第30話 幽霊
「なにこれ! 美味しい!」
風呂を上がると、楓は水道水が美味い事を発見した。
風呂上がりで乾いた喉を潤すため、宿の水道水を飲んだらとても美味かったらしい。
「え、そんなに?」
美月は浴衣の帯を絞めながら聞いた。
「うん! 飲んでみて」
楓は水の入ったコップを美月に渡した。
「どれ……。あ、美味しい……」
美月はコップを受け取ると一口飲んだ。
「ね?」
「うん。全然臭くないって言うか……実は今までの水って臭かったんだって思った」
美月はコップの中の水を見ると、そう言いながら楓に返した。
「だよね。水って本当はこんな味なんだ……」
楓はコップの水を飲み干すと、また水道から水を入れた。
「そうね。ずっと都会の水を飲んでたら、ずーっと気づかないままなのよね」
「うん。まだまだ知らないことばかりだなぁ……」
楓はそう言いながら、二杯目の水を飲み干した。相当喉が渇いていたらしい。
時計は二十三時を指していた。
「楓、明日はどうする?」
美月は布団に入り、まだ鞄をあさっていた楓を見た。
俺は楓が持ってきた俺のベッドで丸くなっていた。
「チェックアウトって何時?」
「十時よ。だから、九時には宿の人を呼んでチェックしてもらわないと……だから朝ご飯食べたらすぐに帰る準備をしないとね」
「うん、わかった」
「それで、宿を出てからどうする?」
「お母さんのお仕事もあるし、家でゆっくりしよう?」
「いいの?」
「うん。特に行きたいところもないし、今日は本当に楽しかったから、もういいよ」
楓は立ち上がると部屋の入口にある、電気のスイッチの所へ行った。
「そう……?」
「うん。電気消すよ?」
「うん」
美月がそう言うと、楓は部屋の電気を消し、部屋は真っ暗闇になった。
「……なんか、こういう真っ暗で何も見えないっていうのも初めてかも……」
楓は手探りで布団の中に潜り込むと、布団の中からつぶやいた。
「怖い?」
「ううん。お母さんも居るし、小鉄も居るし」
「おう、居るぞ」
俺は声を上げた。目を閉じてはいるが、まだ寝ていなかった。
「うん。だから、怖くない」
「怖かったら、こっちで寝ても良いんだよ?」
「ううん。大丈夫」
「そう……おやすみ」
「うん、おやすみ……」
──
……困ったな、どうしよう……。
私は夜中に目が覚めた。正確には、トイレに行きたくてどうしようも無くなって目を開けた。お腹はパンパンに膨れていた。途中、何度も「あれ、行きたいかも……でもいいや」とか「あれやっぱり……でも我慢しよう」などと何度も覚醒を繰り返していたけれど、とうとうお腹は最終段階になり、もう一度布団をかぶって寝るわけには行かなくなってしまった……。できれば次に目が覚めたら明るくなっていてほしい……寝る度にそう思っていた。でも現実は残酷で、そんな願いも虚しく三度目に目を覚ましても、まだ真っ暗なままだった。
寝る前にたくさんお水を飲んだからかなぁ……。
私は天井を見上げ、そんな後悔をしていた。そうしている間にも、お腹は危険を知らせてくる。イタタタ……。すこしお腹が痛くなってきた。
今、何時なんだろ……。私は布団の中から手を伸ばし、スマホのボタンを押した。
『3:15』
三時……まだ明るくなるまでには三時間以上ある……。うーん……困ったな……。
ふと見ると、小鉄が寝ているのが見えた。
「小鉄ー……起きてるー……?」
小鉄は目を閉じていても、起きていることが多い。私は囁くように小鉄に声をかけた。小鉄は寝息を立てて眠っていた。うーん……薄情者……。いや、断られたわけじゃないからそれは違う……小鉄は全く悪くない……。
このまま漏らしちゃったら、いくら請求されるんだろう……。そんな思いが頭の中をよぎった。畳の張替えは四千円って言ってたけど、お布団汚して、畳まで汚したら……しかも寝ている場所が三畳にまたがっていたりしたら……。第一小学四年生でおもらしって……。
よし、起きよう!
