代表が来るそうだ」

「うん。楓さん……って、あの明るいきれいな人だよね?」

「ああ」

「櫻井くんのお嫁さん……なの?」

「正確にはまだ婚約していない。俺は十六だしな。だが両親公認だ」

「ふーん……素敵な……人だね」

 藤崎は笑った。少し陰りのある笑顔だった。

「ああ」


 十五分後、楓がやってきた。


「お待たせー! どの子?」

「この子だ」

「オッケー。ちょっと待ってねー」

 俺が藤崎の抱いている子猫を指差すと、楓はケージの張り紙を見た。そのままカウンターへ行き、データを確認した。

「あ、ごめん。その子トライアルに入ってる……」

「そうなのか……」

「トライアル?」

 藤崎が首を傾げた。

「ああ。うちから引き取ってもらう子は、全員トライアルっていう、二週間のお試し期間を設けるんだ。その間に家族との相性、先住動物との相性などを確認してもらい、その家族と俺たちの両方が承諾して、初めて譲渡が成立するんだ」

「あ、審査って意味?」

「それもある。俺達が実際にその環境を見に行って、不適当だと思うような環境なら断るし、トライアル後に環境が原因だと思われる体調不良が見つかったら断る」

「そうなんだ……」

 藤崎は子猫を見た。

「藤崎さん……だっけ?」

 楓は藤崎を見た。

「はい」

「その子以外で、いい子は居ないかな?」

「この子以外ですか?」

「うん。トライアルって言っても、今蒼汰が言ったみたいに、戻ってくる子もいるの。でも、八割くらいは決まっちゃうから……その子を待ってみてもいいし、他の子を見つけてもいいと思う」

「……わかりました。他にはどんな子が」

 藤崎はあたりを見渡した。

「子猫が良いの?」

 楓はカウンターの中から藤崎に聞いた。

「うーん……今はこの子が気に入っているだけで……よくわかりません」

「そっか。じゃさ……ここにトライアルって書かれてない子はまだ決まってない子達だから、もうすこしゆっくり見て回ると良いよ」

 楓はカウンターから出てきて、ケージに貼ってある紙を指差した。

「わかりました。この子、抱いていてもいいですか?」

「良いけど、その子を抱いたままで見て回ると、他の子が怖がったり、威嚇したりするかもよ?」

「あ、そっか。じゃ、櫻井くん」

「おう」

 俺は子猫を受け取ると、ケージに戻した。

「おすすめの子とか、居ますか?」

 藤崎は楓を見た。

「おすすめの子かぁ……。それ、良く言われるんだけど、私にとっては全員おすすめでさぁ……。それに、私が一番接している老犬とか老猫が一番可愛く思えてるから、そっちを勧めたくなっちゃうし、でも、お年寄りの子はお金もかかるし、手間もかかる……そういう意味では勧められないの。もちろん、それでも良いって引き取ってくださる人もいるんだけどね」

「なるほど……。その、お勧めのお年寄りって、会わせていただけますか?」

「え? もちろん良いけど……うん。一階に居るの。来て」

「はい」

 楓は藤崎を連れて、一階に降りていった。


「おー、わかった。わかったから、そんなに舐めるな……あは、あはははは」

 田辺は壁に持たれて床に座り込み、子犬に存分に顔をなめられていた。

「お前、見たこともないような笑顔だな……」

「そ、そうか? なんかな、俺も感じたことがない楽しさだ。あははは」

「あ、その子はまだ誰も手を挙げてないぞ。しかも柴の子犬って人気があるから、本当にほしいなら急いだほうが良い」

「ま、マジか!? うーん……。よし、お前、うちに来るか? そうかそうか、来るのか! わーかった。聞いてみる、オレ一人じゃ決められん……おい、わかったって……」


 田辺は本当に幸せそうだった……。

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