私はゆっくりと起き上がった。お母さんと小鉄を起こさないように、そっと起き上がると立ち上がった。イタタタ……歩けるかな? ちょっと我慢しすぎていた。そのままゆっくりと歩き、寝室の戸をそっと開けて廊下に出ると戸を閉めた。
廊下は真っ暗だった。
「こ……怖くない、怖くない……」
私はそう自分に言い聞かせながら、廊下の電気のスイッチを入れた。パッと電気がつき、廊下が明るくなった。目が暗闇に慣れてたから、眩しいくらい……でも少しホッとする。そのまま廊下を歩き、階段へ行って下を見た。
一階はまだ真っ暗闇だった……まるで別世界のよう……。二階から一階の電気を操作することは出来ない。このまま真っ暗闇に降りていき、何とか一階の電気のスイッチを入れるしか無い……。私は階段の手すりに捕まると、恐る恐る一段ずつ、ゆっくりと階段を降り、暗闇の中へと入っていった。
一階に到着し、電気のスイッチを入れると廊下が明るく照らされた。ふぅ……ここまでは順調。目の前にトイレの扉が見えた。あ……もう、限界……。私はそのままタタタと走り、トイレの電気のスイッチを入れ、トイレへ飛び込んだ。
「ふぅ……スッキリした……」
トイレから出て、トイレの電気を消した。
廊下の明かりは付いていたが、目の前の一階の部屋へ続く長い廊下の両側は暗闇だった。
うぅっ……。
私は身震いがして、再び恐怖が襲ってきた。
うわぁぁぁぁぁ。
私はそのまま廊下を走り、一階の廊下の電気を消すと階段を上がろうとして、足を止めた。
「あれ……?」
トイレの隣の脱衣所の奥から光が漏れている。浴室の電気がついているようだ。
「消し忘れた……のかな?」
私の中の恐怖という感情よりも、不経済という気持ちが勝った。上がりかけた階段を降り、再び廊下の電気をつけると脱衣所へ行き、扉を開けた。
「あ、やっぱり……」
脱衣所に入り、浴室の電気を消そうとしたその時。
パシャン……。
と水の音がした。え……誰か入ってる? ……訳ないよね……。お母さんと小鉄は上で寝てたし……。あ、でも……もしかするとお母さんが起きてきて、私がトイレに入っている間にお風呂に……。
私はゆっくりと浴室の戸を開けた。
「ん……? 誰も……居ない?」
内風呂には誰も居なかった。
パシャン……。
再び水音がして、外を見た。
「え……誰かいる……?」
私は眉をひそめた。露天風呂の浴槽の中に少しだけ頭のようなものが見える。内風呂の湯気とそれによってできたガラス戸のくもりでよく見えないが、たしかに頭のようなものが見える。後頭部だ。露天風呂に入っているその人は、金髪を後ろで結き上げ、白い首が見えていた。
え…………誰!?
私は声も出せずに目を見開いて固まった。
幽霊……?
その人は時々両手で体に湯をかけ、水音を立てていた。でも幽霊って言うならこう……日本人であるべきだ。何故かそう思った。でも、まさか宿の人が夜中に入り込んで勝手にお風呂に入ってるとは思えないし……ましてやお風呂に入る泥棒なんて言うのも考えにくい……しかも外国人だ……。それに……。
なんか光ってる……。
その人は薄っすらと、ふわっと光っていた。神々しいとかではなく、まるで幽霊のような透明感で光っていた……。やっぱり幽霊……なのかな? 見たこと無いからわからないけど……。取り敢えずお母さんに……。
私は音を立てないように、そっと扉を閉め、足音を立てないように脱衣所から出るとゆっくりと扉を閉めた。
ダダダと廊下を走りって階段をかけ上がり、寝室に入るとお母さんにしがみついた。
「お母さん! 大変! お母さん! 起きて、お母さん!」
私はお母さんを揺り起こした。
「ん……? 楓……どうしたの?」
「お母さん、大変! お風呂に知らない人が居る!」
「え……? お風呂に知らない人?」
「うん! 知らない人がお風呂に入ってる!」
「え……それって幽霊!?」
お母さんはガバッと起き上がった。
「わかんない……でも、普通にお風呂に入ってるの……」
「よし!」
お母さんは布団から出て立ち上がると、廊下に出て階段を降りた。私はお母さんの後を追った。
「この中? 電気ついてるけど……」
お母さんは廊下から脱衣所の中を指差した。
「ううん。露天風呂に入ってた。脱衣所の電気は私がつけた」
「そう。露天風呂……お父さんかしら?」
「ううん、女の人だと思う」
「女の人……?」
「うん」
「やっぱり幽霊かしら?」
「わかんない」
「よし……見てみましょ……」
お母さんはそう言うと、脱衣所の戸を開け、ゆっくりと中に入ると、浴室の戸を開けた。
「外だっけ?」
「うん」
お母さんはゆっくりと浴室に顔を突っ込んで、外を見た。私もお母さんの下から顔を出して、外を見た。
「あ、居る……外国人?」
お母さんがそう言うと、露天風呂の人は振り返った。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁ!」
と、露天風呂の人がお母さんに気づいて立ち上がって叫ぶと、そのままフワッと消えた。
「消えた……?」
私は外を見たまま驚き、つぶやいた。
「消えたね……ってことは……幽霊!?」
「きゃぁぁぁぁぁぁ!」
私とお母さんは同時にそう叫ぶと、ガッシリと抱き合った。
──
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